二章
[2-14]
 ナオトが死んだのは何故だろう、なんてことを考える余裕はなかった。ただ僕はそこに立ち尽くし、呆然としていた。どうでもいいと思っていた僕でさえこうだから、はるこはもっとショックを受けているに違いないと思ったけれど、ふと気づいた瞬間にははるこはもと来た穴の中を走り、梯子を勢いよく登っていった。僕もそこでやっとナオトの死体から解放される。ふっと視線がずれて、僕はもう一つ、何かが横たわっているのが見えた。これ以上もう何も見たくないと思いながらも、僕はそれに吸い寄せられるように歩く。ナオトとは少し離れた穴の奥。もう、うまく言葉に出来ない。
「サワムラー……」
 きっと、ナオトを守るために闘ったのだろう。
 その傷がうつ伏せに倒れている体中から見られる。誰が見てもわかるくらい、絶命している。
無口でどっしりと構えているサワムラーは、きっとずっとナオトと一緒にいたのだ。何も言われずとも、身を挺して必死に守ったに違いない。
 もういい。もうこれっきりにしてくれ。こんなのはもう嫌だ。
だんだんとここにいるのも耐えられなくなり、僕もはること同じように駆け出す。地に足がついていないような感覚だった。走っても走っても後ろに戻されるみたい。それでもなんとか梯子に辿り着く。掴んだそれは、ひんやりとした。さっきは感じなかったのに、今はやたらと冷たく感じられる。ナオトとサワムラーの死体が頭を一瞬よぎった。頭をふってそれをかき消し、一心不乱に梯子を駆け上がった。
穴の外に出ると、まだカビゴンが大きな声を出していた。そういえば穴の中にいたときは聞こえなかった気がする。僕はカビゴンの鳴き声が耳に入らないくらい、あんまりにもナオトに気を取られていたらしい。
カビゴンの鳴き声が僕を揺さぶる。お前のせいだと糾弾されているようで、ここからも逃げ出したくなる。やめろ、僕のせいじゃない。僕は悪くない。違うんだ。思わず耳を塞いでしゃがみ込みたくなる。ここから早く抜け出したくなる。
けれど、駄目だ。
こいつを、処理しないといけない。僕はモンスターボールを腰のホルダーから一つ取り出し、そのスイッチを押した。小柄ながら僕のために尽くしてくれる、大事な仲間。赤い光に包まれたシルエットが僕の目の前でだんだんとその姿を形成していく。
「メル。こいつに歌ってくれ」
 こくりと頷いたメル――ムウマ――はフワリと浮遊し、その口から滅びの歌を歌い始める。身体全体が震えるような歌声が僕を包む。聴いている相手を気絶させ、状況によっては相手を絶命させる歌だ。しかしメルの歌は意図的にそれを伝えようとする先にしか伝わらない。今メルが歌う先は、もちろんカビゴンだ。しかしこの歌を聞いているだけで、今の僕には十分効果がありそうだった。動揺が大きく増幅されている気がする。ゴーストポケモンの扱いは難しい。トレーナーの気がしっかりしていないときはこっちが参ってしまうこともある。
でも今はそんなことを言っていられる状況じゃない。物理的にこのカヒゴンを倒すなんてことはしたくはない。せめて眠るように倒れて欲しい。
「やりすぎちゃだめだ。あんまりやると、死んじゃう」
僕と同様、いやそれ以上ににカビゴンは動揺している。それだけじゃない。こいつは悲しんでいる。泣いているんだ。人よりもずっと大きい粒を垂らし、泣いている。メルには嫌な役回りをさせてしまう。申し訳ない。
ナオトを見ながらニンマリ笑い、喜んでポケモン達のアスレチックになって楽しんでいるカビゴンのこんな姿は、あまりに残酷だった。
歌は続く。叫び声がだんだんと小さくなってくる。声が掠れ、落ち行く意識と大きな悲しみに耐えている。頭をふって必死に叫んでいる。もうやめろ……ナオトはもう……。
「メル! もういい! ストップだ!」
