デリバードからのプレゼント
居場所
【一】
 とにかく気に入らない。毎日腹を立てている。誰もおれを相手にしない。通りかかるやつの目の前に飛び出しても、一瞥して去ってしまう。なんでこうも見下した態度なんだ、こいつらは。

【二】
 物心ついたときからずっとそう思っていた。通りかかる人間やポケモンに憤りを感じていた。
 長い間トキワシティのはずれの林や草むらに住み着いていると、とにかくいらいらすることばかりだ。
 きっとおれよりずっと強いのだろう。大きさの違いを見れば、それはわかる。
 だからといって、わざと目の前に飛び出したおれを前に、トレーナーはポケモンの入っているボールを手に取り、投げたりはしない。
「なんだコラッタか」
 その一言だけ残して去っていく。これほど腹立たしいことはない。
 コラッタ、というのはおれらのことを指している。仲間のコラッタ達は皆とにかく警戒心が強く、なるべく人間に近づかないように避けるのだ。たまに、小さな子どもに見つかって捕まっていくやつ、トレーナーのポケモンにボコボコにされるやつはいるが、ほとんどのやつは素通りだ。
 しかしおれの仲間は見下した態度をとる人間たちのことをなんとも思っていないようで、通り過ぎていくトレーナーを見てほっとしているやつばかり。そんな仲間にもイライラする。
 何で闘わないんだ。ずっとそう思っていた。
「おい、お前腹立たないのかよ」
 同じ場所に住み着くコラッタにそう言い回ったが、同じ意見を持ったやつはいなかった。食べ物にありつけ、安全に自分の身を守って暮らしていくことが全てらしい。
 確かに食べ物にありつくことは大事だ、自分の身を守ることも大切だ。でも、おれには警戒心の強い自分の仲間がまったく理解出来なかった。
 人間達やその後ろをついて歩くポケモン達の視線や態度に、皆気づいているはずなのだ。気づいていながら気にしようとしないあいつらにも腹が立つ。
 闘えよ! と何度も言ったが、何を言っているんだこいつは、という顔をおれに向け、迷惑そうな顔をする。
 気づけばおれは、群れからはじかれていた。同じ場所に住んでいても、同じ仲間だと誰も思ってくれない。煙たい存在として扱われる。そんなの知るか。おかしいのはあいつらだ。そう思い続け、通りかかる人間の前に必死に飛び出し続けた。
「とうとうここまで来たか」
「どこまで駆け上がれるかなあ」
「チャンピオンになりてえなあ」
 おれには目もくれず、いろいろな台詞を吐いて行くやつはたくさんいる。何か大きな決意を持ってここに来ているのはわかった。
 だからなんだ。おれには何も関係ない。見下していい理由になんて絶対ならない。そんな目でおれを見ていいなんてことにはならない。
怒りを溜めに溜め続け、人間の前に飛び出し続け、正面からおれを相手にするようなやつが現れるまでそこで待ち続けた。周りのやつらには迷惑がられても、どんなことを言われても、何がなんでもおれには我慢ならなかった。何で誰も分かってくれないんだろう。そう思ったときもあったけど、いつしかそんな気持ちさえなくなっていた。わかって欲しくないとさえ思っていた。

【三】

 毎日毎日、トレーナーの前に大声で叫びながら飛び出していた。
こちらから飛び掛かりそうな気持ちを抑え、いつもの様に通りかかる人間の前に飛び出すと、珍しくその日は違う反応があった。
 態度が変わるわけじゃない。そのおれを見る目が変わるわけじゃない。しかしそいつは確かにおれを視線に捉え続け、そして苛立っていた。たまにあることで、そういう奴はだいたいトキワシティ側から来るやつではなく、西のはずれからから歩いて来るやつが多かった。
「くそ、あんなに頑張ったのに……」
「もう引退かな……」
「強すぎだろあいつら……」
「セキエイ高原までも辿りつけないとは……」
 弱気な台詞を吐きながら、苛立ちを隠さないそいつらだけはおれを前に通り過ぎなかった。
 そしていつも自分のポケモンをおれに差し向ける。その日の相手はガルーラというやつだった。
「ガルーラ! 捨て身タックル!」
 トレーナーの雑な命令に反応して向かってくるガルーラに、思い切り真正面向かっていく。おれにとってそれは最大のチャンス。自分の中の怒りを最大限にぶつけ、なめてんじゃねえぞ! とその気持ちだけをぶつけるために相手にとびかかる。牙をむきだし、相手にかみつく。

