【三十三】言い訳染みた本当の想い
新しい来訪者に、ヒノテは唇を噛んだ。このタイミングで、何を思うか。
「な、もういいだろヒナタ。やめとけって」
メグリを人質に取られた事に焦り、必死に時間を稼いで何か打つ手はないものか模索していたが、これでは全てが振り出し。現れたエンイがどう動こうとしているのかまで考え、対処しなくてはならない。
絶対的な立場の上下を意識されないよう虚勢を張り続けていたものの、メグリに危害が加えられないかとヒヤヒヤしていたヒノテにとって、余計な登場人物は頭が痛い。
「兄貴、どうして」
「もう、ここまでにしよう。これ以上は、何の意味もない」
ゆっくりと歩き、弟分――ヒナタ――とヒノテの間にエンイは立った。
「ポケモン達の大群が町へ押し寄せ、空になったこのアジトで仕事をして逃げる。そういう計画だったはずだろ? もう、時間切れだよ」
「馬鹿な。ポケモン達の大群をフエンが押し返せたとしても、いくらなんでも早すぎる」
どうやらこの場を治めに来た様だ。その事自体には胸を撫でおろしたが、ヒナタが言う事も尤もだとヒノテは思った。
白髪のおじいさん、サクサと、あのブーピッグと一緒だったからこそ切り抜けられただけで、ヒノテだけではどうなっていたことか。
だが、エンイがここに立っているという事実は、それが嘘ではない事を物語っているとも言える。
「俺は、何の苦もなくここに来られた。恐らくこの山のボスだな、あのブーピッグは。一旦メグリという娘に全てを預け身を引いたんだと、フエンの奴らに伝えていたみたいだ。そこでお前が押さえつけている娘が、メグリなんじゃないか? なあ、お前だろ?」
エンイの質問に、メグリは小さくこくんと頷いた。
驚愕の表情を浮かべるヒナタだったが、それに勝るとも劣らない。驚いたのはヒノテも同じ。
メグリがどうやってここに来たのか考える余裕もなかったが、エンイの言う事が本当であればどうやってここに来たのか説明も付く。
デコボコ山道のポケモン達と親交の深いメグリが、ポケモン達の怒りを一時とはいえ止めた。若く才能のある子どもというのは、どうしていつもとてつもない事をやってのけるのか。
ホウエンを救ったあの少年を、ヒノテは思い出す。
「……なるほど。確かに、兄貴の話が本当ならもう時間切れみたいですね。だけど、まだポケモン達は事実戻って来ていない。この娘を人質に、逃げる時間くらいはあるはずだ」
メグリの首筋には、まだナイフが当てがわれている。彼女の身が危険な事に、変わりはない。時間がないとすれば、ヒナタ達は焦り始めるだろう。そうなれば、メグリの危険も更に増す。
どうせならふいうちでヒナタを仕留めてくれれば良いものを、何格好良く登場してるんだとヒノテは文句を言いそうになった。そもそもエンイには何か策があるのか。ふいを打たなくても、打破出来る何かが。
「ヒノテ、迷惑を掛けた。この落とし前は、きちんと着ける」
「俺の事はどうでも良い。お前、手荒な事をしてメグリが怪我でもしたら、どうなるか分かってるだろうな」
「そう怖い顔をするな。大丈夫だ」
エンイの表情は、焦っている様子ではない。任せても大丈夫だと、ヒノテは確信する。
「時間もないようですからね。ここらで俺達は退散するとしましょう」
ナイフを押し付けたまま、ヒナタはメグリを立ち上がらせる。
「ヒナタ。俺はやっぱりお前をそのままにして、一人で抜け駆けは出来ない。言い訳染みてるけど、やっぱりそう思うんだ。ここまで一緒にやってきて、お前を野放しにしちまったのは、俺にも責任がある」
「何を馬鹿な事を。兄貴、俺に裏切られたんですよ? 分かってます?」
分かってるよと頷きながら、エンイは可愛がっている弟分に歩み寄る。
その姿を見て来るな! と叫んだヒナタは、一歩後ろへ退いた。
「裏切られても良い。俺はそれでも、お前を嫌いにはなれない。なあヒナタ。あまり自分を貶すなよ。そろそろ良いんじゃないか? もう、やめよう」
「黙れ! もう、あんたとは切れたんだ。話す事はない。俺達はここから退散してそれで終わりだ!」
マグマ団時代、エンイは側に寄り着いて来たヒナタを可愛がっていた。二人の内情にそこまで詳しくないヒノテでも、二人は仲が良さそうに見えた。
自分より力の強いものに付き従って上手に世間を渡り歩いて来たヒナタにとって、対等な関係はとても心地よいものだったのだろう。どこへ行っても一緒にいる二人が、ヒノテにはただの兄弟分には見えなかった。傍目にはどうみてもエンイが上、ヒナタが下に見えそうだが、エンイにそんな気がないのはヒノテもよく分かっていた。
