【七】バネブーと真珠
フエンタウンを観光する上で、移動手段として一番使われるのはバスだった。町の中心に大きな停留所があり、多くのバスが行き交う。必然的に人も多く、停留所付近から伸びる商店街は、町で一番の人通りらしい。
メグリは事あるごとに説明を入れつつ、ヒノテ一行を案内していた。
「ここかあ。前回来た時は、寄る暇なんてなかったからな」
入口で足を止め、商店街を抜けた先で小さくなった風景を眺める。
「前回も観光?」
「いや、観光って訳じゃあないな」
メグリの質問から逃げるように、ヒノテは歩き始める。言えるような内容ではなかった。
思い返しても、そんな場合ではなかったという記憶しかない。前日入りして、翌日に迫った大きなイベントを前に、ヒノテはどぎまぎしていたのをよく覚えている。とてもではないが観光どころではなかった。
「じゃあ何しに来たの? ……あ、ジム戦? もしかして、負けたな?」
リベンジに来た、と思われていた方が都合は良い。
「そうだな。あんまり言いたくはないけど」
「そっかあ。だからバトル場を探してるのか。前回来た時は、碌に準備もせずジムに突っ込んだんでしょ。負けてからじゃ、観光なんてする気になれないもんね。今回は、ちゃんと観光してからジムに挑もうってことか」
「おいおい、それじゃあまるで俺が負けに来たみたいじゃないか」
「勝つ気なの? アスナちゃんは強いぞお」
この町のジムリーダーの顔はよく知っていた。テレビCMにも出ているし、雑誌や町の広告ポスターにも引っ張りだこだ。顔立ちもよく、本人の溌剌とした元気が良い性格も手伝って、人当たりは大変良い。
知名度だけで言えば、今や他の町のベテランジムリーダーよりも高いかもしれない。前回来た時はまだ就任当時で、知名度も実力も足りなかった。それ故、彼女は苦い経験をしている。
「メグリの方こそどうなんだ? ポケモンの扱いには長けているみたいだけど、トレーナーなのか? というか、歳は?」
「女性に年齢を聞くなんて、なんてデリカシーのない!」
メグリはまた昨日のような膨れっ面をヒノテへ向けた。
「多分だけどな、大人の女性はあまり人に頬を膨らませた顔なんて見せないんだよ」
ひどいひどい! と騒ぎつつも、メグリは十二歳だよ! ちゃんとトレーナーになれるんだよ! と答えた。
「そうか。じゃあ、ポケモンは?」
「……持ってない」
欲しいけど、という前置きがあるなとヒノテは思った。
「あのバネブー達は?」
「あの子達は、私の遊び相手だから」
「山の方に行けば、メグリについて来そうなポケモンなんて、たくさんいそうじゃないか」
急に落ち込んだ様子に、ヒノテはしまったと頭を掻く。きっとポケモンを持つ事を、親に反対されているのだろう。差し詰め――。
「なるほどな、旅に出たいけど親が許してくれないのか。旅に連れ出せないなら、フエンで一緒に遊んでいても同じだしな」
「え、何で分かるの?」
「合ってるんだな」
「大人はこれだから嫌いです!」
また子どもらしく膨れっ面を見せたメグリは、ヒノテ一行を置いて、ずんずんと歩を速めた。
あれだけポケモンの扱いに長けているのであれば、トレーナーになった方が良いと、まだ出会って間もないヒノテでさえそう思う。学校や周りの大人だってそれを勧めていそうなものだが。
「悪かったよ。何か事情があるんだろ」
追いつくと、「まったくもう」と呟いてメグリは歩くスピードを合わせた。
きっとトレーナーとしてポケモンと接した方が、才能は開花するのだとヒノテは感じているが、それを口では言わない。責任は持てない。
何千何万という少年少女が、夢を見てトレーナーになり、そのほとんどが夢破れている。ホウエンを救った少年には、誰もなれない。
「落ち込んでいても仕方がないね。それより、商店街はどう? 何か欲しいものでもあるの?」
「特に欲しい物はないんだ。この雰囲気を楽しみたいだけ」
メグリと話しながら、ヒノテはずっとキョロキョロと辺りを見回していた。商売人達や、多種多様な店を眺めつつ、活気あるフエンを感じていた。
「なんかさあ、多くの店に同じようなものが飾ってある気がするんだけど、あれは何?」
「あれって?」
「真珠かな? 合ってる?」
「合ってる」
「どうして置いてるの?」
それはね、と話を始めたメグリは、突然人の居なさそうな骨董品屋に入って行く。グラエナに店の前で待つように指示し、ヤミラミを預けてヒノテは着いていった。
店の奥には、高級そうな座布団の上に一つ鎮座している大きな真珠があった。鍵付きのアクリルケースに入っている。
「これはね、風習みたいなものなの」
「どういう意味があるの?」
「商売繁盛とか、そんな感じ」
真珠と聞いて連想出来るのは、バネブーだった。真珠を頭に乗せていないバネブーを、ヒノテは見た事がない。
「なるほどねえ。何か面白そうな理由がありそうだな」
詳しい事は、メグリも知らないらしい。古くからある慣習に関係しているのかもしれない。
高級そうで立派な真珠だが、売り物ではない。その綺麗な輝きを二人で眺めていると、
「それはね、フエンの人間とバネブー達の繋がりを示すものなんだよ」
と、いつの間にやら後ろへ立っていた店主らしき白髪のおじいさんが、二人に話しかけた。
「バネブー達との繋がり、ですか?」
おじいさんは頷いて、話を続ける。