 相手とぶつかったその瞬間、身体の中からにぶい音が聞こえるとと共に、意識が途切れた。

 勝てないことは知っている。自分の小ささ、相手の大きさ、見ればわかる。当たり前だった。
 それでも、溜まりに溜まった怒りをぶつけること以外に自分の中のいらだちを解消する手段は思いつかなかったし、向かい続けないと何かがどうにかなってしまいそうだった。すべて無駄になる気がした。身体中に走る鈍い痛みは、必要なものとなっていた。
 そんな中、気がつきほとんど動けないおれに、周りのやつらは見向きもしない。迷惑だ、さっさと死ね。そのまま殺されろ。そう言いたいことはわかっていた。その度いつもおれは泣いていた。分かってもらわないくていい。分かって欲しいとも思わない。そう思っていたはずなのに、何故か泣いていた。身体中の痛みとともに、強烈なものが内から込み上げてくるのがわかる。
 今にも死にそうな身体が怒りと何やらわからないものに中からぶち破られそうな気がした。
 腹、減った……。
 そう呟くおれの言葉は、誰にも聞いてもらえたことがなかった。

 あのガルーラから受けたタックルは思っているよりずっと強烈で、身体はなかなか回復しなかった。動くといつまでも体のどこかがつまっているようだったし、動き続けるのは厳しい。
 それでも腹は減る。いくら身体が痛くても、空腹を耐えることは出来なかった。誰も面倒など見てくれないし、自分で動くしかない。
 重い身体に鞭を打って町へ出る。なるべく人目に触れないよう、こそこそと町を歩く。店の裏、ゴミ捨て場、林や草むらなんかより、人間の周りが一番食べ物にありつきやすい。特にトキワシティの西側には食糧が少なく、こうして町をうろちょろする「コラッタ」は多かった。
 特にトレーナーハウスという建物の裏は食糧が捨てられている。多くのトレーナー達が腕試しのために集まるその場所は、同時に食糧も多くおいてある。それは人間用の食糧だけではなく、「ポケモン」用の食糧も多く置いてあった。
 この空腹をどうにかするにはそこが一番良い。おれは人目を避け、なるべく目立たないように迂回してその場所へ向かった。
 トレーナーハウス裏の一角に設けられたゴミ捨て場には、遠くからでもわかるくらい積みあがっているのがわかった。期待が膨らみ身体が軽くなった気がして近づいていくと、その宝の山以外の影が見えた。同じ住処の「コラッタ」だった。
 気にするな。腹が減っている。あいつら全員のしてでも手に入れろ。あんな弱いやつら気にするな。食べることしか頭にない。ゴミの中に飛び込んで、食べられるものを食べろ。その宝の山だけを見て、今にも手が届きそう、飛び込め、腹を満たせ、限界だ!
 空腹のあまり我を忘れかけたおれが自分の状況を理解したのは、自分が吹っ飛ばされていると理解し、地面を滑った後だった。雰囲気や曇り空も相まって、トレーナーハウス裏は昼間にも関わらず薄暗い。
一通り周りを見渡して、疑問の声がもれる。何故? 自分でもよくわからなかった。混乱している自分の前に、いつの間にか並ぶ「コラッタ」達。あんなに臆病なやつらが、おれを威嚇していた。絶対闘わないようなこいつらが? おれに? 今更? 
 空腹でねじれそうな身体に今度は怒りが渦巻いてくる。何なんだよ、闘わないんじゃないのかよ。おれが手負いだからか? 食べ物を横取りされそうだからか? ふざけんな。なめんな、手負いでもお前らなんか相手じゃねえ!
 
