デリバードからのプレゼント
その町の一員に
 木の実か。りんごか。肉か。草か。なんでもいい、なんでもいいから食べたい。僕はお腹が空いている。お腹が空きすぎておかしくなりそうだ。何か、何か食べないと。
 そのときにはもう手を伸ばしていた。レンガ造りの家に挟まれた小さな路地を出たところに構えた果物屋に、りんごが積み置かれていた。僕はお腹が空いていた。何か食べないと、もうだめだ。そっと取るなんてことも出来ず、僕はりんごに思い切り手を伸ばした。つみあがったそれを派手に崩し、一つだけひっつかんで後ろへ翻ると、そのまま地面を蹴った。走れ。走れ。つかまるぞ。もっと走らないと、つかまるぞ。怒鳴り声。またあのヒメグマだ! と鋭い声が僕の背中へ突き刺さる。振り向いている暇はない。りんごを抱えたまま、ただただ真っ直ぐ走り続ける。路地を抜ける。途端に集まる視線。一瞬たじろぐ人。恐ろしい形相でにらむ人。捕まえろ! と叫ぶ店の店主。僕は走るしかなかった。大通りを駆ける。路地に入る。さらに裏の路地へ。大通りへ。路地へ。何度も何度も道を曲がり、一生懸命に走り続ける。怒鳴る店主の声が聞こえなくなってきた。そろそろだ。そろそろ、僕の家だ。町の南東。一番端の、レンガ造りの小さな小さな小屋だ。最後の路地を抜け、通りを左へ折れる。そこまで一直線。もう来ない。声が聞こえない。何度も恐ろしいものを見るような目で見られた。怒りを向けられた。あの店主だけじゃない。この町と人間達は、怖い。
「もう逃げられないぞ!」
 突然現れた人間達に、もう少しで辿りつくというところで行く手をふさがれた。周りこまれたようだ。あの店の店主ではなかった。町はずれのお店のコックさん。中心街の市場で服を売っている若い人。「こんなところまで逃げおって」それと、後ろからはさっきのお店の店主。みんなみんな僕の敵だ。誰もかれも、僕のことをゴミと同じように見る。
「そいつは進化したら凶暴になるらしいぞ!」
 そう叫ぶ果物屋の店主さんだけど、なかなか僕に攻撃してこない。ここまで追い詰めておいて、何もしてこない。いろいろ言っていても、僕が怖いのだろう。触ったら襲われる。追い詰めたら暴れ出す。そう思っているに違いない。何をされても、空腹で力も出ない僕は何も出来ないのに……。
コックさんも服屋の人も同じことを思っているのか、攻撃してくることはなかった。「知り合いのアウトローを呼んでおいたから、もう少しで来るだろう。それまでここで抑えるぞ」コックさんが言う。「ポケモンを連れているやつなんて信用して、本当に大丈夫なのか?」と、服屋さん。「そいつのことはわしも聞いたことがある。大丈夫だ」と、果物屋の店主さん。ここじゃ、僕みたいのと一緒にいるだけで悪く思われる。その代わり、暴力として使われることも多い。僕みたいのを捕まえたり、嫌なやつをこらしめたり、そんなことばかり。
 このままじゃ死んじゃう。町の外に出ようにも、ゲートは絶対に通れない。門番だって、僕みたいのを連れている。捕まれば何をされるかわからない。例え出られても、僕は外で暮らすなんてことできない。きっと誰も、受け入れてくれない。この町で産まれ育った僕には、ここしか居場所がない。
 抱えたリンゴを一かじり。甘酸っぱい味が、口に広がる。「あ、わしのリンゴ!」おいしいよ、店主さん。
 逃げられないけど、逃げないわけにはいかない。僕はリンゴを飲み込み、もう一度駆けだそうと地面を蹴る。蹴ったけど、前には進めなかった。ぐい、と突然後ろへひかれる感触。蹴った足は止まってくれず、そのまますってんころり。りんごを落としてしまった。「なんだ、たまに見かけるチビじゃないですか」声は後ろから。振り向くと、茶色の髪の毛が逆立った怖い顔の人が僕を見ていた。「アリアドス、もうちょい糸くっつけとけ」僕をひっぱったのは糸だった。加えて、僕の体に何本もの糸が張り付く。糸のもとは、レンガの壁に張り付いたあの蜘蛛だ。
「さあ、どうしようかな」
「どこかのギルドに引き渡すか、殺してしまえ」
 そうだそうだ! と同意の声。
「どうするかは俺が決める。指図しないで。あんた達、こんなチビでもこいつはポケモンなんだから。人の力だけでどうにかなるわけないでしょ」
 ハッタリだ。
 俺の好きにさせろ、ということらしい。店主さんもみんなもそれがわかったのか、何か言いかけた言葉を飲み込んだ。「じゃ、こいつ連れていきますんで」アリアドスの糸が僕を縛る。捕まった。糸を切り、完全に身動きができない状態の僕を若い男が抱き上げた。「バカだなお前」僕に向かってそう呟くと、「行くぞ、アリアドス」の声とともに歩き出す。ああ、僕はどうなるんだ。


◆      ◆


 僕が隠れて住んでいた場所とは反対側。住宅街からもにぎわう市場からもはずれた、小汚い木の小屋へと僕は入れられた。飲み物を出すお店らしい。かうんたー、の奥には、顔の青白い黒髪の髪を全て後ろに流した男が一人だけいた。
「マスター、久々だ。町の野良ポケモンだ。見ろよ」
 ほれ、と僕は床に放られる。コロコロ、と床を転がり、丁度止まろうかというところでマスターと視線があった。
「それじゃ売り物にならないだろう」興味がなさそうにマスターが言う。「売りものにする気はないさ」そう答えた若い男は、それと同時に僕に近づいてきたアリアドスと目を合わせ、頷いた。僕を縛っていた糸が簡単にとれていく。あんなに動こうとしてもまったく取れなかった糸が、アリアドスに噛まれた瞬間するするとほどけていった。
「こんな町の中で隠れるように暮らしているやつなんて、使えないからな」
「じゃあなんで捕まえてきた。うちは預り所じゃないぞ。酒をのむ場所と同時に、お前ら不法者アウトローとかゴロツキのたまり場や、その上ポケモン売買の場としても提供してやっているんだ。これ以上あまり余計なことはするな」
 申し訳なさそうに「わかってるよ」と言いながら男は僕に近づいてきて、目の前でしゃがみこみ、その手を僕の頭に乗せた。
「町のやつらから助けてきただけだ。すぐ戻すよ」
「また追い回されるだけだ。基本的には、すぐに人を殺せる凶器なんだからな。人と暮らせるわけがないだろう」
「マスターはポケモン平気じゃん」
「わたしはポケモンを持っている」
「今は持ってないじゃんよ。まあいいや。マスター、あの手提げ借りるからな」
 カウンター席の一番端においてあった、網目状の大きな手提げ袋をひょいとつかみ、僕を抱え上げると、その中に僕を放りこんだ。「行くぞ、アリアドス」男の声とともに、再び僕は連れ出される。
「あんまり余計な情を挟むなよ。かえってつらいことになる」
「幽霊みたいな顔して、言っていることは熱いよな、マスターって」
 手提げ袋の中から、男が嬉しそうに笑っているのが見えた。


