【二十七】対峙
メグリを乗せたギャロップは、人のいないフエンタウンを駆けていた。確認した報道にあった通り、交通規制が敷かれている。車一台さえ通らない不気味な町を、ギャロップが走る姿はあまりにも目立つ。
普段ならすぐに警察が飛んでくるところだが、メグリ一人に人員を割いている暇はない。今はほぼ全ての戦力をポケモン達を迎え撃つ方に回しているのだろう。
住宅街を抜け、バスターミナルを突っ切り、商店街を横目に町外れまで一気に駆ける。居住区からは大分離れたその一本道に、メグリは悠々と辿り着く。
そこまでやってくると、防衛線を張っている警察車両が多数並んでいる。今は一分一秒無駄に出来ない。
ギャロップは加速するが、強行突破を考えているとすぐに分かったメグリは、慌てて止まるよう指示を出す。
「急ぎたいけど、ここは私に任せて」
ギャロップがスピードを緩めつつ近づいて来ると、一人の警察が追い払うようなジェスチャーをしながらすぐに駆け寄って来る。だが、近づけばギャロップの上に誰が乗っているかはすぐに分かる。
顔を見て露骨に渋い顔をした男性警官に、メグリは初めてそれを幸運に思った。ヒノテには慣れっこで気にしないとは言ったものの、心のどこかではそれを快く思っていなかった。煙たがられるのがこんなところで役に立つのはメグリにとって皮肉な話だが、今は煙たがられた方が良い。
「ここを通していただけませんか?」
ギャロップに跨った状態で、物理的に上からの目線でメグリは話しかける。今は駄目なんですよ、いやあ、勘弁して下さいよ、本当、と露骨に面倒臭がっている様子が伺える。父の権力を傘に着たくはなかったが、メグリはここぞとばかりにその名前を口にした。
ぎょっとする顔を見て、父の力を思い知る。
上に掛け合いますので、と離れていった警官に心の中で謝り、メグリは大人しく待った。
多くの警官からの視線を浴びているが、メグリは今なら言えると思った。どうという事はない。自分の意思で道を突き進んでいれば、こんなにも外野の視線など気に気にならないものかと、こんな自分がいたのかと驚く。
部下から事情を聞かされた上司は、メグリとギャロップの姿を見て部下と同じ渋い顔をする。メグリだけではなく、ギャロップがこの場にいる事もうまい具合に煙たがられている理由となっている。
ホウエンにギャロップという種族は生息していない。特に、フエンではメグリの父が可愛がっている事は有名な話だった。
権力者のお抱えのポケモンに娘が乗って、ここを通せという。突っ返す訳にもいかないのはメグリが一番良く分かっていた。
一瞬だけ、先程の警官の上司らしき人が、こちらに視線をやって睨んだのがメグリから見えた。苦笑して、それでもここを穏便に通れるならそれで良しとした。
上司がどこかへ電話する様子がメグリからは見えた。一分程の電話の後ポケットへ携帯を滑らせると、部下に何か伝えている。先程メグリに近づいて来た警官が、再び駆け寄って来た。
「通っても、よろしいですか?」
「ええ、はい。……どうぞ」
不満そうなのがヒシヒシと伝わって来る。ありがとうございます。と素直に伝えたメグリの言葉は、きっと皮肉にしか聞こえていない。
さっきの奴等といい、何なんだ一体。
警官が捨て台詞のように吐いた一言が気になったが、メグリにそれを確認する時間はなかった。簡単に道を空けた警官の間を抜けたメグリは、ギャロップを走らせ、迫るポケモン達の元へ急ぐ。
ヒノテは逃げただろうか。今頃町の外へ逃げ切ってくれていれば良いのだが、骨董品屋のおじいさん、サクサからの連絡はまだない。それも気になるところではあるが、無理を言って彼に任せた手前、こちらから結果を催促するような事は憚られた。
今はただ、無事にフエンから脱出している事だけを願うのみ。
「お願い! ギャロップ!」
再び加速した頼れる兄は、メグリを乗せて強く強く地面を蹴った。
もう邪魔はない。後はポケモン達を止めるのみ。一段と加速したギャロップにしがみ付き、ただただ頼り続けた。