 またか。

 曇り空はいつしか雨を落とし始め、あざ笑うかのようだった。ゴミ捨て場のゴミとそう変わらない状態なのに、変に落ち着いた自分がいる。意識はあった。手足はまだ動いた。あのままトレーナーハウス裏で袋叩きにあったらしい。おれに対する不満、いらだちが敵意として向けられた瞬間だったのだろう。
 不思議と空腹を感じなかった。
 なんてくだらない。誰にもわかってもらえず、一人で突っ走り、ボコボコにされ、やっとの思いで腹を満たそうとしたら同じやつらにまでボコボコにされる。馬鹿馬鹿しくて笑いしか出てこない。何がしたかったのかさえわからなくなってくる。そう思ったらもう動く気なんて起きなくて、ただただ、そこで眠りについた。

【四】
「ラッキー」
 ふざけたその声で意識は戻った。まだ死んではいない。
目が覚めると、暖かい場所できちんと手当されていたなんてことは当然なく、身体は痛いしお腹は空いている。状況はなにも変わらなかった。
 ふざけた声を出すその主を確かめたく、ボロボロの身体に鞭打って起き上がる。傘を持ちながら立っていたのは、少年だった。
「助けてやるよ」
 その言葉と共に差しのべられたのは手ではなく、今まで何度も見てきたあのボールだった。かわす暇なくポコンとそれにあたると、一瞬で世界はぐにゃりと歪み、なんだか心地良い空間に放りこまれた。上も下も右も左もわからないまま身を委ね、おれはトレーナーのポケモンとなった。

 どれくらい眠っていたのか、よくわからないまま再び外に出された時、身体は順調に回復していた。「ポケモンセンター」に連れて行かれ、心地良いまま傷は癒えていき、あれよあれよと体力も戻った。こんなに便利な場所があるのかと、不思議だった。
「随分衰弱していたようです、何かあったんですか?」
「衰弱しているところを拾ったんです。こいつは」
「なら責任持って育てましょうね。無責任なことは駄目ですよ」
 そんな会話が飛んでいる。これまたよくわからないが、とりあえず無事らしい。
「育てますよ、強くします」
 最後の言葉だけはわかった。今まで自分がやっていたことも思い出した。結局、あんなに怒りを向けていたトレーナーのポケモンとなってしまったのだ。なんて格好悪い。それでも、最後の一言はおれを強くひきつけた。ずっと望んでいたことだったし、これからおれを無視し続けたやつを倒していけるかもしれないと思うと、それはそれはやる気が出る。
 体力も回復したし、傷も治りかけている。このトレーナーのことが好きでも嫌いでもなんでもないが、一緒にいれば今までと違う何かが起こることだけはわかった。

 翌日、あんなに慣れ親しんだトキワシティをあっさり後にした。特に何も感じなかった。誰も味方はいないし、思い入れなどなにもない。ただ、いつか戻ってきたときおれをボコボコにした「コラッタ」達に仕返ししてやりたい。おれを無視し続けたトレーナーも、負かしてやりたい。ひたすらそれだけを思って、おれはトレーナーと旅に出た。

