デリバードからのプレゼント
君はポケモン。
【一】
「こんなのいらない」
 私にかけられた最初の一言は、冷たいとは言えない、ただ悲しみに暮れた一言だった。それは拒絶の一言で、それ以外に意味はないのだけれど、私はこの少年の傍をどうしても離れることが出来ない。大事な役目を持たされて少年にプレゼントされた私は、いらない、と言われたところで離れるわけにはいかなかった。それに、この少年が「これがいい」、なんてことを言えるはずがない。「大切な友達」を失ったばかりの彼が、私を容易に受け入れられるはずがない。
 だから私は、仕方のない罵声を受けながら、声にならない声で鳴き続けた。毎日毎日、「大丈夫だよ」、と。
 機械音のようなその鳴き声にイライラするのか、少年はさらに私に罵声を浴びせる。その受け皿となる私は、いくら罵声を浴びせられても何も感じ――いや、何もと言うと違う。私にも少しだけ、何か感じているところはあった。
「お前なんて、すぐに壊してやる」
 怒りながらそう言うものの、決して彼は実行に移さない。私に対する暴力は、必ず手加減が加えられていたし、時々見せるさびしそうな顔や、隠れて泣いている姿は、私に刺激を与えた。私は彼が優しいのを知っていた。
 そんな状況の中で、与えられたものや組み込まれたもの以外に、私の中で何かが芽生え始める。それをしなければならない、ではなくて、そうしたいと思う。刺激が強すぎて、おかしくなって、バグかと思う。
 それでも、何気なく私の入ったモンスターボールを手に取り、とりあえず一緒に連れていってくれる少年を見ていると、これでいいのだと思う。
 私は、少年と一緒にいたいのだ。

 私が知っていることは、少年のポケモンが亡くなったということだけ。それがどんなポケモンなのかも、どれくらい仲がよかったのかもわからない。わかるのは、少年が悲しんでいるということ。そして私に与えられた役目は、そんな少年の気を紛らわすこと。とても珍しい、しかも人工ポケモンである私ならば、気を紛らわすことくらいは出来るだろうという、少年の父の気遣いなのだ。だから、私がまったく役に立たないのならば、捨てられることは必至。それでも私は、与えられた役目より、この少年と一緒にいてあげたいと思うこのバグを、そのままぶつけた。
 どこに行くにも無理矢理ついていき、何をするにも無理矢理一緒にいた。
 与えられた役割をこなしているようで、こなしてない。少年からも、嫌われ続ける。
 私は不良品。バグを抱える不良品。それでも私は、バグをぶつけ続ける。

【二】
「うわあ、ポリゴン2だ!」
「すっげえ!」
「フウト、こいつどうしたんだよ!」
 夏休みというものが開けると、フウトは学校へ行くこととなる。当然いつも通りついて行った私は、彼と同じクラスの人間達からそんな言葉を浴びながら、「少年フウトのポケモン」として認識されていた。丸みを帯びた体で、少しだけ宙に浮いて移動する私のことを、皆好奇の目で見つめ、「スゴイ」と言った。でも、私はそれを「ウレシイ」とは感じなかった。フウトが嬉しそうな顔をしなかったからだ。私が褒められると、フウトが顔をしかめた。隣にいる私が褒められるということは、彼からしたら、大切なパートナーがいないということを実感してしまうからだろう。
 だから、彼にとって私が褒められることがウレシクないならば、それは私にとって意味はないし、ウレシクないことだった。