◆      ◆


「お前、さっきこの辺に来てたよな」
 男は僕を隠したまま、さっき逃げてきたところまで連れてきてくれた。あの人達は当然もういなくなっている。こんな町はずれにはそもそも人があんまり来ることもないので、とても閑散としていた。
 もっていた手提げをゆっくりと下ろし、「ここからは案内してくれよ。お前どこに隠れてるんだ?」男は言う。僕はもぞもぞと手提げ袋から這い出る。このまま逃げてやろうかとも思ったけれど、助けてもらっておいてそれもどうかと思う。男の方を見上げると、僕が案内をしてくれると信じて疑わないという顔をしていた。「ほら、どこだよ」と急くばかり。……仕方がない。行こう。僕はコクンと首を縦にふり、男に背を向け歩き出す。ここから隠れ家まではすぐだ。町はずれのレンガ造りの住宅街を抜け、怪しげなお店や宿を横切り、お墓や教会を抜けた先にある、小さな小さな小屋。そこが僕の隠れ家だった。
「なるほどねえ」
 男は小屋を見る、のではなく、その先の森を眺めた。この町は、基本的には天然のゲートに囲まれているのだ。僕も含め、人間達はそこを抜けることはできない。ポケモンの巣であると言われ、入ったら抜け出すどころか帰ってこられないと言われている。とてもとても、怖い場所。僕は昔そう母に教わった。この町を出るには、森の一本道を抜けるしかない。僕達みたいなやつを連れ、しっかりと準備を整えていかないと危険すぎる。人間達はそう言っている。僕とてそれは同じだった。僕だけじゃ、とてもじゃないけど怖くてそんなところに行けない。
そんな怖い場所だからこそ、その近くに建っているこの小さな小屋は隠れ家として役に立った。こんなところまでは、誰もこない。
「お前か、お前の親か、元はアウトローかトレーナーのポケモンだろ。中途半端に野生化して、苦労するだろ」
 すまねえなあ。となぜか男が申し訳なさそうに言った。珍しい奴。僕に向かってこんな顔をする人間なんて、僕の知る限り後一人しかいない。それきり、男は黙ってしまった。なんだかそのまま小屋にも入りづらく、ぼうっと立っているだけの男を見ていると、ぐううと僕のお腹がうなりだした。そういえば、お腹減っていたんだった。
「もうちょっとだけ我慢しろよな」
 我に返ったかのように男はそう言うと、そのままアリアドスを連れて元きた道を歩き出す。変な人だ。その背中が手を伸ばしたら手に収まりそうなくらいに遠くに行ったところで小屋へ入ろうとすると、「おーい! 言い忘れてた!」あの男だ。こちらを振り返り、叫んでいる。「名前言うの忘れてた! 俺、テルっていうんだ! 覚えとけ!」それだけ叫ぶと、何事もなかったかのようにひょいと背中を向けてまた歩き出した。テル、か。変だけど、優しい人。あの子と一緒だ。僕に会いに来てくれるあの子と一緒。覚えておこう。また、会えるといいな。


◆      ◆


「ごめん!」
 開口一番、小屋のドアを壊れんばかりの勢いで開けたのは、小さな体で大きな紙袋を抱えた小柄な男の子、トシヤだった。よろめきながら木製の小汚いテーブルにその袋を置き、背もたれも何もない、ただの丸太のような椅子に腰を掛ける。床でそのまま眠っていた僕は、突然の来客に驚いて飛び起き、ポカンとしていた。
「一週間ぶりくらいかな。ごめんよ。なかなか施設を抜け出せなくてさ、今日やっとうまいこと抜け出せたんだ。たまにうちに顔を出す、頭が茶色い箒の兄ちゃんが手伝ってくれてさ、ほら、このリンゴだってその兄ちゃんからもらったんだよ。あの店のやつだ、って言っとけって。一体なんのことだよ」
 テルの仕業だ。頭が箒の兄ちゃんに、くすりと笑ってしまう。もうちょっとだけ我慢しろって、こういうことか。

 昨日と同じように、町で追い掛け回されていた僕を助けてくれたのがトシヤだった。最初は彼もゴロツキやアウトローと一緒になって僕を追っかけまわしていたけれど、路地裏でやつらに追い詰められ、どうみても殺されるというところで声をあげてくれた。「なにも殺すことないだろ!」そう叫んでくれたのを今でも覚えている。
 両親のいない子ども達が集まる施設で暮らしているトシヤは、そこを抜け出しては町の悪ガキと一緒につるみ、悪戯をしていたらしい。アウトローの知り合いも多かったようだ。そのおかげか施設ではいつも一人でいる上、僕を庇ったことでアウトローや町の悪ガキからも仲間はずれにされて、完全に独りになってしまったというのに、こんな僕と一緒にいるだけでトシヤは笑ってくれた。「最近俺にばっかり監視が厳しくて、抜け出すにも一苦労だよ」と、笑ってトシヤは話してくれる。全部全部、話してくれる。
「ほら、お腹減ってるんだろ、食べろよ。箒頭の兄ちゃん、お前が凄く腹空かせてるって言ってたよ。お前あの兄ちゃんと知り合いだったのか?」
 トシヤこそ、テルと知り合いだったの?
 返事をするかのように僕のお腹がなった。テルが行った後、結局何も食べられずにいたから空腹は昨日よりもひどい。僕はぴょんとテーブルにとびのり、袋からりんごをひっつかんでかじりついた。シャリ、と噛めば、甘い甘い味が口の中をふわふわと浮かぶ。一度だけ味わった後は、ただひたすらかじって飲み込むの繰り返しだった。ガシュガシュガシュ、という音と共にりんごはどんどん小さくなっていく。芯が見えるとそれを後ろへ放り投げ、次のリンゴをひっつかむ。「おいおいそんなに急ぐなよ」トシヤが笑いながらたくさんあるうちのりんごを一つつかんでかじった。お腹が空きすぎて急がないわけにはいかなかった。袋いっぱいのリンゴをかじってかじっては投げ、かじっては投げ、袋の中のそれを全てたいらげたとき、最後の一個を持っていたのはトシヤだった。三口くらいかじっただけのリンゴが、まだその手に握られていた。「……わ、わかったよ、ほら」じっと見つめた甲斐があり。トシヤは最後のリンゴを放った。大事に受け止め、大事に齧った。甘くておいしい、あの店の店主さんのリンゴ。ごちそうさまでした。


