一章
[1-9]
  きっとこの町はしらじらと嘯く人間ばかりだろう。たった一日しかいないのに、僕にもそれがなんとなくわかってきた。不思議な雰囲気を醸し出しているように感じていたこの町が、一気に都会の無機質なビル群のように感じられた。明かりのついていない町の街灯が昨日よりも薄汚れて見える。シオンタウンで一際高い、ポケモン達の魂が眠るポケモンタワー。遠くに見えるその塔でさえ、汚い物に見えてしまう。気分が悪くなってくる。胸糞悪い。ヘドロのようにベチャリとしたものが僕の頭の中には入っていて、それが勝手に胸糞悪いことを考え始めている。今の僕ならそう言われても信じる。サエさんの家を後にし一人で町を歩いているだけなのに、こんなにも気持ち悪い。途端に町が色あせた。昼なのに、夜みたい。
「ああもう」
 むしゃくしゃする。やれることをやる、と啖呵を切ったはいいが、僕ができることはたった一つ。確かめること。はるこだって気になっているはずだ。でも、それを口にすることなんて出来ない。だったらその役目は、僕がやろうじゃないか。それを確かめるなんて気分が悪いけど、やるんだ。
 ベルトにセットされたモンスターボールを確かめる。今は三つ。全部揃っている。危険だとか怖いとか、そういうものは感じなかった。さっきバトル場で感じた情けなさをもう一回感じるわけにはいかない。あんなのはもう嫌だ。嫌だから、動く。僕はこれからポケモンセンターへ行き、部屋を借りる。そこで寝る。夜まで。話はそこからだ。向こうがどう動いてくるかはわからない。わかるはずもない。けれど、今の僕にはそうするしかない。はること一緒にいた、はるこのことを知っている風な男。そんな男が町をほっつき歩いていたらどうなる。襲ってくるならそれでいい。僕は自分のポケモン達と全力で迎え撃つつもりだ。それが唯一今の僕にできることで、同時に確かめることにもなるだろう。単純に言えば、はるこの追手を僕が代わりに退治するだけ。頭なんか少しも使っていない。強さがものを言うだろう。だからこそ、僕はやろうと思った。

 ポケモンセンターは騒ぎが起こったとはいえあんな程度で休んではいられない。休憩にくる旅人はまだいるのだ。僕は今朝借りた小さい体の痛くなるベッドが置いてある、隅っこの部屋を借りた。昼間だから、誰もいない。夜になると、数人で同じ部屋で泊まることとなる。他の部屋がいっぱいだと、こういうところに泊まるしかなくなる人もいるのだ。地下へ続く階段を尻目に、僕は階段横の通路へ入る。一番奥が、その部屋だ。仮眠室、と書かれている。乱暴にドアを開けて中に入る。六つほどのベッドが等間隔に並んでいる。今朝と同じ奥の右角のベッドへ行き、僕は倒れこむ。そのまま何も考えず目を閉じた。夜に目を覚ます保障はなかった。明日の朝になっているかもしれない。そんな間抜けな朝も面白い。乾いた笑いを一人で浮かべ、僕は意識を鎮めた。