僕でも少し辛くなってきていた。カビゴンがこれ以上もつわけがない。メルの歌がさらに高く響いたところで、カビゴンは突然ぷっつりと静かになり、横倒しとなった。重苦しく響いたその音が歌の終わりを告げ、辺りは静かになる。
 野次馬がいつの間にか増えていた。皆黙ってこの光景を見ているだけだ。
「アキ! 」
そんな中を、はるこがかき分けて入ってくる。どこへ行っていたのか、慌てている。
「だめ。この辺りにはもう怪しい人はいないよ」
「当たり前だ。そんな簡単に見つかるわけないよ」
はるこは落ちつきなくウロウロする。焦っても意味ない。だめだよはるこ。僕らにはもうどうすることも出来ない。
「なんで立ってるだけなの! いるだけなら帰って」
はるこの焦りが野次馬に向かった。はるこらしくない。そんなやつら、気にするなよ。
「はるこ、まずはナオトとサワムラーを運んであげよう。このカビゴンと一緒に」
「サワムラー?」
「そうだ。あいつも、死んでる」
 慣れない言葉が飛び出したからか、野次馬は一瞬どよめく。それでも誰も動かない。
「違うよ! ……そうだ、早く、助けなきゃ!」
そう言って再び穴の中へと入ろうとするはるこの右腕を、僕は掴んだ。
「離して!」
 暴れようとするはるこを押さえつける。その体は震えていた。いつもの自身たっぷりな感じはどこにもない。ただ、人の死を恐れている。
「だめだ! はるこ、お前強いんだろ。自分にも負けないんだろ。まずは冷静になれよ。ナオトもサワムラーももうだめだ。お前なら、ナオトを見ただけでわかるだろ」
自分より冷静じゃない人がいるおかげで、僕もかろうじて落ち着いていられるだけだ。
「でも……でも! 私が逃げたばっかりにナオトが! だから助けなきゃ!」
「何言ってるんだお前」
「だから、私のせいでナオトが!」
その言葉で、僕はふっと体の熱が引いていくのを感じた。掴んでいたはるこの手を無造作に話す。何かの引き金が引かれた気がする。 いつもなら聞き流せたかもしれないが、今は、それが僕の中にどすんとのしかかってくる。私のせいだって……? なんだよそれ。
「アキ、はやく行こう!」
 うるさい。
「……思い上がるのもいい加減にしろよ。お前のせいで死んだなんて言うな。ナオトはナオト自身の意思で動いたんだ。やらなきゃいけないと思って動いたんだ。お前なんて関係ない。あいつはあいつのせいで死んだ。サワムラーはナオトを守って死んだ。無駄死にみたいに言うな」
強いものが周りを振り回すのは当たり前かもしれない。はるこが逃げ出したせいで、ナオトが追ってきて、失敗して、殺された。確かにそうなのかもしれない、でも、そのせいでナオトが死んだなんて、あんまりだ。
「僕だって、お前のせいで死ぬとか、危険な目に合うなんて思ったことはない」
「でも……」
「でもじゃない。いいから行くな」
手を離しても、はるこがそこから動くことはなかった。
僕もナオトのように殺されていたかもしれないことを考えると、ますますナオトが僕と重なった。僕とナオトはどこが違ったのだろう。何がこの差を分けたのだろう。どうして僕は、殺されないのだろう。
ナオトは僕よりも純粋で、きっと才能もあったはずだ。それに人懐っこく、ポケモンにも好かれていた。根暗な僕とは大違いだ。
「お前がいまやらなくちゃいけないのは、慌てて助けようとすることじゃない。黙ってあいつらを葬ってやることだ」
はるこはそのまま地面に崩れ、そのままがくりと首を垂らす。
なんだか変に落ち着いたおかげで、一気に頭が働きだした。するとだんだんと腹が立ってくる。ナオトを殺したのはきっとその村のやつだろうけど、何故殺すまでする必要がある。ナオトが今から何をしようと、それはとるに足らないことだろう。そのじいちゃんが大きな力を持っているなら、ナオトなんてどうにでも出来たはずだ。何故突然殺したんだ。
 今考えたって僕にはわからない。とにかく今わかることは一つ。