 トレーナーの名前はトオルと言うらしい。簡単な自己紹介をされ、ただただ「勝て」「狙うはバッヂだ、強くなれ」と言われた。
 バッヂが何なのかはわからないが、強くなれるなら願ってもない話。トオルが言ったのは、おれを「バトル」に出すことだった。
 人間に連れられると、見る目が変わる。あれだけをおれを見下していたトレーナー達が、一応敵としておれを見る。あれだけ怒って自分の存在を認めさせようとしていたのが馬鹿らしいくらいに。
 今思えばおれの住んでいた場所を通っていたやつらは異常に強かった。トレーナーのポケモンは皆あれくらいの強さなのかと思っていたが、トキワの森のトレーナー達はてんで大したことない。
 何日も何週間も何か月も、トオルに命じられるまま動いているだけで勝ち続けることが出来た。
 おれが勝つとトオルは嬉しそうにするし、バトルにも慣れてきた。おれをボコボコにしてきたあのトレーナー達のポケモンと同レベルまで達した、とは流石にまだ思えないが、自分が強くなった気もしていた。バトルが楽しい気さえしている。
「コラッタ、お前何なんだ? おれの育て方が良いっていうより、お前が強い。見た目がコラッタで、中身が違うポケモンみたいだ。そんなに強いのに、何であんなところでボロボロになってたんだ?」
 トオルはそう聞くが、答えようがない。
 トキワの森をあっさり抜け、ニビシティの東側の道路からお月見山の麓でバトルの練習を続けていたときのことだった。
「まあ理由なんてどうでもいいか。とりあえず、これからニビでおれの最初のジム戦をやる。ジムリーダーのポケモンとお前との相性は最悪だから他のポケモンを育てておいたんだが、お前のレベルなら無理矢理いけそうだ。だめ押しで進化させてから挑もう。お前がうちのエースだ」
 褒められている。おれが強くて褒められているということが、どうしようもなく嬉しい。おれに見下した視線を寄こすやつなんてこの辺にはもういない。成長し、進化できれば尚更だ。
 もう一体のトオルのポケモンはバタフリーだが、どう考えてもおれの方が圧倒的に強く、うちの中では二番手。これから先もおれが一番でやっていく。その自信があった。
「これから先、うちもパーティを充実させていかなきゃな。ジム戦終わったら、次はどいつにするか」
 トオルはニビジム戦がもはや通り過ぎた後のような感覚になっている。おれの力を信じている。そう思うと、少しだけ嬉しい。

【六】
 お月見山の番人のように、麓で山に入ろうとするやつにバトルをしかけ続けた結果、ラッタに進化した。力もスピードも飛躍的に上り、自分が明らかに違う何かになっているのがわかった。正直あまり負ける気がしない。
 トオルもそれを確信したのか、ニビジム戦では最初から最後までおれを使い続けた。
 バタフリーの出番はなし。もともとそこまで積極的なやつではなく、トオルの喧嘩っ早く攻めの速いやり方に合っていないのかもしれない。
「ジムバッヂを一つももっていないトレーナーのポケモンとは思えないな。完敗だ。いつか本気のおれともう一度バトルしよう」
 ジムリーダータケシはそう言った。
 バッヂを八個集めると、トレーナーの頂点を決めるリーグに出ることが出来、そのレベルまでいけばジムリーダーとも本気でバトルをしてもらえるようだ。トオルは元々そのつもりらしいが、そうなるとおれもそのバッヂを八個手に入れたくなった。そのまま頂点まで登りつめ、二度と誰もおれにあんな視線を送れないようにしてやる。
 何も考えず、怒り狂って無様にやられていたころが懐かしい。味方もなにもなく、誰か一人でも自分を認めてもらおうと必死だったのに、今度は誰からも認められようとしている。今度は考えなしではない。トオルもいて、これから先強いやつが仲間になっていく。頂点に立つ未来が、あるかもしれない。
 
 そんな勘違いを、していた。

 トオルとおれ達は順調に旅を続け、二番目のハナダジム、三番目のクチバジムと、順番に滞りなく突破した。ニドリーノとリザードという新しい仲間も二体加わり、一層おれ達の強さは増していく。特にリザードの強さは驚くほどで、おれも真正面からやりあったら必ず勝てるとは言い難い。三番目のジムリーダーを突破出来たのも、あいつの功績が大きい。しかし、それでもまだおれは、一番だった。
「よし、次は四つ目だ。新しいやつの目途もついたし、お前らのレベルを上げながら行くぞ」
 トオルはいつでも冷静で、先を読んでいた。自分が強いと思えるやつを入れ、バランスよくおれ達を育てる。バトル以外に興味はなさそうで、弱いやつにも興味はない。バタフリーはお月見山を越えた頃、お払い箱となった。弱いんだから仕方がない。ポケモンリーグとやらの一番上を目指すのだから、ついて来られない以上は仕方がなかった。。
 ポケモンは六匹まで一人のトレーナーの手持ちとして一緒についていけるらしいが、トオルが認めこれから先のバトルについていけそうなやつを揃えるのは、中々難しいかもしれない。
 新しいやつが増えることなく、おれ達はそのまま三匹のまま旅を続けた。皆それぞれ経験を積み、技を覚え、強くなっていく。おれはもう姿形を変えることは出来ないが、イワヤマトンネルを出て、シオンタウンに辿り着こうという頃、ニドリーノはトオルに月の石をあててもらい、二度目の進化が済んでいた。
 ニドキング、とトオルは呼んだ。うちの中でも一番大きく、姿形は一番強く見える。
「よし、いい調子だ」
 満足そうだ。思い通りの成長なのか、それを越える成長なのか。進化したこいつは、ニドリーノの時から強かった。うちの中では、おれを含めた三匹は多分同じくらいの強さとなっている。それがニドキングとなった今、更に力をつけたと考えると、おれよりも強くなっているのかもしれない。
「リザードももう少しすれば進化するからな。頑張れよ」
 おれにかける言葉はなかった。
 