 スクールという場所は実に退屈だ。じっと話を聴き続けるだけの時間が流れる。なんてつまらない場所だろうと私は思う。第一、フウトが退屈そうだった。
 結局大したこともなく初日は終わり、私はいつも通りモンスターボールの中から無理矢理出て、フウトの横につく。すれ違う生徒が皆私のことをジロジロと見る中で、私にはまったく目もくれず、ただフウトをじっと睨む人間が一人。
「……それ、おもちゃのつもりかよ。お前、なにやってんの? それでも、一応トレーナーの端くれだろ。そんなんでいいのかよ」
 スクールの門を出ようというところで、私達の前に目つきの悪い茶髪の少年が通さない、とでも言うように立っていた。その顔を見て、私はすぐに気付いた。今日一日私達の近くにいながら、私のことを何も言わなかった人間。フウトの、友達だ。
 向き合う二人、交差する視線。私の入る隙はない。
「いい加減にしろよ」
「うるさい。タクヤには関係ないだろ」
 フウトはそのまま歩みを止めず、横を素通り。意外なことに、その茶髪の少年は何もして来なかった。ただ。そそくさと後ろをついていく私に、このタクヤという少年は、可哀相なものを見るような目で視線を送ってきた。
 お前はそれでいいのか。
 哀れんだ、迷いを含んだ視線が、そう言いたげだ。きっとこの人は、亡くなったフウトのポケモンというのをよく知る人なのだと思う。私のことをよく思わない人間というのは多くいるが、こういう風な目をされることも珍しい。嫌悪の視線か、珍しいものを見る目か、そういうものが、私にとっては多かった。この人は一体、私をどう見ているのだろうか。
 そんなことを考えながら、私はいつもと少し違うような、少しイライラしている様子のフウトが気になった。心なしか、いつもより強くアスファルトを踏みしめているような気がする。きっと、あのタクヤが原因なのだろうけれど、私にはそれが何なのかよくわからない。しばらくその状態が続き、私が何気なく少し前に出てフウトの顔をちらと覗きこんだとき、その歩みは止まった。
「君、もういいよ。いらない。壊されたくなかったら、僕から離れろよ」
 突然、フウトはそんなことを言う。ここ数日はそういうようなこともなくなっていただけに、少し面くらった。私はピタとそのまま停止。フウトとの関係が少しは前に進めていると思っていただけに、少しショックだった。
 通じているかわからない。人に作られた私がこんなことをしても意味がないかもしれない。それでも私は、フウトの目をじっと見つめた。
 フウトの役に立ちたいという私の意志が、作りものかもしれないけれど、通じればいいなと思う。
「……いいのかよ。動かなきゃ、今ここで壊すよ」
 フウトは近くのゴミ捨て場に捨ててあった金属バットを拾ってきて、無言でそれを勢いよく振りかぶる。私は動かない。一瞬だけ顔をしかめ、その勢いを弱めたフウトだったが、次の瞬間にはそれを思い切り振った。
 それでも、やっぱり私は動かない。
 動く必要はない。動く気はない。動きたくない。
 金属バットは、私の横で、ピタリと止まっていた。しばらく時間が凝固したような沈黙が流れる。フウトの顔が徐々に悲しみに歪んでいた。その瞳からポツリと涙がこぼれたとき、カランカランという音が、その沈黙を破った。
「なんでだよ。なんで君、僕と一緒にいるわけ? そういう風に作られたから? そういう風にしか動けないから? それとも、本当に僕と一緒にいたいのか?」
 フウトの言葉に、私はどう答えていいのかわからなかった。そういう風に作られたから一緒にいることも間違いない。だが、今こうしているのは自分の意志であることも間違いないのだ。
 どうしていいかわからず、そのままじっと目を見続けていると、やがてフウトは大きく溜息をついてから口を開いた。
「タクヤの言うとおりだな。わかったよ。じゃあ、明日、サイクリングロードへ行こう」
 それだけ言って、フウトは再び歩きだす。なにが「じゃあ」で、「なぜ」サイクリングロードなのか、その説明はなかった。何がなんだかわからなかったが、私は何も気にしない。フウトの歩くスピードが、いつもよりゆっくりで、イライラした感じも消えた。それだけで今の私は、満足だった。

