デリバードからのプレゼント
僕とコラッタ
 僕が最も敬愛する友人は、ラッタである。
 あいつを心の底から愛しており、ポケモンの中で最も格好いい奴だと思っている。こんなことを人に言うとお前はおかしいと言われてしまうのだが、僕は本気でそう思っているし、そのことが変だなんて思ったことは一度もなかった。
 彼と僕との付き合いは長い。もうかれこれ二十年ほどとなる。僕が彼をそんな風に思う理由は、この二十年間に詰まっているのだと思う。思い出すだけで、いろいろなことが頭の中を駆け巡る。青く、赤く、白く、はたまた緑の記憶が、頭を走る。色のついた、カラフルな記憶が僕の胸に広がって、匂いや音、感情が蘇る。蘇る。……蘇る。
 蘇るというのは、いい言葉だ。この言葉は、本当に記憶を呼び起こし、僕にそのときの感情を思い出させてくれる。もちろん良いことも悪いことも思い出してしまうが、僕にとってそれはあまり関係のないことだった。良いも悪いも、一時のもの。もっと大切なのは、間違いなく僕はラッタと共に過ごしてきたという事実であり、そう感じることの出来るこの気持ちである。
 そう、僕は、ラッタと共に生きてきた。僕の人生を語る上で、ラッタはかかせない。もし語るとき彼の話をしないのだとしたら、それは限りなく無駄な行為だ。なんの意味もない。
だから今回、ラッタの話をしながら僕の話を書こうと思う。書くときがきた。書くのに丁度よいものもあるし、今日の分はこれでいこうと思っている。
「雨……か」
 自室の窓から部屋の外を眺め、呟く。右手には日記、左手にはコーヒーを持っていた。
 ひのきの香りがほのかにただよう、ひんやりとした机に二つを置き、僕はゆっくりと同じ香りのする椅子へ着く。
 僕は彼と旅に出た頃から日記をつけているのだが、一日たりとも欠かしていない。それが僕にとって何より大切なことなので、欠かすわけにはいかなかった。彼との日々は何よりも大切だったからだ。
 今日はまだ朝なのだが、日記を書いてしまおうと思う。内容が内容なので、朝でも大丈夫だろう。
 椅子に深く腰掛け、深呼吸。頭の中をかけめぐる、彩色豊かな色を見て、机の上にいつも置いてある傷薬を一瞥し、僕はそっと、ペンを執る。