◆      ◆


「なんでだろうなあ、本当に」
 リンゴで膨れたお腹をぽんぽん、と叩くご機嫌な僕の目の前で、テーブルに肩肘をつきながらトシヤはそう言った。
「小さいころからずっとそうだよ。ポケモンは危なくて、危険で、怖くて、ってそればっかりだ。かと思ったらポケモンを持っているトレーナーとかいうのが町に入ってくるじゃん。アウトローとかいうやつらも持っているし。何かよくわからないよなあ」
 うーん、と疑問の声をトシヤはあげた。僕からすれば、人間が僕を怖がるのは当たり前で、トシヤのような人の方が珍しい。でも、僕は自分自身を危険だなんて思っていないし、誰を襲おうなんていうことも考えていない。人間はもともとああいうもので、憎いとも思わない。
「お前みたいな小さなやつでも凄く強い力を持っているって言うから、怖がるのはわかるけどさ。でもヒメグマって何もしないじゃん。もっとでかくて凶暴なやつとかだったらわかるけど、お前は何もしないのにな。あんなに邪見にされてさ、むかつくよ」
 もう何度同じ話をしているのかわからなかった。トシヤは決まってこの話をする。なんでだろう、と疑問の声をあげ、いつも最後に一人で怒り出す。
「今日こそわかって貰いに行こう」
何でもやってみよう行ってみよう、とすぐに動き出してしまうトシヤは次の言葉も大体決まっていた。僕はトシヤがいればそれでいいので、決まってコクンと首を縦にふってしまう。
「ようし今日こそ!」
 顔を輝かせるトシヤの後ろをついていくのが、僕の楽しみなのだった。

 町に出て、僕が姿を現すと決まって人々は驚く。「うわっ!」と声を出す人もいれば、誰かを呼びに行こうとどこかへ走り去ってしまう人もいる。もうずっとこの町にいて、僕のことを覚えている人だっているはずだ。それなのに、人々の恐れ顔はいつまでも続く。僕を捕らえようと、昨日の三人のような人やアウトローに襲われることもあるけれど、普段はみんな何もしてこない。今更なにもされないように、怖がられないように、仲良くできるように、なんていうことは諦めているので、トシヤには悪いけれど僕はあまり乗り気ではなかった。昨日のテルのような人がたくさん集まる場所ならば行ってみたい気もする。ふと、そう考えたところで思いついた。……あそこだ。そうだ、昨日テルが連れていってくれた場所。もう一度、あの場所へ行ってみたい。もしかしたら、テルのような人があそこに集まっているのかもしれない。カウンターの奥に居た人も怖そうな人じゃなかった。
 ずんずんと僕の前を歩くトシヤの服をつかんでひっぱる。「んん?」と疑問の声をだし、止まってくれる。「大丈夫だって。また何かされそうになったらどうにかする」そうじゃない。まだ朝早くの住宅街なので、人はそれほど多くもない。僕を見て騒ぐ人も追ってくる人もいない。僕が言いたいのはそんなことじゃない。トシヤの服を引っ張りながら、あの場所の方向へ指指す。「あっちへ行きたいの?」コクンコクン、と頷き、今度は僕がトシヤの前を歩く。黙ってトシヤはついてきた。僕がこんなことをするのは初めてだったから、驚いたのかもしれない。
 なるべく人がいない町の外れを歩き、目につかなそうな路地を通る。僕がこの町で身につけた歩き方だ。誰にも見つからず、ただ食べ物を探す日々。最初はひどいものだった。すぐに捕まり、痛めつけられた。町の人は驚く人ばかりだったが、中には今よりももっとチビだった僕を痛めつける人がいたし、ゴロツキやポケモンを持っているアウトロー達もずっといた。そんな風に生きてきたから、コソコソと目につかない方法ばかり身についた。
 そんな僕に楽しいことを教えてくれたのが、トシヤだった。
「ここか? このバーか?」
 辿り着いたトシヤの顔は、あまりよくないものだった。ここには、トシヤやテルみたいな人がたくさんいるのだと思った。だから来た。しかし、トシヤの顔はここがそんな優しい場所じゃないというような顔をしていた。ゴクンと唾を呑み、不安気な顔をしている。
「ヒメグマ。ここは、よくないよ。頭のいかれた奴らの集まりだ。すぐケンカが始まるし、なんかめちゃくちゃ危ない商売とかしているらしいぞ。お前、こんなところ入ったらやばいんじゃないか?」
 昨日来たとき、確かに暗い感じで誰もかれも歓迎するという風には見えなかった。ゴロツキやアウトローのたまり場とも言っていたし、ケンカもあるだろう。僕を売るとか、そういうことも言っていた。でも、テルのような人もいるし、あのマスターだって悪い人ではなさそう。僕が行っても、無茶なことはしない。僕にはなんの根拠もない自信があった。テルやマスターのような人に会えて嬉しくて、信じたいだけなのかもしれない。
「行くのか? 本当に行くのか?」
 だから、僕は不安気なトシヤの服を引っ張り、バーの戸に手をかけた。