メグリはこんなにも必死になった事が今までなかった。
父の存在を理解し始め、その力が朧気に理解出来てきた頃から自分の振る舞いを気にし出した。そういう風に叩き込まれたと言えばそれまでだが、決定的だったのはスクールの教師のメグリに対する態度が、露骨に甘いのを感じた時だった。ただ優しいだけなのだと思っていた先生が、他の子には厳しい。その扱いの差が、自分の出自によるものだと理解出来るまで、そう長くはかからなかった。
ああ、自分はただの子どもではないんだとメグリは悟った。フエンだけに限った話ではあるが、メグリの世界はフエンタウンが全てだった。
どうして私だけが、と腐った時期もあったが、両親の前では決してそれを口にはしない。悲しむ顔は見たくなく、ただ自分が我慢すれば良いのだとメグリは考えた。
町長の娘である自分の出自を素直に受け入れるところから、メグリの努力は始まった。そもそも温かい食事と寝床。何不自由しない生活を送る環境が整っていて、勉強するにも何をするにも申し分ない環境である事は間違いない。自分は恵まれているのだからこれ以上は望むまい。そうやって、ひたすら自分に言い聞かせる。
自分を偽る生活を送っているうちに、メグリは自分の中にある違和感すらどこかへ失くし、ただただ自分がするべき振る舞いを続けた。そうすれば誰も文句を言わないし、誰も悲しまない。
そんなメグリでさえ、唯一対等に付き合える同級生達からの手痛く悲しい、心ない言葉や行動には堪えた。最初の内は我慢を重ねたものの、心を壊しそうになるとどうにかなってしまいそうで、とうとう自分の精神を守るために学校を避けた。
最初の一日目、勢いで学校をサボってしまったのはいいものの、時間が経てばやってしまった行いに怯え始めた。家に連絡が行っていて、自分がサボった事がバレれば後で何を言われるだろうか。流石にスクールの先生からも怒られるのではないだろうか。メグリは積み上げた我慢の城が崩れる気がした。
悶々と色々な事を考え続け、誰も来ない公園の、ドーム状で洞窟の様になっている遊具の中で縮こまり続けた。
下校時刻となり、子ども達が公園に集まる時間になれば家に帰れる。真昼間に今更スクールへ顔を出す事も家に帰る事も出来ず、その場に居続ける事しか出来なかった。浮いた時間を使ってどこかへ遊びに行くなど、もっての外。
短い人生の中で一番長い時間を過ごしたメグリは、子ども達の声を聞いて外に出て、恐る恐る家へ戻った。
いつも通り迎える母。何も変わった様子はなく、メグリは学校へ行っている事になっていた。今日はどうだった? という質問に、メグリはその日母へ嘘をついた。
一体どういう事なのか。仕事から戻って来た父もいつもと様子は変わらない。生徒が一人来なければ、どうしたのかと家に連絡を入れるものだとメグリは思っていた。どうしても身体がスクールへ向かず突発的にサボってしまったために、後から親に怒られる事を覚悟していたが、あまりにも拍子抜けだった。
翌日、スクールへ行く辛さよりも何がどうなっているのか気になってしまい、いつも通りに登校する。職員室の担任の元へ直接向かえば、慌てた様子でメグリを廊下に出し、そのまま空き教室へと連れていった。
ドアを閉め切り無造作に置かれた机を突っつき合わせ、向い合わせに座った女性教師は、メグリからは慌てているように見えた。
「昨日は、公園にいたのよね?」
「……はい。でも、どうして知っているんですか?」
「昨日登校中の生徒が、あなたが公園の遊具の中に入って行ったのを見かけたと言っていてね」
今日このまま教室に行けば、それをネタに酷い目に合うのだとメグリは確信する。
「それで、どうして家に連絡しなかったんですか?」
「え、ええ、それは……あなたも、家に連絡されると困るだろうと思ってね、あ、校長先生が言ったのよこれは」
「私が、学校を行った事にすると思いますか?」
メグリの言葉に、教師は明らかな狼狽を見せる。
「親御さんには、なんと?」
そのまま黙ったままのメグリに、教師は不安な様子で身を乗り出す。彼女は理解した。
