僕は、ポケモンを燃やした
【四十八】
 バイトから上がって店を出ると、すぐに携帯が鳴った。メッセージアプリには、綾子から今いる場所が書かれていた。了解、とだけ返事をし、僕はその場所へ向かう。
 ビルを出て左手へ歩き、最初の路地をまた左に折れる。僕が、綾子と店長が一緒にいるのを目撃し、こっそり見ていた場所だった。
「おまたせ」
 綾子は動きやすく目立ちにくい、紺のウインドブレーカー姿で待っていた。尾行の準備はバッチリだ。
「どうだった?」
「送った通り、オタチがいた。メモには載っているけど、まだ燃やされていないポケモンだよね?」
「そう」と言いつつ、綾子はビルの入口から視線を向けたまま首を縦に振る。
「権田さんの様子は?」
 見張りは任せ、僕は綾子の隣でその時を待つ。今日のバイト中に見た店長を思い返した。
「……僕には、綾子の言っていた店長の視線はよく分からなかった。ただ、店に来ているポケモン達を微笑ましく見ているようにしか見えなかったな」
「それ」 
 それ? あの視線が、綾子が言っていた気味の悪い、恐ろしい視線だという事だろうか。
「それなの。あの、ポケモン達に向けた、何かを隠すような微笑んだ視線が怖いの。昔権田さんが自分のポケモンに向けてた視線と同じだから」
 店長は過去、自分が行った酷い仕打ちのせいで自分のポケモンを一匹亡くしているという。それからポケモンを持つ事なく、今に至るらしい。
 あれは、自分の店で楽しんでいるトレーナーやポケモン達に向けた、微笑ましい視線じゃなかったのか? 僕は知らないから、綾子にそう言われればそうなのかと思うしかない。あの微笑みが、店にいるポケモンに対してこいつらをどうしてやろうか、と品定めでもする視線だとしたら、それは確かに恐ろしい。
「来た」
 一気に現実へ引き戻される。僕は、これから店長を尾行する。今日いきなり現場を押さえたら、それで終わりだ。
 その時を想像すると、緊張してくる。主観的ではない、客観的にポケモンを燃やす現場が目の前に現れると思うと、異様な緊張感を覚えた。
「こっち来るの?」
「いや、ビルを出て右へ進んだ。一応、自宅方向」
 ウインドブレーカーのフードを被って歩き始めた綾子の後ろを、僕はついていく。
 タマムシの雑踏は、尾行にはうってつけだった。ある程度距離を取っていれば、余程の事がない限りバレる事はないだろう。
 視線の先の店長は、何かを起こす様子はなく堂々と真っ直ぐに歩き続ける。家はタマムシ公園の方だと綾子は言っていたので、それなりに歩くだろう。
「家に戻ったら尾行は終わりなんだよね?」
「打合せ通り。戻って三十分程して何もなければ、その日は終わり」
 合計すると一時間程だが、僕には随分長く感じた。
 繁華街を過ぎれば、少しずつ街が暗闇を帯び始める。メインストリートが終わり、国道沿いへぶつかる交差点を左に折れた。姿が見えなくなったので、僕等二人は駆け足でそこまで向かう。
 角の雑居ビルからこっそり顔を出すと、その先に店長を確認出来る。
 今までは明かりが多かったからある程度距離を取っても平気だったが、ここからは暗がりも増える。
「行くよ」
「分かってる」
 少し歩を速め、店長との距離を詰める。
 小さく見えていた背中が、いつも通りの大きな背中になってきた。近づくと動きがより分かる。少し蟹股で、道の真ん中をずんずん歩く様は店長そのもの。やはり変わった様子はない。
 あんなに平然と歩いたまま、ポケモンを誘拐したり燃やし始めたら、あまりに理解の範疇を超え過ぎている。良いとか悪いではない。人間とポケモンが共存する社会に存在してはいけない人間だ。
「また曲がった」
 今度は交差点を右に折れ、タマムシの西側へ進み、マンションやアパート、一軒家が立ち並ぶ地域に入っていった。
 タマムシ公園はその先だ。公園近くに住んでいるらしいので、もう半分は来ているだろう。
 時間も時間なので、この辺は人通りもかなり少ない。僕が追われたあの時とは逆だった。