◆      ◆


 鍵はかかっていなかった。戸はすんなりとあいてくれる。中は薄暗い。外の光だけがお店の中を照らす。狭い店内。テーブルも椅子も、僕の家にあるものとそこまで変わるものでもない。カウンターも、木で雑に作られたように見える。ところどころに誰かが暴れた痕がある。
「なんだお前、また来たのか」
 マスターは、カウンターの中で座ってたばこを吹かしていた。ジロりと僕を一瞥し、その視線は僕の後ろをおどおどとついて来たトシヤへと向けられる。
「ああ、確かミヤノのばばあのところのガキか」
 ふん、とつまらなそうに煙を吐き、マスターは視線をはずした。もう興味がないとでも言いたげだった。対して、トシヤはマスターを見て声を荒げる。
「ああ! ばばあのところにたまに会いにくるやつ!」
 指をさしてそう叫んだ。チッ、と舌うちをしたマスターは「あのババアが……」とぶつぶつ呟く。何を言っているのかはよくわからなかった。
 トシヤは店の中をずんずんと歩いていき、マスターの前のカウンター席に座る。僕はそっと戸を閉め、トシヤの隣に座り、その様子を見守ることにした。
「お前が来るようなところじゃない。さっさと帰れ」
「嫌だね。あんた、ばばあにいつも何してるんだよ。あんたが来た後、ばばあはいつも暗い顔をするんだ」
 トシヤの言葉に、初めてマスターはニヤニヤと不気味な笑みを浮かべた。この人、怖いというか、奇妙だ。
「ほほう、あのババアを慕うガキがいるのか。あの施設のガキは皆そうなのか?」
「他のやつなんて知るか!」
 ばばあ、というのは、トシヤの話にたまに出てくる人だ。施設の一番偉い人で、トシヤを拾ってくれた人らしい。
「知らない方がいいこともある。ガキ、お前はあのばばあに結構見込まれているみたいじゃないか。なんでお前がそんなゴロツキみたいなことをしていても、あのばばあが黙っているか、わかるか?」
「わかんねえよ。わかんねえけど、ばばあだけは俺の味方してくれんだ。優しくしてくれるし、声だってよくかけてくれる」
「まあわからなくはないな」
 と言いながら、マスターはたばこの煙をトシヤへと吹きかけた。
「な、なにすんだよ!」
「うるせえ騒ぐな。起きるだろ」
 たばこを灰皿へ押し付け、マスターはすぐに後ろの扉を半分程開ける。奥は暗くてよく見えない。そのまま中の様子を伺い始め、「なにしてんだよ」と言うトシヤの方を振り返り、もの凄い形相で「黙れ」と言い放った。
ブルりとしてしまう。あまりにも怒っているようで、さっきまでの奇妙な表情とはまったく違った。トシヤも流石に縮こまってしまい、ただ黙りこくっている。
「まあ、大丈夫か」
 戸を閉め、再びカウンターへ戻ってきたマスターは新しいたばこを取り出して火をつけた。ふー、とはかれる煙。僕もトシヤも、次の言葉を待っていた。
「お前、その後ろのチビをどうするつもりだ?」
 二人の視線が僕へと移る。
「どうするって、別に、このままだよ」
「そうじゃなくて、これからずっと先の話だ。お前が面倒見るのか? もしかしてちょっとポケモンと触れ合えたからと言って、本当は全然怖い存在じゃないとか思ってるんじゃないだろうな」
 僕もそう思う。トシヤはもっと大きくて凶暴なやつなら怖いかもしれないけど、なんてことを言っているが、実際はポケモン皆と仲良くなれると思っているんじゃないだろうか。
 マスターのそんな質問に、トシヤは顔色一つ変えなかった。
「思ってるよ。大きくて凶暴で怖いやつでも、ちゃんと仲良くできる。絶対そうさ」
 それどころか、自信ありげな顔でそう答えた。
 マスターはその答えに怒るのかと思いきや、ニヤニヤと再びさっきのような不気味な笑みを浮かべる。
「あそこはお前らみたいなバカを育てる場所なのか?」
「どういう意味だよ」
「知ってるだろ、あの箒頭。あいつもあの施設出身なんだ。昔お前とまったく同じことを言っていた。そのとき俺はあいつをぶん殴ったんだ」
 と言い終わるや否や、マスターはトシヤをグーで一発殴り飛ばした。トシヤはたまらず椅子から落ちて倒れこんだ。びっくりしてトシヤへ寄ると、すぐさま反撃しようというような勢いで体を起こし「やってみないとわからないだろ!」と叫び出す。トシヤも怒っていた。
「答えまで同じだ」
 マスターは煙草の煙を上向きに吐き出した。どこか遠いところを見ているような視線が、テルの顔を思い出させる。
「お前のその戯言、どこまで通じるか試してみろ。箒頭はまだそうやって頑張ってるぞ」
「あんたに言われるまでもねえよ」
「そうか。でも、今のお前のままじゃ絶対に無理だ。まだまだ箒頭の足元にも及ばない。すぐに死ぬ」
「俺は死なない」
「死ぬさ。そうやって死んだ連中を俺は何人も知っている」
「何度も言わせるな、俺は死なない」
 堂々巡りだ。トシヤは一向に引き下がる様子はない。そんな様子のトシヤを見て、先に折れたのはマスターだった。
「いいだろう。俺はお前が死のうが生きようがどうでもいい。何があっても助けない。いいな」
「当たり前だ。あんたの助けなんかいるかよ」
 立ち上がり、真っ向からマスターの目を見据えてトシヤは言った。なんだか半分くらいヤケクソな感じもあったけれど、僕のためにもそう言ってくれているのがわかって、嬉しかった。
「ようし。そこで一つ情報をくれてやる。これは助言でもなんでもない。お前が乗り越えられるかどうか、試してやる」
「なんだよ」
「明日、この辺境の町にハイドがやってくる。首都の隠密で、アウトローや不法行為をしている連中を取り締まる奴らだ。首都でのしあがろうと点数稼ぎをしにくるようなもんで、だいたいくずみたいなバカ野郎が多い。そんな連中がこの町に来る。そのヒメグマとお前を見かけたらどうなる? 間違いなくしょっ引かれて、どこかへ連れていかれる。町のやつらの証言とかなんとか言って、そのチビは間違いなく害獣扱いだ。さあ、どうする?」
「守るさ。絶対にそんなことさせない」
「やってみろ。それができたらもう一度ここに来い。いいな、これは嘘でも遊びでもなんでもない。捕まったら本当に終わりだ。お前がただのバカか、ちょっと利口なバカか、試してやる」
「望むところだ」
 そのままトシヤは席を立ち、行こうと僕に声をかけ、店を後にした。マスターはまたたばこの煙をはきながら
「お前、もうあと少しだぞ」
 ただ、僕にそう告げただけだった。


