二章
[2-9]
 バトル場は、まだ緊張感のある静けさに包まれていた。少しも反撃出来ずに気絶したナオトは、ピクピクしたまま起き上がらない。サワムラーも完全にダウンだ。はるこはただ、黙ってその方向を向いている。息一つ乱れていない。
 この雰囲気がなんとなく良い心地で、僕はその光景をじっと見つめていた。誰も動かない、醜い欲望と蠢くしきたりの中で。
「連れて行くよ」
「殺しては、ないのか?」
「あたりまえだよ」
 そう言って、はるこはメタモン達にへんしんを解くよう指示を出していく。バトル場を包んでいた強張った雰囲気が溶けていく。グニャグニャと形を変え、元の色と形に戻ったメタモン達は、はるこの元に寄り集まってくる。それだけで、恐ろしい程にはるこに近づくのは難しくなる。いったいこいつらはどれだけのポケモンの形状や能力、技を記憶しているのだろうか。
「でもナオトのやつ、当分動けなさそうじゃないか」
「大丈夫。思いっきりはやらせてないし、やらなかった。それに、ナオトも鍛えてあるから」
 僕にはとても大丈夫そうには見えなかったが、はるこがそう言うなら大丈夫なのか?
「アキ、サワムラーの方をお願いできる? 私は、ナオトを連れて行くから」
「わかった」
 僕は倒れているサワムラーの両手を持って背中に背負い、はるこは片手で肩にナオトを担ぐ……ことは流石になかった。はるこの左腕についた一匹のメタモンが、何かの腕に変身する。あれは、えっと……なんだ? 白い腕? あんなポケモンいたか? 僕はその腕を持つポケモンを頭の中で考え続けたが、そんなポケモンは知らなかった。僕が知らないポケモンなんて、そうそういないような気がするが、世界は広いのかもしれない。まだ見ぬポケモンがいるのかも。そう考えると、はるこはいったいそのポケモンとどこで出会ったのだろうか。ろくに外にでも出たことがない奴が、なんでそんなポケモンを?
「行こう」
「ああ」
 その白い腕一本ではるこは力強くナオトを抱え、スタスタとバトル場を出ていった。その後ろ姿は、少女のそれではなかった。僕では近づくことさえ出来ない、そんな迫力がある。いらいらする気にもならない。僕はやっぱりそこには行けない。だから今の僕がある。これからもそうだし、僕は一生そうだろう。毎日毎日嫌になる。とぼやきながら過ごしていくのだ。僕程度には丁度いい生き方だ。
 背中のサワムラーは重かった。はるこが背負っているものはきっとこんな重さではない。それでもあいつはにへらにへらと笑っている。そのはるこがさっき僕らの前で見せたあの悲しそうな表情は、ひたすら重かった。僕はそれを見て、助けてあげたいと、ひどすぎると思ったはずだ。でも僕は今何を考えている? 何を思ってこのバトルを見ていた? 本当は何をしたいんだ? 僕がするべきことはなんだ? 僕は何に洗脳されてるんだ? 僕は一体、誰なんだ?


 結局ナオトもサワムラーも、大した怪我ではなかった。打撲や打ち身とかはひどいし、骨に少しばかりひびも入っているらしい。動けないというわけではなさそうだが、一週間は走り回ったり騒いだりするのは無理との話だ。ナオトはしばらくの間帰れなさそうだった。その間に僕達は町を出ようとはるこに提案したのだが、あっさりと「だめ!」と突っぱねられた。今ナオトの元を離れたらナオトが危ないそうだ。「それに、納得してもらったかどうかまだ聞いてない」はるこはそこが一番気になっているらしい。
 僕は正直もうナオトなんてどうでも良い。その村の者にどうされるのか知らないけど、後はもう勝手にしてくれ。それくらいどうでもいい。僕の興味はもうはるこにしか向いていなかった。
「ねえアキー。行くよう!」
「ん、ああ。ちょっと待ってくれよ」
 あれから二週間近くも経過している。ナオトの怪我は腕の骨のひびを除けばだいたい完治しているようだが、塞ぎこんでしまって僕達が病室に行っても何も喋らない。ジョーイさんにももう退院です。ポケモンセンターなのに人間がいつまでもベッドを埋めていては困る、と怒られてしまう始末だった。何がお前に負けたら納得できる、だナオトのやつ。何を考えているのかはわからないけど、ナオトと話がつかないとはるこは頑なにクチバから動こうとしないから、いつまで経っても同じ毎日が続く。
「ほら行くよアキ!」
「わかってるって」
 ここ最近、僕よりも朝早く起き、一番にナオトの様子を見にいこうとはるこは僕を起こす。向こうの決心がついたら向こうから来るだろうに。こんな朝早くからナオトのところに行く必要なんてあるのかどうか。
「早く早く!」
「先行っていてもいいよ?」
「だめ!」
「なんで」
「一緒に行くの!」
 はるこの言っていることが最近よくわからない。よくわからないけど、さっさと起きないといつまでもうるさいので、僕はベッドから這い出ることになる。まだドアの前でキャーキャー騒いでいるが、流石に二週間近くもこうしていると慣れてきた。右から左へ、左から右へと受け流せる。
 ベッドから抜け出し、はるこを外に出しておく。てきとうに着替え、歯を磨き、髪を整え、見繕ってから部屋を出る。「遅い!」とはるこが頬を膨らませるのを見る。ここまでルーティン化していた。なんだか随分と平和だ。はるこの口から出たあの重い重い話に比べたら、ふわふわした日々だ。ただナオトを待っているだけで、本当に何もしていないし、何もされていない。ナオトとあの青年以外には誰もこない。拍子抜けではないが、なんだか気が抜ける。何もないに越したことはないのだけれど。
 要するに、暇なのだ。はるこが頑なにここを動かないように、ナオトも頑なに口を開かない。となると僕はやることがない。朝ナオトの様子を見て同じように何も喋ってくれないのを確認すると、後はクチバをふらふらしているだけだ。
「はるこ。いつまでこんなことを続ける気だ?」
「ナオトがちゃんと話してくれるまで。きっといろいろ考えているんだよ」
「考えすぎだろ。そんなに考えることあるのか?」
「あるんだよ、きっと」
 港近くにある、海が見える喫茶店。その外の席に座りながら、僕は肩肘をついてストローでジュースをすするはるこを見ていた。この喫茶店も随分お世話になってしまっている。
「ナオトはあのことを知って、納得して、それでも村に戻るって言ったらお前どうする気なんだ?」
 はるこは持っていたジュースを持ちながら、「そうしたらね」とそのカップを僕の方へ向ける。
「どうにも出来ないよ。ここまで来てそう言うのなら、何も出来ない」
「ひどい目に合っちゃうかもしれないんだろ?」
「それでも、だよ」
「あいつがいきなりその村の外で生きていけるとも思えないけどな」
 閉じた世界で生きてきた少年だ。両親だって、友達だってあっちにいるのだろう。よく言っていたじいちゃん、というのも気になっているだろうし。とにかく、ナオトは一度戻ろうとするだろう。
「大丈夫だよ。外でも」
「どうして?」
「私が、大丈夫だから」
「はるこは、大丈夫なのか?」
「うん」
 嬉しそうに頷いて、はるこは言葉を続ける。
「私には、アキがいるから」
「そりゃどうも」
 足をパタパタさせて、はるこはご機嫌そうだ。ご機嫌なのは大変よろしい。
 こんなはるこを見ていると、今度ははるこを助けてあげたい、逃がしてあげたい、解放してあげたい、という僕が現れる。はるこの強さに、その村に縛られたはるこ自体に興味を持った僕とは違う僕だ。あっちへいったりこっちへいったり、なんだか自分のポジションが落ち着かない。ここ最近ふわふわした日々だと感じるのは、このせいでもあるのかも。
「さ、そろそろ戻るか。ナオトの様子を見に行こう」
「うん!」


