しるし
【二十二】それぞれの夜
 ヒノテは、たまには酒を飲むのも悪くないなと思いながら夜中のフエンを歩いていた。酔いが回っているのが分かっていても、意識ははっきりと、足取りもしっかり。
 真っ直ぐ山雫の部屋に戻り、自動販売機で買った水を一気に飲み干した。付き合ってもらった三匹に例を言いつつボールから出すと、そのまま浴衣に着替えて布団に入る。
「遅くにすまなかった。おやすみ」
 一瞬で瞼は重くなり、目を瞑れば意識は遠のく。酔う事の気持ち良さを味わいながら、そのまま眠りについた。 
 
 酔ったヒノテを見るのは初めてではなかった。グラエナは、すぐに眠りについたヒノテを見てマグマ団解散当時の事を思い出した。酒というものを知らなかったグラエナは、荒れた勢いで酒を飲み干すうちにおかしくなっていくヒノテをひどく心配した。俺は馬鹿だクズだ何も分かっていないと、ただ同じ事を何度も言いつつどんどん酒を飲み干していく姿が、自分で身を滅ぼそうとしているようにしか見えなかった。
 大災害の後で、再建の進むある町の居酒屋は、町の住民の憩いの場所として使われていた。ポケモンを出したまま入れる店で、一人で飲んで暴れているところを店主にどやされヒノテ共々店から追い出された。後は、ひたすら町をふらふら歩くのみ。グラエナは危なっかしくてずっと後ろについて歩いた。
 歩き続けて酔いが少し冷めた頃、「ごめんな」と一言だけ呟いて、ヒノテはそのまま宿に戻った。
 一匹狼のクールを気取っていたいつもの様子からは、到底想像出来ない荒れっぷりにグラエナはひどく驚き、謝られた事にショックを受けていた。群れへの帰属意識が強く、上下関係を強く意識するグラエナは、謝らせるような事をしていたのかと気に病んだ。
 翌日の朝にはケロっと元に戻り、「ついて来てくれるか?」と真剣な目をしたヒノテの顔は、今でも忘れない。危なっかしくて放っておける訳がなく、一鳴きして了承した。
 それから少しずつ変わっていく。刑務所から出た後旅を始めたヒノテは、グラエナに前よりも多くのコミュニケーションを求めた。スキンシップなんてする柄ではなかったが、前よりも喋りかけてくる回数が増えていた。物腰も柔らかくなり、笑うようになった。
 前から大事にされているとは思っていたグラエナだったが、一層大事にされ、変わったヒノテは一緒にいてより心地よい存在となった。
 マグマ団の行いに迷惑をしている人間がいる事は分かっていた。最終的に大災害を引き起こしたのがヒノテ達だという事も、グラエナは本人が一人呟いたのを何度も聞いている。
 こいつは後悔し、反省し、何をするべきなのか探し続けているのだと分かって来ると、グラエナはそれを支えたいと思い始めた。
 そんな時、旅に加わったのがミズゴロウだった。ヒノテの幼少期を知る存在として、別の意味で彼を支える存在だった。
 群れの中では先輩なのに、ミズゴロウはヒノテの右腕かのように振舞う。それが許せず幾度も喧嘩し、いがみ合ってきた。同じ様な気持ちでいる事が分かれば、後は時間が解決した。認めざるを得なかった。
 自身の知らないヒノテを進化したラグラージが知っているように、ラグラージが知らないヒノテを自分が知っている。ヒノテを支えるためには自分も彼も必要な存在である事が分かった。
 変わっていく主人の様子を見ていると、それが分かってしまった。グラエナは嫉妬した。負けたくなかった。