◆      ◆


 トシヤは何か考え事をしていた。ぶつぶつと何かを呟きながら、さっきよりも速い歩調でずんずんと町を進んでいく。その後ろを僕はトコトコとついていった。だんだんと町の中心部に近づいてくる。町の人がさっきよりもちらほらと見られるようになってきた。僕を見てぎょっとする人も出てきた。
 トシヤは何をするつもりなのだろう。いつもは街中で遊んでいるだけだ。普通に遊んでいるだけで何もしないやつだとわからせようぜ、とのことだった。僕はまったく効果がないと思ったけど、トシヤが遊んでくれるから喜んだ。
 でも今日はいつもと同じようにする気はないようだ。どこかへ向かっているのだろうか。あんまり街中へ行くと、昨日僕を追いかけてきた人達に見つかりそうで怖い。ほとぼりが冷めないうちに見つかると、また追いかけられそうだ。昨日はテルがいたから助かった。今日はトシヤがいるから大丈夫、とは思えない。トシヤは喧嘩っ早いのですぐつっかかりに行ってしまう。揉め事は大得意。いつもトシヤが揉めている間にこそこそと逃げ、隠れているところをトシヤに発見されて「なんだこんなところにいたのか」というのがお決まりの展開だった。
 しばらくトシヤの後を黙ってついていくと、僕にはその行き先がだんだんとわかってきた。町の真ん中。たくさんのものが並んでいる市場。僕が昨日りんごをかすめとったところだ。そんな、駄目だよ。僕はトシヤを止めようと再び服をひっつかみ引っ張る。トシヤはやっぱり止まってくれる。
「大丈夫だよ。それに、やることはやらなくちゃきっと駄目なんだ」
 それだけ言って、また歩き出してしまう。僕は不安でいっぱいで、街の人からの視線もきつくなってきているし、なんだってトシヤはこんなところまで来たんだ。
 びくびくしているうちに、あの果物屋の前に着いてしまった。トシヤの後ろに隠れ、こっそりと様子を見る。
「すいません」
 トシヤの声に昨日の店主さんはあまりいい顔を浮かべない。僕程ではないとはいえ、トシヤも町の札付き者なのだ。あんまり評判はよくない。
「なんだ?」
 しかし予想に反して、店主さんの機嫌は良いようだった。トシヤを見ても、ぼくを見ても、あまり不快そうな顔を見せない。さあ、一体何をしに来たのだろうか。僕は何かトシヤがやらかすのじゃないかと不安で、その足をギュッとつかんだ。
「謝りにきたんです」
 えっ。トシヤは自分の足をつかんでいる僕の手をゆっくりとはずし、横にずれ、しゃがみ、僕の背中を押した。そのまま地べたに膝をつけ、頭を地につける。
「すいませんでした」
 トシヤは突然あやまった。僕はポカン、とその様子を眺めることしかできない。町の中心で、市場で、人がたくさんいる前で、地に頭をつけている。ハっとして店主さんを見てみると、この人もあっけにとられていた。トシヤは頭を起こさない。一度謝ったまま、このポーズをとり続けている。
「どういうつもりだ」
 我に返った店主さんの言葉で、やっとトシヤは頭を上げる。そのまま力強い目で店主さんを見つめ、僕の肩に手をかけてくる。
「昨日はすいませんでした。りんご盗んじゃって。でも、それはこいつが悪いんじゃなくて、こいつに盗みをさせた、俺が悪いんです。この町でこいつが暮らすには人の助けが絶対いるのに、俺が何日もこいつに会えなくて、何も食べさせてやれなくて、だから、俺が悪いんです。もう中途半端なことはしません。ちゃんとこいつとやっていきます。皆怖がるのはわかりますけど、でも俺こいつしか友達いないし、大切なんです。お願いします。今回の事、許してもらえないでしょうか」
 何もまとまっていなかった。さっき歩いている間に考えたかのような言葉を一気にまくしたてたトシヤは、そのまま再び頭を下げる。「すいませんでした!」トシヤはやっぱり鉄砲玉のような人だ。どんどん進んでなんでもやっちゃう。それが僕の代わりにひたすら謝ることでもだ。僕と一緒にいると認めるということは、この町のアウトロー、つまり不法者と変わらない。それを認めた上で、頭を下げている。トシヤにとっては損なことばかり。それでも頭を下げてくれる。僕のために。僕だけのために。そんなトシヤを見ているだけなんて、そんなの僕にはできなかった。
 おなじように、地面に膝をつけて頭をつける。トシヤの真似だ。これでいいんでしょう? トシヤ。
「おい、そいつの頭を上げさせろ」
 その言葉で、トシヤは頭を下げる僕の肩をポンポンと叩いた。頭を上げ、店主さんを見つめる。無表情でこちらを見ていた。次の瞬間には、一瞬何か考えるように腕を組んだかと思うと大きなため息をつき、「チッ」と舌を鳴らし、言葉を続けた。
「今日は機嫌がいいんだ。りんごも全部売れたしな。今後何もしないってんなら、今回だけは許してやる。わかったらさっさとどっか行け」
 後ろを振り向くと、トシヤと目が合った。やった、とばかりに顔をほころばせ、笑っていた。僕もなんだか認められたみたいで嬉しくて、思わず笑ってしまった。
「ぼさっとすんな、早くしろ」
 大きな声で返事をし、ありがとうございました。とお礼を言ったトシヤは、そのまま僕を連れて走りだす。「やったな!」と小さな声で僕に微笑みかけてくれる。町の人の視線がいつもより優しいような気がした。気がしただけで、本当はそんなことないのだろう。それでも、僕にはそう感じられた。僕もこの町の一員になれたような、そんな気がしたんだ。
 

