【十九】後悔はしたくない
ヒノテは下げていた首紐を外し、その先についている山の形をしたキーホルダーの様な小物をぎゅっと握る。
「あまり、驚かないんだな」
メグリは両手を腰にあて、ふうと溜息を一つ。
「ここまで見せてもらえれば、分かるよ。それは、マグマ団員である印なんでしょ?」
「ああ。団員である印であり、このアジトに出入りするためのものだ」
「私が気にしてるのは」
「どうしてそれをまだ持っているのか? だろう?」
ヒノテが付けた足した言葉は、メグリが考えている事と合致した。首肯して、今までになく固い表情を見せた。警戒の証だ。
「それをまだ持っているヒノテはマグマ団員で、知り合いだったあの人達もまた、マグマ団員なの?」
「元、だけどな。全員そうだ」
より一層厳しい表情でヒノテを見つめつつ、メグリはヒノテの隣にちょこんと腰掛ける。
「本当に? 今はもう、何もしてないの?」
「何もしてない。本当だ。嘘じゃない。俺はただ、ホウエンを旅しているだけだ」
時を同じくして、元マグマ団員達がフエンに集まって何かしでかすのではないか。そういう風に見えても、仕方がない。メグリが警戒してしまうのも、無理はない。
「じゃあ、さっきの人とあの店で会ったのも、偶然?」
「偶然だ。解散してから今まで、連絡の一つも取った事はない」
「ふうん……そっか」
足をぶらぶらさせ、虚空を見つめるメグリの次の言葉をヒノテは待った。
「信じるよ。ヒノテの言う事」
「ありがとう」
そこを信じてもらえなければ、話も何もない。最悪、町の人達に元マグマ団員が潜んでいると言われれば、吊るし上げられて面倒になるのがオチだ。フエンではマグマ団という言葉はタブー中のタブー。
「そもそも、何でヒノテはマグマ団に入ろうと思ったの?」
だが、メグリは信じた。話を聞こうと、そう思ってくれた事にヒノテは安心した。
「俺がマグマ団員になったのはな、別に大した事ない理由だったんだ。地位も名声もある親の元で生活していたら、プレッシャーに負けてな。簡単に言うとグレたんだ。そういう仲間が周りにいたのも手伝って、悪い事をするには困らない環境だったな。そうなったら、家を飛び出す事になんの躊躇もなかった。偉そうな親なんかひっくり返るくらいの力を付けて、でかい事をやりたいなんていう馬鹿っぽい事言って、今思えば恥ずかしい事この上ないんだが、そんな俺みたいな半グレをまとめ上げていたのが、マグマ団リーダーのマツブサだったんだ」
メグリは黙って、ただ相槌を打った。
「リーダーの言う事は正直俺にはよく分からなくてさ。人類にとって理想の世界を追求するために、超古代ポケモンを復活させて陸を広げるんだって言われても、話がでかすぎる。埋め立てとかそういう話? なんて思ったりしたが、どうやら本気で海を陸に変えようとしたらしいんだ。そういう夢物語みたいなでかい目標を掲げているってだけで格好良いと思った奴は多くて、正直リーダーがやりたい事を、ちゃんと分かってた奴なんてほとんどいなかったと思う。あの人は怖い人でさ、理想に近づいて来たと実感出来るようになったら、やる事がどんどん悪どいものになっていってたよ。盗みや恫喝、不法占拠なんてざらだ。いよいよ超古代ポケモンを起こしてお祭り騒ぎだなんて期待して待っていたら、実際に起こったのはただの大災害。人間が作ってきたものを全て無に帰すような圧倒的な力が吹き荒れるだけだった。何かそれを見た瞬間に、ぷつんと切れちゃってな。何やってたんだ俺、ってさ。なんの躊躇も手加減もない災害と、同じような事を自分がしていたんだと思ったら、途端に自分のやってきた事が馬鹿馬鹿しくなってきて、もうその日にマグマ団をやめてたよ。事が落ち着いたらすぐに自首して、洗いざらい自分が知っている事を警察に喋った」
「それで、ヒノテは刑務所に入ったの?」
「ああ。入ったよ。素直に反省して刑務所から出たら、自分があまりにも何も持っていなかった事にびっくりした。唯一、マグマ団員だった頃に一緒に動いていたグラエナだけが、俺の隣にいたんだ。そうなるとまずやれる事は、きちんとグラエナを育てる事だけ。グレて家を飛び出した時に置いてきたミズゴロウの事も頭に引っ掛かっていたから、恥を忍んで実家に戻って頭を下げた。もう本当に、頭が地面にめり込むって程に頭を下げた。でも、それで許してくれなんて虫の良い話でさ、当たり前だけど勘当されて、それでもそんな俺について来てくれたミズゴロウとグラエナと一緒に、旅へ出る事にしたんだ。ホウエンを壊すという事がどういう事なのか、自分が何を壊そうとしていたのか、きっちり目で見て確かめて、本当の意味で反省しようと思ったんだ。全てを見終わって、自分が何をしていたのか理解出来たら、次にやるべき事が見つかるかと思ってさ。俺な、自然が大好きなんだ。笑っちゃうだろ。ホウエンを見て回ってたら、大自然が持つ不思議な力とその美しさにもう惚れてた。だから、超古代ポケモンが眠るこの土地を最後に、自分が何を感じるのか確認したかったんだ。だから、それまではこのしるしを持っていようと思ってた」
ヒノテは随分と長い間喋っていたが、相槌を打ちつつ、メグリはただ真剣に聞いていた。
「本当はメグリに偉そうな事なんて言えないんだ。子どもは子どもらしくなんて言ったけど、ガキが大人の言う事を無視して突っ走った結果が俺だ」