どういう教育をしているんだとか町長に何を言われるか分からないから、何もなかった事にしたいのだ。普段からメグリが全てを我慢して飲み込んで暮らしているものだから、それに乗っかろうと言う話だ。
ただ、責任を取りたくないだけ。
不思議とメグリに怒りは湧かなかった。悲しさ半分、後は諦め。
父の娘として生きて行くというのは、こういう事なのだというのを確認したに過ぎない。町長の子、という刻み込まれたしるしはメグリに十分な効果を発揮していた。
「……冗談ですよ」
「え、え?」
期待を込めた教師の顔に、もう期待するのはやめようとメグリは思った。どうしようもない。フエンタウンにいる以上、自分は町長の娘として振舞い続けるしかない。
同級生からの仕打ちも、教師の呆れた自己保身も、全てどうでもよくなって、ただ、メグリはその時一度だけ、両の手で強く強く机を叩いた。
怯えた教師に向かってメグリは口を開く。
「冗談だって言ってるんですよ。サボった事もいじめられている事も、あなた達の自己保身だって喋ったりしません。このままで行きましょう。学校へ来ませんから、ずっと通っている事にして下さい。私の願いは、それだけです」
何をどう動いたって、メグリは今の境遇からは逃れられない。どうしようもない無力感に襲われて、すぐにその場を後にする。
何か教師が言っていたが、メグリの耳には何も入らなかった。
翌日以降、スクールをサボるという事への罪悪感など微塵も無くなり、フエンタウンをふらつくようになった。父に会う事だけは避けなければならなかったので、その点にだけ気を付けた。だから父がどういう仕事をして、どういう所に行っているのか調べた。彼に鉢合わず、フエンを歩く術をメグリは覚えた。
そんなメグリにとって、デコボコ山道のポケモン達と遊ぶ事だけが、一番心が休まる時間だった。
「ギャロップ。私、頑張るから」
しがみついた兄に向かって、メグリは自分に言い聞かせるように呟いた。
フエンタウンという檻で一生飼われ続ける覚悟を決めたメグリにとって、今の行動は過去の自分への反逆。大人になって進む道を想像すれば、自分が町長になったり町を動かす立場へつく道だって選べるんだという考えに容易に辿り着いたはずなのに、そこまで頭が回らなかった。飼われ続け、コントロールされ続ける自分しか想像出来なかった。
だから、内部から変えてやろうという道に気付かせてくれたヒノテはメグリにとって恩人でしかない。元マグマ団員にフエンタウンの人間が感謝するという奇天烈な事態だが、それは事実だった。
スピードが落ちて来ると、もうそこまで来ている事が分かる。メグリにも、少し顔を上げれば目線の先にポケモンの大群がこちらへ向かって来ているのが見える。もう目と鼻の先。
「止まって!」
その指示に従ったギャロップは、更に減速する。身体を起こしたメグリは、目の前のポケモン達の大群を再度確認した。
「ここで待ってて」
ギャロップから下り、メグリは身一つで歩き始める。頼れる兄の心配する鳴き声に振り向いて、「大丈夫だよ」とにこりと笑いかけ、そのまま歩を進めた。
ここまで落ち着いていられる理由は、自分がデコボコ山道へ通い詰め彼等と築き上げて来た関係性と、今の自分なら何でも出来る気がするという根拠のない自信から来るのだろう。
そもそも、事件を起こしたのはフエンタウンの人間ではないのだ。フエンタウンが危険に晒される理由も、ポケモン達がこちらへ怒りを向ける理由もない。人間、という意味で見れば同じ括りなのかもしれないが、メグリが他の人間達と違うという事くらいは、ポケモン達に理解してもらえるはずである。
それでも、メグリの中に恐怖がない訳ではなかった。怒れる野生のポケモン達の恐ろしさは、デコボコ山道へ通う中で幾度もメグリは目にしてきた。取りつく島などない事も分かっている。だが、ここは譲れない。ツッパリどころであるのはこちらも同じ。