「その昔、ある商人から買った真珠を、町のお偉いさんがバネブーに与えた事が始まりだったんだ。キラキラした綺麗なものをただ喜んでいただけだと思っていたが、バネブーはその真珠を触媒として、通常よりも大きな力を発揮する事が分かったんだよ。デコボコ山道にしか生息しないポケモンだから、フエンでは元々縁起の良いポケモンとして守り神のように扱われていてね。この土地と密接に関わる存在として、ありがたがられているポケモンだったんだ。それが分かってからというもの、真珠を与えたバネブー達に、農業、林業、建築、その他諸々生活の細部にまで、バネブー達とフエンの人々との関係は深くなって行ったんだ。彼等も自身の力が強まる事や、食料が貰える事を考えると、損はないからね。それからというもの、お供えをするのと同じように、デコボコ山道のバネブー達に真珠を与え続けているんだ。あそこで見かけるバネブー達の頭に真珠が乗っているのは、そういう訳さ。頭に真珠の乗っていないバネブーは、縄張りから決して出てこないし、親からは人や他のポケモン達に狙われないように、匿われて育てられているんだ。ポケモンが育て方を変える程、私達との繋がりは深いという事だね。今では生活も便利になったから、町中にバネブーが溢れかえる事もなくなったけど、今でも農業や林業をやっている人は、バネブーに手伝って貰っているんだ。お供えと称して定期的に真珠を渡し続けているし、私達商売人は、町が栄えたきっかけである真珠を、商売繁盛の意味を込めて飾ってある、という訳さ」
ヒノテは突然話しかけてきた白髪のおじいさんの話を、真剣に聞いていた。ホウエンの各地域に広がる、そういった話を聞くのが好きだった。
「突然ごめんねお兄ちゃん」
「いえ、とても面白いお話でした。バネブーって皆当然のように頭に真珠を乗せていますから、何故だろうとは思っていたんですが、そういう理由があったとは」
その返答に、満足そうな笑みを浮かべたおじいさんは、うんうんと頷く。
「メグちゃんも、覚えたかい? この話、何度目かな?」
へへ、と罰が悪そうな顔をして、メグリは舌を出す。
「なんかその話、上手に喋れなくてさ。次はうまく喋れるようにしておくから、許しておじいちゃん」
「あ、お知り合いなんですね、メグリと」
「この辺をよくふらついているいるからね。人のいないこの店に、ふらふらと入ってきては話をしているんだよ」
メグリの頭に手を乗せ、はっはとおじいさんは笑う。敢えて何も言わずに、何も聞かずに、店に来るメグリを受け入れているのだろう。
「それで、メグちゃんはまた観光ガイドさんをやっているのかい?」
「フエンへ久しぶりに来たっていうから、案内してるの」
「そうかそうか。良い子だ。しっかりやりなさいよ」
「うん!」
よくやっているらしい。観光ガイドよりはトレーナーの方が才能がありそうだ、とヒノテは思う。
「次いくよ、ヒノテ」
「ああ」
またね! とおじいさんに声を掛け、店を出ていくメグリについて行こうとした時、肩を叩かれた。
「申し訳ないけど、メグちゃんに付き合ってあげてよ。あの子、外から来た人間と一緒にいるのが好きみたいなんだ。外の話しでもしてやってやれば喜ぶから」
細かくは聞かなかった。ただヒノテは、分かりました、とだけ返答する。
あんな少女一人で、その辺の観光客を捕まえて案内するなんて危ない、と思っていたヒノテだったが、このおじいさんの様子を見て分かった気がした。メグリは、町の人達に見守られている、ジムリーダーアスナのような、町の名物娘なのではないか。
「何やってるの?」
「ごめんごめん、今行く」
おじいさんに会釈を一つして、ヒノテはその店を後にした。
観光ガイドとして優秀なのかどうかは置いておくとして、メグリはフエンタウンに詳しかった。
商店街に始まり、有名な神社仏閣、絶景スポットに、フエンの資料館や、人々にありがたがられているパワースポットまで、フエンのことなら何でもござれ。
この歳で立派なもんだと、抜群の体力で一切疲れを見せないメグリの背中を見つつヒノテは思う。
「すまんなメグリ。ぶっ続けで大丈夫か? 腹とか、空いてない?」
「途中でヒノテに色んなもの買ってもらったから大丈夫」
「そりゃそうか」
行く先々で出店等で有名なお菓子をつまんでいたら、食べる気にはならない。ヒノテも腹は満たされていた。
メグリのおかげで効率よくフエンを回れている。全てではないだろうが、きっとフエンの街中を観光する時に訪れる目ぼしい場所には行ったのだろう。
気づけば夕方だった。空は橙色に染まり始め、日が落ち始めている。どこかへ行くにしても、今からだと厳しい。
「そろそろ帰るか。メグリも、親御さんが心配するだろう」
「うちは大丈夫。気にしないで。次で最後だから」
そうは言っても、気にしない訳にも行かない。案内をしてくれる事はありがたかったが、行く先々でメグリの事を知っている風に振舞う人々がヒノテは気になった。何か思っていたものとは違う。
骨董品屋の白髪のおじいさんに感じた、見守っているという感じより、あまり関わりたくない、波風立たないようにそっけなく扱うような感じが、随分と妙な雰囲気を出していた。
「うーん。わかった。それじゃあ頼む」
メグリがどういう子だとしても、関係ない。町を案内してくれる、親切な子どもには違いない。あのおじいさんとの約束もあるので、今日一日はメグリと一緒に居ようとヒノテは決めていた。だが、向けられた小気味良い返事と屈託のない笑顔へ、真っ直ぐに笑いかけられなかった。
デコボコ山道を走り回る快活な少女というだけではなさそうだ。笑ったその顔には、落ち窪んだ影があるように見えた。