【三】
 私は私のことがよくわからない。
 ポケモンなのか、ロボットなのか、本当のところ、どちらなのだろう。あのタクヤという少年は、私のことをおもちゃと言った。それがどういう意味なのか。直接的に、私はただのロボットで、フウトのおもちゃということなのか。 それとも、フウトが私をおもちゃのように扱っているという意味なのか。
 それがどちらの意味で使われていたのかわからないが、私は、きっとどちらの意味も含まれているのだと思う。事実おもちゃのように扱われているし、ロボットと言われても否定できない。
 しかし、ロボットだろうとポケモンだろうと、私は作られたもの。人に意図して作られ、意図して送られたもの。それ以上でもそれ以下でもない。
 私はたくさんいる。意図して作られ、意図した行動を取らされる私はたくさんいる。
 ただ少なくともフウトは、人間の中で一番私を普通のポケモン扱いしてくれた。ひどいくらいの扱いが、私にとっては新鮮だった。白衣を着た連中や、強いポケモンをたくさん連れている人達、そういう人間達とフウトは、確実に違った。
 だから、私はフウトが思う方でいいと思う。ポケモンならポケモンでいいし、ロボットならロボットでいい。
 だって私は、フウとのことが……ことが、が……が、が、――ガガ、ピ、ピピ。しかイが、歪ム。
 ぐらりぐにゃぐにゃ。ゆらゆら。暗転、昇天。沈殿。回る。回る。薄暗い。ここはどこ。ベッド、机、本棚、写真立て。見覚えがある。
 ココは……フウトのヘヤ。
 ガシャ、と鈍い音。続く鈍痛。故障。世界がぐるりと回転し、一瞬だけ目の前がチカチカした次には、再び鈍い音。続いて、カランカランと何かが落ちる音。金属? ……ああ、バットだ。さらに後ろから別の何かで殴られ、私の首はガクンと折れた。ガガ、ピ、ガ――。私が出していない音がする。私はそれだけで壊れる。開いたままの目。もげた頭。死ぬ。違う。壊れた。聞こえる雑音。横線の入る視界。砂嵐。薄れゆく視界に入ってくる新しい私。私の目の前で殴られる私。続く私。次々と現れる私。新品の私。つぶれ、ひしゃげ、とんで。ガガ……ビ。ワタシハロボット、ポケモンではなく機械。それはシッテイル。皆知っている。ガガ……、ピ。
 ピ。

 ……こんな私でも、夢を見ることがあるようだ。人間やポケモンだったらなんとも思わないようなことが、私にとっては発見だった。きっと私は、ロボットや機械と思われるより、ポケモンと思われた方が嬉しいのだと思う。フウトが思う方でいい、なんて考えていたはずだけれど、私はやっぱりポケモンがいい。何故だかはわからない。きっと、ポケモンであったほうが、フウトの前のパートナーのように仲良くなれそうだから、とかそんな理由だと思う。
 そもそも私は理由なしに思ったり動いたりすることが多すぎる。組み込まれていたり、指示されていることから逸脱してしまう。普通のポケモンや人間なんかは、それがもの凄く多い。そういうことが人間っぽいとか、ポケモンっぽいっていうのだったら、私は嬉しい。理由はよくわからない。きっとその方がフウトと近くなるとか、やっぱり、そんな理由だと思う。
 だから、フウトが理由も説明せず私を連れていこうとしても、何も文句はない。連れていってもらえる。それだけで、私は嬉しい。
「いくよ」
 朝、玄関で待っていた私にフウトが声をかける。こんな風に連れ出してもらうのは初めてで、気分は最高。今朝の夢など忘れてしまうほどだった。
 行き先は、サイクリングロード。何をしに? それはもちろん、サイクリングに決まっている。

