一章
[1-4]
「さて兄ちゃん。君は一体誰よ。あたしがこの子を匿っているということを知っている以上、野放しにすることはできないよ。場合によってはただじゃおかない。何でもないならそれに越したことはないけど、とりあえず何が目的でどういうつもりではるこにくっついてきたのかわかりやすく簡単に答えろ答えなきゃおろすぞコラ」
 サエ、と呼ばれた恐そうなその人は、僕に向かって疑いの目を向けながら、一気にそうまくし立てた。小奇麗に片づけられた部屋。その中央のテーブルに置かれた灰皿や缶ビールだけが乱雑に置かれている。テーブルを挟んだサエさんの反対側で、僕は何か悪いことをしたかのように縮こまるしかない。恐い。
「簡単に言えば、友達になって、連れられてきました。そのついでで、ポケモンバトルをする約束をしました」
 事実を簡潔に。
 サエさんの肩までかかる黒髪が揺れる。反応が恐い。
「嘘をつけ」
「うそじゃないですよ」
「嘘をついたことしかないという顔をしている」
「どんな顔ですか」
「そんな顔だ」
「こんな顔ですか」
 認めてしまった。
「でも、本当なんですよ」
「ちっ」
 露骨に不満そうな、僕が悪者であって欲しかったような顔をするサエさん。困った。この人も、ちょっと変わっている。
「おおまかな事情は知っているな?」
「追われている、と、それだけですが」
 ふむ、とあぐらをかいたサエさんは、僕を凝視し数秒ほど考える風に腕を組む。隣をちらと見ると、はるこはにへらと気が緩んだ顔をしている。この人のことを、信用しきっているのだろう。
「まあ、誘拐とか、そういう感じではないわね。はるこが安心しているし、ただ居合わせて、はるこに連れてこられたって風ね」
 視線を戻すと、サエさんは組んだ腕を下ろしてそう言った。
「だから、そう言っているじゃないですか」
「捕まえるために取り入っているだけってことは?」
「ありません」
「かわいいから、ついて来ちゃった?」
「いや、だから」
「違うってよ、はるこ」
 はるこが不満そうにこちらを見ている。「わたしのこと、きらい?」って、子犬のような目をして呟く。なんでだよ。
「とにかく、僕は何もするつもりありません。特に目的もありません。あるとすれば、バトルをすることくらいです」
「わかったわかった。信用してやる。その代わり、ここで晩飯食ってけよ。はるこが喜ぶからさ」
 気がつくと外が朱に染まり、そろそろ日が落ちようとしている。昼間にはること出会ってから、とてつもなく早く時間が過ぎていった気がした。いつも通りふらふらと旅をしているだけだとこうはいかない。
「アキとごはん!」
 はるこは、はじけそうなほど喜んでいた。隠すことなく、全力でそれを表現する。僕には出来ないことだった。サエさんもそれを見て微笑んでいた。この人も、はるこに惹かれているのかもしれない。匿っているのは、そういう意味も込められているのかも。
「足を崩せよ。そう固くなるな。なんもしない。はるこが兄ちゃんを信用している以上、あたしも信用するさ。はるこはアホだけど、馬鹿じゃない」
 そう言って、サエさんは立ち上がる。話は終わりのようだった。もうしばらくは、ここにいることになるようだ。
「あと、はるこ。いい加減にそのメタモン達を体からとっとけよ。うっかりでかいやつにでも変身されたら家が壊れる」
「うー」
 名残惜しそうに体と肩にへばりついた三匹のメタモンを剥がすと、「ごめんねー」と一言呟いてから、一匹ずつモンスターボールへと戻していく。
「実際この前な、寝ぼけたメタモンがやらかしたんだ。スピアーに変身したかと思ったら、そのまま窓ガラスを割りやがったんだよ」
 キッチンの下に備え付けてある小さな冷蔵庫を開け、中を覗きながらサエさんはそう言った。「あ、あれはもう謝ったよう」と、申し訳なさそうにはるこが口を挟む。
「はるこ、結構長い間ここにいるの?」
「ううん、長くはないよ。サエは優しい。アキみたい」
 そんなに優しくしたような覚えはないのだけれど……。
 変わった事情を持つはるこ。面白い力の使い方をするメタモン。恐いようで、きっと人のいいサエさん。僕の周辺が目まぐるしく変わる。明日はきっとポケモンバトル。はるこが追われているという話のことも少しだけ気になる。ふらふらと旅をしていた僕に、突然考えることができてしまった。さあ、僕はどうしようか。
「また何か考え事をしているね」
 はるこが僕の顔をのぞきこみながらそう言った。
「いいや、なんでもないよ。それより、明日にでも頼むよ」
「バトル?」
「うん」
「やる前から、こんなことを言うのは悪いけど、わたし、つよいよ?」
「知ってるよ」
「わかった」
 はるこは神妙な様子で頷いた。他のことよりも何か特別な思い入れでもあるのか、バトルに関する話のときは、ふざけた顔を見せない。
「ルールはどうする? 三体三か、それともフルバトル?」
 僕の言葉に、はるこはキョトんとした顔をする。「ルール?」と言いたげなのが表情だけでわかった。
「るーるなんて、いらないよ。戦えなくなったらまけ」
 あっけらかんと、そう言う。
「はるこ。僕達がするのはポケモンバトルだ。戦争じゃない。試合で、ゲームだ。自分とポケモン達がどれだけうまく息を合わられるか、いわばスポーツだよ。それも、超大人気スポーツ。だから、ルールは必要だよ」
「ふうん。むずかしいね」
「難しくないさ。ほら、さっきはるこが言った、殺しちゃだめだよっていうのも、ルールの一つさ。何で殺す必要がないのかって、僕達は憎くて戦うわけじゃないから。スポーツをするんだからね」
 おー、とはるこは感心したように声をあげ、驚いていた。この世間知らずめ。
「わかった、るーるはアキに任せるよ。でも、ころしちゃだめっていうルールは、変えちゃだめだよ?」
「承知」
サエさんの野菜を切る音がより大きく聞こえる。献立はなんだろう。ざるの中に盛られる野菜達、えのきにしいたけ、それに豆腐。鍋だろうか。夏があけたばかりなのに、気が早い。それでも、随分と長い間食べていなかったから、おいしそうだ。
「なに見てんだ兄ちゃん。見てても早くは出来ねえぞ」
 サエさんが、僕の視線に気付く。立っていると、デニムミニから長く白い足が伸びる。スタイルの良い人だ。
「サエさんは、どうしてこの子を?」
 そんなサエさんを見て、僕は湧き上がってきた質問を隠さずにぶつける。包丁をおき、タオルで手を拭くと、サエさんは体をこちらへ向ける。そのままこちら近づいてきてから、しゃがみこみ、はるこの頭に手を置いた。
「かわいいからだ」
 にい、とサエさんは笑う。
「情にほだされた?」
「情をうつした」
「なるほど」
 はるこが信用するのもわかる。この人は、見た目以上にお人好し。お人好しで、素直だ。隣でへらへらしているはるこを見ながら、僕はなんとなく、安心していた。


早蕨 ( 2012/02/25(土) 23:12 )