二章
[2-13]
 僕とはるこはほぼ同時に朝を迎えた。少し寒い朝だった。体に寒さが染みてくる。
 それにしても、珍しいこともあるものだ。はるこは何かないと基本的に寝坊だ。起きるには早すぎる。僕と一緒に目を覚ますなんて、今日もなにかあるのか?
「おはよう、はるこ」
「おはよう」
 ベッドから顔を出したはること挨拶を交わしたとき、僕は気づいた。ナオトがいない。荷物とともに、消えている。病室にいたときの、感じではない。これは、本当にもう行ってしまったということか。
「はるこ、ナオトがいない」
「……行っちゃったんだ」
「そうみたいだな」
 違和感のある朝。何故だ? ナオトがいないから? いや違う。僕にとってそんなことはどうでもいいはずだ。じゃあなんだ? 何で同時に目を覚ました?
 ふと、部屋につけてある時計を見上げる。窓の横だ。何時? 
「五時一五分?」
「え?」
 はるこも、僕の呟きに気づいて時計を見た。確かに、五時だ。早い。なんでこんなに早く目がさめた。外はまだ暗い。いや、うっすらと青空もどきのようなものが顔を見せた程度。
 おかしい。何かおかしい。
「……ねえ、アキ、何か聞こえない?」
 はるこが窓の方をみて怪訝な顔をする。そのままベッドを下り、窓を開ける。そこで、僕にもわかった。なんだこれ。サイレン? いや、全然違う。なんだ、声か?
「これ、ポケモンの叫び声だよ」
 僕もベッドから出て、はるこの後ろに立って窓の外を見た。
「なんだか、騒がしいな」
 こんな朝っぱらだというのに、人がちらほら出ている。一定の方向に全員で動いている。何かを見に行っているのか。不気味な光景だ。
「行ってみよう」
「うん」
 僕とはるこは寝巻のまま、外へ出る。なんだか早く行かなければならない気がした。はるこも同じなのかもしれない。小さな焦燥の火が僕の中で蠢いた。
 ポケモンセンターの外に出ると、不気味さはさらに強くなる。港町だから朝が早い人も多いのかもしれない。それにしてもこれはちょっと異様。原因はこの先にあるのは明らかで、僕達も、同じ方向に歩くことにした。
 声は大きくなっていく。野太い声、いや、叫びか。クチバシティに響き渡るこの声に、皆が誘われている。
丁度ディグダの穴の前のところで、人だかりができている。焦燥の火が大きくなってきた。嫌な予感がする。見に行ってはいけない気がした。せめて、僕だけで行った方がいいのかもしれない。次の瞬間には手がわずかに震えを感じた。恐怖? 焦燥? 違う違う、これは寒さからだ。僕は何も感じていない。何も思っていない。何も予想していない。鬱々とした感情が湧きあがってくる。止まれ。やめろ、来るな。なんだこれ。違う、絶対にそんなことない。そうだ現実じゃない、これは夢だ。夢だ。覚めろ。冷めろ。冷めろ。覚めろ!
 人だかりのところまで来てしまうと、もう僕は止まれなかった。はるこは着いてきている。置いてきた方がいいのかもしれない。しかしそんな余裕が僕にはなかった。この重く鈍重な叫び声が僕を引き寄せる。
「ちょっとすいません……」
 人をかき分け、押しのけ、中へと入っていく。焦燥の火が大きい。
ディグダの穴の前に、僕達は辿り着く。そして見た。知っていた。感じていたんだ。眠りの中で、きっと僕達は感じていたんだ。
「アキ……この子って」
「ああ」
 ナオトの、カビゴンだ。悲しそうに、多く口を開けて空に叫んでいる。まるで、助けてくれ、とでも言うかのように。
カビゴンの隣には、壊れた紅白のモンスターボールが転がっている。あれは僕のあげたボールだ。……なんでこんなところに?
僕はもうそれ以上先に行きたくなかった。どうでもいいと言いながらも、こんな結末は嫌だった。僕は知っていた。知っていた? 何を知っていた? こうなるかもしれないことを知っていた? 酷い目に合うと聞いていたから? はるこが、そう言っていたから? 駄目だ。考えるな。何も考えるな。そうと決まったわけじゃない。僕は何も知らない。何も知らないんだ。
「行こう、アキ」
「ああ」
 僕達は止まれない。そのまま穴の中に入り、人口的に作られた梯子を下りていく。不思議なことにこの穴は北西のニビシティまで続いている。大きく広く、人が悠々通れるのだ。交通に良いと、人間達が降りやすいように梯子をつけ、利用し始めた。雨が降っても利用できるようにと、穴の入り口周りに、プレハブのようなものまで立てはじめる始末だ。
 そう。大事なところは、人が利用しているというところ。
人間が、利用を、始めた。そこだけだ。 
カンカン、とその梯子を下りていく。下りてゆくごとに、心臓が大きくなっていた気がした。焦りで手が滑る。地獄に降りていく感覚。なんでわざわざこんなところに。
僕達は梯子を下り終え、大きく舗装までされた穴の中へと入った。ぶるぶると震える手は、現実。
穴の中は小さなライトが等間隔でひたすら取り付けられている。歩くとかなり長い距離だ。先が、見えない。僕達は視線を遠く遠くに凝らす。ふとその間に、転がっている何かを発見する。僕達は吸い寄せられるようにそこへ歩きだした。行っちゃだめだ。行っちゃだめだ。見ちゃいけない。進んではいけない。そんな気持ちとは裏腹に足が勝手に進んでしまう。
「ああ、あ、ああ、ああああ、あ、アキ」
 その物体を前に、はるこは震えた声を出しながらも、じっとその物体から目を逸らさなかった。
「……これは、ないだろ」


(ただ、もし言えるとしたら、もし俺が全部終わらすことが出来た、そのときだ)

 
決意を固め、覚悟を決めたあの表情。はるこを好きだと言ったナオトの顔は、本気だった。少年の、本気だった。

 

ナオトは、死んでいた。

早蕨 ( 2012/11/15(木) 00:10 )