一章
[1-8]
 僕は身構えた。はるこも身構えた。しかし、扉の向こうから現れた人物に、僕らは口をポカンとあけるしかなかった。なんであなたがここに? そう、言うしかない。
「やあ少年少女、仲良くやってるか」
 現れたのは、ポケモンを三匹ほど従えたサエだった。ウインディ、ガラガラ、スリーパー。ずらりと後ろに並んだ三匹は、サエさんが腕を横にあげる合図と共に止まった。僕達とバトルができるくらいの距離がそこにはあった。
「なんで、サエさんが?」
「用事がなくなってな、戻ろうとしたんだ。そうしたら何だか町が騒がしい。と思ったら今度ははること兄ちゃんが一目散にポケモンセンターに駆けこんでいったから、何かあったと思ってな。そうしたら、案の定だよ」
 そう言って、サエさんは上を指さした。
「どうせ地下のバトル場にいるんだろうと思って来てみたら、この上で変なやつらに絡まれたんだよ。あいつら、どうせはるこを追っているやつなんだろ? 適当にやっつけちまったよ」
 サエさんは傷一つついていない。後ろのポケモン達も、ほとんどダメージを負ったという感じはしなかった。それほど弱い相手なのか、それともサエさんが強いのか。
「それとなあ、こんなところに逃げ込んじゃ駄目だぞ。あんな大きな騒ぎを起こすやつをポケモンセンターに入れちゃ、病気のポケモン達や怪我をしているポケモン達だって何をされるかわからん」
 僕はすでにホッとしていたが、はるこは違っていた。追手を倒したというのに、何か難しい顔をしている。
「はるこ、どうした? これでとりあえずは一件落着じゃないのか?」
「そう、だね。サエ、ありがとう」
 はるこもそうなのだが、サエさんも何故だか距離をつめようとはしなかった。
「どういたしまして。さ、帰ろうか」
 ポケモン達を戻し、サエさんはそのまま背中を向けて歩いていく。さっきまで高まっていた緊張感が一気に引いていく。霧散し、どこかに消えてゆく。
「アキ、ごめんね。今日は、バトルやめよう」
「そうだな。今日はやめておこう」
 僕とはるこは並び、サエさんの後をついて行く。
 今はこれで落ち着いたのかもしれないが、問題はきっと何も解決していないのだろう。サエさんとはるこのよくわからない距離と、この妙に張りつめた雰囲気が僕にそれを実感させた。


◆      ◆


 上の階のバトル場に上がってみると、確かにそこにはサエさん達にやられてのびている四人の男たちがいた。動かないことをサエさんに確認し、おそるおそるのぞいてみると、その中の二人に見覚えがあった。ヤマブキシティの西ゲート前で、はるこに絡んでいた二人組だ。
「はるこ、もしかしてわかっていたのか?」
「絶対そうだとは言えなかったけど、この人達だろうなあって」
 道理であんなところをふらふらしているわけだ。一度撒いた後、見つかってしまったから、潔く出て行って迎え撃とうとしたのだろう。サエさんに迷惑をかけないために。
「なんでもっと手出しできないようにしておかなかったんだ?」
「追い返せば、次はこうやって別の手を使うと思ったの。それに、わたしを追う人がどんな人で、どれくらいいるのか知りたいし」
「いろいろ考えているんだな、はるこは」
「えへへっ」
 褒められて照れたのを隠すかのように、はるこが顔を伏せると同時に、三匹のメタモン達も嬉しそうに体をくねらせた。はるこが嬉しそうにしたのがわかったのだろうか。
「お前たち、もう行くよ。いろいろ聞かれるのも面倒だから、ジュンサー達が来る前に帰っちゃおう」
「サエさん、ジュンサーさんと仲悪そうですもんね」
 わたしはそんなにやんちゃじゃねえ、と僕の頭をバシリとはたいて、サエさんは足早にバトル場を出て上に上がっていった。やんちゃなのは間違いない。
「はるこ、僕らも行こう」
「うん」
 そう言って歩き始めると、何気なくはるこの手が僕の手を握った。ふいなことに僕の体はビクついてしまう。一瞬で情けなさに身を覆われた。僕ははるこの手を少しだけ強く握り返し、その手を引いた。なんだろう。どうしたのだろう。何かはるこが遠慮している様子に見える。何かあったのか。そう、聞くことはできなかった。何かあったに決まっているからだ。話してくれるまで、待てばいい。僕がはるこの隣にこうしている間は、どうすればいいのか一緒に考えてあげられる。
 自分で言って、笑えた。何の役にも立っていないくせに、何が考えてあげられるだろう。僕が握るこの小さな手は、僕よりも強い。僕を引っ張ることだってできる。
 それでも、はるこはこうして僕の手を握ってくれた。だったら、何か僕にだって出来ることはあるのだろう。そう思うと、なんだか気が楽になって、体を覆っていた情けなさが斑模様みたいになっていく気がした。
「アキ。わたしは強いの。とっても強いの。負けないの。誰にも、自分にも。何があっても」
 階段を上がりながら、はるこは後ろでつぶやいた。
「わかってるよ」
 わけのわからないその呟きに、僕はそう、力強く答えた。