■ ■


 十一月六日 雨 

  今日ばかりは、その日あった出来事ではなく、この日記に書かれていない最も大切なことを書こうと思う。


  ■      ■
  

  ラッタとの出会いは僕がまだ小さかった頃、トレーナーズスクールの三年生のときだった。彼がまだコラッタだったときの話だ。
 当時の僕といえば、まったくの一人ぼっちで、どうして一人ぼっちだったのかと言うと、これはきっと僕の性格に起因しているのだと思う。僕は人の反応というものが恐かった。思ったことを述べると、怒ったり笑ったり泣いたり、様々な反応が返ってくることが恐かった。人なんだから当たり前。今となってはそう思えるが、人が怒ったり波風立つのを非常に嫌がる臆病な性格をしていた当時の僕からしてみれば、人の反応は恐い以外のなにものでもなかった。ゆえに、人とあまり話すことのなかった僕はとても暗く、一人でいることが多かった。
 そんな当時の僕が、ヤマブキシティのトレーナーズスクールから帰路についていたときのこと。しとしとと雨が降る中、僕は傘をさして歩きながら家につくまでの歩数を何気なく数えていた。雨が降る外は外界で、一人数を数える僕の傘の中は僕の世界だ。僕の意識は数と足元にしか向いていなかった。
 競い合っているかのように年々上に伸びていくビル群の中をそんな風に歩きながら、僕はふと、聞き慣れない音が聞こえて足を止める。
 ポケモン……。僕はそう直観する。きっと小さなポケモンだろう。車や人の話し声、普段から聞きなれている音は完全に無視できるのだが、いつも聞こえるはずのない、ましてこんなコンクリートジャングルのヤマブキシティで聞けるような音ではなかったので、僕の足は自然と止まってしまったのだった。
 その鳴き声は、丁度ビルとビルの間の路地から聞こえる。僕の耳は、とても敏感になっていた。僕にしか聞こえていないのかもしれないように感じられて、僕の足は急いだ。路地に入ってしばらくすると、その鳴き声の主がわかった。
無機質な黒いビルの入り口の横にある植木の下、雨に濡れていつも以上に冷たくなったコンクリートの上に、コラッタが横たわっていた。
 何を考えていたのか、僕はこのとき倒れているコラッタを見て、そのまましばらく立ち尽くしていた。この広いヤマブキシティにたった一匹で倒れているコラッタと、友達がいない独りぼっちの自分が重なったような気がしたのだった。
完全に衰弱しきっているように見えるコラッタを前に、僕は随分のんきで失礼なことを考えていたものだが、当時の僕にとっては重要であった。助けたい、という気持ちが先だったか、自分よりも下がいる、と卑劣な優越感のようなものを感じたのが先かは覚えていない。ただ、僕の中にはどちらもあったことは認めようと思う。
 ともかく最終的に助けようという気持ちが僕の中を支配していき、何を血迷ったか傘を放りだし、横たわるコラッタを抱きかかえて僕はポケモンセンターを目指して走った。走って走って走った。
 走っている間抱きかかえていたコラッタの温度と感触は忘れない。死んだおじいちゃんに触ったときのような温度と、びたっとした湿った体毛。無心で走っていた僕に、不快な気分が広がっていく。何に不快を感じるのか。やはりコラッタを僕と重ねているから? 死に対する不快感? 
「死ぬなよ」
 そう呟いて、決着がつかない心の中を粛清する。赤い屋根が見えてきて、僕は足を速めた。


 結果的に言うと、コラッタは助かった。
 治療には一週間ほどかかると言われ、僕がコラッタをポケモンセンターに運び込んだ日から一週間、なにやらもやもやとした気持ちで過ごしていた僕は毎日コラッタに会いにいっていた。痕が残るであろう右頬の傷を除けばコラッタはただの栄養失調らしく、運び込んでから三日目にして少しだけ元気を取り戻し、一週間後には退院だった。
「よかったなあ、元気になって」
 病室のベッドに腰をかけ、僕の足の上に乗せて首をなでると、コラッタは気持ち良さそうにする。においを覚えてくれているのか、僕に対する警戒心はまったくなかった。それどころか、コラッタは自分から近寄ってきてくれて、抱いてやるととても喜んだ。
 不思議と僕も、嬉しくなる。無条件と言っていいのかわからないが、単純に僕になついてくれるコラッタがもの凄く愛らしくなった。
「ふふ、そのコラッタ、あなたのことがとっても好きなのね」
「そうだと嬉しいです」
ベッドに座りコラッタを抱く僕を見て、ジョーイさんはそう言ってくれた。
 嬉しいと同時に、人間とでさえうまくやっていけない僕がコラッタと仲良くなれるのかどうか不安になる。僕と一緒にいて、楽しいだろうか。幸せになるだろうか――。
「最近ね……」
 僕がコラッタを見ながらぼうっとしていると、ジョーイさんが突然そう切り出した。
「コラッタとか、小さなポケモン達が、そうやって捨てられることが多くなっているの」
「トレーナーが捨てたってことですか?」
「それもあるけど、もう一つ、人間がポケモンの住み処を奪うからよ。住む場所は減るけど、コラッタの数は突然減らない。そうすると食料が足りなくなって、群れから弾かれる子も出てくるの」
 これも一因に過ぎなくて、他にもいろいろと理由はあるのでしょうけど。とジョーイさんは一つ付け加え、にこりと微笑んで病室を去っていく。そのコラッタはお前が預かれ、と無言の圧力を受けた気がした。
「なあ、コラッタ。僕でいいの? こんなつまらない僕でいいの?」
 コラッタは僕の質問に答えない。いや、答える気がないとでも言うように、くああっと欠伸をかき、僕を一瞥すると、足の上で目を閉じた。


