【二十三】声
目覚めの悪い朝だった。
身体を起こし、腕を回す。異常はない。身体にダルさも感じない。
昨日の酒が残っている様子もなく、身体はすこぶる調子が良い。新しい朝を迎え、ヒノテは気持ちよく起きる予定だった。
室内を見回すと、三匹は既に起きていた。そわそわとキョロキョロと、落ち着かない様子だ。この違和感はなんだ、と立ち上がり広縁まで出てカーテンを開ける。
「どうしたんだ?」
ここ二日、フエンの朝を見ていたヒノテだったが、明らかに様子が違う。まばらだが、同じ様に違和感を感じているであろう人達が何事かと外へ飛び出しているのが見える。生活を営んでいる雰囲気ではない。
外に意識が向くと、違和感の正体がつかめて来た。何か”音”がしている事は分かっていた。気に留めていなかったが、改めて意を向けるとその異様さが分かった。窓を開け放てば、それは顕著。ヒノテの後ろでラグラージとグラエナ、そしてヤミラミが唸りながらヒノテの後ろに寄って来る。
けたたましいポケモンの鳴き声が、町に響いている。助け、呼び声、共鳴。色々あるが、動物的感覚がヒノテの身体に鳥肌を作ったこの鳴き声は、もっと憎悪の籠った悪意がある。
「怒りだ」
ヒノテの後ろでラグラージとグラエナが威嚇するように鳴き始め、ヤミラミがヒノテの身体にしがみつく。
聴こえてくる鳴き声の方角は、えんとつ山の方からだという事は分かった。色んなポケモン達の叫びが混ざり、適当に選んだ何種類もの色を混ぜたような叫びが響く。
「……大分近いな。山から下りて、近くまで出て来ているって事か」
こうなるとじっとしている訳にはいかない。ヒノテはフエンタウンにまた何か大きな被害が出るのではないかと想像した。
昨日バーで笑い合ったエンイの顔も思い浮かぶ。
「まさかあいつ、一体なにやらかしたんだ」
そんなはずはない、と思いたいヒノテだったが、このタイミングで大きな出来事を起こしたとなると、エンイ達しか思い当たらない。
窓を閉め、すぐに私服に着替えて荷物をまとめる。ゆっくりとチェックアウト出来る状況ではない。朝風呂という選択肢が消えた事も忘れ、ヒノテは準備を進める。ラグラージ達も落ち着かない様子で、明らかに異常な事態である事は間違いない。
全てを旅用の大きなリュック一つにまとめて、ヒノテは落ち着かない三匹を宥める。
「落ち着いてくれ。とりあえず状況を確かめに行こう。お前らが騒ぐ程の事態っていうのは分かったから、一度ボールに入ってくれ」
落ち着かないヤミラミ以外の二匹は、ヒノテの顔を見て気を収める。流石の年長者達は、落ち着いた様子で大人しくボールに収まった。騒がしいヤミラミは半ば無理矢理ボールに入れ、三つとも腰のホルダーに付けた事を確認。
外に出る準備を整え、よし、と両頬を張って寝抜けの身体に気合い入れる。胸騒ぎはずっと止まらない。落ち着かないのはヒノテも同じだった。
部屋を出ようと動き出そうとした瞬間、ポケットの携帯が震え始める。すぐに取り出して確かめると、メグリからだった。
嫌な予感がしつつも、震える携帯を操作し、耳に当てる。
「ヒノテ、起きてる?」
「起きてる。どうした、こんな朝早くに」
メグリが何故電話してきたのか、ヒノテはなんとなく分かっていた。内容はこの異様な騒ぎの事だろう。昨日の今日で旅の話に進展があるはずはない。
「逃げて。今山雫にいるんでしょ? 早く町を出て。今ならバスでも行けるかな……ああ、違う駄目だ。動いてる訳ない。いけるならグラエナかラグラージに乗って町を出られないかな」
メグリは事情も話さず、堰を切ったように話し始める。
「一体どういう事だ? 今町に響いてるこの鳴き声と何か関係があるのか?」
「そうなの。うちにも連絡があってね。父親にしつこくまとわりついたら、何があったのか教えてくれたの」
そこまで言って、メグリは一度言葉を切った。電話の向こうで緊張した様子で息を吐く音が聞こえる。