 のどかな日々ばかりだと、少し怖い。この後に何が待っているのかと、見えない先を想像してしまう。僕がいて、はるこがいて、ナオトがいて、そんなにずっと静かな日々が続くわけもない。
「……あら、いない」
「ナオト、どこ行ったのかな」
 僕らが病室へ戻ると、ナオトはいなかった。どこかへ消えちゃったかな、と軽く考えながら、トイレにでも行ったのかなと考える。でも、病室で待っていようなんていう気は僕にもはるこにもなかった。ベッドが綺麗に整えられていたからだ。迷わず二人で部屋へ戻る。はるこは速足だった。部屋にいなかったらどうしよう。そんな様子がもろに出ている。僕は別にどうでもよかったのだけれど、確信していた。

 そのまま僕らは泊まっていた部屋へ戻り、戸を開けると、ナオトが窓の下に座っていた。
「遅かったな」
「遅かったな、じゃねえよ。遅いのはお前だ」
 この二週間はるこに言われ続けたセリフを、今度は僕がナオトへ投げた。
 はるこはナオトの元に駆け寄って、「もういいの?」と言葉をかけなながらしゃがみこむ。僕はベッド上段に寄りかかり、ナオトの話を待つことにした。ここまで来てまだだんまりを決め込むのなら、もうそろそろ僕達もここから動こう。
「悪いぞ。凄くいろいろ考えてたんだ。どうしようかどうしようか迷って、迷って、迷ったぞ」
「随分考えていたんだな。それで、答えは出たのか?」
「出たぞ」
「答えは?」
「戻るぞ。俺は村に戻る」
 予想通り、か。
「こいつの話はわかった。じいちゃんが嘘を言っていることも、納得もした。それでもやっぱり、俺は戻るぞ。じいちゃんと、話をつけに行きたい。皆を騙すのはやめようって、言いに行く。じいちゃんはきっとわかってくれる。ちゃんと話せば、大丈夫だぞ」
「大丈夫じゃないよ。絶対ナオトは、ひどい目に合う。殺されちゃうかもしれないんだよ?」
「それでもいい。それでも、わかってもらえるまで話すぞ。俺にはじいちゃんしかいないんだ。やっぱり、あの村とじいちゃんのところから離れるのは無理だぞ」
「本当にそれしかないの? ナオトは、本当にそれでいいの?」
「いいんだ。俺は村を中から変えていく。どうにかしてじいちゃんが皆を騙すのをやめさせる。そのメタモン達も、無駄な殺し合いをしなくても良いようにするぞ」
そこで一息ついて、ナオトはちょっと罰が悪そうに、そしてちょっと恥ずかしそうに頬を掻いた。
「全部解決して、お前も安心して村に戻って来られるようにしたら、全部謝るから、もう一度遊んで欲しいぞ」
 心の底から笑ってそう言うナオトの顔と、「うん!」と嬉しそうに頷いたはるこを見ていたら、お前が全部解決なんて無理だろ、なんて口を僕は挟めなかった。はるこもそれが無理だとわかっているはずだ。けれど、やっぱり何も言えない。
「いつ、出るんだ?」
「明日の朝には出るぞ。今日一日だけ、ここに居させて欲しい」
 ああでも、これでやっと、僕たちも動ける。
 なんだか今回は、いろいろありすぎた。

早蕨 ( 2012/11/10(土) 17:50 )