◆      ◆


 こんなに気分よく町中を歩いたのは初めてだった。トシヤに守られて町中を歩くのではなく、僕自身の足で町を歩けている気分。町の人も僕に挨拶をしてくれて、たまに誰かが食べ物をわけてくれる。たくさん人が集まるところに行けば誰かが遊んでくれて、ときどきケンカをして、仲直りもして、また仲良くなって、もっと友達も増えていって、町の中が楽しくなる。僕はちゃんとした町の仲間で、皆の役に立つようなことを手伝って、僕だからこそできることをやって……。
 そんな風に、僕が楽しく町で過ごす姿を想像した。たったあれだけのことで、こんなにも僕は舞い上がった。僕にとって、どんなに邪見にされてもこの町は故郷だ。他に行き場所はないし、なんだかんだ行っても僕は町の人をたくさん知っている。誰がなにをしているのかも覚えている。見かけない顔だなあ、と人を見分けることもできる。
 僕はこの町が好きなのかもしれない。今までそんなこと考えたことなかった。好きとか嫌いとか、何も。ここにいるのが当たり前で、出るとか出ないとかそんなこともなく、ここで生きる以外のことは知らない。この町が僕の世界で、全てだ。
 そんな風にこの町を考えられただけで嬉しくて、僕の気分は高まっていた。
「なんだかすっげえ嬉しそうだな」
小屋に戻ってきてからというものずっとそんな風に考えていた僕を見ていたトシヤは、嬉しそうに笑いながらそう言ってくれる。
「勢いであんなことしちゃったけど、あれで良かったんだよな。いつまでも逃げ回ってばかりで悪いことばかりしながら皆に認めさせるなんて、虫がよすぎるし。謝って、きちんと町の人に許しを得て、ちゃんとしたやつだって認めてもらえれば、きっと皆お前と仲良くしてくれるよ」
 僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でながら、トシヤも嬉しそうな顔をする。ただの切り株のような椅子は、すっかりトシヤの席となっていた。机が僕の定位置で、いつもここでお話をする。この小屋は、僕の家だ。この町に住んでいる僕の家。
 そんななんでもないことも、再確認できた。トシヤには本当に助けてもらってばかり。僕も何か、役に立てることがあったらいいのに。
マスターの言っていたことなんて、なんだかどうにかなる気がした。トシヤがいて、テルがいて、もしかしたら町の人も守ってくれるかもしれない。僕のために、動いてくれるかもしれない。
 そんな風に考えると、なんだかすごくバカみたいに思える。それでも僕は、このバカみたいなことが嬉しくて、くすりと笑ってしまう。変な想像ばかりで、でもこんなのやっぱり初めてで楽しい。
「お前が嬉しそうだと、俺も嬉しいよ」
 こんな風に笑ってくれるトシヤがいるだけで、この変な想像が本当なんじゃないかって、少しだけ思うんだ。
にへら、と笑い返す。――。
それとほぼ同じタイミングで、小屋の戸を叩く音。トントン。途端にトシヤは身構える。キュっと表情をしめ、笑った表情をすぐに消す。僕もびくりとしてしまい、戸の方を見た。
「……だ、だれだ?」
 ここに来る人はいないはずだ。だって、あんな森の近くに建つこの小屋には、誰も近づくはずがない。そもそもなんの用事もあるはずがない。
 誰? テル? マスター? そんな気がする。僕のところに遊びにきてくれたんだ。遊びに来たよ、って、あのときの笑い顔を浮かべながらテルがやってくるところを想像した。
「ちょ、ちょっとそこにいろよ。お前は来るな」
 トシヤはまだ警戒している。椅子から立ち、ボロボロの戸の方に寄って、その隙間から向こう側を確かめる。その数秒間。僕にとってはなんでもないことのように思えたけれど、ギョっとした素振りを見せこちらへ寄ってきたトシヤの顔は、青ざめていた。
「やばい……なんか、やばい気がするぞ」
 トントン、ともう一度戸が叩かれる。
「どうしよう、どうしよう……」
 うろたえている。何がいたの? 小首を傾げる僕を見たトシヤは、意を決したかのように一度だけ深呼吸をして、僕の手をとった。
「ここはだめかもしれない。なんだかわからないけど、嫌な予感がするんだ。変なやつらが来てる。町で見かけたことのないやつらだ。いいか。せーの、でここから逃げよう。戸を破って、一気に逃げるんだ。いいな、いくぞ?」
 一気に小さい声でそうまくしたて、僕を机から下ろし、戸の前に二人で立つ。もう一度トシヤは僕の方を見て、ゴクンとつばをのんだ。
「せーの!」
 トシヤは戸を思い切り蹴とばした。ボロボロの戸は簡単にはずれ、ボールのように飛んでいく。僕らは走り出した。なんだかよくわからないけれど、小屋を出て、町の方向へ思いっきり走ろうというところで、僕にも何が来たのかわかった気がした。
「アウトローだ! 追え!」
 後方から聞こえる声。僕を追う声だ。ドクン、と胸がなった。僕は一瞬で緊張した。マスターの言葉が頭をよぎった。なんで。明日って、言っていたのに。
 トシヤは僕の手をひいて思い切り走る。僕も足に力をこめた。土をける音が後ろから聞こえる。何人かいる。一瞬ふりむくと、町の住人と同じような服をきている。でも違う。こんな人たち、町にはいなかった!
 来たんだ。僕らを捕まえるやつら。ハイドっていうやつらが!