自分を変える事は難しい。ヒナタの今の様子を見て、ヒノテだって人の事を言えた身ではない。そちら側だったかもしれない。
「ああ、だったら今、この場でこいつを殺してやるよ。そうすれば、あんたは俺を嫌いになるだろう?」
ギョッとしたのはヒノテだけではない。ヒナタを囲む三人の協力者もギョっとする。ただ、エンイだけはただ首を横に振っただけだった。
「殺させやしないよ。それに言ったろ? もう、時間切れなんだよ」
「あんな大群がそう簡単に戻ってくるはずがない! 現にここには……あんたらしか、いな」
い、までいう事なく、ヒナタは異変に気付く。
ヒノテもまた、ついさっきまでいなかったはずのポケモン達が、少しずつ顔を出し始めている事に気付いた。
イシツブテ、ゴローン、ドンメルに、ワンリキー。彼等が進化した姿のポケモン達までもが顔を出し始める。
「そ、そんな」
「だから言っただろ? もう、終わりなんだ」
ヒノテが入って来た通路や、トラックが停めてある搬入口や、地下へ繋がって行く通路。様々な場所から、それぞれポケモン達が少しずつ現れる。その中には、バネブーの姿もあった。
そして、その後ろから顔を出すブーピッグの中でも、一回り身体の大きなブーピッグの姿が。
ヒナタが持っていたナイフは、彼の抵抗虚しく空に浮かび、手の届かない地面へ落ち軽い音をさせた。
ポケモン達の次には警察が流れ込み、続いてフエンのジムトレーナーと思しき人間達を従えた、ジムリーダーアスナの姿。
えんとつ山のポケモン達を含めた、ヒナタ達の敵が全てこの場に集まった。
どうしようもない事をすぐに悟ったヒナタは、メグリから離れその場に座り込む。他の三人もまた、項垂れていた。
「エンイ、お前が連れて来たのか?」
質問を投げかけつつ、解放されたメグリの元へヒノテはすぐに駆け寄った。緊張の糸が切れたのか、腰を抜かしたようにへたりこんで動かないメグリを仰向けにし、抱き上げる。
「ああ。防衛線を張っている警察に全て喋って、フエンに向かって来るポケモン達とも戦う覚悟をしていたんだが、まさか山に戻ろうとしているとは思わなかった。そいつがやったんだろ? 何者なんだ?」
「未来の町長か、ジムリーダー?」
「なんだそれ」
その言葉に、憔悴した様子のメグリは小さく笑う。
「それにしても、凄い数だな」
集まったポケモン達は、決して一定の距離を空けて詰めようとして来ない。その中から、身体の大きなブーピッグが前へ出て、ゆっくりと歩いてヒノテの前に立った。
「君がボスか?」
ブーピッグはこくりと頷く。その姿を見て、メグリは「下して」と真剣な顔でヒノテに伝える。ここからは自分の役割だ、とでも言いたげだった。
「立てるか?」
「平気」
しっかりと地面に足を付け、一歩前に出る。無事な姿に、ヒノテは安心した。
「……何だ?」
突然会話を始めた様子に、ヒノテは蚊帳の外。エスパータイプ特有の、テレパシーでの会話だ。こちらには話し掛けず、メグリにだけ話し掛けているのを見ても、ポケモン達を止めたのがメグリである事は間違いないとヒノテは思った。
改めて、若く才能ある子どもはとんでもない事をやってのけるものだと感心する。
いくらか話し込んでいたかと思えば、ふいに、通って来た通路の方にメグリが顔を向けたのを見て、ヒノテもそれに習った。
「良かったあ……無事だったんだ」
現れたのは、白髪のおじいさん、サクサと、元えんとつ山のボスであるブーピッグ。そして、ぴょこぴょこと飛び回る、頭に真珠のないバネブー達。
「おじいちゃんが、バネブー達を助けてくれたんだって。ブーピッグの力で跳ねる事の出来ないバネブーを跳ねさせつつ、色々処置してくれたみたい」
「……はは、良かった良かった。凄いな、本当に」
この場は、これで治まるだろう。
ポケモン達の縄張りで下手に動こうとしなかった警察も、場の雰囲気が少し和んだのを見てぞろぞろと動き始める。エンイを含めたヒナタ達実行犯は抵抗なく捕らえられ、観念した。何やらまたブーピッグと話し始めたメグリを安心感から呆けて見つめていたヒノテにも、警官が寄って来る。
「お話、聞かせていただけますか?」
断る理由はなかった。ヒナタから聞いた話しもあるので、協力しない訳にはいかない。
ポケモン達とのパイプ役になれるのは、今はメグリだけなのだろう。彼女をここに残し、ポケモン達と話しをつけるに違いない。それを見届けたいと思ったヒノテだったが、最早自分が出る幕などどこにもない。
「あの、よろしいですか?」
「ええ、もちろん。同行しましょう」