二章
[2-5]
「閉めろ!」
 その声に驚きながらも、僕は後ろ手でドアを閉め、周りを見渡す。
 ……ナオトじゃない。部屋の右側で、さっきと同じ位置にナオトが座っている。自信あり気な顔はどこへいったのか、動揺しきった顔がそこにある。はるこがその隣で立ったまま部屋の奥を睨みつけている。怯えるポケモン達。固まったまま動かない大人。怯えて頭を抱える子ども。
 部屋の奥には、カイリューの姿。その隣には老人の首を抱え、ナイフを向けた青年の姿が。「閉めろ」と言ったのは、あいつだ。
 なんだよ、なんだよこれ。
「さあ、そのメタモンを渡してくれないか? 早くモンスターボールに戻すんだよ。後、そっちの今入ってきたやつ。お前も動くなよ」
 先ほどの声とまったく変わらない、落ち着いている様子だ。はるこの方がいつもとは違っている。人質を取られて、焦っているのかもしれない。はるこの事だから、自分を責めて責めて責め倒しているだろう。それと同時にこの状況をどうにかしようと一生懸命考えているはず。さあ、僕は一体どうしようか。
「渡さないのかい? おじいさんがどうなってもいいのかい? 俺はやると言ったらやるよ?」
 そう言った青年が、おじいさんの首筋に軽くナイフを当て、横に引く。赤い筋が出来たのを見て、はるこが動いた。
「わかった。渡すから、やめて。お願い」
 今更だが、やっぱりはるこの手持ちは全てメタモンだった。皆で一緒に遊んでいたから、全て出しておいたのだろう。
 一匹一匹に「ごめんね」と声を掛けながら、はるこはメタモンをモンスターボールの中へ戻していく。
「それでいいよ。そのままそれをこっちに寄こせ。妙な事をしたらここに居る人間が死ぬよ」
 カイリューが体に響くような低い声を出して皆を威嚇する。この部屋の大きさが仇になったようだ。カイリューの二メートルを超える体でもゆうゆう動けてしまう。
「ごめんね皆。ちょっとだけ、我慢して」
 全てのボールをポーチへしまったはるこは、それをはずし、青年へと放った。どうするんだ。モンスターボールに入れたままなら、変身もそう簡単には使えないぞ。それとも、モンスターボールから簡単に出てこられるのか?
「ありがとう。最後に、君だ。君は殺せないからね。気絶でもしてもらおうか」
 カイリュー、と青年の声が合図となり、その巨体がはるこの方へ歩き始める。くそ。これはまずいんじゃないか? はることはいえ、生身じゃカイリューに勝てるはずがない。どうする。僕はとっさにベルトのボールホルダーに手を掛ける。途端、カイリューの視線が一瞬にして僕をとらえた。だめだ。流石に天下のドラゴンポケモン。周りに敏感だ。やばい。ここにきて焦ってきた。まさかこんなことになるとは。
 カイリューがはるこに迫る。二本の触覚をはるこに向けた。電磁波を打つつもりか、触覚の先がバチバチいっていた。人に打てば、使いどころによっては確かに気絶するだろう。
しょうがない。カイリューが電磁波を打ち、はるこが気絶する瞬間に賭けよう。そこに一瞬の隙が出来るはずだ。
 僕は身を前にだし、ボールに手を掛ける。そのまま走り出そうとした瞬間、はるこが僕の方を一瞬見てから動きだした。カイリューから放たれた電磁波を、横に飛んでかわす。
「冷凍ビーム!」
 横倒しになったはるこが叫ぶ。はるこの背中から、一匹のメタモンが飛び出す。空中での変身。気づいたカイリューの攻撃が先かと思われたが、メタモンの変身は速かった。シャワーズへと変化し、尻尾の先まで変身を終えないまま、空中で青白く冷気のこもった光線を一閃。
 思わぬ攻撃にカイリューはかわすことも出来ない。真正面からそれを受けたまま後ろへと吹き飛んでいく。冷凍ビームの威力は凄まじかった。
「なるほどね!」
 僕はこの瞬間に走り出す。モンスターボールを持ち、スイッチを入れる。前方に投げ、僕はシルエットが定まらないうちに叫んだ。
「サイコキネシス!」
 出てきたモモは、いつも一瞬で場を理解してくれる。おじいさんを人質にとっている青年が、すぐさま硬直した。
 カイリューがやられたことに動転した青年は、最早冷静な対処などできない。モモが両手を突きだし、サイコキネシスを発動している間に、僕は青年からナイフを奪い取り、おじいさんを救出。それとモンスターボールが入ったポーチも取って、はるこに放った。
「アキありがとう!」
 右手で受け取り、中のモンスターボールを一個一個取り出したかと思うと、その全てを開いた。
 はるこは前に並ぶ六匹のメタモンのうちの一匹を迷わず持ち上げ、後ろにいた黒髪の女性へ渡す。
「ごめんなさい。この一匹だけは、あなたのメタモンなの」
 女性は何がなんだかわからない様子だが、渡されたメタモンは安心そうに女性の腕の中で平べったく伸びていた。
 危ないことをする。確かにこれだけポケモンがいるところだから、はるこ以外にメタモンを持っていてもおかしくはない。咄嗟に近くにいた持ち主からモンスターボールを掠め取りそのメタモンを混ぜて青年へ渡したはるこは、自分のメタモン一匹をシオンタウンから出てきたときのように、背中に一忍ばせていたようだ。そしてカイリューを倒し、隙が出来たところで僕が青年を抑える。動き出す前にはるこが僕を見たのは、そういう意味だったのだろう。
「ちょっとばかしピンチだったな」
「うん。ちょっと焦った」