  他人の反応が恐い。他人が恐い。要するに、僕はいじめられていたのである。あまり酷いことはされていなかったと思うが、馬鹿にされることが多かった。臆病な僕は何も言い返せず、ただ一人恐れて小さくなっていたのだった。
 そんな僕にコラッタという仲間ができ、彼と共に公園で遊んだり、ときには町のはずれにまで行ってみたりするうちに、僕は少しだけ自分が明るくなれたような気がしていた。
 それは、彼が僕をいじめたり馬鹿にしたりしないからなのかもしれない。彼が僕より弱いからかもしれない。何にしても、僕は彼のことを大事な友達だと思いながら、実は自分に従う都合の良い生き物なのではないか、とそんな風に思っていた。我ながら最低である。
 でも、そう思うのにも確かに理由はあるのだ。
 彼は、僕が行こうという場所へついてきてくれた。一緒に寝ようと言えば寝てくれた。彼はいつも、僕の側にいてくれた。
 これがコラッタのやさしさであるのならば、何故僕なんかにそんなに優しくしてくれるのだろうか。助けた恩だろうか。その事が、コラッタを縛り付けているのだろうか。
 そんな風にいろいろ考えながら生活していたある日、僕にも人間の友達というものができた。コラッタのおかげで少しだけ明るくなれた僕は、前よりも話しかけやすい雰囲気だったらしく、公園でいつも通りコラッタと遊ぶ僕に、声をかけてくれた子がいたのだった。
「ねえ、一緒に遊ばない?」
 コラッタと一緒に公園を走り回っていると、僕は声をかけられる。
 茶色がかったショートカットの女の子で、よく見るとクラスメイトだった。
「……え?」
「え、じゃなくて。遊ぼうよ。ね?」
 もこもこして柔らかそうなロコンを抱えながら、笑顔で語りかけてくる女の子に、僕は困惑する。
「……なんで?」
「なんでって、私、あなたとまだあまり喋ったことないんだもの」
「それだけ?」
「うん」
「それだけで、一緒に遊んでくれるの?」
「一緒に遊ぶのに、何か必要なの?」
 この日から、僕はこの女の子と一緒に遊べるようになった。これは快挙で、革命で、僕の中の何かが、劇的に変わろうとしていた。思っていたほど人は恐くないのかもしれないと、恐くない人もいるのだと、僕は気付き始めていた。


  彼女の名前は、しほ、という名前だった。クラスの中心にいる彼女と一緒に遊べるようになった僕もまた、クラスの輪に少しずつ加われるようになってきていた。友達と一緒に笑い、一緒にご飯を食べ、一緒に遊び、一緒に下校する。そんな当たり前のことが、僕にも少しずつわかるようになった。
 でも、僕がそういう風にわかっていくのを嫌うかのように、僕に対する風当たりは強くなっていった。
ある日突然、気付いたら、僕は前よりもひどく馬鹿にされていた。
 調子に乗っている。と、ある男の子は言った。僕にはよくわからなかったけれど、要するに輪の中に入ってはいけないんだということだけはわかった気がした。
 調子に乗るな。調子に乗るな。調子に乗るな。調子に乗るな。調子に乗るな。
 言い換えて。
 お前はだめだ。お前はだめだ。お前は入るな。お前は入るな。お前は嫌いだ。
 そういうことなのだろうと、僕は思った。
 人は優しく、恐く、厳しかった。コラッタと違い、僕に対して人は、いつも厳しくあたった。
 人は恐い。やっぱり人は恐い。僕はしほちゃんが喋りかけてくれたときのことを思い出し、その次には僕を馬鹿にする子たちのことを思い出す。人間が、前よりも恐ろしくなった気がした。
 