視線の先、先頭のブーピッグと目が合った。恐らく互いに知った顔。歩を緩めない。一体どれくらいの数がいるか、視認するだけではよく分からない。近隣の山々に住むポケモン達まで集まっていても不思議ではない数だった。
地を進む音の差は歴然。一人の小さく矮小な人間でしかないメグリ相手に、ポケモン達が怯む事などありえない。
ギャロップに乗れば数秒で到達してしまうであろう距離まで詰めて、メグリは立ち止まる。向かい合うポケモン達も先頭を歩くブーピッグが止まると歩みを止め、立ちふさがる人間に対し怒号を浴びせる。
その怒号に掻き消されようがどうしようが、メグリは精一杯の声を張り上げた。
「私達人間が犯した罪は、私が謝ります! あなた達の大切な仲間を襲った者達は必ず見つけますから! どうか! どうかお願い! 矛を収めて下さい!」
メグリの言葉など果たして理解されるのか。
止まない怒号は拒否の意を示すのではないのか。
一人の小さな人間に向かって、石が投げられる。そこをどけ。その意図は明らかだった。
通じるか分からない言葉を叫び、その場を譲らない。気付けば、メグリは自分が地に膝を付け、懇願するように叫んでいた。頭を伏せ、どうか! どうか! と初めて紡ぐ言葉を叫び続ける。小石が頭に当たっても、気にする事無く伝え続ける。
怒号と叫びが混じり合い、修羅場と化していくその場は、もう誰にも止められない。
いつまで続くのだろうかと思われたその場の異様な光景の中、ポケモン達の中から怒号とは言えない声が混交する。
メグリは地に膝を付け、叫んだり頭を下げたり繰り返しながら、僅かながらに聞こえたその声に耳を傾けた。
ブーピッグの傍で跳ねていた一匹のバネブー。まだ身体が小さく、親元を離れる事の出来ない小さな小さな存在。
顔を上げたメグリと目があったその小さなポケモンは、膠着するその状況に一石を投じる。歩を止めた集団から離れ、一匹だけ離れてメグリの方へ寄って来た。
「……君、良かった。生きていてくれて、良かった。ごめんね。本当にごめんね。こんな事、悲しいばっかりなのに。ごめんね」
跳ねる身体をメグリは抱き上げる。素直に抱かれたバネブーは、まだ成長し切っていない個体特有の少し高い鳴き声を出した。
ブーピッグは、その光景をただ静かに見つめている。
バネブーは跳ねていないと生命活動を維持出来ない。真珠を触媒にしたサイコパワーのおかげで、力が続く限りはこうやって抱き締める事が出来る。裏を返せばそんな危険な状態を許す程心を許されていた。
メグリは腕の中のバネブーを少しだけ撫でると、すぐに下して立ち上がる。ブーピッグを先頭に再び歩み始めたポケモン達にメグリは一瞬怯んだものの、分かってくれると信じて、飛び跳ねるバネブーと共にその場に立ち続けた。
ポケモン達の波に飲み込まれるか、許されるのか。
文字通り目と鼻の先まで近づいて来ても、メグリは一度も目を閉じない。
眼前にピタリと停止したブーピッグもまた、メグリから視線を外さなかった。いつも遊んでいるバネブー達の親だ。紹介された事もある。
歓迎され、メグリはとても喜んだのを覚えている。
(あなたを傷付けたくない)
唐突だった。
耳に入って来る声ではない。ブーピッグのサイコパワーのなせる業である。どんなに仲良くなっても、今までこんな事はなかった。直接テレパシーで話し掛けられたメグリは、一瞬驚いたもののすぐに返答する。
「あなたにそう言ってもらえて、とても嬉しいです。あの、こんな事私の口から言う資格があるのかは分かりません。ですが、お願いします。聞いて下さい」
僅かな逡巡の様子を見せたものの、ブーピッグは小さく頷いた。
「ありがとうございます。あなた達の大切な子どもや仲間達に手を出したのは人間ですが、町の人間ではありません。どうか、町に住む人間達への怒りを、沈めていただけないでしょうか。あなた達の仲間を救う方を優先したいんです」
フエンへの脅威がなくなれば、えんとつ山のバネブーを救うために皆動くはず。メグリはとにかく、このままぶつかって誰も彼もが傷つく事が嫌だった。