◆      ◆


 町の中まで来た僕らは、まだ走り続けていた。あいつらは僕らの後ろをぴったりついてくる。ぐるぐると曲がって曲がっていろんな道を走っているのに、それでもついてくる。
「なんなんだあいつら!」
 トシヤは苛立っていた。走っていても逃げ切れないことをなんとなく悟ったからだ。それでも僕らは走るのをやめるわけにはいかなかった。人にぶつかり、怒られる。店のものを倒してしまい、怒鳴られる。謝りたいけど、止まれない。でも、誰も僕らを追ってこない。その後ろから、町の人ではない別の人たちが僕らを追っているからだ。皆怯えるように店の中に引っ込んでいく。店を閉める人もちらほらいる。なんだよ。どうなってるんだよ。町から人が消えていく。裏路地、市場、住宅街。いつもより人がずっと少ない。皆、何か知っている。小さなこどもが親に手をひかれて家へ入っていった。外に出てはいけない。そんな風に。
 僕らはどこにも入れない。帰る場所から、出てきてしまった。後ろからはついてきているし、走るしかない。
「くそ、あの野郎うそつきやがったな」
 ぼそりとつぶやいたトシヤの言葉で、僕はまた何か胸を蹴とばされたような感覚に陥る。マスターの言っていたことが嘘? 明日じゃなくて、今日? 始めからそれを知っていた? マスターはなんといっていた? ……試してやる? そう言っていた? 試す? なんだそれ。もしかして、僕らにわざとあいつらをけしかけた? あそこにいますよって、そう言った?
 マスターが恨めしく思えてきて、僕は久しぶりに怒りのようなものを感じる。
 町の人は、助けてなんかくれない。窓から走る僕たちを見るだけで、すぐに引っ込んじゃう。早くつかまれよ。皆、きっとそう思ってる。なんだか、裏切られたような気分。僕の想像が、裏切られた。あんなのやっぱり嘘なんだ。僕はやっぱりこの町の一員にはなれなくて、邪魔者で、怖がられる。誰もかれも助けてくれない。くそう、くそう!
 そんな僕の怒りを少しだけ冷まさせてくれたのは、トシヤだった。だいぶ疲れている。当たり前だ。あんなに逃げてきたんだから。どうしよう、僕のせいでトシヤまで捕まる。そんなの絶対ダメだ。でも、このままじゃ捕まっちゃう。僕よりトシヤが先に疲れて追いつかれちゃう。どうしよう、どうにかしなくちゃ。
 だんだんと道を曲がるのも疲れてくる。直線にしか進めなくなってきている。もうだめだ。このままじゃ、もうだめだ。
 高い高い塀に挟まれた路地へと曲がる。再び大通りへ出ようというところで、僕は決心する。ぐっ、と足を突っ張って止まり、そのまま反対方向へ一気に飛んだ。力いっぱいの「ずつき」。当然後ろから来ている奴らに真正面からぶつかる。僕の「ずつき」が、真ん中を走っていた一人に直撃する。一緒に地面を滑りながら、僕はすぐに地面をたたいて身を返す。そのまま一足飛びでもう一人を殴り飛ばす。僕は「あばれる」。力いっぱい「あばれる」。ハイドは三人いた。蹴り飛ばし、殴り飛ばし、ひっかき、ずつく。腰から鉄のような棒を取り出した三人は、それで殴り掛かってくる。僕のこぶしをかわし、おなかに思い切りそれを突き立てる。変な声がもれて、そのまま吹っ飛ぶ。路地の外まで飛ばされた。すぐに身をおこし、またあばれようとしたところで、「なにやってんだ!」僕がいないことに気付いたトシヤが身を翻してこちらへ走ってくる。路地の中にいた三人も僕をやっつけようとこちらへ走る。だめだ。トシヤは来ちゃだめだ。僕のせいで、つかまっちゃう! 僕は再び思い切り飛んだ。よけることなく、綺麗にずつきは決まる。「ぐっ!」という声をと共に、大通りを滑る。
 僕は、トシヤへ思い切り攻撃した。「えっ?」苦しそうな顔も忘れ、僕に疑問の声をあげた。そのまま僕は地面をけり、走り、トシヤを殴り飛ばし……飛ば、飛ばし、あ……ああ、あああ。殴ったこぶしが震える。僕は泣いている。涙が落ちる。ああ、僕がなぐった。こぶしを見ると、震えている。それと同時に、僕は内から何か湧き出てくるような感覚を覚えた。悲しみも怒りも、全部一気に外に出すような何か。体の中から何かが爆発しそうで、思い切り叫びたくなって、僕は大声をあげた。「あああああああ!」叫んだ僕の声は、僕が知っているものとは違っていた。低くて太かった。不思議に思う余裕もない。僕はもう一度思い切り叫ぶ。「がああああああああああ!」町が小さく見えた。トシヤも小さい。こぶしが大きい。足も大きい。体も大きい。
「し……進化しやがった!」
 震えた声が後ろから聞こえる。あいつらだ。あいつらのせいだ。僕がトシヤをなぐらなくちゃいけなくなった。ああやってしかもうトシヤを救えなかった。
そして、僕の友達なんていうことを忘れ去れるくらい、僕が悪者にならなくちゃいけない!
「があああああああああああ!」
 もう一度だけ大声をあげて、僕はハイド達に殴り掛かった。一人目はおびえて動けないのか、僕に思いきり殴り飛ばされ動かなくなった。そのままこぶしを右に思い切りふって、二人目の首をへし折る。汚い声をあげながら地面を滑り、そのまま動かなくなった。最後の一人に視線を合わせたとき、乾いた音が辺りに響く。体が重くなるのを感じる。鉄砲だ。背中にしょっていたそれを、僕に向けて撃ったんだ。でも、僕は体が重くなるなんてことには構っていられなかった。そのまま思い切り殴ろうと拳を振ると、ハイドの男はいとも簡単によけて再び僕に向けて鉄砲を撃った。体全体にひびく衝撃と、重い重い痛みが僕へのしかかる。僕は止まらない。すぐに男を追いかける。ヒラリとよけられ、乾いた音が響く。鈍痛が走る。僕はもう痛みなどほとんど気にしていなかった。ただ暴れ続ける。撃たれても撃たれても気にしない。ひたすら突撃する。僕の拳が鉄砲をとらえる。ひっつかんで奪い取り思い切り放る。僕はそのまま、ありったけの力で男を「きりさく」。僕の視界が赤くなる。男は崩れ落ち、動かなくなる。僕はそれでも止まらなかった。近くにあった鉢植えをわり、看板を蹴り飛ばしす。思い切り叫んで、僕は暴れる。気づけば、さっきよりも多くの人間に囲まれる。来い。全員動けなくしてやる! 暴れて暴れて、トシヤのことを忘れさせてやる! この町の人みんなのことを、僕が忘れさせてやる! 捕まえるなら僕だけを捕まえろ! お前らはそれで帰れ! すう、と大きく息を吸い込む。顔をあげ、力を込める。光の球体が口に集まった。僕は力いっぱい、息を吐くようにエネルギーを放射する。破壊してやる。お前らは僕だけを見ていろ。
 大通りに僕が放った光の光線が一直線に奔る。ハイドの何人かに直撃し、どこかへ飛んで行った。周りの全員が鉄砲を手に取る。一斉に撃ちだす。鈍痛どころじゃない。もう力が抜けていく感覚しかない。さっきの光線で一瞬動けなくなったおかげでかまわず撃たれてしまったけど、僕は地面を蹴る。大きくなった体を振り回し、とにかく暴れ回る。
「な、なんだこいつ! こんな体でどうして動けるんだ!」
 いいんだ。誰に認めてもらえなくても、僕はこの町の一員なんだ。誰の役にも立たないけど、僕はこの町が好きなんだ。トシヤをつかまえ、町の人達を怯えさせるこいつらを追い払えれば、こんな僕でも少しは役に立てるかもしれない。僕が捕まれば、それで出ていってくれるかもしれない。あばれろあばれろあばれろ! 僕だけを見ろ! 僕だけを攻撃しろ! それが僕の、この町への恩返しだ!
「打て! とにかく打ちまくれ!」
 力が抜けていく。地面を蹴る力がもう出ない。心は暴れていても、体がついていかない。そういえば、トシヤの姿が見えない。僕に愛想つかしちゃったかな……。あんな風に殴って、痛かったよね。ごめん。ごめんねトシヤ。
 視界が薄れだす。発砲が止まる。僕は、僕は……。
 立ち上がろうとしても、横たわった体は動いてくれない。体が震えている。何に? 痛みに? 悲しみに? 怒りに? 
 僕は役に立てたのかな。こんなので、よかったのかな。ねえ、答えてよ。誰か答えてよ。
「まったく、バカだなお前は」
 聞き覚えのある声。箒頭が頭に浮かんだ。
「ちょっと兄ちゃん! 早く早く! あいつを助けてよ!」
 ああ、これはトシヤだ。テルを呼んできたの?
「こんな馬鹿者でも、よそ者にここまでされるとわしも黙ってはいないぞ」
 あれ、店主さん。
「まあ、それなりには頑張ったなガキ共」
 マスター?
 皆、なんでこんなところに? 
 薄れゆく意識の中、僕はまた変な想像をしたのかと思った。聞こえる声は全部嘘で、本当は何もないんだ。それでも僕は単純だから、嘘でも嬉しかった。この町の一員に、本当にやっとなれた気がしたんだ。