 僕を馬鹿にする集団はさらに広がっていき、僕がトレーナーズスクールで十歳を迎えるころには、かなりの数だったと思う。
 僕はだんだんとクラスの輪からはじかれていき、学校の中からもはじかれるような気がして、前のように、いや、前よりさらにひどい状態になりつつあったけれど、一つだけ変わったことがあった。
 僕の中に譲れないものが出来た。臆病で体も小さく、強く迫られたら何も出来ない僕だけれど、たった一つだけ僕の勇気を奮い立たせるものがあった。
 僕は、コラッタを馬鹿にされることだけは許せない。それだけは、どうしても我慢が出来ない。コラッタはどうか知らないけれど、いつでも僕の隣にいてくれるコラッタを馬鹿にされると、僕の知らない僕が出現した。怒る僕がそこにはいた。
「その弱い馬鹿なポケモン、お前にお似合いだよ」
 ある日、学校で、クラスの男の子がとうとう僕のコラッタにまで矛先を向け始めた。僕はカッと体が熱くなるのを感じ、迷わずその子を思いっきり殴った。今までまったく反抗してこなかった僕が突然殴りかかってきたことに驚いたのか、その男の子はただただ驚いて殴られていた。クラスは騒然とし、そんな僕の姿に先生たちは驚いた。
 親は怒った。外聞を気にしていた。先生も僕を怒った。殴ったほうが悪いと言っていた。クラスの皆も、さらに僕から離れていった。しほちゃんでさえも、もう僕と遊ぶのは難しくなっていた。きっと、僕といるとしほちゃんも嫌われる、ということなのだろう。僕の味方はいなかった。
 でも、僕はまったく後悔していなかった。コラッタを馬鹿にされてヘラヘラしている方が間違っている。僕は正しい。僕は間違っていない。コラッタは、僕にとって唯一の友達で、僕の側にいてくれた。だから、そんな彼が馬鹿にされて怒るのは当然のはずだ。いいんだ。僕は、間違ってない。……間違ってない。
 僕はその夜、自分の部屋で泣いた。


  前よりも一人のことが多くなったことで、僕とコラッタだけで遊ぶ時間がとても増えた。同時に、前よりもさらに暗くなったのは言うまでもない。
 やっとトレーナーズスクール四年生となり十歳を迎え、自分で旅に出る選択肢もとれるようになったので、僕はそれについて考え始めていた。スクールに通う子たちはたとえ旅に出るという選択肢をとったとしても、その八割以上が卒業後で、途中で旅へ出ようという者は少ないのだが、僕にとって別にこの学校にも勉強にも何も未練はなかったので、早く旅へ出たくて仕方がなかった。
コラッタと一緒にカントー地方中を回って、いつかはカントーさえも飛び出し、世界中を周る。これをきっと、夢というのだろう。考え始めたら楽しいもので、僕は毎日、そんな想像にふけた。
出会ってから一年ほどだって、コラッタはこころなしか大きくなったような気がしていた。僕も、きっと少しずつだが成長している。時間は進む。コラッタと僕の時間は、どんどん進んでいる。だから、僕は考えた。時間は限られているのだから、早く旅に出ればでるほど、コラッタといろいろな場所へ周れるのではないか、と。
当たり前のことだが、僕はそれに気付いていなかった。いや、少しは気付いていたとは思う。ただ、僕はそれを自分に言い聞かせた。早く旅へ出る決心をつけるようにと、僕は自分に言い聞かせていた。
 しかし僕がそう思っているとはいえ、コラッタがどうしたいのか気になったので、ある日の夕方、学校の屋上のコンクリートの上に胡坐をかきながら夕日を眺め、足の上で横になるコラッタに、僕は何気なく話し始めた。
「ねえ、コラッタ。旅へ出ようよ。僕と一緒に、旅へ行こう。山とか海とか、いろんなところへ行って、凄いところに行くんだ。僕と君だけでさ」
 それから、僕はひたすらコラッタに語りかけた。やれあそこに行きたいとか、あの有名な人に会ってみたいだとか、一方的に語り続けた。やがて僕が語り疲れて口が止まると、コラッタはやっと終わったかとでも言うように、相変わらず答える気がないようにくああと欠伸を一つかき、僕を一瞥してから、少しだけ微笑んだような顔をして、足の中で目を閉じた。
 僕は笑った。夕日がまぶしくて、いつもより少しだけ、温かかった。
 