 メタモン三匹ははるこの指示で倒れたカイリューを取り囲み、残り三匹ははるこの体に貼りついた。流石、まだ油断はしないということか。
「それにしても、これは一体どういうことだ? こいつは何者だ?」
「わからないぞ。誰だ。あいつ誰だ」
 はるこに聞いたつもりだったが、ナオトが動揺した様子でそう答える。そうか。ナオトだってはるこを捕らえにきたはずなんだ。同じタイミングで別のやつが来るなんて少しおかしい。来るにしても、二人でやればいいはずだ。
「誰だよ。なんで俺以外に来てるんだよ。信用されてないってことなのか?」
 ぶつぶつ呟き始めた。まずい。はるこが聞いている。きっとすぐに感づくだろう。
「ナオト!」
 僕が咄嗟に大声を出すと、ビクりとしたナオトは僕を泣きそうな顔で見つめてくる。
「わけわかんないぞ。何がどうなってるんだ。なんだよあいつ。むかつくぞ。むかつくぞ。むかつくぞ。むかつくぞ。むかつくぞ。むかつくぞ」
 ナオトはゆっくりと立ち上がり、硬直したままの青年を睨みつける。たった今泣きそうだった顔が、唇を噛み、憎悪でいっぱいだった。涙を流しながら、よたよたと歩き始めたかと思うと、次第にスピードをあげ、「サワムラー!」と叫び出す。おいおい、何をする気だ。
 走り出すナオト。それを追うサワムラー。狙いは、青年だ。ナオトをすぐに追い越したサワムラーは指示を受け、見覚えのある技を繰り出す。助走をつけ、軸足一本で回転。そのまま思い入り蹴りを突き出した。メガトンキックが、青年へと放たれる。「うっ!」という声が出たか出ないか。気づいたら青年はサイコキネシスから蹴りで解き放たれ、壁へ一直線。
 次の瞬間にははるこが動いた。左腕には一匹のメタモン。「クチート!」の言葉と共に初めて会った時の口に変化したメタモンを使い、はるこはそのまま青年の元へ駆けたナオトをつかむ。
「暴れないで。落ち着いて」
「やめろ! はなせ!」
 ナオトはほとんど錯乱状態だった。サワムラーも、カビゴンでさえも、ナオトの様子に動揺している。歯がナオトに食い込んでいく。血が滴り落ちる。痛いだろうに。それでもナオトは騒ぐのをやめない。完全にどこか飛んでしまっている。おかしくなっている。何かが壊れている。
「落ち着いて!」
「はなせはなせはなせはなせはなせ!」
「お願いだから静かにして!」
「はなせはなせはなせはなせ!」
 ナオトはいつまでも騒ぎ続けている。その狂ったような挙動に周囲の者たちは釘づけだった。しかし、僕はナオトなどもうどうでもよかった。僕の注目はそんなところにはない。
 はるこの表情が、だんだんと落ち着いていく。落ち着いていき、鋭くなっていく。僕は体が薄ら寒くなったのさえ感じた。はるこの顔が、あんまりにも冷たかった。
 あいつは、怒っていた。静かに、内側で燃えている。そしてその視線はナオトへ向けられているのでもなく、気絶した青年へ向けられているのでもない。どこも見ていない。やっぱりはるこは、自分自身に対して怒っている。僕はそう直感した。
 はるこは無言のままそのクチートの腕を振り上げ、ナオトを横にすると、それを叩きつけた。当然、頭を打ったナオトは、そのまま気絶する。今にも僕の方に襲い掛かってくるのではないかと思えた。怖い。怖い。怖い? 僕ははるこに恐怖している?
「アキ」
「な、なんだ?」
「すぐ、ジュンサーさんを呼んで」
「あ、ああ」
 僕は部屋の隅にあった電話を借り、コールする。
 ワンコール。僕は恐怖と緊張が入り交ざった妙な状態だった。ツーコール。この部屋の張りつめた空気を感じた。スリーコール。やっと向こうが電話に出たとき、僕は何もしていないのに、僕が助かったような気になった。
「どうしました?」
「はい、ポケモン大好きクラブで、ちょっと事件がありまして。怪我人は、ほとんどいないんですけど、おじいさんを人質にとった人が一人いて。あ、解決はしているんですけど。一応」
 うまく喋れていない気がする。それでもジュンサーさんは
「わかりました。ただちにそちらへ向かいます」
 と言ってくれる。僕は何故だかホっとしていた。
「お願いします」
 受話器を置く。僕はまた張りつめた空間の中に戻る。
 青年はすでに気絶している。あの状態じゃ、体中骨折だろう。死んでいてもおかしくはない。ナオトも今は気絶しているが、こっちはやがて目を覚ますはずだ。周囲のみんなはとりあえず落ち着いたことにホっとしてその場に座ったり、そのまま立ち尽くしていたりと様々だ。 はるこは、ただじっとそこに立っていた。メタモンの変身をとき、六匹に周囲を取り囲まれたまま。
 そんな光景を僕はとてつもなく恐ろしいように思えた。早くここから出たいとも思った。
「大丈夫ですか!」
 ジュンサーさんが到着した。早い。そういえばさっき、この近くに交番があった。電話するまでもなかった。やっぱり僕は気が動転しているのかもしれない。「電話をされた方は誰ですか?」と言いながらジュンサーさんは部屋を歩く。「僕です」と手をあげると、こちらへ寄ってくる。
「本当に……大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です」
 顔色が相当悪いのだろう。だから僕は、最大の微笑を繕って、ジュンサーさんへと向けた。

早蕨 ( 2013/03/26(火) 19:50 )