 元々なんのためにトオルについて旅なんてしているのか。トキワシティで暮らしていたころ、おれを見るやつの態度が気に食わなくて、それに怒りを募らせていた。周りにもわかってもらえず、ずっと一人で暴れていた。勝てるわけもないやつに挑んで、ボコボコにされ続けた。納得できないというよりも、その怒りをなくしたら仲間も失って、一人になってまでやってきたことが無駄になるような気がしていたのかもしれない。
 今はトオルと、他のやつらと共に旅をしている。仲間、と言えるかどうかはわからないが、孤独ではない。それに、強くなった。あのころとは比べ物にならない。進化もして、そうそう負けることはない。見下された態度なんて、取られることはない。それに今ならわかる。
「なんだ、コラッタか」
 その言葉に怒っていたが、今おれが逆の立場であの場所に行ったら同じことを思うかもしれない。馬鹿にしているわけではなく、闘う対象にならない。なにとなくそう思って、言うだけだ。
 しかし強くなったとはいえ、上を目指してトオルに言われるがまま旅を続け、本当にこのままいけるのか? ニドキングやリザードを見ていると、強いと言われ自身たっぷりだった自分が自惚れている気がしてくる。
 まだまだ上がいて、そもそも大きさが違いすぎるやつもいる。勝てるかと言われたら、わからない。
「よう、ラッタじゃねえか」
 なんとなくそんなことを思い、考えていた時だった。
「ラッタ、いいよなあ、ラッタ好きなんだよ俺」
 シオンタウンから四つ目のジムを目指し西に進んでいたころ、その道中で男は話しかけてきた。
「俺の名前はグリーンっていうんだ。丁度相手探していたとこだし、やろうぜ」
 言っていることはよくわからなかったが、バトルを挑んできたようだった。
 トオルは当然断ることなくそれを受けた。何も変わらない、いつも通りのバトル。
「おれ強いから、負けてもあんまりへこむなよ?」
 グリーンはにっこり笑って強気なことを言うと、ボールを軽く放り、準備を始めた。
 受けない方がよかったかもしれないバトルが、始まった。

 グリーンなんていうトレーナーの名前は聞いたことがなかった。カンナ、シバ、キクコ、ワタル、四人の化け物みたいに強い奴の名前は知っている。それ以外にも有名なトレーナーはいるが、グリーン? そんな奴は聞いたことがなかった。
 別に油断したわけじゃないし、手を抜いていたわけじゃないはずだ。
 それなのに、手も足も出ない。リザードもニドキングも、てんで相手になっていない。
 フーディンというエスパーポケモン相手に、触ることも出来なかった。
「まあこんなもんだ。自信あるようだけど、まだまだだな。修業が足りねえよ修業が」
 トオルは茫然としていた。こんなはずは、というのが見るだけでわかった。
 こいつを見ていると、とにかくやたら強く、自分と相手に絶対的な差を感じた頃を思い出す。昔ならとにかく向かって行ったかもしれない。でも、今それをやるのは躊躇われた。
 勝てるわけない。ひしひしと感じ、想像できる倒れる姿。
「ラッタ、お前、やれるな」
 そんなおれにトオルは声をかけた。
 自分を認めさせ、強くなりたかったおれとトオルの関係は、バトルに勝てるという一点で繋がっている。
「やれるな」
 おれは頷いて前へ出た。
「まだやんのか? そのラッタが無駄に傷つくだけだぞ。いいんだなお前」
「勝てなきゃ意味がない」
 意味は、本当にないのだろうか。
「馬鹿だなあ。まあおれもトレーナーだし、バトルするなら手は抜かないけどな」
 グリーンの目の色が変わる。おれを叩き潰そうとしている。トオルに捕まる前、最後にボコボコにされたガルーラのことを思い出す。やる前から、わかる。けれど、おれは牙を剥いて飛び出さずにいられなかった。