 その翌日、コラッタはいなくなった。

  朝ベッドから起きると、コラッタはいなかった。コラッタが入っているはずのモンスターボールは空だった。ポカンと口のあいたモンスターボールを見て、僕もポカンと口をあけた。授業で、モンスターボールから脱走されるということは、そのトレーナーがポケモンに信用されていないといことだと言っていたのを思い出し、僕は震えた。
 体が小刻みに震え、寝起きのまだ頭がぼうっとしている状態でも、僕は恐怖した。コラッタがいないということに、僕は震えた。
 もともと一人だったから、それには慣れていたはずだ。なんで、こんなに震えるんだろうか。
「……コラッタ」
 答えは一つ。僕にとって、コラッタはかけがえのない存在だったからだ。当たり前の話だ。僕がコラッタを好きじゃないはずがない。僕がコラッタを大事に思っていないはずがない。
 でも、コラッタが僕のことを好きだったかどうかは、わからない。そう考えると、僕はさらに震えた。助けた恩で、今まで一緒にいてくれただけ。その恩を返し終わったから、いなくなった。旅へ出ようなどと僕がほざいたから、この辺でいいか、とコラッタが見切りをつけた。そんな風にどんどん悪いほうへ思考が働いていき、僕はいてもたってもいられなくなり、家を飛び出した。
 学校へなど、行っていられない。コラッタと一緒じゃないと、僕はもうやっていけないのだ。逸る気持ちを落ち着けようともせず、僕はヤマブキシティ中を走り周った。行けども行けども終わらないビル街を走り、同じ場所をぐるぐると周っているのではないかと思うほど夢中で走り回り、どんどん疲れが溜まり、走るのが辛くなってくると、僕は一人なんて平気だとか、コラッタは本当は情けで僕といてくれているんだとか、そんなことを考えていた自分が恥ずかしくなった。
コラッタがどうこうではない。僕は、コラッタが僕を好きになってくれるために、一体何をしたというのだろうか。コラッタのために、僕は何をやれただろうか。僕は、自分のためにコラッタを側に置いていただけではないだろうか。コラッタが幸せになるためにということを、僕は一度も考えなかったのではないか。
 群れからはじかれたとか捨てられたとかでコンクリートに横たわっていたコラッタ。きっと苦しくて、悲しい思いをしたコラッタに対して、僕はどれだけのことをしてやれただろう。
 ポケモンセンターでコラッタを預かったとき、僕は一体、何を考えていたのだろう。
 僕は自分で自分に腹が立って、ぎりぎりと歯噛みした。
 独りになっていることは、僕の性格に起因する。これはまごうことなき事実なのであった。僕が変わらなくちゃ、コラッタにだってついてきてもらえない。僕が変わらなきゃ、僕がやらなきゃ僕も変わらない、何も変わらない。変わらないんだ。


  学校をサボってヤマブキシティ中を駆けずり回り、体力も底をつくと、僕はずりずりと足をひきずりながら歩き周ることしか出来なくなっていた。
 もう随分と歩いているが、コラッタは見つからない。とにかくどうにかコラッタを見つけて、話しがしたかった。コラッタと向き合いたかった。僕はそれだけを考え、ひたすら歩き続けた。足がジンジンと痛んできた。なりふりかまわず走りすぎた。相変わらず僕は馬鹿だ。でも、僕は歩き続けた。
 日は気付くとてっぺんで、再び日を見上げたときにはさらに傾き、もう一度空を仰いだときには既に日が強い朱色に輝いていた。昨日感じた温かさは、今日は感じられない。とたんに寂しい気持ちが僕の中に広がっていき、コラッタのいない辛さを噛み締める。
「ああ、コラッタ……どこにいるんだよ」