そんなメグリの想いを、野生のポケモン達が理解する訳がなく。
(それを信用しろとでも? あなたの言う通り怒りを沈めて、一体何が残るのでしょう。私達に残るのは虚しさだけ。真珠を奪われた仲間は倒れ、命の危機を迎えています。私達だけでは仲間を救う事が出来ない。それがどういう事か分かっていますか? 取り返しがつくとでも思っているのですか? 町の人間だろうがなんだろうが、人間には変わりありません。どうしてもと言うのであれば、まずはその人間達を差し出しなさい。奴等は卑劣にも真珠を奪い、その後姿を消しました)
犯人がどこにいるのか、そんな事は分からない。メグリは頭を賢明に回して、今出来る事を考える。デコボコ山道でバネブー達を襲った目的が真珠ならば、それをどこかへ輸送しなければならないはず。そんなすぐに遠くへ運べるものか。そして今、デコボコ山道からポケモン達がほとんどいなくなり、一番得をするのは誰なのか。
「……もしかしたら、今行けば手掛かりが見つかるかもしれない。うまくいけば、直接捕まえられるかもしれない。お願いします。少しだけ、少しだけ私に時間をいただけませんか!」
危ない賭けである事はメグリも承知していた。
言ってみたは良いものの、本当に手掛かりがあるかどうかなんて分からない。
ただ、賭けてみる価値はあるのではないかとメグリは思う。デコボコ山道を含めたえんとつ山のポケモン達が大群で押し寄せて来ているのだとすれば、今あの場所は犯人にとって逆に絶好の隠れ場所となっているはずだ。
(いいでしょう、と簡単に言う事は出来ないのですが、あなたがそう言うのであれば、今ここは身を引くしかないのかもしれませんね。その子に感謝する事です)
「え?」
メグリの足元にいたバネブーは、喜びを身体で表すように大きく跳ねていた。
ブーピッグは後ろへ向き直り、サイコキネシスで自らを浮き上がらせると、何やら大きな声で鳴き始める。仲間達に事情を伝えているのだろうが、一体このブーピッグは何者なのだろうか。
よくいるバネブー達の親なのだと思っていた存在が、ずっとずっと大きく、聡明な存在である事に圧倒されていた。
メグリはあの骨董品屋のおじいさん、サクサが連れている、いつもふてぶてしい態度のブーピッグを思い出した。彼は昔デコボコ山道のボスだったという。目の前にいるブーピッグもまた、今の時代のボスなのだろうか。
仲間達の説得を終えたのか、ブーピッグは再びメグリの前に下り立った。
(人間達の中にも、あなたのような者がいる事を私達も知っています。私達との共存を望む者が多いのも分かっている。そうであれば、越えてはいけない一線がある。分かりますか?)
「はい。分かってはいる、つもりです」
(いいでしょう。ならば今、この場だけは譲ります。私達の怒りが消えてなくなった訳ではない事は、ゆめゆめお忘れなく。もし私達の納得いく答えが示せないなら、その時はもう矛を収める事は出来ません)
それっきり、その声はメグリに届く事はなかった。
ブーピッグが横にずれ、大きな声で鳴き声を上げると、ポケモンの大群が左右に割れて道が出来ていく。後ろから近付いてきたギャロップが、心配そうにメグリの顔を舐めた。
「ごめん、心配かけたね」
その凛々しい顔を撫でる。ずっとずっと自分にだけは甘い頼れる兄が、どれだけ心配してくれていたか、メグリはよく分かっていた。
口で背中を指し、乗れとギャロップは言う。力を貸してくれる事に、申し訳なさより今は感謝を感じられる。前を向くと言う事がどれだけ人を変えるのか、身を持って実感していた。
炎を猛らせる背にのり、ポケモン達の間を歩く。張り詰めてシンと静まった雰囲気の中を、蹄が地を蹴る音だけが鳴り続けた。
彼等の聡明さと、怒りの矛を一旦内に秘めてくれたその寛大さの中を、不躾に走り抜ける事は出来なかった。
背筋が伸びる思いで、メグリはブーピッグにも感謝する。
「ありがとう」
一言だけ口にして、聳え立つえんとつ山を遠くに見据える。メグリは、元マグマ団基地の事を思い出していた。