【六】
朝起きると、ケーシィはベッドの端にちょこんと腰かけていた。
「おはよう」
と声をかけると、跳ねるようにケーシィは飛び上がり、そのまま宙に浮かんで僕の方へ向き直った。
びっくりさせたのを謝る前に、浮かんでいる姿に僕がびっくりしてしまう。知ってはいたけど、浮かんでいるというのは間近で見ると凄いものだ。
「驚かせるつもりはなかったんだ」
ベッドから出て立ち上がり、宙に浮かぶケーシィに両手を差し出すと、またおそるおそる僕の腕の中に入ってくる。かわいい奴だ、と思いながらも、ポケモンってこんなにも臆病なものなのかと、不思議に思った。店に来るポケモン達なんて、皆ある程度ふてぶてしいというか、トレーナーに臆している様子なんて見たことがない。
ゆっくりと抱きかかえたまま座って、テレビをつける。手の中に入ってしまえば、大人しい。ニュースが流れているが、話が頭に入ってこない。あくびは止まらないし、まだ眠り足りない気がする。
「いや、駄目だな。今日はいろいろ揃えるんだから」
すっきり起きるため、シャワーを浴びることにした。ケーシィをそのままテーブルの前に座らせ、僕はバスルームへ向かう。
熱いシャワーを被りながら、今日どうするか頭の中で考える。まずは一緒にタマムシデパートへ向かおう。食べ物と、何かおもちゃみたいなものも買えれば良い。薬も多少用意はしておこう。寝床もあった方が良いか。後は、少し外を一緒に散歩でもしてみよう。
中々いいプランだな、と起きてきた頭とすっきりした身体で気分良くバスルームを出ると、綾子が帰ってきていた。
「ただいま」
「おかえり」
と、挨拶はいつも通りだが、胡坐をかいて座った、綾子の黒タイツの足の上にケーシィが乗っていた。羨ましい。
「ポケモン、貰って来たんだね」
「まずい?」
「いいよ、別に」
そう言って、綾子はケーシィの頭を撫でた。
「そいつ、臆病じゃない?」
「そうだね。私が帰ってきたとき、バタバタ音を立てて布団の中に隠れてた」
「で、もう綾子にはなついていると」
「そういう訳じゃないと思うよ。貫太、ポケモンに触る時おっかなびっくり手出したでしょ」
昨夜の事を思い返すと、確かにそうだ。
「あんまりおっかなびっくり手出すとポケモンも警戒するし、怖がっちゃうよ」
「綾子はポケモンの事詳しいんだな」
そういえば、店でもお客さんのポケモンと自然に触れあっている。
「詳しくないから」
「詳しいよ。少なくとも僕よりは」
「詳しいって言わないで」
綾子が僕を睨んでいる。不快にさせる様な事を言っているとは思わなったので、面食らってしまった。
「わ、わかったよ」
「ちょっと寝るから」
ぶすっとして明らかに機嫌を悪くした綾子は、ケーシィを僕に預けると、いそいそと寝巻へ着替え始め、さっさと布団に入ってしまった。よく分からないが、嫌だったのだ。これからは言わないようにしよう。
綾子の様子に怯えてしまったケーシィは、ぐりぐりと僕の胸に頭を擦りつけていた。
「大丈夫だよ。きっとすぐに機嫌直してくれるから」
皆それぞれ、事情は様々。話したくなったら、分かる時がきたらそれでいい。僕と綾子は、そういう関係なのだから。
ケーシィにはモンスターボールに入っていてもらおうかと思ったが、初めて二人で外出するので一緒に歩く事にした。と言っても、ケーシィは隣をふわふわ浮かんで移動している。
タマムシで何か買い物をすると言えば、タマムシデパートに行けば間違いない。それはタマムシの人だけではなく、カントー地方に住む人全員に共通だと思っている。個人個人の好みはあるから、地元の商店とか、町のフレンドリィショップが好きだと言う人もいるだろうが、僕みたいな素人が行くならタマムシデパート程助かるものはない。行けば多分、欲しいものは揃っている。大して何も知らないのに、タマムシデパートに詳しいふりをしてしまうのは、タマムシ人あるある、かもしれない。
「さ、着いたね」