【八】
 ここまで手が出ないバトルは初めてだった。上には上がいるのはわかっていたが、本当に目の当たりにしたのは初めてで、絶望したと言ってもいい。頂点なんて、届くわけがない。
 あれより強いのがいると思ったら、ますます届く気がしない。
 グリーンに負けて以来、トオルは以前にも増して強さを求めるようになった。弱いやつはいらない。バトルに勝てないものはいらない。おれはそれが間違っているなんて思わなかった。バトルは強いやつがすればいいし、バトルで頂点を目指しているのだったら強いやつだけを仲間にいれるべきだ。
 トオルはその通り強いと言われるポケモンを集め続けた。ハクリュウ、エレブー、カビゴンと、おれより器用そうでパワーのあるやつらが仲間に入っていく。あのグリーンというやつが強すぎるだけで、バッヂ集め自体は順調だった。タマムシ、セキチク、ヤマブキ、グレン、と順調に勝ち進めた。
 しかしいくら強くなり勝ち続けても、あいつに勝てるところを想像することは出来なかった。他のやつらはわからないが、おれは、そうだった。その頃、丁度自分の中にずっと何かわからないぐずついたものを感じ始めていて、自分で何がしたいのかよくわからなくなっていた。
 連れて行かれるからついて行くだけ。バトルをする機会も、少しずつだが減っていた。おれのやる気のなさを見抜かれているのか、他のやつらがどんどん強くなっているからか、トオルはおれをあまり使わなくなった。
 バトルにやる気を見せないポケモンなど、使っても意味がない。当たり前の話だった。
「新しいやついれるから、お前もういらないよ。ボロボロで捕まえやすそうで育てやすいから使ってたけど、やっぱり力不足かもな」 
 だから、トオルがそう言うのは当然のことだった。
 やっとカントー地方を一周してトキワシティに戻って、おれの周りには再び誰もいなくなった。あまりにも簡単な関係だ。一体なんの旅だったんだろう。町の風景がこの町を出発したころと同じようにしか見えなかった。
 故郷のやつを見返す? 理解してくれないやつに仕返しする。馬鹿らしい。仕返ししたから何になるんだ。認めさせるって、一体どういうことだ。強ければ認められるって、おれより強いやつなんていくらでもいる。ちょっと強くなっただけじゃ、意味がない。おれの周りには結局何もない。トオルとおれの関係はバトルだけだった。それがなくなったから、一緒にいられなくなった。
 わかるけど、それに不快感を感じるおれがいた。バトルに身が入らなくなったのは、その不快感が拭えないからだと思う。結局ここにいたころと何も変わっていなかった。トキワシティ西側を通るやつらの気持ちも理解出来たし、自分より遥かに高いレベルのやつとぶちあたって、イライラしていたことも分かった。
 結局孤独が嫌だっただけ。なんであんなに意地張って怒り狂って暴れていたのかと思うけど、でも、あの頃は本当に怒っていた。誰も理解してくれなかったし、トレーナー達の態度も気に食わなかったのは事実だ。意地を張っていただけかもしれないが、別に後悔をしているわけではなかった。誰も周りにいないままこのままずっと生きていくのは嫌だけど、仕方がない。
 仕方ないんだ。