 ラグラージは、倒れるように眠ってしまったヒノテを見て安心した。あんな風に他人と仲良さそうに話す声をモンスターボールの中から聞いていたら、もう大丈夫だと思えた。
 自分の許から離れ、一人どこかへ行ってしまう事もないだろう。
 今のヒノテに変わっていったのは、もちろんヒノテ自身が変わろうとしたからだ。
 大きくなってから戻って来た時、ミズゴロウだったラグラージは、自分が必要とされているのだとすぐに分かった。逃げといて何言ってんだと思ったものだが、素直にただ頭を下げ、真剣な顔でついて来てくれないかと言われると、了承せざるを得なかった。どんなに時間が経っても、ヒノテの事を心配していた事に気付いた。
 放ってはおけなかった。
 一緒に旅へ出てみれば、ヒノテはグラエナというポケモンを連れていた。クールぶって、あまり口を利かない奴だった。仲良くなれなさそうだなとラグラージは思った。
 でも、家を飛び出して行った後のヒノテを支えていたのは、グラエナなんだとすぐに分かった。接し方ですぐに分かる。どうしようもないヒノテを支えてやる、という一点だけは意見が合い、仲良くはなくても一緒に行動出来た。
 旅を始めてそう時間も経っていない頃、バトルを重ねたミズゴロウはヌマクローへ進化した。バトルの強さはグラエナに到底敵わなかったのだが、進化した事でやっと対等になれたと思った。
 しかし練習でやり合うと、どうしても勝てない。ヒノテと一緒に、自分が届かない程の力を得ているグラエナに嫉妬した。
 悔しがってバトルを重ねていると、さらに身体は進化を重ねた。気づけば、グラエナとの力の差はなかった。
 差がないという事は、負けたり勝ったりするという事だ。まだ越える事は出来ないまでも、気付けばグラエナの事を認めていた。その力でヒノテを支え続けたのだと思えば、認めない訳にはいかなかった。
 ただ、負けたくはない。ラグラージは今でもそう思っている。

 ヒノテが眠っているのをじっと見つめた二匹は、ふと互いに顔を合わせた。今日の様子を見れば、もう心配しなくても大丈夫である事は分かった。
 ラグラージはグラエナに向かって小さく鳴いた。グラエナもまた、その鳴き声に反応して一鳴き。べらべらと互いに話す気はなかった。ただ、認め合っている事だけが伝わればそれで良い。
 珍しく視線を合わせている二匹を珍しがってか、ヤミラミが間に割って入って前に出て、二匹の方へ向き直る。ギギャ、と鳴いて、手と手を合わせた。
 仲良くしてね、という事だと分かった両者は、ちらとヤミラミから視線をはずすとまた目が合ってしまった。照れ臭く、手なんか繋げる訳がない。もう一度ギギャ、と鳴いて握手を促したヤミラミに溜息をついた二匹は、ハイタッチをするように手を軽く合わせる。満足したヤミラミは、ポケモン用に敷かれたふかふかのクッションの上へ横になる。いつもは適当に遠くへ離して眠っていたが、ラグラージとグラエナはヤミラミを挟んで横になり、川の字になって眠りについた。

 ヒノテとマグマ団アジトで話し合ったその日の夜、屋敷に戻ったメグリは自室のベッドに入っても中々眠れなかった。
 油断すると色々な想像をして興奮してしまう。あそこへ行きたい何をしたいと、旅する自分を思い描く。頭の中の素晴らしい旅は、かつてないほどメグリをわくわくさせる。
 それなのに、時折ふと現実を思い出してしまい、どうやって旅へ出るのか考えてしまう。親に面と向かって自分の希望を伝えても、そうすんなりと許可は出ないだろう。
 飛び出してしまおうか、とも考えるが、屋敷の者が追って来るに違いない。捕まれば連れ戻されるに決まっている。
 どうすれば一番良いのか。
 いっそヒノテにくっついて行ってしまおうか。あのラグラージとグラエナと曲者のヤミラミがいれば、屋敷の者からも逃げ切れるかもしれない。
 そこまで考えて、ヒノテに迷惑はかけたくないとメグリは思い直す。そもそも、町に戻り辛い状態で飛び出して良いものか。結果を出せば戻れるものなのか。きちんと説得してから外に出た方がやっぱり良いのではないか。
 考えつく限りの方法を頭の中でシミュレートしても、メグリはうまくいく気がしない。
 現実に疲れ、楽しい想像をする。ふと思い出し、現実に立ち戻る。
 そんな事を繰り返し続けていると、今夜は眠れそうにない。
 けれども、辛いとは思わなかった。前に進んでいる気がして、悩んでいる時間もそれはそれで悪くない。耐えているだけの時間とは、雲泥の差だ。
 一歩前に踏み出す事の喜びを知ったら、もう後には戻れなさそうだとメグリは思った。 

早蕨 ( 2021/03/14(日) 21:00 )