「えんとつ山のバネブー達が、頭の真珠を奪われてたくさん倒れてるみたいなの。その怒りが今連なって、町に押し寄せて来てる。警察は元マグマ団員らしき集団の仕業だってところまで分かってるらしいんだけど、それに加えてね」
メグリが何か言い辛そうに、そこで一度言葉を切ったのがヒノテにはよく分かった。
「犯人の一人が町に残ってるってタレコミから、今躍起になって探しているみたい」
元マグマ団員の仕業だという事まで分かっているなら、ヒノテが疑われる可能性だって零ではない。警察なら、元マグマ団員に関するデータベースを持っているのは間違いないし、何よりヒノテは”マグマのしるし”をまだ持っている。
ヒノテの仕業ではないと信じたメグリは、とにかく濡れ衣を着せられる前に町を出てしまえと、電話を掛けて来てくれたという事だ。
「ありがとう。信じてくれてるんだな」
「当たり前でしょ。ヒノテがそんな事する訳ない」
「ああ、絶対にしないよ。やったのは」
メグリは、食い気味にヒノテの言葉に被せた。
「昨日会った、元マグマ団員の男じゃないの?」
すぐに返答は出来なかった。そう思われるのも無理はないだろう。当たり前の思考だ。だが、そうじゃないと思いたい自分を抑え、ヒノテは返答する。
「そう、なのかもしれない。情報ありがとう。また落ち着いたら電話するよ」
「逃げてよ。ヒノテはちゃんと逃げるんだよ!」
返答せずに電話を切り、ポケットに滑らせる。
逃げる訳にはいかなかった。どう考えてもメグリの話はおかしい。
バネブーから真珠を強奪したのがエンイ達の仕業なんだとしたら、もっとバレないようにやるはずだ。元マグマ団員なんて話まで犯行直後にバレ、警察に追われるなんて間抜け過ぎる。
「わざとだ。町に俺がいると分かっていて、濡れ衣を着せる気だ」
そして、ヒノテがフエンタウンにいると分かって濡れ衣を着せられる奴は、ほとんどいない。
「エンイ、何でだよ。もうまっとうに生きるって言ったじゃないか」
直接本人に問いたださないと気が済まない。エンイがいそうな場所。そして犯罪に使いやすい場所は、すぐに思い浮かぶ。
元マグマ団アジト以外に、フエンで事をやらかすにおいて理想的な場所はないだろう。バネブー達を襲い真珠を盗んだとして、運び出すまでには多少時間がかかるはずだ。輸送中に割れたり傷物にしたら、商売が成り立たない。昔と同じなら、エンイ達は自分の利益になる事には手を抜かない。
ならば、早く行かなければ手遅れになる。警察は押し寄せるポケモン達を止める方に人数を割くだろう。町に潜む元マグマ団員捜索にも人を回す事を考えれば、今山にまで人を割くとは考えにくい。いても少数だ。現場調査は行うだろうが、それはきっとこの緊急事態が過ぎ去った後。
やはり早い方が良い。逃げて、というメグリの優しい声がもう一度耳で響いた気がした。だが、ヒノテは止まれない。行かない訳にはいかない。元マグマ団員の愚かな行為を止めるには、元マグマ団員が行くしかない。
「終わってるんだよ、俺達はとっくに」
ホウエンを救った子どもの顔を思い出す。当時、えんとつやまの火口で”隕石”のパワーを増幅させようとした計画の際、何を考えているのか一人で乗り込んで来たその子どもは、その場にいる全マグマ団員を蹴散らし、リーダーまでも抑え込んで計画を頓挫に追い込んだ。
後に超古代ポケモン復活に漕ぎつけたマグマ団の野望を止めたのも、その時の子どもだった。ヒノテは直接戦ったためその顔を良く覚えていたし、羨ましかった。そんな力があれば、自分の意思をきっと突き通せる。自信に満ち溢れた顔で、肩で風を切って生きて行けるだろう。
あの子どもにどれだけ近づけたのだろうか。ヒノテはたまにそんな事を考える。ヒーローなんていう柄ではないが、人のために動きたいと、メグリが好きなこの町をなんとかしたいと素直に思える。
「力を貸せよ、英雄」
自信に満ち溢れたあの表情を思い浮かべ、ヒノテは部屋を飛び出した。