 故郷に戻ってしばらくして、やりたい事が一つできた。あの頃がむしゃらに向かっていったやつらに、再び挑んでみたい。なんだかんだ言っても、おれはバトルが好きだった。自分がどれだけ強くなったのか試すには、ここが一番良い。もしここで通用すれば、なんだか全部納得出来る気がした。
 自信を持って言えるが、おれはそこそこ強い。ニドキングやリザードにすぐ抜かれるものと思っていたが、結局はっきりおれより強いと感じることなく旅は進んでいた。おれもそれなりに力がついているのだと思う。今ならあのグリーンのポケモンにもかすり傷くらいはつけられる気がする。
 別に暴れるつもりはない。久しぶりに戻ってきたおれを見たやつらはギョっとして避けるし、とにかく警戒するが、迷惑かけなきゃそれでいいだろう。昔とは違う。おれはおれで好き勝手やらせてもらう。

【九】
 自信あり気で、不敵な顔を浮かべるナッシー、素早い動きからの電撃が得意なサンダース、とにかく防御力の高いイワーク、見たこともない他の地方のポケモンと、いろいろなやつらとやり合った。
 怒りむき出しで飛び出していた頃とは違う。通り過ぎるトレーナーの前にのそっと現れ、道を塞ぐ。場所が場所なのか、その辺のコラッタならまだしも、おれが突然現れるとギョッとして皆構える。その辺の野生ポケモンとは違うことを察してか、大体相手をしてくれる。逃げようとするやつは相手にしなかった。
 そして、一対一ならほぼ勝てた。あの頃が嘘のように。あれだけ強かったやつらに対して、楽に勝てるとは言わないが、勝てない相手じゃなかった。
 もちろんトレーナーが持っているポケモンは一体じゃないから、数で最終的には負けてしまう。そういう時はもうあの頃みたいにボコボコにされて動けなくなるのも嫌だから、こちらから退散する。向こうも厄介なやつがやっとどこかへ行ったと思っているのか、追ってこない。
「なんだこいつ」
「あれが野生のポケモンか?」
「やたら強いな本当に」
あの頃吐かれた台詞とは違う。見下されている気なんかしない。けれど、認められた気もしない。満たされた感覚がない。どれだけ倒しても、嬉しくもなんともない。
おれは優越感に浸りたいわけじゃない。認めて欲しいと思ったやつらに認めて欲しいだけだ。自分を、わかって欲しいだけだ。
昔は群れの皆に。この前までは、トオルに。今は、何もなくなった。
怒りなんてもう湧き出てこない。嬉しさも、感じない。自分のやっていることに意味はない。
勝てるから、何なんだ。ここで道を塞いでいるから、何なんだ。
何もされていないのに、身体の力が抜けていく。水の中に落ち、だんだんと暗くなっていくような感覚。浮かぶことが出来ない。見えない何かに沈められていく。
苦しい。
息苦しい。
何が悪かったんだ。意地を張ったからか。強がったからか。何が原因なんだ。
そういや、あのグリーンってやつ、今頃どうしてるかな。
あいつ、おれのこと、気にかけてくれてたな。
突拍子もなく、夢を見ているようにあの強いトレーナーのことを考えた。

そうやって何気なく、思い出していた頃だった。
「よう、お前だな。最近噂に聞く変なラッタっていうのは」
 ふいに、後ろから声をかけられた。
  ふっと現実に引き戻されるように、その呼び声に振り向き、おれは再び対峙した。
「生きづらいというか、変わっているというか、生きづらいだろお前」
 おれと同じ目線までしゃがむと、グリーンはおれの頭にポンと手を置いた。
「たまにいるんだ。どうやっても周りに溶け込めないやつ。意地張って、強気で、なんか、寂しいやつが」
 グリーンは優しい顔をしていた。
「お前、あの時のラッタだろ? バトル中毒みたいなやつのラッタだろ? 身体中に変なアザがあるから、多分そうだと思うんだけど、違うか?」
 トオルと一緒にいるとき会ったあの一回。それを、グリーンは覚えていた。
「ラッタだとな、特に見ちまうんだ。ラッタ好きだからさ、おれ」
 そう言いながら、グリーンはおれの頭を撫でる。
 初めてだった。
「最近、ゲート近くでトレーナーにバトルふっかける変な野生ポケモンがいるって聞いたから見に来たんだけど、お前、捨てられたんだな」
 おれは何も反応せずただ真っ直ぐにグリーンを見据え続ける。
「トキワじゃ有名だぞ。やたらめったら強いラッタが道を塞いでるって。おれもジムリーダーなんていうもんになったから、一応町の治安も気にかけなきゃいけないんだけど、お前が有名になるもんだから来なきゃいけなくなっちまった」
 はは、とグリーンはふざけた笑いを浮かべた。
「ここで力試ししてんのか? こんなとこにずっと一匹じゃ、暇だし寂しいだろ」
 見透かしたことをいう。けど、違うとも言えない。もう、意地を張る気力なんて残ってない。
「こいよ。お前にいい場所を紹介してやる。お前みたいなはぐれ者には、うってつけだ。はぐれもので寄り集まったような、変な場所だから」
 グリーンは自信あり気に歩き始める。
「来いよ」
 の一言が、なんだかとても温かかった。

