一章
[1-10]
「こんばんは、サエさん」
 腰のホルダーについたモンスターボールを取って、右手に握りこむ。サエさんの視線が、一瞬だけおりた。
「私の後をつけてどうする気だよ」
「やっぱり気づいていましたか」
「当たり前だ。あれじゃ後をつけるとは言わないぞ。後ろを歩いているだけだ」
 呆れ顔のサエさん。
「それで、なんで私の後をつけていたんだ?」
 バトル場の中央に佇む彼女からある程度の距離をとって、僕は足を止める。ちょうどポケモンバトルをするときに入る、トレーナーボックスのあたりだ。
「僕はねサエさん。本当は、僕だってこんなことしたくはないんです。それでも、どうしても確かめなければいけないかなと思うんです」
「何をだ?」
 わかっているのに、しらじらと。
「あなたが、はるこを追う人だということです」
 サエさんはすぐには答えなかった。ただ、無表情にこちらを見つめている。僕から視線を外さない。じっと睨み合う。しばらくそんな状況が続くかと思いきや、サエさんは突然、腰についていた赤いポーチの中からモンスターボールを取り出すと、それを軽く放った。朱を基調とした縞模様が目立つ、四足歩行の獣。ウインディ。鬣を逆立て、ぐるる、とこちらを威嚇している。今にもこちらに飛び掛かってきそうだ。
「どういうつもりですか」
「同じだということだよ」
 どういう意味かはわからない。
にやりと笑ったサエさんは、威嚇するウインディの側に寄ると、その頭をやさしく撫でた。
「私も、お前のことを疑っている」
 ……当たり前の話だとは思う。サエさんがはるこの味方であろうと敵であろうと、僕は疑ってかかるべき相手だ。
「疑っているくせに、僕一人にはるこを任せるなんて、随分大胆なことをするじゃないですか」
「大胆? 何を言っているんだ兄ちゃん。お前じゃ、はるこは捕まえられないよ。あいつは強いし、あいつが持っているメタモン達は、いかれてる」
「どういう意味ですか」
「そのまんまの意味さ。あのメタモン達のへんしん能力は異質だよ。追われているのは、はるこというよりもメタモンなのかもしれないな」
 追われているのがメタモン? たしかにへんしんの能力は少し変わっているけど、それだけで?
「……話を戻しましょう。そんなこと、今はどうでもいいことです」
 気になるところではあるが、今はそうじゃない。
「問題は、あなたがはるこを追う者なのかどうか。僕は、イシツブテ達の自爆なんて言われている今朝のことも、あなたがやったんじゃないかと思っています」
「そうなると、私がやっつけたやつらも、私とグルだということになるな」
 面白いな、兄ちゃんは。とサエさん。僕はピクりとも表情を変えず、視線をそらさない。
「こんな話が、面白いわけないでしょう」
「それは私のセリフだ」
 ウインディの威嚇が凄みを増す。僕に飛びかかり、噛み砕きたいとばかりの表情。サエさんが撫でて止めていなければ、既に戦っているに違いない。よく見れば、普通のウインディよりも少し大型な気がする。となると、力も並みではない、か。
「サエさん。悪いですけど、僕はあなたが本当にはるこのことを守っている人なのかどうか、これから徹底的に調べさせていただきます」
 僕の言葉に、サエさんは露骨に嫌な顔を浮かべる。ウインディを撫でる手が止まった。
舌を打って、僕を見る視線がナイフのように鋭くなる。怒りがこもっている。ウインディも威嚇をやめ、主の様子を見て怯えていた。
「随分と露骨なんですね」
「ああ。私はまとわりつくのは好きだけど、つかれるのは嫌いなんだ。周りくどいことも、本当は嫌なんだ」
「だから、認めると?」
「私だってな、不本意なんだ。はるこにあんなことしたくなかった。仲良いふりなんて、したくなかったよ」