  僕がコラッタを見つけたのは、それからすぐにことだった。
家の近辺まで戻ってきてまさかと思いいつもの公園へ行ってみると、コラッタがいろいろなポケモンに襲われていて、よく見るとそのポケモンたちのトレーナーはクラスメイト達だった。コラッタの顔には傷が入っているので、それがいつも僕といるコラッタという目印になってしまうのだ。
「お、あいついるじゃん。お前のポケモン、最低だな!」
 公園の入り口に立つ僕を見たクラスメイトが、僕に向かって叫ぶ。
 マンキーがコラッタをなぐり、マダツボミがつるでコラッタを縛り、ゼニガメがコラッタへ水鉄砲を放つ。小さな体が、どんどん傷つけられていく。
 僕は走った。疲れが一気に昇華され、頭の中の何かが吹っ飛びそうなくらい怒り狂って、クラスメイトに向かっていった。
 一人の男の子が向かってくる僕に向かって、「水鉄砲!」と叫ぶ。すると近くにいたゼニガメが、僕に向かって水鉄砲を放った。僕はそれをよけようともせず、ぐっと足を踏ん張ってそれに耐えた。
「うあ、ゼニガメ!」
 声が聞こえ、突然水鉄砲は止み、僕はびしょびしょの体で男の子をにらみつける。そこには狼狽する男の子の姿があり、その前で水鉄砲を放っていたはずだったゼニガメが倒れていた。
 ゼニガメを倒したのは、コラッタだった。
僕を攻撃したことでできたゼニガメの隙をつき、傷だらけの体でゼニガメにたいあたりをしたらしい。ゼニガメを倒されたことで男の子の顔が怒りに満ち、コラッタへ襲い掛かる。僕もそれを見てすぐに走った。
「僕の友達を、いじめるなあ!」
 なりふり構わず、僕は拳を振り回す。男の子を殴り飛ばしコラッタの前に仁王立ち。一気襲いかかってくるポケモン達の攻撃に耐え、僕はコラッタを必死に守った。
 男の子達も攻撃に加わってきて、流石に立っているだけじゃまずいと、僕はコラッタの上に覆いかぶさる。
「ごめんよコラッタ。僕が変わらないから、君までこんな目に。……ごめん。ごめんね、コラッタ」
 どれだけ殴られても、僕は平気。今、僕の中にコラッタがいるのだから、そんなのはへっちゃらだ。コラッタを守れれば、一緒にいられれば、僕にはそれで十分だ。コラッタが好きだ。僕には、コラッタが一番大切だ。
 たとえコラッタが僕を嫌いでも、どう思っていようとも、僕は君に好かれるように頑張りたい。……頑張りたい。


「ちぇ。もうつまんねえや。皆、帰ろうぜ」
 クラスメイト達は、そういい残して去っていった。あたりはもう薄暗く、少しだけ肌寒いくらいだった。
 僕は、体の下にいるコラッタを確認しようと起き上がる。見た感じ、コラッタはなかなかぼろだったが、それ以上に僕の方がぼろぼろだった。
「へへ。全然痛くないもんね」
 それは事実で、僕は痛くなかった。コラッタがいなくなったときに比べれば、こんなのはどうってことない。
ゆっくりと横たわるコラッタを抱き上げると、その口に一本のスプレーがはさまっている。コラッタは僕にそれをとれというように、僕に口を向けていた。
「これ……傷薬?」
 コラッタの口からそれを取り、一度その体を横たえ、そのスプレーを見ながらん僕がそう言うと、コラッタは頷く。
「え、でも、どうして傷薬なんか……」
 自分で言って、僕ははっとする。……ああ、そうか――。
僕は傷薬を見ながら、涙が込み上げてくるのを感じた。
「あ、あの……」
 傷薬を見てすすりないていると、後ろから話しかけられ、僕はゆっくりと振り向く。
「しほちゃん?」
 気まずそうにして、僕と同じように少しだけすすりなくしほちゃんが、そこに立っていた。
「あの、ごめんなさい。私、見ていることしかできなくて、何にも出来なくて、ごめん。ごめんなさい」
 しほちゃんは何度も僕に頭を下げた。
「いいよ、しほちゃん。別に、しほちゃんは悪くない」
 ゆっくりと頭をあげると、うるうるさせた目でしほちゃんは僕を見た。僕はしほちゃんをただじっと見つめる。
「……あの、そのコラッタが、フレンドリイショップの傷薬を盗み出したとかで、それを見たうちのクラスの人達が、その、こらしめようって、それで……」
 消え入りそうな声で、しほちゃんは言う。僕はそれを、黙って聞いていた。
「それで?」
「それで……その、あの……」
 僕はふうと息を吐き、傷薬をもったままコラッタを抱き上げて立ち上がる。しほちゃんの方へ向き直り、コラッタを少しだけ強く抱きしめる。
「ありがとう」
 僕は笑って言った。笑ったつもりで、笑えていなかったかもしれない。だけど、僕は精一杯笑って言って、その場を後にした。