◆      ◆


「あっ!」
 サエさんのアパートまで三人で戻ってきたところで、僕は思い出した。鍵をかけていなかったんじゃないか?
「どうした少年」
 軽快な音を立ててサエさんは階段を登っていく。僕はなんだか言い出しづらくて、そのまま後ろを歩いた。横には手をつないだはること、頭と肩にくっつくメタモン。
 どうしよう。戸締りしないで来たなんて、きっと怒られる。
 サエさんは自室の前で止まり、ポケットからキーケースを取り出し――そのまま「扉の鍵」を開けて中に入った。
「もしかして、はるこは鍵を持っているのか?」
「うん、あるよ。合鍵もらってるから」
「何やってんだお前ら。早く上がれ」
 どやされないことに安堵した僕は、そのままサエさんの部屋に再びお邪魔した。昨日といろいろなことが変わったようで、よくよく考えてみると何も変わっていない。はるこは同じように追われる身のままだし、サエさんは匿っている身だ。今日だって、助けてくれたようだ。それじゃあ、僕のポジションはどこだろう。僕はどうするべきで、どうしたいのだろう。
「何ぼさっと突っ立っているんだよ、兄ちゃん」
 決まっている。僕にはやることがあるのだ。はること出会って、こうしてたった一日と少しの時間を過ごした時点で決まっている。それでいいじゃないか。やってみよう。びびっている場合じゃない。僕も、頑張れ。
「ですよね、突っ立っている場合じゃないですよね」
「そうだぞ、立っているだけじゃ何にもなんないぞ。ほら、座れ。はるこもだ。なに二人でイチャイチャしてんだまったく」
 そう言うサエさんの声は、少しだけ明るかった。この人は本当にはるこを守ろうとしている。それがどういうことなのかもきっとわかっている。それでも見捨てられないのだろう。そんなサエさんにはるこは甘え、それをよしとしている。いや、悩んでいるのかもしれない。はるこのことだから、迷惑をかけているとでも思っているのだろう。
 そんなこと、全然ないのに。
「サエさん、僕は勝手にやろうと思います。はるこを助けたいから、勝手に動きます。いいですよね?」
 僕の言葉が気に障ったのか、サエさんは怖い顔して舌打ちをした。僕はひるまない。
「僕には僕でやれることがありますから、それをやろうと思います」
 はるこが目を丸くしてこちらを見ている。繋がれた手を、僕は握りしめた。
「兄ちゃんの勝手にされて、こっちが危険に晒されたらどうする?」
「僕が何をするのか、相談してからにすればいいんですよね」
「それならいいな」
 はるこは黙っていた。そんなことをしなくてもいいとか、迷惑をかけるからとも言わない。ただ黙って見ていた。もう驚いている様子もない。ただ、少しだけ悲しそうに見える。
「では、用事があるのでとりあえず僕はこれで失礼します」
「おう、晩飯また食いにくるか?」
「いえ、今日は遠慮させていただきます。今日の夜か、明日か、またお邪魔させていただくことになると思いますので、そのときにまた」
「わかった」
「アキ、行っちゃうの?」
 はるこが不安げな顔で視線を送っている。僕は「また後で」、と小さく呟き、握っていた手を離した。
「ではサエさん、失礼します」
「ああ」
 半ば飛び出していくかのように扉を開け、後ろ手でそれを閉める。ガシャン、と扉が閉まる音。今しばらく、はることはお別れだ。
「さあ、どうしようかな」
 何も始まっていないように思えるが、きっともう始まりすぎている程に始まっているのだろう。終わりさえ、近いのかもしれない。僕がこれからそこに切り込む。いや、切り込む必要がないくらい、僕はもう問題の真ん中にいるのかも。この胸糞悪い予感が、僕を動かす。そうあってほしくないと、願う。はるこのために、そして、僕のために。


早蕨 ( 2012/04/15(日) 22:25 )