 サエさんは自嘲気味にそう呟くと、すっかり主の様子に怯えてしまったその巨体を戻そうと、ポーチの中からモンスターボールを取り出し、それをウインディに向けた。ボールから放たれる赤い光線が直撃した途端、赤い光がその巨体を包み込み、ぐにゃぐにゃと形を変え、ボールに戻っていく。だからと言って、僕はサエさんから視線をはずすわけには行かないのだけれど。
「何故? と、聞いてもいいですか?」
「金のためだよ。どうしても、金がいるんだ」
「雇われた、ということですか」
「そうだ。お前が何者なのか、私にはもう関係ない。嗅ぎまわられちゃ迷惑なんだよ。いちいち隠すのも面倒だ。折角いい金が入る仕事なんだから、成功させなくちゃ話にならん」 というわけで、とサエさんは続け、僕に向かって右手の人差し指をピンと伸ばす。
「邪魔だよ。今ここで死ね」
 それが、始まりだった。スポーツじゃない。ルールなんてない。はるこの言っていた、ころしちゃだめだよ、っていうルールは適用されない。僕は殺されようとしている。素直で、人が良い。一度は、そんな風に思った人に。不思議と何も感じない。憎悪も裏切られた気持ちも何もない。事実この人は素直で人が良いのだろう。僕はそう信じている。ただこの人かもしれないと、最初から思っていた。根拠なんてなかった。この人なら一番はるこを捕まえやすいなと思った。この人がどんな人か、なんてどうでもいい。誰が一番はるこに近いか、それだけだ。この人であれば、僕も役に立てる。僕がこの人を止めるだけだ。それで終わる。終わらせる。

 サエさんの言葉と同時に、僕はモンスターボールを上へ放る。赤い光と共に現れるシルエットは、グニャグニャと形を変え、ピジョットへ定まる。指示はしない。出てきた途端に悟ってくれる。右の翼を一振り。巻き起こる風が、僕の後ろへ放たれる。
 サエさんの舌打ちが再び聞こえた。
 後ろへ振り向き、ピジョットへ命じる。それと同時に、でんこうせっかの如く突進をかけていく。僕の言葉との間には、ほとんどラグが生じない。動き出したピジョットは、僕が入ってきた扉の上。天井付近を飛んでいるスピアーのもとへ一直線。滑空。さっきピジョットが起こした風の影響もあるのか、スピアーは避ける間もなくピジョットの攻撃を受け、そのまま壁へ激突。甲高い、苦痛の鳴き声が響く。しとめたか……。
 ウインディは、ただのおとりだったのだろう。僕の注意をひきつけ、最初から出しておいたスピアーに気付かせないためだ。たくさんのどくばりが、僕の前方に落ちている。最初の翼の一振りのおかげだ。
「やるじゃないか兄ちゃん」
 巨大な蜂が落下していく。ピジョットがこちらへ戻ってくる。それを確認した僕は、再びサエさんへ体を向け、視線を合わせる。
僕が視線を離したその隙に、ウインディを再び外へ出したのだろう。僕の前方には、再び威嚇し毛を逆立てる姿が。睨み合う。沈黙は長くは続かない。いくよ! 叫ぶサエさん。大口を開けるウインディ。……来る!
大きな火炎がウインディの口から放射される。狙いは僕一直線。速い! 僕は咄嗟に上へ飛び上がる。頭上のピジョットも同時に前へ出る。その足をつかみ、空へ。一気に加速するピジョット。「つっ!」鋭い足に裂傷が刻まれる。痛みに気を取られている場合ではない。軌道の変わった火炎放射が僕らを追う。ぎりぎりかすめたか、というところで、ピジョットは更に加速。眼下にウインディを入れ、後ろへ周りこむ。手を離し、地上へ。手の痛みを気にする間もなく、ウインディがこちらへ駆けてくる。
「フレアドライブ!」
 こちらを向いた、サエさんの叫び。正に威風堂々とした、圧倒される炎を纏ったウインディが駆ける。その巨体の威圧感にぶるりと震えてしまうが、そんなぼんやりしている暇はない!
