一章
[1-2]
 はるこ。と、少女は言った。しばらくの間、二人で東の方角にあるシオンタウンへ向かっていたときだった。
「それ、君の名前?」
「うん」
「はるこ、って呼んでいいの?」
「いいよ」
「はるこ」
「はい」
 こんなやり取りが、なんとなく恥ずかしい。はるこが少し恥ずかしそうにするから、余計に恥ずかしい。僕は半笑いのまま頬を掻きながら、この名前が歩き始めてから初めて得たこの子の情報だと気付く。
先ほどから二人で並んで歩いているものの、僕はまだ探りをいれられているかのような質問攻めにあっていた。どこに住んでいたの? 旅って楽しい? 強い? バッヂって持ってる? ポケモン好き? 統一感のない質問にひたすら答え、「ふうん」、「そっか」、と、統一感のある返答で終わる。話題の無駄遣い。話を広げる隙もなく、ドードリオの乱れ突きの如く質問をされ、それに答え続ける。
 そんな中、初めて出た質疑応答以外の話が、この名前の話だった。
「ねえ、僕も聞いていい?」
「うん」
 質問攻めが終わった今が好機とばかりに、僕はすかさずそう言葉を挟む。はるこはこちらを向いて、小気味よく首を縦に揺らした。
「さっき追われているって言ってたけど、こんなところで、こんな風にゆっくり歩いていて平気なの?」
 まず、追われているってなんだろう。僕はそこから聞きたかったのだが、事情あり気で繊細そうなはるこに、僕は切り込めなかった。
「だめ。多分」
「じゃあ、どうするの?」
「どうもしない」
「それじゃあ、だめなんじゃないの?」
「だめだけど、いつ襲われるかわからないから。それに、この子達がいるし」
「そっか」
 はるこはそう言って、ずっと体にひっつけたままのメタモンをペシと叩いた。
 常に追われているから、変に構えて対策を打っていると疲れてしまう。ならば自然体でいた方がやりやすい、ということだろうか。……だろうか。
 はるこが言うことは、情報が少ない。とにかく最小限のことしか喋らない。話し下手なのかわざとなのか、それとも。
「ごめんなさい。おしゃべり下手っぴなの。あんまりこういうのって、したことないから」
 本当に申し訳なさそうに言うはるこを見て、僕はクスリと笑ってしまう。なるほど、事情はきっと本当にあるけど、それだけじゃなくて、本当にただの喋り下手なのだろう。
「ごめんごめん。笑うのはよくないね」
「……アキ、いじわる」
「ごめんって。お詫びにさ、僕にも手伝わせてくれよ」
「なにを?」
 はるこは歩きながら首をこちらにむけ、小さく傾げた。
「はるこがうまくお喋りできるように」
 僕の言葉に、隠すことなく満面の笑みを浮かべた。
僕はいつから人のこんな顔を見ていないだろうか。故郷にいるときも、旅に出てからも、誰かがこんな風に心から笑っているところをあまり見たことがない。まして、自分でも今はこんな顔をすることはなかった。こんな顔を出来たのは、もう、随分小さいころだ。ほとんど覚えていない。
 だから惹かれるのだろうか。忘れてしまった表情をする、はるこに。
「これからどこへ行くの?」
「シオンタウン。わたしが今住んでいるところ」
「それってさ、君の家なの?」
「ううん、匿ってもらってるの」
「僕がそんなとこいっていいわけ」
「わかんない」
 ……わかんないって、それじゃあはるこを匿っている意味がない。匿われるほどに追われているのなら、そこにいた方が安全だ。はるこはその辺、わかっているのだろうか。
「わかんないけど、大丈夫」
「何が大丈夫?」
「わたし、つよいから」
「何がきても、負けないって?」
「うん」
 相変わらず僕ははるこのことがよくわからなかったが、ポケモントレーナーとしてこの子に対する興味は深まるばかり。何か事情を抱えた変な戦い方をするトレーナーなんて、そうそう会えるもんじゃない。さっきはるこに聞かれてもきちんと答えられなかったが、今は答えられる。僕はこの子とバトルがしたい。どれだけこの不思議な子相手に僕がやれるのか、戦ってみたい。
「ねえはるこ。僕はやっぱり君とバトルがしたい」
「いいよ。でも、私も戦うし、ころすのはなしだよ」
「わかった。君に合わせるよ」
 もうあえて突っ込まない。これでいい。たしかにこの子は面白いし、笑うし、興味をそそられる。魅力的とか言ってもいいのかもしれない。でも、僕があまり首を突っ込んでもしょうがない。はるこの事情のことは、今は気にするのをやめよう。それに、僕だって何かあっても自分の身は自分で守れる自信くらいはある。
「急ごう。ここで襲われたりするのは面倒だ」
 僕は腰についているホルダーからモンスターボールを一つとって、開閉スイッチを押す。光と共に現れるのは、僕の初めてのポケモン。ポッポのときから共にいた、ピジョットだ。
「さあ乗って」
「うん」
 放浪の旅は少しばかり退屈になってきていたのかもしれない。久々に何かが起こりそうな気がする。平凡なトレーナーの平凡な旅が、一気に変わる。はるこがそう思わせる。良い事か悪い事か、どちらかはわからない。けれど、楽しみだ。
 はるこを前にしてピジョットに跨り、「頼んだよ、ピジョット」と、僕の声を合図に大きく羽ばたく。ふわりと僕達は浮かび、空へ。「うわあ」と小さく呟いたはるこの声が、風とともに僕の耳に吹きぬけた。

早蕨 ( 2012/03/20(火) 13:20 )