 夜の人気のない道を歩く時に気になるのは、足音だ。後ろからついて来る音がこの住宅街の静けさに演出され、余計に恐ろしさを増す。それが、本当に聞こえているかどうかは関係ない。姿を確認してもしなくても、それが足音でさえなくても良い。一度気になってしまうと、後ろに何かいる気がしてしまうのだ。
 一定の距離を保ちつつ、路地に身を隠しながら進んでいるとはいえ、僕と綾子はかなり足音に気を遣う事となった。舗装された道路であっても、普通に歩いていると足音が出る。後ろを振り向いて姿を確認されれば、バレるかもしれない。
 店長が犯人だとすると、バレたら危ない。静けさは、緊張感も演出した。
 街灯の光さえ、僕等をあぶり出す妖しい光に見え、尾行というものは難しいものだと思った。それでもバレないのは、綾子が店長の自宅を知っているからだ。ある程度距離が離れていても、自宅までの道のりを考えれば歩く道は予想出来る。
 振り向かれても、街灯の下にでもいない限りは僕等だと判別するのは難しいだろうという距離感を保つ。
 少し後をつける事に慣れてきたかなと思えた時、一本通りを挟んだ向こうに、タマムシ公園の雑木林が見えてきた。
 まさか森の中で? 公園の中へ入って行ったらいよいよだが、店長は入口前で左に折れて公園の外周を歩いていく。
 尾行は驚く程うまく行っている。一度もこちらを振り向いてはいないし、バレていないと思う。
 外周沿いを歩いていた店長は、そのまま真っ直ぐ進み、公園から一区画離れたマンションへ入っていった。
 自宅での犯行の可能性はない、と思いたい。
「どうやら、何も起きないみたいだね」
「まだ。もう少し様子を見ないと」
 店長の部屋は三階の二号室。僕等はマンション近くの路地角に立ち、綾子と交代でマンションから出て来る人間と部屋のベランダを見張った。
 店長は、不審な素振りも何も見せず、ただ店から家まで歩いただけだった。
 この尾行作業をずっと続けるとなると大変だ。綾子は犯人が捕まるまで続ける気なのだろうが、僕等の方が先に参ってしまうのではないか。
 犯行時間はもっと深い時間かもしれない。僕等が見張りをやめて帰った後に犯行が行われてしまったらなんの意味もないのだ。
 そう思うと、やっぱりこの尾行にどれだけの意味があるのか、僕には分からなくなってきていた。
 何もせずにはいられないから、せめて出来る範囲で。その気持ちは分かるのだが、何かもう少し良い方法はないものか。
 もう少しこれを続けて、綾子の気が少しでも収まれば、別の方法を提案したい。時間を狭めても良いだろうし、それとは逆にとことんやるならば、徹底的にやらなければ駄目だろうと思った。店長の服や鞄等、どこかバレない場所に小型の盗聴器でも仕込むくらいはしないと、とことん調べるのは難しい。
危険な橋を渡る事にはなるが、本気で押さえるならそれくらいしないといけないのかもしれない。

 その日、結局何も起きないまま僕達の初尾行は終わった。こんなものかと、まだ一日目なのに僕は高を括り始める。
 綾子は満足気な様子もない。涼しい顔をして、明日も続けるだろう。次の尾行も、今日と同じ様子が予想された。踏み込んで行くのは危険だが、踏み込まないと追い詰められないし時間がかかる。綾子が危険な目に合って欲しくない気持ちと、どうせやるなら、という自分の思いがごちゃまぜになって、どうしようか僕を悩ませた。
 いきなり根を詰めても続かない。何の収穫もない事に安心し、同時に気が抜ける。
 明日からもこの作業が続くが、店長が犯人だという疑いが、僕の中ではもう薄れつつあった。だからこそ踏み込もうかなどと楽観的な事も考えられる。
 もっと決めてかかった方が良いのは分かるが、どうしても店長の肩を持ってしまう。そうであって欲しくない。
 現場を押さえたい気持ちより、潔白が証明されて欲しい。
 ただただ僕は、そう願う。

早蕨 ( 2020/08/09(日) 23:18 )