【十八】
「前に一度、友達と飲んでるって言わなかったっけ?」
言われたのはいつだったか。何かの拍子に質問してしまった僕に、綾子が一度答えたのは覚えている。その時は、あまり気負わず聞いたのが良かったのか、自然な流れで綾子は返答してくれた。
「言ってたけど、随分多くなったから」
「そうだね、多くなった。それで?」
綾子の表情は変わらない。何かを隠すようなその表情が、今の僕には少しだけ寂しかった。
「多くなったら、何かあるの?」
「何もない。何もないんだけどね、どうしても、気になっちゃって」
いっそのこと、もっと大層迷惑そうな顔でもしてくれればいいのに。綾子は表情一つ変えないから、僕はだんだんどうすればいいのかわからなくなってきていた。
「今までそんな事ほとんど聞かなかったのに、どうしたの?」
「どうしたって言われると、何て言ったらいいのかわからないんだけど」
「理由がないなら、聞かないで」
強烈な拒絶がそこにはあった。それ以上、問い詰める事など出来ない。聞かれたくない事を、無理に聞けない。僕と綾子は、ただの友人。それ以上でもそれ以下でも、きっとない。
「理由がいるなら、他にも聞きたい話がある。僕がケーシィと一緒にいる事を、店長が知ってた。これを話したのは、綾子だよね?」
「それは、そう」
「綾子こそあんまり人の話をするタイプじゃないと思うけど、どうしたの?」
「どうしたって、言ってはいけない事だった?」
誰々がポケモンを持った。それにどんな不都合があるのか。ありふれた世間話の一つに過ぎない。そう言われたら、その通り。
「権田さんが貫太はどうしてポケモンを持たないんだって話を振ってきたから、なんとなく話したの。貫太がポケモンを持つなんて、私これでも結構驚いているんだから」
「そっか、そうだよね。別におかしな事じゃないか。ただ、綾子が人の話をするなんて珍しいと思ったから」
「私だって……そういう時くらいある。誰彼構わず、言っている訳じゃない」
よくよく考えれば、綾子が店長に話をする事自体は、別におかしなことではない。口止めをした訳でもないのだから。
「そっか、そうだよね。ごめん。聞かれたくない事聞いたり、変な質問して」
「いいよ。気にしてないから。話せるようになったら、話すかもしれないし。私も案外、気まぐれだから」
僕に気を遣ってくれているんだな、と思った。その優しさが、僕を救ってくれる。
「それより、ケーシィの事。この子、本当にテレポート出来ないんだと思うよ。私、野生のケーシィがテレポートするところも、バトルで技を出すところも見たことあるけど、どの子も皆簡単そうにやってた。出来ない事がこの子の個性だっていうならそれでも良いと思うけど、何か理由があって出来ないんだったら、私もどうにかしてあげたい」
綾子はその白く細い手で優しくケーシィの頭を撫でた。気持ち良さそうに鳴いて、大人しくしている。
「そうだね。僕もどうにかしてあげたい。でも、その知識も経験もないんだ。どうしたらいいのかまったくわからない。こういう時は、病院に行けば良いのかな」
「正直、私だってそんなに詳しい訳じゃないからなんとも言えないの。貫太、ポケモンに詳しい人って知ってる?」
「知ってると思う?」
「そうね。知ってるはずないか。私も交友関係狭いから頼れるところ少ないけど……」
綾子の話している途中で、ふっと一人の名前が頭をよぎった。「あっ!」と僕が大きく声を上げたものだから、綾子もケーシィもびっくりして目を丸くする。
「な、なに突然。大きな声を出して」
「気が進まないんだけど、一人、もの凄く詳しい人がいる」
「誰?」
「カツラさん」
「カツラさんって?」
「カツラさんは、カツラさんだよ。ジムリーダーの」
「ええ!」
僕が見た、綾子が一番驚いた声と表情だった。
「な、なんで、そんな有名人を知ってるの?」
「ちょっと色々あってね。連絡先、知ってるんだ」
「最近は随分驚かせてくれるのね。何がどうなったら貫太とカツラさんが繋がるのよ」
綾子が驚くのも無理はない。僕と対極に位置する人だ。繋がったのはただの偶然。でも、この繋がりを頼るに越したことはない、のだが。
「ただ、さっきも言ったけどあまり気が進まないんだ」
「どうして?」
「気になる事があってね。僕の思い違いだとは思うんだけど」
「でも頼れるところ他にあるの?」
「ない」
「じゃあ、頼ってみるしかないね。一番可能性がある。もしかしたらカツラさんからまた他の人を紹介してくれるかもしれないし」
確かにそうだ。カツラさんからまた他の人に繋がってくれるかもしれない。
「しょうがないか。連絡してみるよ」
尻ポケットから財布を取り出して、差し込んでおいた名刺を取り出す。あの時以来だった。
思い過ごしに間違いない。小さく独り言ちて、名刺に書かれた名前を眺めた。