「ピジョット! 僕をふきとばせ!」
 流石にあのウインディをふきとばすのは無理だ。ピジョットが翼をふると同時に、僕はもう一つのボールに手をかける。体の自由が効かない。一気に右方向へ吹き飛ばされる。宙を走る。一瞬、地面を踏んでこちらへ方向転換するウインディの姿が見えたと同時に、僕はモンスターボールのスイッチを入れる。体が地に打ち付けられ、滑っていく。「がっ!」体に鈍痛を感じ、一瞬前が霞む。頭を打った。だめだ、僕の力であのフレアドライブはよけられない。
「頼むぞ、モモ!」
 人型で、丸く赤い頬を持った僕の二匹目の仲間。
 迫りくるウインディとの間に入ったモモ――バリヤード――は、出てきた瞬間に早速やってくれる。パントマイムの動きを見せながら、ウインディを引き付けるようにそこから後ろへ下がる。頼む、止まれ! 炎を纏ったウインディの突進。両手を突きだすその先、空中でウインディは勢いを失う。後ろへ押し込まれるが、モモはその巨体を止めきった。モモの得意技であるバリアー。それが一枚だったら、あっという間に突破されただろう。だが、ウインディの直線的な攻撃は、モモに後ろへ下がりながら複数のバリアーを張らせた。押し込んだように見えたのは、何枚かバリアーを突破したからだろう。ウインディはバリアーへの激突と、その勢いがダメージへと転じて、ぐらりと体を傾かせる。
「モモ、後は頼んだ! ピジョット! そっちを抑えろ!」
 痛む体を無理やり起こし、僕はそれだけ叫ぶ。サエさんがウインディを止められたのを見てか、次のボールを出そうとポーチに手を入れた。
「まったく面倒くさい!」
 怒りのこもった声。ピジョットは一気に加速する。いける。サエさんが焦ったように後ろに後ずさりながら手をポーチから引っこ抜く。ほぼそれと同時だっただろうか。ピジョットは握られたそのモンスターボールに嘴から突っ込んだ。ピジョットの体はそのままサエさんをはね飛ばす。距離をとり、そのまま一周旋回。今度は足を向け、サエさんの腰についているポーチをかっさらった。
 視線を戻すと、モモは勢いを失ったウインディの動きをかなしばりで抑えていた。ダメージを負っているとはいえ、このウインディを長く抑えつけておくのは無理だ。
「ピジョットこっちだ! こっちに思いっきり捨て身でタックル!」
 ピジョットはサエさんの赤いポーチを足でつかんだまま、今にもモモのかなしばりから逃れ、暴れ出しそうなウインディにダメージ必至のタックルを仕掛ける。モモはピジョットが動きだしたのを見て、かなしばりを解くと、再び後ろへ下がりながらバリアーを張り始める。既に僕の目の前。かなしばりを解かれ、自由になったウインディが見つめる先はモモ一点。その血走った目から、激しい怒りが感じられた。片膝立ちで、腕をおさえたサエさんが何か叫ぶが、怒りにとらわれたウインディには届かない。再び体を炎で纏い、高らかに吠えると、その高熱を帯びた体は地面を蹴り、こちらへ飛び掛かってくる。その巨体の攻撃力は凄まじい。「いけるかモモ」僕の言葉に、一瞬だけこちらを振り返ったモモがにんまりとにやついたのが見えた。炎の化身とも言うべき獣の突進。そして、その後ろからはピジョット。
 怒ったウインディは気づかない。ピジョットは炎を纏ったウインディに力の限り突進。炎の体にぶつかれば、自分も危険なダメージを負うことは避けられない。すまない、と心の中で詫びる。その炎の巨体は重ねがけたバリアーに激しく激突。そのまま一緒に、ピジョットはこちらを気にすることなく、ウインディと共につっこんでくる。
「モモ、止めろ!」
 そんなピジョットの一撃を、ここで止めないわけにはいかない。モモもそれがわかったのか、二匹の体を力いっぱい腕を突き出して止めに入る。さっきよりもずっと強い力が、バリアーを押し込む。見えない壁が、次々崩れていくのがわかる。モモの体が後ろへ押される。「バリ!」と気合いを入れる強い声。バリアーを砕きながら、もはや何もできないウインディが僕達の目の前まで迫った。僕は無意識のうちにモモの背中に両手をあてていた。力をこめ、歯をくいしばる。ピジョット、すまない。モモ、頼む!
「バリィ……」
 モモのつぶやきが耳に入った。顔を上げると、バリアーを全てやぶられながらも、自分自身の腕でその巨体を止めきったモモの姿があった。
 すぐに反対側へ周ってみると、ウインディと一緒に気絶したピジョットがそこにいた。やけど負っているに違いない。いつも悪態つくくせに、いつでも僕のためにも動いてくれるピジョットの姿が、いつもより格好よく見えた。ありがとう、ピジョット。
 すぐにモンスターボールの中へピジョトを戻すと、横たわる巨体だけがそこに。ダメージを負っていないとはいえ、多くのバリアーを張ったおかげか、モモも少し疲れを見せていた。「モモも、ありがとうな」モモはピジョットと違ってのんびり屋だ。僕の言葉にポリポリと頭を書いてにんまりと笑うだけだった。どういたしまして、ということだろう。
ピジョットがいた場所には、ポーチと散らばったモンスターボールが落ちている。サエさんは袖が切れた右腕を抑え、僕達を無表情のまま見つめていた。
一応、僕達の勝ち。そういうこと、かな。

早蕨 ( 2012/04/15(日) 22:46 )