【二十四】
「なるほどね。珍しいケースだ」
カツラさんは僕の話を聞くと、腕を組んで考え込み始めた。うーん、と唸って目を瞑っている。やはり難しいのかもしれない。
里中さんは挨拶だけ片言で済まして、カツラさんの横で固まっていた。
綾子はケーシィの事を考えてくれているのか、期待を込めた視線でカツラさんの様子を伺っている。
「同じようなケースは、私も知っている。だがね、それを即座に解決する方法っていうのは、ないんだよ」
唸った果てにカツラさんから出てきた言葉は、非情に厳しいものだった。
「そう、ですか。でも、そうですよね。技を出せなくなったから、すぐに元に戻してくれなんて、そう簡単な話ではないんでしょうから」
正直妙案を期待していた、と言えばその通りなのだが、半分はそう簡単ではないだろうというのは分かっていた。いろいろ漁った時、その対処方法までいくつか調べていたのだが、大体が時間をかけていく方法しかなかったのだ。
「これは私の周りで起こったケースなんだが、君のケーシィと同じような状況に陥ったポケモンがいてね、その子は随分時間をかけて技を取り戻していったよ。何度も何度も技を見せたり、他の技を教えたりした。その子の故郷に連れていって、野生の中に戻したりした事もあった。最終的に、何が原因で技が戻ったかどうか、明確にはわからないんだ。いろいろ試していったら、欲しい結果に辿り着いたとしか言えない。同じ事を君のケーシィにやっていけば、いずれ使えるようになるかもしれないから、長い目で見てあげた方が良いよ」
長い目で見る時間は、あるだろうか。
「あの……カツラさん」
固まっていた里中さんが、探り探り口を開く。
「さっき貫太君にも話したんですが、技思い出し屋って、本当に噂通りの事をやってもらえるんですか?」
「お、君は彼らの事を知っているのか。ジムバッジもかなり集めているのかな?」
「バッジ集めは途中で諦めてしまいました」
「制限時間はないから、挑戦したくなったらまた始めるといいさ。私達はいつでもジムリーダーとして待っているからね。それで、ああ、技思い出し屋だったかな。あそこはね、多分貫太君のケーシィみたいな例には、対応出来ないと思うよ」
カツラさんは、当然かもしれないが技思い出し屋を知っていた。それも、知り合いかのように話している。事情にも詳しいのだろう。
「どうしてですか?」
「奴らはね、思い出し屋を謳ってはいるけど、明確に出せなくなった技を出させるところじゃないんだよ。使わなくなった技をバトルに使えるレベルになるまで熟練度を上げる事と、そのポケモンに眠っている潜在的な身体の使い方を教え込む事が商売なのさ」
「なるほど……だからバトルをするトレーナーにはそこそこ広まっているんですね」
「そういうこと。今回の場合は、技をいくつもいくつも覚えていく中で、テレポートの選択肢を切って使えなくなった訳じゃないだろう? 貫太君」
「そうですね。他の技が出せるのか確認した訳ではないのですが、テレポートが出来ないのは、間違いないとは思います」
「だったら、技思い出し屋は取り合ってくれないね。テレポートを使えない原因が精神的なものだとしたら、ケーシィが一番安らぐ場所を君が作っていく事の方が重要かな。心の安定が保てれば、ケーシィの様子も変わるかもしれないからね」
カツラさん程の見識を持った人でも、地道に色々試すしかない、という事を聞けただけでも収穫だ。技が使えるようになる、という道が絶たれた訳ではない。やれる事をやって行けば、結果は出るかもしれないということだ。
ただ、カツラさんが言っていた故郷に連れていく、というのは試せない。ケーシィがどこから来たのか、僕には分からない。
分からない事が、どうしようもなく悔しい。
「どうにもならない訳ではなさそうで、ちょっと安心しています。お忙しいところ、ありがとうございました」
「いやいや、大した事言えなくて申し訳ないね。全然気にしなくていいよ。そういえば、あれ以来大丈夫かい? 特に何事もないかい?」
心配して言ってくれている。それは分かるのだが、どうにもそうは思えなくて、僕は身構えてしまった。本当はその話をしに来たのではないか? 探りを入れに来たのではないか? そんな事を考えてしまう。
「ええ、言われた通り、夜はなるべく出歩かないようにしていますし。今のところは、特に」
「そうか。それは何よりだよ」
カツラさんは優しい微笑みを浮かべる。内側に秘めた暗い顔がある気がして、僕は目を合わせられなかった。なんて失礼な事をしているんだろう。
「え、何かあったのかい?」
身を乗り出して僕とカツラさんを交互に見つつ、里中さんは言った。
「ちょっと怖い目に合いまして」
流石に何があったのか気になるのか、綾子も無表情を僅かに崩して僕に視線を送ってくる。
「貫太君。君、周りの人に何も言っていないのか」
三人の視線を浴びてしまった。わざわざ言う事でもないと思っていたのだが、視線に耐えかねて、襲われそうになったんですよ、と口をついた。
「襲われそうって、誰に?」
珍しく綾子は興味を示した。
「それは分からない。ただ、追いかけられた」
追いかけられた、か。僕の言った事をそう小さく反芻して、里中さんは急に興味を失ったかのように椅子に背を預けた。
「最近物騒な事件も多いからなあ。いやあ、無事で良かった良かった。カツラさんは何故その事を?」
「貫太君が血相を変えてタマムシの繁華街を走っているものだから、気になって声を掛けたんだよ」
「なるほど、それで貫太とカツラさんが知り合いだったんですね。合点がいきました」
今日一番、綾子が納得の表情を見せた。