  その後、傷薬とコラッタを抱えた僕は、すぐにフレンドリイショップへ出向いて頭を下げた。ちゃんと謝ってそれを返すと、ぼさぼさ頭の店員さんは怒るばかりか大笑いだった。
「はは! 君、せっかく盗み出したものを返すなんて、どういうことだい」
 コラッタを抱えながらきょとんとする僕を見て、店員さんはレジ越しにその傷薬を僕の方へ押しやる。
「いいよ、これはもっていきな。君、そのコラッタがどれだけ必死になってその傷薬を奪おうとしたか知ってる? 何度僕に追い返されても、粘って粘って、何回やっても諦めず、やっと奪った傷薬だ。ポケモンがそれだけするんだから、何か理由でもあるんだろう? だから、今回だけは見逃すよ。その君のコラッタの諦めの悪さに免じてね」
「え?」
 僕は思わず抱えているコラッタを見下ろす。僕と目を合わすどころか、ウーウーうなりながら店員さんを威嚇していた。
「ほらほら、早く出ていかないとジュンサーさん呼んじゃうぞ。ほら、行った行った!」
 ジュンサーさんと言われるともの凄く悪いことをした気がして、僕は慌てて店を出ようとしたが、自動ドアの前で一度止まったところで振り返る。頭をもう一度深く下げて、僕はフレンドリイショップを後にした。

 街灯のついた寂しい夜道を歩きながら、僕は腕の中にいるコラッタの温かさを感じる。半日ぶりなのに、その温かさは僕にとって前よりもずっと素晴らしいもので、一緒に抱えている傷薬とも相まって、この上ないものとなっていた。
「ねえ、コラッタ。僕、次は絶対に変わろうと思う。君にもっと認めてもらえて、周りの人にだって認めてもらうようになるよ。だから、これからも僕と一緒にいてね」
 コラッタは相変わらず答える気はないようだったが、僕の腕の中でもぞもぞと動き、傷薬をくわえてそれを僕に方に向ける。旅へ行くんだろう? と、僕は、コラッタにそう言われた気がした。傷薬を盗んだのは、コラッタなりの強い意志表示だったのだろう。
「うん。これからもよろしくね、コラッタ」
 僕は、傷薬を再び受け取る。
コラッタは、僕の言葉にやっぱり答える様子はなく、くああと欠伸を一つして、僕を一瞥し、僕の腕の中で目を閉じた。
「ここからだ。ここからだね、コラッタ」
 僕らの旅は、始まる。これが全ての、始まりだった。


  ■       ■


 最も大切なこの部分だけが記録されていなかったので、僕は今日のこの文章をもって、この日記を終わりにしたいと思う。


  ■      ■


  大きく息を吐いて、僕はペンを置く。もうどれくらい書いているのかはわからないが、窓の外がまだ明るい。気付いたら空腹だったが、夢中で書いていたのでそれはあてにできない。
「ああ、手が痛い」
 ペンを動かし続けた手首を労い、僕はコーヒーの最後の一口をすすって立ち上がる。後ろへ振り向いて確認すると、壁時計の針が指していたのは丁度甘いものが欲しくなる時間だった。何週間分にも及ぶ文章が書かれた日記を閉じ、僕はそれをゆっくりと持ち上げる。
 この日記には、タイトルがない。いや、日記なんだからタイトルなどいらないのかもしれないが、これは僕とラッタの記録だ。それ相応のタイトルがあってもいいと思う。旅をするのにわざわざ邪魔になる日記を持ち、一冊終える度に実家へ日記を送って新しいのを買い、またそれが埋まると、とひたすらそれを繰り返してきたこの日記に、名前をつけてやりたいという願望もある。
 それに、タイトルをつけるのは今が丁度よい。小説は書き終えた後にタイトルをつけるし、絵……はわからないが、そうする人だってきっといるであろう。
「雨……あがったな」
 何気なく外を見て、雨が上がったのを確認し、僕は日記を片手に部屋を出る。木張りに廊下に出てギシと音を一つたてると
「もういいの?」
 と声をかけられた。
「ああ、もう終わった。書き出したら止まらなくてね」
 僕はすぐに答える。
 しほは「そう」と、それだけ言って、小さく微笑む。僕もそれに合わせて微笑んだ。
「じゃあ、いい?」
「いいよ。二十年かけて出来上がった作品だから、たくさんあって大変だけど、ゆっくり読んでくれよな」
「ええ、もちろん。自分の夫の半生だもの、読み飛ばしてなんかいられないわ」
 しほは真面目な顔をして答える。なんというか、昔から生真面目なところがある奴だった。
「僕、これから行くところがあるんだけど。どうだい、君も行くかい?」
「ええ、もちろん」
 彼女はまた、真面目な顔をして答えた。