特に用もないから普段は来ないため、随分久しぶりだった。タマムシの中でも随分大きな建物。賑わう人々。きっと、流行りのレストランやカフェなんて洒落た店も入っているのだろう。いつもだったら人込みでやかましくてあまり好きな場所ではないが、昨日一昨日とゲームコーナーを経験しているからか、随分ましに思える。こちらの方が、まだ健全だ。
ケーシィは、タマムシのメインストリートに出た途端、人込みに怯えて浮かぶのをやめ、僕の頭にしがみついている。迷子の心配はないが、まあまあ頭が重い。
「まずは食料かな」
エスカレーターで上階へ。あまり気にして見たことなかったが、とにかくどこを見渡してもポケモンだらけだ。広告、着ぐるみ、インテリア、店を闊歩する本物のポケモン達。売っている物もポケモン用品を占める割合が多い。ポケモン用品とポケモンに関係しない品物がフロアで分かれているため、目的の三階に降りれば、僕のほとんど知らない世界が広がっていた。
ポケモン用品の店に入ったのはいつが最後だったか、覚えていないくらい前のことだ。両親もポケモンを持っていないし、それくらい僕には縁がない場所だ。
何がどこにあるかわからず表示板を確認しながらうろうろしていたが、思ったよりすぐに見つかった。
「ポケモンフーズはここか。ケーシィ、何味が好きなんだ?」
袋を頭越しに見せると、首を横に垂らしてじっと見ているが、何が何だか、という風にきょとんとしている。そりゃそうだ。
「そういえば、性格によって好みの味の傾向がわかるなんて書いてあったな」
携帯で調べると直ぐに分かった。性格は見たまんま臆病だとすると、
「あまいものが好きなのか」
どおりでモモンをおいしそうに頬張っていた訳だ。個体差はもちろんあるだろうが、甘いものは好きで間違いない。
「一種類じゃ飽きるし、いくつか買おうな」
食べ物だということはわかっているのか、いくつか持っていた袋を籠に放り込んでいくと、ケーシィが頭の上で揺れて喜んでいた。買いがいのある奴め。
一先ず食べ物を買い込み、次は何か遊べるものも買おうと店内を歩いていると、モンスターボールのガラスケースが目に入った。一応、今ケーシィが入っていたモンスターボールは持って来ている。新しいボールを買ってもそれに入れ替える事が出来ないのは、僕でも知っていた。小さい頃に習った、と思う。
どんなボールがあるのか気になり、ボールコーナーのショーケースを眺めていると、昨夜の事を思い出した。
こいつは一体、誰のポケモンなんだ?
「あの、ちょっとお聞きしたいのですが」
「はい。何でしょうか?」
ショーケース越しに、男性店員に話しかけると、良い笑顔で返事が返ってくる。
「トレーナーが購入したボールでポケモンを捕まえれば、そのトレーナーがおやになるんですよね?」
店員さんは快活に返事をくれそうな雰囲気だったが、何を今更そんな当たり前の事をとでも言いたげに、急に不審そうな顔を浮かべた。
「ええ、そうですね」
「人からもらったポケモンだと、どうなります?」
「ええと、人からもらっても、元の持ち主がおやである事は変わりません。ボールの個体番号は、購入時提示いただくトレーナーカードのIDナンバーと紐づきますので、モンスターボールを調べれば、それが誰の所有物なのか判別する事が出来ます。ですので、ボールに入ったポケモンは、そのボールの所有者がおやとなりますね。」
「なるほど。ご丁寧にありがとうございました」
「他にも不明点がございましたら、気軽にお声がけ下さい」
不審がりながらも、丁寧に答えてくれるのは流石タマムシデパートの店員といったところか。
ポケモンとトレーナーの関係は、IDナンバーやおやがどうとか、それだけで決まる話ではないはずだが、今の話だとケーシィのおやは手続き上僕ではないということだ。
ではこいつは一体誰にどう捕獲され、どこから来たのか。自分とケーシィの関係性があまりに不安定なのでどうも気になってしまうが、言ってしまえば僕と綾子の関係と同じようなものだ。
相手の事をよく知らないまま、関係を続けていく。そこに居心地の良さを僕は感じていたんじゃなかったのか。
そう考えれば、おやが誰かなんて大した問題ではない気がする。僕らは僕らの関係を作っていく。まだ、今はまだ、それでも良いと思う。