【二十六】やつはそこに
見た事のないスピードで景色が流れていた。バスで行き来する時よりも、随分早い時間でデコボコ山道の入口まで到着しようというワゴン車は、緩やかに流れる景色と共にようやく停車する事が出来た。
ヒノテはすぐに車から降りて、ラグラージを自分の横に付ける。車にしがみついているだけでも大変だっただろうが、まだ体力は有り余っている様だ。
辺りを見回しても、デコボコ山道の様子は変わらない。いつも通り静かで、ただ険しい道のりが続いている。
車に手を掛け、ヒノテは車内のサクサとブーピッグにありがとうございます、と礼を入れた。
「いいんだ。私が好きでやった事だ。ここまでで良いのかい?」
「ええ。とても助かりました。ここまでで大丈夫です。後は、俺達がなんとかします」
「そうか。なら、しっかりやりなさい。ここまでしか手助け出来なくて申し訳ないね。ヒノテ君、メグちゃんに悲しい顔をさせるなよ」
もちろん。とすぐに即答出来たヒノテに、おじいさんは手を伸ばす。握手を交わし、ヒノテはデコボコ山道へ向かって歩き始めた。
山道の様子はいつもと同じ。時折ポケモン達が顔を出すが、この道を人間が通る事など日常茶飯事なので、皆慣れたものだ。特に襲って来る様子もない。
メグリのように身軽に山道を駆け上がれない自分に苛立ちつつも、ヒノテはなるべく速く辿り着けるよう小走りで山道を登っていた。横を走るラグラージがそれを見かねてか、ヒノテの前に出て背中を指す。乗れと言う事だろう。
身体の情けなさにがっかりしている暇はない。すぐに背中へしがみ付くと、ラグラージはヒノテよりずっと早いスピードで山道を駆け上がり始めた。
「すまん。頼む」
間に合うだろうか。犯行後に大量のしんじゅを運び出すとすれば、かなりの時間がかかるはずだが、もうどこかへ逃げた後である事もあり得る。そんな焦りがヒノテの中からわさわさと湧き出て、落ち着かない。もし間に合わなかったら、ただデコボコ山道に来ただけの間抜けな奴だ。グラエナの嗅覚でも、この広大な山々から犯人達を見つけるのは難しい。
間に合ったとしても、ヒノテ一人で犯人達を捕まえる事など出来るのだろうか。格好つけて一人で来てしまったが、返り討ちに合ってしまうのではないか。所詮ヒーローになどなれない、という現実的な不安がヒノテを襲う。
「ああ、もう! やれる事をやるしかないだろ!」
叫んで、自分を鼓舞する。倒せなくてもくらいつく。証拠となるものを一つでも持ち帰る事が出来れば、貢献は出来る。自分は出来るんだと、ひたすら自分を鼓舞し続ける。チャンスは自分で掴むしかない。
そもそも、アジトの場所を警察やジムリーダーに教えて、ヒノテの言う事を信じさせる時間などない。一人で行くしかないのだ。やれるのはヒノテしかいない。
自分にしか出来ない事だ、と思い続けるだけでも、ヒノテは随分と前向きになれた。
過去の自分と完全に決別するチャンスを、逃す訳にはいかない。何がなんでも止まらずに、絶対に結果を残さなければならない。
「ラグラージ! あの札を右に逸れて直進だ!」
想いにポケモン達は応えてくれる。本当に頼もしい仲間達に、ヒノテは改めて心の中で感謝した。
元アジトの前までたどり着いたラグラージから下りて、ヒノテはその扉を押し開ける。熱気の籠った、よく知った空間が目の前に広がる。
洞窟は暗い。この先に人がいるなら明かりが見えても良いはずだが、入口からだとまだ確認は出来ない。ヒノテは昨日と同じようにヤミラミをボールから出し、フラッシュを頼んだ。「ンアア」と口をぱっくり開けたヤミラミから、体内エネルギーが吐き出される。光源を手に入れ、二匹と一人は洞窟内を歩き始める。
ラグラージはヒノテの横にぴったりとついて、何があっても彼を守れる態勢を取った。
一歩、また一歩と歩いても、それらしき人影はない。時折ポケモン達がぴょこぴょこと飛び出し、じっとヒノテ達を見つめる。
高鳴る心臓が緊張なのか興奮なのか、ヒノテにはよく分からなかった。歩を進め、何もない洞窟内を歩く毎に、その高鳴りは強まる。
メグリとここに来た時もヒノテは自身で感じた事だが、随分久しぶりなのにも関わらず、迷わず歩けるもんだなと自分の記憶力を不思議に思った。それだけマグマ団に在籍していたという事実が重く、忘れられない記憶となっているという事だ。
「……近い。誰かいる」