  僕とコラッタ……いや、ラッタの旅は終わった。一応、目的は果たしたはずだ。世界中をラッタと周って、世界中のものを見てきた。それは僕を変えるには十分なもので、その意味でも、目的は果たしたのだと思う。
 旅が終わって久しぶりにヤマブキシティへ戻ってきたとき、十何年ぶりかにしほと会って、僕らは今一緒にいる。
久しぶりに会ったとき、しほの目はあのときのように潤んではいなかった。あれからすぐ僕は旅へ出て、ずっと言葉など交わしていないのに、まるで待っていたかのように、それが当たり前であるかのように、何気なく、優しい微笑みを浮かべながら、彼女は「おかえり」と言った。僕はそれに応え、「ただいま」と返した。
 僕が変わったように、彼女もきっと変わったのだろうと、僕はそのとき思ったのを覚えている。
「この子が、あなたを支えてくれていたのよね。私よりも、ずっとずっと長く」
「ああ。僕はたまに、こいつに生かされていて、こいつのために生きていたのかもしれないとさえ思うよ。それくらいにこいつは、僕と一緒にいた」
 しほと一緒に、ポケモン達の魂を祭るポケモンタワーへやってきた僕は、その三階にあるお墓の前で呟いた。
 ずっと一緒だったのに、随分と先に空に旅立ってしまったラッタに、僕は手を合わせる。
 目を瞑ると、いろんな色の記憶が僕の中を染め上げて、それだけで涙が出そうになった。いけないけないと、僕はそれを堪えて目を開けた。
「随分先にいかれちゃったよなあ、本当。なあ、ラッタ。僕はまだ、そっちへは行けないからさ、もうちょっとだけ前に歩かせてもらうよ。僕、変わったんだぜ。もう、昔の僕じゃない。友達だってちゃんといるし、誰に馬鹿にされることもない。ジムバッヂだってもの凄い数を集められるくらい、僕らは強かったもんな。だから、大丈夫。僕はまだ、歩ける。しほだっていてくれるし、君だって上から見ててくれるんだろう? なら、安心だ。安心だよ」
 ふと横を見ると、しほも手を合わせて目を瞑っていた。何を考えているのかはわからないが、僕はそれを聞く気はなかった。
 それからしばらくしてしほは手を下ろして目を開いて、それからふかぶかと頭を下げた。
 僕もそうしなければと思い、僕も一緒に頭を下げ、しほがさらにもう少しして頭を上げるとともに、僕もそれに習った。
「あなた、それで、タイトルはどうするの?」
「ああ、そうだった。こいつの前で、それを決めなきゃな。……ううん、そんな洒落たタイトルはいらないし、一番シンプルに、やっぱり、僕とコラッタかな」
「そう。ラッタは、何て言うかしらね」
「そんなの決まってるよ」
 ラッタはきっと、何も言わない。
 出会った頃から、コラッタだった頃からそれは何も変わらない。根っこの部分で、僕もコラッタも何も変わっていないのだ。僕はラッタが好き。それは変わらない。
 だからきっとラッタは、僕の言葉には反応せず、ただただ欠伸を一つかき、僕を一瞥し、目を閉じるのだろう。
 いつでもこいつはそうだった。だから――そうに決まってる。
ラッタ。君は、幸せだったかい? 僕と一緒で、楽しかったかい? 僕は君を、幸せにしてやれたかい? ……僕はね、幸せだったよ。
 僕らの旅は終わり、僕の旅は再び始まる。
 僕はしほを見る。しほも僕をみる。うん、と互いに頷きあって、僕らはそこを後にする。
 ラッタが遠くなる。ラッタは空へ、僕は前へ。
ラッタが遠くなる。遠くなる。遠くなる――。
 
 
 ――ああ、そうだ。言い忘れてた。


 ありがとう、コラッタ。
 ばいばい、ラッタ。
 ご苦労様。そして――おやすみなさい


早蕨 ( 2012/02/25(土) 16:22 )