「でも、ヒノテは反省してる。自分で選んで、自分で反省して、次に進もうとしてる。それは、きっと中々出来ない事だと思う。今のヒノテは、きっと間違ってない。ポケモン達も、それを分かってる」
鳴き声を上げて同意したラグラージに、メグリは笑いかけた。
「……そういう風に言ってもらえると、ありがたいよ」
それっきり、しばらくの間二人は沈黙した。互いが互いに自分の内を曝け出し、距離は縮まっている。より相手の事を細かく考えられるようになって、次に何を言えば良いのか、ヒノテは考えていた。
「メグリはさ」
「うん」
「やりたい事、あるんだろ? 俺は間違えたけど、自分で自分の道を選んだ事自体は、後悔してないんだ。メグリにも、後悔はして欲しくない」
背負う物がヒノテと違う。端的にそう言ってしまえば、それまでだ。でも、メグリ自身が考え自分がしたい事をするのも、悪い事ではないとヒノテは思う。
「……私も、後悔はしたくない。だけどね、怖いの。私が色々なポケモンを見たいとか、バトルをしたいとか、世界を見て回りたいとか、そういう理由で旅に出たら、きっと親はもっと町の人達といがみ合う。アスナちゃんの事をもっと認めなくなる。そう思ったら、我慢していた方が良いって思っちゃうの」
しがらみがメグリに絡みついている。ヒノテが家を飛び出した時と、確かに事情が違い過ぎるのは間違いない。広い視点で人を思い遣る事の出来る頭の良いメグリを見て、ヒノテはふと、マグマ団リーダーマツブサの事を思い出した。目的のために犠牲を厭わない冷酷なあの男とメグリでは、あまりにも違う。だが、何かを突破するために、自分が見ている視点よりもさらに引いた視点で見る事は役に立つ。それは、ヒノテがマツブサから学んだ唯一の事だった。
「じゃあさ、こういうのはどう? メグリが未来のジムリーダーになって、町長達と協力する。もしくは、色んな経験や知識を旅の中で積んで帰って、メグリが町長になるっていうのは? 目的がはっきりしていたら、親御さんへの説得もしやすいんじゃないか?」
自分で言って、ヒノテはまた勝手な事を言ってしまったと反省する。ジムリーダーになる事も町の町長になる事も、どんなに難しいかヒノテにはよく分からないが、生半可な道のりではないという事だけは想像出来る。
それを軽々しくなっちゃえば? なんて言うのは、当事者であるメグリに失礼ではないか。
「何言ってんだろうな。でかい話して、よく分かってもいないのに、すまない」
なんとなく、メグリは親を継いだり偉くなるような気がして出てしまった言葉だったが、何を言われるだろうか。そっとメグリの顔を伺ったヒノテが見たのは、目を閉じ、何かを深く考えている姿だった。
「ぷっ」
しばらくした後、突然噴出したかと思えば今度は大笑い。メグリは、空間に響く程大きな声で笑った。多くのポケモン達がなんだなんだと飛び出し、こちらを睨みつける程の声。
ラグラージがすかさず周りをゆっくり歩いて威嚇していなければ、飛び掛かってきたかもしれない。ヒノテは、メグリの大笑いを止めなかった。
「はは、面白いねヒノテ。何を言い出すかと思えば、ジムリーダー? 町長?」
「わ、悪かったって……」
「いや、そうじゃなくて。違うの。ヒノテの言う通りだよ。私、自分が将来何になるとかそんな事何も考えてなかった。ただ、町長の娘として振舞う事ばかり考えてたよ。そうだよね、旅に出たって、戻って来られない訳じゃない。私がどこにいたって、町を心配する事に変わりはないんだよね。旅に出たからって、皆がいがみ合うかどうかも分からないし、私一人が町からいなくなっただけでどうにかなるフエンタウンなら、とっくに滅茶苦茶だよ。アスナちゃんは強いし、町も強い。そうだよね、本当にそうだよ。ジムリーダーか、町長か。面白いなあ。目指してみようかな。ちょっと色々考えなきゃいけないけど、それ、ありかも」
「え、まじか?」
ヒノテは、口をついてしまった突飛な言葉を真に受けたメグリに驚いていた。
「自分で言ったんでしょ。その案採用! ヒノテ、言い出しっぺなんだから私が出来るかどうか、ちゃんと見ていてね。フエンを出ても、私の事忘れないで。たまに連絡して、お話ししよう? 私も、ヒノテが何をやっていくのか知りたい」
笑っていてもどこか影があるような顔だったメグリが、すかんと晴れたように、憑き物が落ちたような顔でヒノテを見た。
自分で言ってしまった手前、嫌だとは言えない。ヒノテはこれまでで一番良い顔しているメグリに安心し、素直に笑いかけた。
「もちろん。これからもよろしく頼むよ、メグリ。ジムリーダーになったら中々会えないかもしれないから、先にサイン貰っとこうかな」
「気が早いって」
フエンを最後に回したのは、ここを最後にして自分が何を感じるのか確認したかったからだが、それだけではなかった。やってきた事を思うと、この土地を踏めなかったのだ。
ホウエン中を回って、やっと自分の心に整理をつけたからこそヒノテは今この元アジトへやってきた。その場所が、メグリの新たなスタートラインとなった。
苦い思い出のある場所が、良い思い出の場所にもなるかもしれない。
「何笑ってるの?」
「旅っていいなと思ってさ」
フエンに来て良かった。
心から、ヒノテはそう思った。