【二十】やりたい事
元マグマ団アジトからフエンに戻ってくる間、先程の話には一切触れずに二人はくだらない話をして過ごした。
明日になればヒノテはフエンを去る。話題も尽きて沈黙が訪れてしまえば、互いに連絡先は交換したので、後はもうバスが山雫最寄りの停留所へ着くのを待つのみ。
次、停まります。
機械的なアナウンスに従って、二人は停車したバスから無言のまま降りる。
「じゃあなメグリ。色々ありがとう。楽しかったよ」
「こちらこそ、本当にヒノテと会えて良かった」
握手をかわし、二人は別れる。
メグリはきっと、自分で決断した事に向かって突き進んで行く。歩み出したら早いだろう。
ホウエンのどこかで会った時、恥ずかしくない自分でいたい。ヒノテは強くそう思う。
フエンに来て良かったのは、かつて見た荘厳な光景が以前より美しく感じられた事はもちろん、メグリという人間に出会えた事も大きい。
そしてそれらは、フエンに限った話ではなかった。
ホウエンの自然は美しい。何物にも代えがたい、守るべきものが多くある。それらを見て、ヒノテ自身がこの土地に貢献出来る何かをしたいと、そう思えただけでもこの旅には価値があったのだろう。
同等に、ヒノテにとってはホウエンの人々と出会い、関係性を作り、その暮らしぶりを見て来られた事も価値のあるものだったと感じていた。
自分の行いが、一体どんな人に迷惑をかけ、どれほど美しい景色を壊すものだったのか嫌という程理解したからこそ、今度は貢献したいと思える。
貢献するためには、一体何をすれば良いのか。候補はいくつかあるものの、ヒノテはまだ絞り切れていない。
自然と暮らしという観点から見ると、ヒマワキのツリーハウスに憧れていた。火口湖の景観が美しい、ルネという町にも惹かれた。
ホウエンには素晴らしい土地が多い。
それを世界中の人々にも知って欲しいと、ヒノテは最近そんな事を考えている。
山雫に戻り夕食後の満腹な腹を宥めつつ、広縁の椅子に座りながらすっかり暗くなったフエンを眺める。気持ちよく未来の事を考えられる絶好の場所だった。
「元とは言え悪趣味な肩書が、やっぱり足を引っ張るよなあ」
旅行関係は一番先に思い浮かんだ業界だったが、過去の経歴を考えるとそれは難しい。誰が元マグマ団員に観光を手掛けて欲しいんだと、ヒノテは自身へ苦笑する。
どうしたもんかとここしばらくは今後の身の振り方を考えているが、何度考えてもやっぱりホウエンの魅力を伝える、という方向性を譲る事は出来そうになかった。
テーブルへ無造作に置かれた、丸まってくしゃくしゃの観光ガイド雑誌に目を向ける。
「……ライター、ライターかあ。いいなとは思うけど、どうだろうなあ、観光ライター、雑誌記者とか? 元マグマ団員が書くホウエン観光ガイド? 笑いもんだな本当に。なあ、ラグラージ」
一眠りしているラグラージからは、返答がない。
独り言が、立派な山雫の和室に消えて行く。
未来について考えていると、自分がメグリに言った偉そうな言葉をヒノテは思い出した。
「自分で言っといて何やってんだか。やりたいなら、やれば良いんだよな」
メグリが決断をした後なだけに、ヒノテもいつもよりずっと前向きな自分がいる事に気付く。マグマ団員であった過去は一生変えられないが、それを抱えたまま生きて行く覚悟はもう出来ている。
ホウエンを一周する間に、次の一歩を踏み出す心構えはしてきたつもりだった。後は、自分次第。
フエンを出たら、次の人生が始まる。昂る気持ちと、神妙な気持ちが同居していた。
「今日は、ゆっくり休まないとな」
その前に、もう一回だけ温泉に浸かろう。中々堪能出来るものじゃない山雫の温泉に、出来る限り入っておこうと立ち上がった時、部屋に備え付けてある電話がけたたましい音を上げた。
何事かと、部屋の端にある電話の前に座って受話器を上げる。女性の声だった。
「はい」
「夜分に失礼致します。ヒノテ様宛てに、お客様がいらっしゃっております」
フロントからの電話だ。ヒノテは今フエンで自分を知る人間を三人程思い浮かべた。
「誰ですか?」
「エンイ様、という方からですが」
「分かりました、すぐ行きます」
突っ返せ、とは言えなかった。
ここで呼び出しに応じないと、旅館にどんな迷惑を掛けるか分かったものではない。すぐに浴衣から私服へ着替えれば、部屋で眠っていたラグラージとグラエナがむくりと起きだす。また遊びにいくのかと、キャッキャと騒ぎ出すヤミラミをグラエナが舐めて、自分の背中へ咥えて放る。
「すまん、付き合ってくれ」
皆をボールへ戻し、間違いなくそれを腰のボールホルダーに付けた事を確認し、ヒノテは部屋を後にした。