 目を覚ましたら、外は真っ暗だった。むくりと体を上げ、目をこする。眠くもないのに寝たためか、逆に疲れてしまったような疲労感を覚えた。軽く首を鳴らして、僕は仮眠室を後にしようとベッドから出る。部屋には一人だけ寝ていた。ベッドはそれぞれしきりのカーテンがあって、その一枚がひかれていた。その人が起きることも気にせず、乱暴にドアを開け、ポケモンセンターの出口を目指した。一階の受付にいた、夜勤のジョーイさんと目があった。
「すいません、今、何時ですか?」
 受付の後ろの壁に時計がかけてあったから、質問をするまでもなかったけど、誰かと話しがしたかった。ジョーイさんは僕の変な質問にも動じることなく、にこりと笑って十時です、と答えた。「ありがとうございます」お礼を言って、僕はポケモンセンターを後にする。
向かう場所は、サエさんのアパート。一日中張るつもりだった。サエさんが夜中に出てくると考えている。もし出てこなければ、明日また同じことをする。その繰り返しだ。僕はまた同じ道を歩く。並ぶ住宅、シャッターの閉まったお店。薄暗い街灯。この町の住人達は、少しずつ眠りにつきはじめる。まだ数回しか歩いていないのに、随分と慣れたものだった。はるこが隣にいないことが、なんだか残念に思えた。
 しばらく歩くと、アパートが見えてくる。南へ下りれば下りるほど、この町は住宅が多い。僕は少しだけ足を早め、アパートを少し過ぎたところにあった電柱に身を隠した。電灯が僕の数歩先を照らしていた。自然と僕の視線はそこに吸い寄せられる。コンクリートの無機質な地面がそこにはあった。夜のコンクリートはとてつもなく固いもののように思えたが、街灯の光が当たっているその部分だけは柔らかそう。簡単に砕けそう。サエさんみたい。ふふ、と笑う。昼間にベッドの上での乾いた笑いとは違った。
「いつごろかなあ」
 そう呟きながら、あのスラリとした長身の姿がアパートの階段のところに立つ姿を想像する。今すぐにも出てくるんじゃないかと思えた。今頃中で何をしているだろう。晩御飯を食べ終え、談笑でもしているだろうか。もう眠ってしまっているだろうか。少なくとも、はるこはそろそろ眠くなってくるころじゃないだろうか。メタモン達もはるこにぺたぺたと張り付き、居眠りを始めているかもしれない。昨日も十時を半分も過ぎるとはるこはとても眠そうにしていた。サエさんはまたあの表情を浮かべ、ぼんやり外でも眺めているかもしれない。たばこを喫って、お酒を呑みながら。それとも、はるこに気づかれないように、こっそりと部屋を出てくるか。一番良いのはこのまま人気のない暗いところで僕が襲われることだった。ただ返り討ちにすればよい。縛り上げて、いろいろ吐かせてやればいい。モンスターボールを握りしめながら、僕はその場面のことを思い描く。やってやる。もう一度だけ決心を改めたところで、僕はゆっくりと深呼吸。
 視線の先に、見覚えのある姿。
 一度目を閉じてから、ゆっくりと開く。 
 サエさんだ。今朝と変わらない格好。相も変わらずスレンダーな姿。見間違えるはずがない。
 僕は心臓が胸を打つ音が大きくなるのを感じる。ベッドの中で感じる時計の音のように、心臓は鼓動を打っている。カンカン、と聞き慣れた音を響かせて階段を降りる。こちらへ曲がってくることはなかった。サエさんは北側へ歩き始める。こちらへ来る恐れなど、考えもしなかった。それならそれでいいと思っていた。僕は一定の距離を保ちながらサエさんの後をつけ始めた。
 暗いシオンタウンの町を、等間隔で歩く僕とサエさん。後ろをつける僕に気付く様子はなく、しっかりとした歩調で歩いていた。
僕の心臓はまだ大きく鼓動を打っていた。戦うときが迫っているのを感じているのかもしれない。僕は体に力が入らないよう努め、歩調をサエさんに合わせた。
 サエさんは歩き続けた。目的地に向かってというよりは、ただそう命じられたロボットのように真っ直ぐに歩き続けた。僕も無心でサエさんの後を追う。無心のはずなのに、心臓だけが鼓動を強く打ち続ける。無音。ポケモンの鳴き声一つしない。軽くこすれる靴の音がかすかに聞こえるだけ。僕達は歩き続ける。
 後をつける間一瞬だけはるこのことが気になった。しかしはる子は僕に守られずとも自分で自分を守れる。それは僕にできることの中には入っていない。そうやって自分のやるべきことをもう一度だけ確認する。続いて感じた心臓の鼓動が、リセットされ、スタートラインに戻り、もう一度最初から鼓動を打ち始めたかのよう。
 等間隔に並んだ街灯だけが僕に距離の感覚をもたらしてくれた。
 歩き続ける。こんなにもシオンタウンは広かったのかと思う。そろそろ、サエさんが僕に気付いてもおかしくはないような気がした。
 誰かが後ろをつけていることを感じたのか、それからすぐ、このまま進むとイワヤマトンネルに進もうかというところで、サエさんは斜め左に折れた。突然方向を変えられたことで僕の頭の中ははっとし、同じ道を辿った。サエさんはポケモンセンターに入っていった。夜勤のジョーイさんのことを思い出す。僕も自動ドアを抜ける。ロビーにサエさんの姿はなかった。先ほどと同じように、僕はあのジョーイさんに向かって訪ねた。
「あの、女の人、ここに来ませんでした?」「地下のバトル場に行かれた様ですよ」
 間髪入れずに答えてくれる。笑顔だった。僕はなぜかそんなジョーイさんに身震いし、「ありがとうございます」と一言お礼を言ってから地下へ降りた。「お客様」ジョーイさんが僕を呼び止める。「深夜のバトル場は一番下、地下三階のみの使用となっております」事務的な会話だ。「わかりました」僕は答える。僕はあのジョーイさんが怖かった。
 階段を降りていくと、はるこの手の感触を思い出した。思い出すと、今一人で階段を下りる自分の手が寂しいような気がした。きっとこの地下にはサエさんがいる。階段が長いような短いような。一歩一歩が重いような軽いような。妙な感覚。体は急ぐが心は重い。地下一階へ。地下二階へ。地下三階へ。地下へと下りることは、あまり気分の良いものとは言えなかった。今は尚更。
 サエさん、あなたもきっと、同じような気分で降りたんでしょうね。
 心でそう語りかける。地下三階へついた。自動ドアの前へ。扉が開く。中は明るい。その中心には、女性が一人。
「なんだ兄ちゃん、こんなところで何やってんだ?」
 にやりと薄ら笑いを浮かべ、しらじらと嘯くサエさんがそこにいた。


早蕨 ( 2012/04/05(木) 17:31 )