【十】
 ハナダの洞窟。グリーンはそう言った。
「ここだ。お前にうってつけの場所だよ。勝ち上がって調子づいたトレーナー達を、お前も揉んでやれ」
 グリーンはよくわからないことを言って、前を歩き始める。
 洞窟の中は仄暗く、奥がまったく見えないほど長い。嫌な雰囲気ではないが、気味が悪い。
 急に出てくる別れ道。上に行ったり、下に行ったり、狭くなったり、広くなったり、足場が異常に悪かったり、とにかく広い。
「別にここまで来ることもないんだけど、お前初めてだし一応な」
 グリーンは突然止まる。暗い洞窟の先に大きく開けた場所があるようだった。
「この洞窟とこの周りの土地は、特別なんだ。元々恐ろしいほど強いポケモン達が生息してるのと」
 一度そこで言葉を切って、グリーンはおれの頭をポンポンと叩く。
「お前みたいに捨てられた異常に強いポケモンとか、野生なのに危険なほど強いとか、そういう奴らを送ってるんだ。性格ねじまがったやつとか、闘うことしか興味ないやつとか、いろいろいる。そういう変なやつらを見つけては、おれが送りまくってる。それが認められてる」
 やっとわかった。
「要するにだ。お前もここに混じってみろ。もちろん、自分の身は自分で守れ。一応、おれが今までここへ送ったやつらにお前のこと伝えておいたから、最初はそいつらが声をかけてくれるさ。それとな、ここはポケモンリーグを勝ち上がったトレーナーとか、本当に認められたトレーナーしか入れないんだ。勝ち上がったのをいいことに調子にのったそいつらがたまに来るから、ここのやつらと一緒に歓迎してやれ。カントーのトレーナー達を鍛えてやってくれよ。頼んだぞ。これからのお前の居場所だ」
グリーンはそう言うとおれの横へならび、またしゃがんで目線を合わせた。
「もう寂しくないぞ。きっとこれから嫌ってほどお前の周りに変なやつらが集まる。悪い奴もいるが、だいたい良い奴だから安心しろ。ここにいるやつらは、ほぼおれの顔見知りだ。もし本当にやばい時は周りを頼れ。もうお前もおれの顔見知りだし、次違うやつがここに来たら、優しくしてやれよ」
 ちらと横を見ると、グリーンは笑っていた。安心しておれを見送っている。そんな顔、されたことがなかった。
 誰かがおれを認めてくれている。顔見知りだと言って、頼みごとをしてくれている。
 それだけで、十分だ。
 またこいつがおれに会いに来てくれたときのために、ここのやつらと仲良くしてもいいかなと思う。頼まれたこと、やってやってもいい。
 まずはここのやつらと闘ってみよう。今までやってきたことは空しいだけかもしれないけど、積み重ねた強さだけは、それなりだ。良いことなんて全然なかったけど、何故だか少し笑えた。 
 全部含めておれだ。しょうもないこと含めて全部おれで、それを認めてくれるやつが少なくても、いるなら、それだけで、笑っていられる気がする。
「お前、グリーンに捕まってきたな? お、おい! なんだいきなり!」
 嬉しそうに、笑顔でそう言って近づいてくるやつら数匹におれは飛びかかっていく。
居場所が、おれにも、出来たのかもしれない。

【了】
 


早蕨 ( 2016/09/05(月) 00:08 )