スムーズに歩みを進めるヒノテの耳に、物音が入る。漏れる明かりを目にし、「戻して」の声でヤミラミは光体に飛びついて飲み込んだ。何かがいる事を確信する。使われなくなったアジトに、明かりが点く訳がない。物音はだんだんと大きくなってくる。僅かだが、人の声だと判断できるものをヒノテは聞いた気がした。そして、それが単独ではない事はすぐに分かった。
直進した先を右に折れ、メグリと話した洞窟内の広い空間に辿り着けば、何が行われているのか、誰が見ても明らかだった。
「あらら、まさかヒノテさんが来るとは」
エンイの弟分が、その場に辿り着いたヒノテに気付いて近寄って来る。
一、二、三、四。ヒノテはすぐにその場にいる人間の数を数える。この場にいないエンイを入れても五人。ぎりぎりいけるか、どうか。
「こんなところで、一体何をやってんだお前ら」
「見て分からないんですか。ビジネスですよ、ビジネス」
奥では作業服姿の男達が、集めた真珠を一つ一つ箱に詰めている。それらをまとめたダンボールを、ゴローンとライボルト、ゴーリキーがトラックに運び込んでいた。数は少ない。全部で三体。
人一人がポケモンを育てられる数には限界がある。フルバトルのルールが六体六と設定されているのは、どんなに優秀なトレーナーでも、チームとしてポケモン達をまとめあげるのは六体が限度だとされているからだ。
育てるのが難しいドラゴンポケモンを入れれば、更に難易度は跳ね上がる。
トレーナーとしてポケモンを育てる事に注力していない奴らなど、一体のポケモンを中途半端に育てるだけで精一杯だ。今見えているポケモン達の数からそう多くなる事はないだろう。
現にゆっくりと歩いて近寄って来るエンイの弟分も、当時ポケモンを一匹しか連れていなかった。きちんと育てておらず、バトルの練習も碌にしていない奴など、大した力はない。
トレーナーとして何年も研鑽を積んで来たヒノテ達ならば、勝てない相手ではなさそうだ。
「まだこんな事やってんのか」
「儲かりますから、そりゃね」
一般的にバトルをする時にトレーナー同士が向き会う距離で弟分は立ち止まり、欠伸を一つ。
「余裕だな。お前、何やったのか分かってんのか?」
「今更正義面ですか? 似合わないですよ。何気取ってんですか」
茶を濁す会話で、ヒノテは様子を探っていた。
搬入路の方では、黙々と作業が続いている。あの様子では、積み込むまでにはまだもう少し時間がかかるだろう。
「なんとでも言え。ただ、もうフエンには迷惑をかけるな」
「孤高だったヒノテさんも、変わったものですね。がっかりですよ。あなたは、こっち側だと思っていたんですがね」
弟分は、腰のホルダーからボールを一つ取って放り投げる。
「ゴルバットか。前と、変わってないんだな」
マグマ団時代と同じだとすれば、弟分の手持ちはその一体のみ。飛翔したゴルバットは弟分の周りを飛び周り、戦闘態勢を取った。
「だから、何で変わらないといけないんですか? 意味が分かりませんね」
「お前一人で来る気か?」
「まさか。流石に私一人ではあなたには勝てません。卑怯だとは言わないで下さいよ?」
声を荒げた弟分の呼び声で、後ろの男達は作業を止め、積荷をしていたポケモン達と共にゆっくりとこちらへ寄って来る。
ヒノテの目から見ても、鍛え上げられているという様子ではない。
「卑怯なんて言うつもりはないが……」
拍子抜けと言えばそれまで。どんな強い奴がいるのかと思えば、要はチンピラ集団だ。マグマ団を抜けてから何年も経っていて、ポケモン達の育成に力を注いで来たヒノテ達の敵ではない。
そして、隣にいるラグラージを見ても弟分はそれを分からず、数で押せば勝てると思い込んでいる。ラグラージどころか、ヤミラミでも勝てるレベルである可能性がある。
グラエナもボールから出し、ヒノテの前に出た三匹もまた、戦闘態勢を取った。ヤミラミだけ場違いに遊びと勘違いして飛び跳ねて喜んでいたが、遊びと勘違いしたヤミラミが強い事はヒノテもよく知っている。
「いつまでも上から目線でいられると思わない事ですよ」
拍子抜けすると共に、ヒノテは違和感を感じていた。えんとつ山のバネブーから真珠を奪うような大事を起こすような連中が、こんな頼りなさそうな連中だけで構成されているものだろうか。
ヒノテはもう一度目の前に立つ連中を見渡す。何故エンイがいない。
「俺が勝ったら、聞きたい事に答えろ」
「相変わらず口だけは減りませんね!」
トレーナーの指示に従い、ポケモン達が入り乱れる。
他の誰にも知られる事なく、少し拍子抜けなマグマ団基地の戦いが始まる。