一章
[1-6]
 階段下で待っていると、メタモンを三匹ほど体にくっつけたまま、はるこはアパートの階段を降りてきた。左腕がないというのに階段を素早く降りてくるあたりとても器用そうだ。それに、改めて見ると、変な姿。帽子のようにはるこにへばりついているメタモンが、そのまま髪にくっつきそうだ。両肩にのっている二匹も、肩のサポーターにしか見えない。
「武器を装備、みたいな?」
 とん、と最後の二段を飛ばして僕の隣に降りると、「アクセサリー!」 とはるこは言った。怒っていた。むう、と頬を膨らませるのに合わせて、メタモンたちも膨らむ。……やっぱり変だ。
「まあいいや。はるこ、バトルをする前に何か食べよう。まだ何も食べてないだろう?」
 食べもの、と聞いてかはるこは顔をほころばせる。扱いやすいやつだった。僕が歩き始めると、その後ろをひよこみたいにはるこはついてくる。ずっと昔にも、こんなことがあった。僕の頭の中にいくつものシーンが、スライドショーのように映っていく。どれも懐かしくて、うれしくて、憎くて、悲しかった。あの頃、僕は一体何を考えて暮らしていただろう。言われたことをこなし、僕はそのまま育つのだと思っていた。何事もなく、僕はあの村を受け継けついで、苦労がありながらもそこで楽しく暮らしていくんだと思っていた。思っていたのに――。
「アキ、大丈夫?」
 はるこの心配そうな声が割り込んできて、僕ははっとする。気づけば右隣にはるこはいた。こちらへ大丈夫か、とでもいいたげにのぞきこんでいる。
「つらいの?」
 その言葉に、どう返せばいいのかわからなかった。村からはじき出されたように感じたのは辛いことなのかもしれない。でも、だからといって今更前のように戻りたいとは思わない。僕はずっとこのままでいいし、今の状態から抜け出せはしない。
「今は、つらくないよ。ただ、つらかっただけ」
「じゃあ、どうしてそんなにつらい顔をするの?」
「僕にもよくわからないんだよ。つらいって思っているのかもしれないし、怒っているのかもしれない。悲しんでいるのかもしれないし、嬉しがっているのかもしれない。その全部かもしれないし、そのどれでもないのかもしれない。だから、考え込んじゃうのかもね」
 はは、と薄ら笑いを浮かべる僕に向かって、はるこはさらに心配そうな、そして不安そうな顔をする。
「アキがそんな顔をしていると、心配だよ」
 ありがとう、と言いそうになったが、今のはるこの状況でそんなことを言えるほど考えこんでいるわけではなかった。心配されなきゃいけないのははるこの方だ。追われている身のはずなのに、どうしてこいつは自分の心配をしないのだろうか。
「はるこは自分の心配をしなさい」
 メタモンと一緒にぐしゃぐしゃと頭を撫でると、「うー」と唸りながらはるこは目をつむる。
「あんまり油断していると、やられちゃうぞ」
「やられないよう。わたし強いもん」
「そんなこと言って、今日、はるこは負けるかもしれないんだからな」
 はるこは頭に乗っかったメタモンをぽんぽん、と軽く叩くと、今度は自信たっぷりな顔を僕へと向けた。
「わたしは、負けないよ」
 打って変わって強い意志の籠った目が僕を見つめる。なぜそんな目ができるのか。その自信はどこからくるのか。気圧されるどころか、僕は羨ましいと思ってしまった。
「……僕だって、そうやすやすとは負けてやらないぞ」
 自分の口から出た後ろ向きな言葉が、妙にいつもより情けなく感じて仕方がなかった。


◆      ◆


  ポケモンセンターのロビーの隅に設置されたL字型のソファーに座りながら、はるこはサンドイッチをぽろぽろとこぼしながら頬張っていた。その辺で買った軽食を、ここまでおいしそうに食べる奴は初めてだった。
「おいしい?」
「もいひい!」
 サンドイッチを高々と上げる。もぐもぐという音があまりにも似合う。咀嚼されたものが喉を通ると、さらに幸せそうな顔を浮かべるはるこ。こっちは出来ているものを買い与えただけなのに、なんだか嬉しかった。
「おいしかったよーアキ。サンドイッチっておいしいね」
「食べたことなかったの?」
「あるよ。あるけど、何度食べてもおいしい!」
「はるこはサンドイッチが好きなんだな」
「ううん」
 とは、るこは大きく首を横に振る。
「なんでも好き!」
 そう高らかに宣言するのと、ほぼ同時だっただろう。