◆      ◆


 目が覚めたとき、僕は薄暗い場所に寝かされていた。蝋燭の明かりだけが当たりを照らしている。柔らかい場所に寝かされていたみたいだ。起き上がろうとするが、体が痛すぎて起きられない。周りを見渡すと、閉じ込められているみたいだとわかる。檻だ。
何もない。
 コツコツ、と足音が聞こえてくる。上から下に降りてくるのか、どんどん音が近づいてくる。やがて檻の前に誰かが立つ。檻の鍵を開け、中に入ってくる。
 ……マスターだった。
「目、覚めたか」
 まだぼうっとしていて、頷くことさえできない。ただ、マスターと目を合わすだけ。
「とりあえずは、平気みたいだな」
 頭が少しずつ回復してくる。何があったのか、思い出してくる。
 僕は町で暴れ続けた。銃で撃たれた。最後にいろんな人の声を聴けた気がした。
「誰も、捕まってないよ。あのガキも、テルも、あの店の店主も、誰も捕まってない。お前が暴れたおかげで、この町にやってきたハイドは半壊だった上、お前にびびって他に何もする余裕なんてあるようには見えなかった」
 よかった……。
「ただ、テルはお前を助け出したおかげで罪人扱い。あのガキと店の店主はテルの仲間と疑われ目をつけられてる。わたしはまあ、いつも目をつけられてるからな。安心しろ。首都の連中にわたしが手出しはさせないし、あいつらも簡単にはつかまらない」
 そんな。じゃあ、僕はなんのために暴れたんだ……。
「これでいいんだ。ポケモンと人間達が一緒にいる限り、こういう扱いになるのは当たり前だ。お前は凶器だ。人間を一瞬で殺せる。人はお前を恐れてる。この世界で俺らとお前たちが生きていくのはこういうことなんだ。仲良く? 笑わせるな。お前らと一緒に仲良くなんてできるか。ポケモンの密売人なんてやってるわたしが、それを一番よくわかってる」
 マスターの言っていることはきつい言葉だけれど、少しだけわかってしまった。僕は、とても大きな力を持っている。近づくだけで、人を恐れさせる程に。
「お前はわたしに捕まった。だからわたしの元で働け。この町を守れ。周りを囲む、森に入れ。あそこにはお前より強いやつなんていない、ちっぽけなポケモンたちの巣だよ。人を恐れて、逆に町に入ってこられないくらいだ。お前はあそこを牛耳れ。トップに立て。この町にどんなポケモンも入れるな。お前のような、中途半端な奴をこれ以上出すな。この町を守るのは、一本道の先にいる雑魚の門番じゃない。森を牛耳るお前だ。いいな。町の一員として、お前がやるんだ」
 マスターはあくまで非常で、とても優しかった。
 僕らは棲み分けをしなくてはならない。一緒にいるなら、それなりの覚悟をしなくてはならない。
 理解して、覚悟した。
 僕はまだまだ中途半端だ。誰も守れてはいないし、何もできてない。迷惑しかかけていない。
「それでもな、あのガキやテルがいう戯言も、わたしは嫌いじゃないんだ。あいつらみたいのがいつかこの世界の価値観を変える。そんな戯言を、わたしも夢見てるからな」
 マスターは初めて僕に笑いかけ、そのまま出て行ってしまった。
 この場所はきっと、あのカウンターの奥の部屋なのだろう
 ……そういえばあの小屋は、どうなったんだろうな。
 ふとそんなことを考えると、再び足音が近づいてくる。複数だ。さっきよりも音が軽い。
「お! マスターの言う通りだ、起きたのか!」
「よかった……。兄ちゃんは助けるのが遅いんだよ!」
「うっせえなあじゃあお前が助ければよかっただろ」
「俺じゃ無理だった」
「だったら文句を言うな」
 テルとトシヤだ。
 笑った二人が僕にかけよってくる。
 殴ったのに、まだそんな顔を向けてくれる。
 僕はこの人達が住む町を守る機会を与えられた。
 それはどうしようもなく、この町に一員になったってことじゃないかな。
 今度はなんとなくではなく、確信だった。
「そういや、あの果物屋の店主がお前が起きたらこれ食わせろってさ」
 ほら、と差し出されたかごに積まれたいっぱいのりんご。
 今までで一番甘いんだろうなあと、僕は思った。

 【了】


■筆者メッセージ
ポケモン徹底攻略、ポケモンノベルで行われた企画、「空白」で書かせていただいた作品。
早蕨 ( 2012/06/21(木) 21:06 )