人が死ぬのは気分が悪い。それが誰であってもだ。
 もうこんな事は終わりにしなきゃいけない。こんな茶番劇はおしまいだ。もういいじゃないか。
「おい。そこで蹲っている暇はないぞ。終わらせろ。こんなのはもうたくさんだ」
 ――サエさんの苦悩。
 ――ナオトのどこも見ていない瞳。
 これから先もこんなことが続くなんて、それでいいわけない。
「終わらせる……?」
 ぼうっと、力が抜けたような顔ではるこは僕を見上げる。
「逃げていてもきっと同じことの繰り返しだ。また誰かが死ぬ。その前にやっぱりお前は戻れ」
「わかってるよ。私も、戻らなきゃいけないと思ってる」
 そうだ。はるこは、自分を追って来る自分と同郷のやつが傷つくのを我慢していられる程冷たくない。 嫌っていうほどお人よしで、憎たらしいくらい優しい。こんなこと、元々いつまでも続けられるはずがなかったんだ。
「それに、弔い合戦もしなきゃいけないからな」
 何か決心がついたのか、はるこはゆっくり立ち上がって僕と目を合わせた。こくんと頷いて、はるこはギュっと両手を握りしめる。
 覚悟を決めたか?
「もちろん僕も行くぞ。今更ついて来るななんて言うなよ」
「うん。わかってる」
 再び僕と目を合わせ、はるこは頷いた。

 そろそろ茶番劇に幕を下ろそう。嘘にまみれた空を晴らそう。狭い空はもう飽きた。越えたくないラインまで来てしまったんだ。
 僕が本当は何をしたいかなんて、そんなこと結局のところはまだわからない。それでも、やらなくちゃいけないことは僕でもわかる。このままじゃいけない。それは確実だ。村に戻って何がどうなるか。村の全員から裏切り者として八つ裂きにされるか、どうにか戻るように説得されるか、いろいろ考えることはある。考えなきゃいけないことはいっぱいだ。
「でもまずは、ナオト達が先だな」
「うん」
 クチバの風が僕らには恨めしいほど冷たく感じられた。
 ふと空を見上げる。何もない広い空間が広がっている。それでも僕の目はこれを見ていない。広い広い空の中の、ほんの一部しか見ていない。はるこもそれは同じ。狂った村に縛り付けられ、狂った風習に従い、そこから逃亡を試みたけど、やっぱり抜け出すことは出来ないようだ。損な性格だけど、ここで関係ないからと逃げ出してしまう方が気に入らない。こっちの方が、僕は好きだ。
「気に入らないなあ。こういう展開は、気に入らないよ」
 僕らの話を聞いたからか、誰かが呼んだらしい救急車の音が聞こえる。ジュンサーさんもそろそろ駆けつけるころだろう。
 だんだんと近づいていてくるその音が、僕には合図の音にしか聞こえなかった。
 越えちゃいけないラインを越えてしまった。もうタイムリミット。危険信号の合図だ。ナオトが殺されたことには、きっとそういうメッセージが含まれている。
「はるこ」
「うん?」
「ナオトはな」
 あれだけ言ってあげたくなったけど、昨日僕の目の前で堂々とはるこが好きと言い放ったナオトのことを思い出したら言えなくなった。こればっかりは、僕が言ってもしょうがない。意味がない。
「いや、なんでもないよ」
「そっか」
 ナオトはきっと自分が殺される可能性をちゃんとわかってた。あのカビゴンだってうまいこと逃がそうとしてああなったに違いない。
 それでもはるこの側を離れて村へ帰ろうとしたんだ。それくらいの決心だったんだろう。その第一歩でくじかれてたんじゃあ、本当に無念だ。そうだろうナオト。
 これからだってときに、まったくどうしてこうなった。
 仕方ないから、ナオトの役目は僕が引き継ごう。
 いいだろう? 僕がちゃんとやってやるよ。
 後は僕に任せてお前は休め。バトンタッチだ。
 だからお疲れ様。それと、おやすみなさい。

 




早蕨 ( 2012/12/08(土) 16:59 )