【三十八】
里中さんのレートがいくつで、この階がどのレベルにあるのか僕にはまったく分からない。
B-1の部屋の後ろで見守る中、相手が出したポケモンの大きさに驚き、恐ろしくレベルが高そうに見えて、あんなのと戦ったら危ない、とすぐに胸に抱いたケーシィを引き合いに出してしまう。当の本人はバトルには興味ないのか、既に眠っている。
「あれ、なんて言うんだっけ」
「オーダイル。何で貫太がはらはらしてるのよ」
「だって、あんな怪獣と戦うなんて」
対して里中さんが繰り出したのは、青を基調とした身体に、胸部が紅色に膨らんでいるポケモン。
「ドクロッグ」
先回りされた。最早こっちに顔も向けない。
バトル開始のアナウンスが流れ、両者が何やら叫び出した。
オーダイルは走り、爪を立てた拳を振り上げる。それをドクロッグというあのまったく階級の違うポケモンに振り下ろすのだろう。両者の距離が縮まり、腕が振り下ろされようとしたその瞬間に思わず目を閉じ背けてしまう。
「わ、速い。避けた」
隣で綾子が声を上げたのが聞こえ、目を開け視線を戻してみれば、ドクロッグは既にオーダイルの脇へ身を躱し、力強く握られた拳についた、紫色の棘を突き刺した。ボディブローみたいだ。
苦悶の表情を浮かべたオーダイルだったが、その強固な顎を食いしばり、追撃を嫌って腕を後方へ薙ぎ払う。
当たるかと思えたが、ドクロッグもまた一足飛びにそれを躱す。
「ハイドロポンプ!」
相手のトレーナーが叫んだ。飛んで躱したドクロッグは、まだ体勢が整っていない。避けるのは諦め、腕を十字に構えて、耐えるつもりだ。
「ドグロッグに水技じゃ、だめかも」
綾子が呟いた。あの水の勢いに当てられたら、大概のポケモンはダメージを免れない気がするが。
「どうして?」
「ドグロッグの特性がかんそうはだなら、水技を吸収して自分の体力に変換出来るの」
へえ、と素直に関心する。本当に綾子は詳しい。ポケモンの特性まで語って、バトルトレーナーみたいだ。
「かんそうはだじゃなかったら?」
「ダメージは大きい」
バトル場では、厳しい表情でドクロッグがオーダイルの放つ水流に耐えている。あの様子だと違うらしいが、いくら特性がかんそうはだでも、少しでも力を抜けば激流に飲み込まれ、そのまま壁に叩きつけられそうだ。
押し切れないまでも、ダメージを確認出来た事で良しとしたのか、オーダイルは水流を止め、再び突進する。
ぐらついたドグロッグに向かって、今度は顎を大きく開き、袈裟切りの如く鋭い歯を斜めに落とす。
今度は目を逸らさなかった。
「どくづき!」
里中さんの声。どういう指示かは分からない。激しい水流によるダメージで怯んだところへ、鋭い顎の一撃が襲い掛かっているのに、里中さんの指示は恐らく攻撃の一手。
決まったかと見える刹那、僕には、ドクロッグがニヤりと不敵な笑みを浮かべたのが見えた気がした。
ダメージはどこへやら。上体を逸らして顎の一撃を躱し、身体を回転。勢いそのまま、今度は肘をオーダイルの横っ腹に差し込んだ。一瞬で苦悶の表情に変わり、脇腹を抑えて片膝をついた。同じ個所への連続ボディ。いや、レバー? オーダイルの肝臓がどこにあるのかは知らないが、あんなもの二発も食らったら、悶絶どころの騒ぎじゃない。
追撃の手は止まなかった。
「どくどく! 突き!」
里中さんの指示とほぼ同時にドグロッグはその胸のふくらみを大きくし、勢いをつけ、どくを吐いた。
里中さんがどく、と言ったからどくなんだろう。浴びてはいけない、害のありそうな濃紫の液体だった。身体いっぱいにどくを浴びたオーダイルだったが、同じ個所への強烈な一撃が効いていて、まだ体勢を立て直せない。
ボクシングじゃないのでカウントはない。ドクロッグに容赦はなかった。どくのかかった身体。さっき二発目を食らわせた部分に、今度は溜を入れた一撃。力の籠った拳を、棘を、どくを、あらん限り奥へ届かせるように、食い込ませる一撃だった。波打つ衝撃と、一点集中の鋭い棘がオーダイルを苦悶の表情に変える。
ドクロッグはここまで有利でも油断はしない。渾身の一撃を入れるとすぐに距離を取り、オーダイルの様子を伺って構えを解かない。
誰がどう見ても、勝者はドクロッグだった。例えオーダイルが立ったとしても、どくが回るのを待ち、ヒットアンドアウェイを繰り返せば終いだ。
「すごい」
素直な言葉が口から漏れる。小さい生き物が巨大な怪獣を鮮やかに殴り倒したその光景に、興奮を感じずにはいられなかった。
ハイドロポンプのダメージはなかったのか? 特性とやらは? 感想に困るかも、と思っていたが、聞きたい事は山ほどあった。
「里中さん、強いね。あのドクロッグも」
綾子も驚いている。表情は崩さないが、華麗なバトルに昂っている様子で、ガラスに手を押し付けた。
相手トレーナーが降参し、オーダイルの元へ駆け寄る。ドクロッグは勝ち名乗りをあげるように、右腕を突き上げた。
里中さんは特に喜ぶ様子も見せず、何かを考え込むように俯き、両手を腰に当てた。
顔見知りもいるのか、素直にバトルを褒めたのか、観覧席ではちらほら拍手が鳴った。
初めてこんな真面目にポケモンバトルを見て、単純に興奮した。流行る訳だ。