 突然、地響きのような大きな音が響き渡った。室内にいた人々が一斉にどよめく。一瞬、全てが静止したように感じた次の瞬間には、外へ飛び出す人、窓へ駆け寄る人、階段を駆け上がっていく人、様々だ。そんな中、ジョーイさん達だけが落ち着いて事実確認を取ろうと電話を掛けていたり、どよめく人々に声をかけている。
何が起きた。僕はそんなことを考える間もなく、立ち上がってはるこの近くに寄ろうとする。だが、はるこはすでに戦う準備が整っていた。鋭い視線で周りを見渡している。右手のメタモン。そして、左肩には変身準備万端と言わんばかりのもう一匹のメタモン。はるこの武器は、主に左腕のようだ。
 この大きな音が、はるこを追跡するものと何も関係がないとは言えない。事情が事情だけに、迂闊に動けない。
「はるこ、どうする? もし追手だとすると、ここはまずいよ」
 わかっている、という風に頷くはるこ。当然、ポケモンセンター内で暴れるとなると、怪我をしていたり病気のポケモン達に影響が及ぶ可能性がある。だが、迂闊に外に飛び出していくとはるこが危ないかもしれない。
「いこう!」
 まごまごしている僕を置いていくかのように、はるこは迷わず外へと飛び出す。迷いなく自分を危険に晒す方に飛び出していくはるこの背中を見ると、さっきのあの自信に満ちた顔が思い出された。
「一人で行っちゃだめだって!」
 それと同時にはるこを僕に任せていったサエさんの顔も思い出す。すぐさまその背中を追いかけ、僕らはポケモンセンターを飛び出した。

 町の中でも、どよめきの声は上がっていた。地響きのような大きな音は、イワヤマの方からの様だ。やじうまの町の住人達がそろって山の方向を向いていた。その中を縫うように駆けるはるこがとてつもなく速い。姿を見失わないように追うのは大変だったが、丁度イワヤマへの山道の手前でジュンサーさん達が侵入を阻んでいたおかげで、僕はどうにか追いついた。
「ここから先は危険ですので侵入できません!」
 ジュンサーさんは怒鳴っていた。はるこは難しい顔をしてジュンサーさんと向かい合っている。
「何があったんですか?」
「大きな爆発による落石事故のおそれです。イシツブテやゴローン達の集団自爆かと思われます。現在この先への侵入は危険です」
 なるほど。落石事故ならば、人の侵入を防がなければ危険が広がってしまうだろう。二次災害の危険もある。僕は素直に引き下がることをはるこに伝えようと思ったが
「どうしてそんなに対応が早いの?」
 思いもよらないことを、はるこは口にする。驚いて一瞬理解が遅れたが、確かにその通りだ。あの大きな音から大した時間は経っていないはずなのに、ジュンサーさん達はもう原因を話し、通行止めをしている。あまりにも早い対応速度だ。
「そ、それは……」
「こんなところにいつも待機しているの? これって、本当にただの事故?」
 はるこが言葉をかける毎に、ジュンサーさん達の顔が難しくなっていく。
「お願い、通して。わたしが行って、確認してこなきゃ」
 特に情報を聞き出せないと判断したのか、はるこは無理矢理わきを通ろうと、ズイと前へ出たところで、ジュンサーさんはぼそりつぶやいた。
「元に戻りつつあるのよ」
 横切ろうとしたはるこの体が止まる。突然棒立ちになり、身長差のあるジョーイさんを見上げた。
「ねえ、それってどういうこと?」
 少しの間、はることジュンサーさんは睨み合っていた。
 しかし、ジュンサーさんははるこの言葉に答えることもなく、横を通ろうとして止めることもなかった。はるこに一体何を感じたのか、はるこは何を考えたのか。力を取り戻しつつあるとはどういう事なのか。一体、何が起こっている。
「アキ、戻ろう。なんとなく予想がついた」
「え? 予想って、今何が起こっているかっていうこと?」
「うん。事故ってことは、多分ない」
 今までにないはるこの鋭い顔を僕は見た。メタモン達がはるこの緊張具合を感じているのか、ピクリとも動かずはるこに張り付いている。僕には、何が起きているのかさっぱりわからない。
「バトルは中止?」
「ううん、やるよ。今すぐ。今すぐに戻ってバトルだよ!」
 何を急いでいるのか、はるこは再び駆け足でポケモンセンターへと戻っていく。
「はるこ!」
 僕はわけがわからないまま、その背中を再び追いかける。野次馬の町の人々の中を逆走する。ついさっきまですごく身近だったはるこがやたら遠くに見えた。天才と凡人。わかる人とわからない人。妙に置いて行かれた気分になる。さっきよりもはるこが速く感じた。あの小さな背中が、遠く遠く見えた。



早蕨 ( 2012/04/15(日) 16:47 )