三者三様の反応である。僕が襲われた事に、こんなにも人が興味を示してくれるとは思わなかった。平坦な人生を送っていたものだから、なんだかこんな風に心配される事に慣れていなくて、どぎまぎしてしまう。まさか綾子がこんなにも心配そうな顔をしてくれるとは思わなかった。
「ま、まあ、僕達の事はいいんですよ。何もなかったですし、元気にしていますから」
ご心配、ありがとうございますの一言でも言えればよかったのに、僕の口からその言葉が出るには、心配され慣れてなさ過ぎた。人間関係の浅さが、こんなところに出るとは思わなかった。
「いやいや、言えるんだったらそういうのは人に言った方が良いよ。自分で対策出来ていると思っていても、案外そうじゃない事もあるからね」
里中さんの言葉に、カツラさんもそうだよ、と声を合わせる。
自分が犯した罪にずっと悩み続けているのは、人に言えないからなのか。いや、だからと言ってぺらぺらと言える話ではない。
それに、この悩みは”解決”する悩みではないのだ。
「それより、どうなんですか? 捜査の方は」
カツラさんはううむ、と唸って渋い顔をする。
「金品を狙うわけでも、珍しいポケモンを狙うわけでもないからね。なかなか絞りづらくて難しいというのが正直なところだよ。分かっているのは弱いポケモンを狙うという事だけ。なんとしても早く見つけたいところなんだが」
難航している、という事だろうか。
モンスターボールごとポケモンを奪われる人もいるし、ポケモンだけを奪われる人もいると聞く。一体どうやって奪っているのか分からないが、そんなにバレずに毎回誘拐出来るものだろうか。
警察も警戒中だし、カツラさん達トップトレーナーも見張っている。それを全てかいくぐってあざ笑うかのように犯行を続けているのは、一体どういう事だろう。
「まあ、進んでいないという事はないよ。市民の皆様には早急な逮捕が出来なくて大変申し訳ないが、前にも言ったように時間の問題だね」
カツラさんは最後にあやふやな言葉で締めた。詳しい操作状況や内容を一市民にいちいち喋る訳もないので、大した情報は得られないだろう。
「捕まるかどうかは横に置くとして、どうして燃やしているんだと思います?」
里中さんが机に両肘を付け、興味深々な顔をして身を乗り出す。
「燃やすメリットがあるとは思えない。燃やしたいという気持ちが一番先頭にあるとすると、それは一体どんな気持ちだろう。征服感かな。燃やした時の臭いが、苦しくて蠢く姿が、どうしようもなく堪らないという事なんですかね」
どきんと胸を打つ音が聞こえたようだった。
僕があの記憶を思い返す時、何故あんな事をしたんだろうといつも考える。どうにか無理矢理説明をつけようとすると、決まって出てくるのは燃やす事に楽しみや征服感を覚えていたからというものや、言葉では形容し辛い変わった高揚感を覚えるというものだった。おぞましい感情なのだが、そうでも言わないとどうしても説明がつかない。
そこまで考えて、僕は毎回自己嫌悪に陥る。今でこそおぞましいと思えるのだが、下手をするとそういう感情に陥る自分がどこかにいるのだと思うと、どうしようもなく怖くなる時があるのだ。
そんなはずはない、僕はそんな事しない、といくら言い聞かせても、行った事実だけが重くのしかかる。
「征服感だけでそこまで行きつくんだとすると、後から色々な問題が出てきそうだね。カントー地方はバトルにおいては先進的だ。とにもかくにもポケモンバトルの強さは重視される傾向にある。それはかの有名なレッドやグリーンが現れてから如実に顕著な事実だ。そうなると、反動で行き詰ったトレーナーがとんでもない方向に行ってしまう可能性だってある。私達は、この土地の在り方や、ポケモンと人との在り方を考え直さなくてはいけなくなるのかもしれない」
カツラさんはそれだけ言うと、悪いけど思ったより時間がなくてね、申し訳ない。と席を立った。好きなだけ食べていきなさい、私につけておくから、と僕には一生かかっても言えなさそうな台詞を残して去って行く。
席には、カツラさんの残した言葉だけがじんわりと残っていた。
在り方を考える。それはとてつもなく大きな出来事が起こった時、往々にして出て来る言葉だと思う。
僕の中でそれはずっと考え続けるべき事であり、今回の事件をニュースで見た時から差し迫った問題に感じている。
里中さんは、何を思ってこの話をしているのだろうか。
「その通りの理由なんだとしたら、里中さんはそれをどう思いますか?」
「そういう人もいると簡単に片付けるのは簡単だ。だけどそうじゃない。起こった事象には何等かの理由がある。それを考えなくてはいけない。俺もそう思うよ」
だけどね、と里中さんは続けた。
「理由はどうあれ、燃やす行為に至ったその瞬間はきっととてつもないカタルシスに包まれているんだと思う。なんとなく、そう思うね」
そればかりはもう本人に聞くしかないし、そう感じられる人間は、異常者として生きて行くしかないのだろう。
僕は違う。違うんだ。もう一度自分の中でそう言い聞かせ、そうかもしれませんね、ともうこの話は切り上げようとした時、隣の綾子が突然立ち上がった。とてつもなく不快そうな顔をして、僕と里中さんを睨むと、お先に失礼しますと言い残して突然去って行く。
僕等の引き止めにも一切耳を貸さない。
「あれ、なんか気に障るような事言っちゃったかな」
「わかりません。でも、気に障っていなかったらああいう態度にはなりませんからね。僕の方から里中さんの分も謝っておきます」
「悪い。助かるよ。俺も次会った時にきちんと謝るからさ」
挨拶もそこそこに、少しも歩を緩めない綾子を追いかけた。