【五】
 タマムシシティを西に進んでいくと、サイクリングロードという場所に辿りつく。
 実際にここに来たことのない私が、何故そんな記憶をぼんやりとはいえ持っているのか。
 大してなにも詰まっていない私の頭の片隅には、私の知らない記憶がポツンと置かれていた。霞がかっている記憶で、なかなかはっきりとはそれを引き出すことは出来ない。これもバグなのかと、嬉しいような嫌なような。最近の私はさらにおかしくなっている気がする。
 フウトが係員に自転車を借りるのを眺めながら、私は今頃になってその記憶のことをふと思い出した。
 そういえばこの町のことも、ぼんやりとだが知らないはずのことを知っている。何故だろう。と考えたところで、わかるはずもない。私にはびっくりするような仕掛けが組み込んである、ということをフウトの父は言っていたから、それに関係があるのかもしれない。
「いくよ」
 しばらくして、かごの部分が大きなモンスターボールになっている、少し変わった自転車をフウトは押してきた。
「この自転車、あいつが好きだったんだ。だから、これを借りるといつも喜んでいた」
思い出すように、フウトはそう言った。それが前のパートナーだということは、すぐにわかった。でも、こんな風に何気なく話したことなど一度もないし、そこに触れることさえ嫌がっていたフウトが、何故突然こんな風に話し始めるのか。
 やっぱりよくわからないので、私はそのままフウトの次の言葉を待った。
 しかし、さっきのはまるで独り事だったかのように、フウトは話をやめてサイクリングロードへの入り口へ自転車を押し進めた。本当に独り事? と私は首をかしげながら、その背中を追った。
「今日は思いっきり走ろう」
 ゲートを抜ける。突然上にも横にも広がる視界。サイクリングロードのその姿が、私の前に写る。
 一直線に続く果てしない道。見ることさえままならない遥か先まで、水の上に大きな橋がかかっている。さらにその先には、橋の終わりから続くように地平線がある。あまりにも遠く、息をのむほどに壮大で、私はこの光景に呆けていた。それと同時に、今から自分がこの橋を走るんだと思うと、それだけで体の中から何かがわきだし、何かが破裂するんじゃないかというほど私の中で何かが疼いた。
 フウトは自転車に跨ると、そんな風にわくわくしていた私に向かって「ほら、ここ入りな」と、かごの部分についている大きなモンスターボールを指さした。私は迷わずそのモンスターボールに入る。ちょうど車高の低い車に乗っているかのようで、私はさらにわくわくした
「これなら、一緒にサイクリングが出来る」
 なるほどなあと、低い位置から遥か遠くを眺めながら思う。考えてみれば私は自転車に乗れないのだ。何も考えずただここを走ることだけ想像してわくわくしていた自分がおかしかった。
「さあ、今日は思いっきりいくよ!」
 フウトの声に合わせて、私はいつもの機会音をあげる。
 思わずあげてしまった声に私はハッとするも、フウトは何も言わなかった。

【六】
 ボールの中に入っているから風は感じられないけれど、今までに感じたことのない高揚感を私は味わっていた。次々と流れていく風景。程よく心地よいスピード。行けども行けども橋は続き、本当にこの興奮がいつまでも続くとさえ思える。フウトもこれを感じているのかと思うと、私はさらに嬉しくなった。
「気持ちいいな」
 心から漏れ出たようなそんな一言に私が耳を向けていると
「このサイクリングロードは、僕とガーディが一番大好きな場所だったんだ」
 フウトはゆっくりと語り始める。
「別にそんな大した話じゃないんだ。ただ僕にガーディという本当に大切な友達がいて、そいつとここに来てこうやって自転車を走らせるのが大好きだったって、それだけ。どこにでもある話だよ。でもそれが出来なくなって、悲しくて、寂しくて、あいつ以外に僕はもうポケモンはいらないって、そう思ってた。今でもあいつは僕の大切な友達だし、忘れるつもりもない。でもさ、君が僕にベッタリついてきてくれていたから、行き所のないこの気持ちを君に当り散らして、発散して、昇華して、それって凄く最低なことなのかもしれないけど、僕は君をそうやって使っていたんだ。タクヤが怒るのも無理ない。僕を見限ってもしょうがないと思う。でもあいつは僕をどうにか変えようとしてくれたし、本当、感謝しなきゃな。それに、このままじゃいけないって、僕だってわかってた。でも、君しかいなかった。こんな僕のやつあたり付き合ってくれるのは、君しかいなかったんだ」
 そこまで言って、フウトは言葉を切った。これを言うために、今日私を連れて来たのだろうか。前のパートナーとの思い出の場所で、けじめをつけるつもりだろうか。
 しばらくの間沈黙が続いていたが、フウトは再び口を開き始めた。
「何言ってるんだろうなあ僕。自分勝手にも程がある」
 でもさあ、とフウトは続け
「これからもずっと、こうしていてくれないかな」
 と、呟くように言った。
 さっきよりも早く流れていく風景。こんなの初めて。私は楽しくて楽しくてたまらなくて、こんなバグなら、あってもいいなと思う。
 私が機械音のような鳴き声をあげると、さらにフウトはスピードをあげた。フウトは笑っていて、少しだけ泣いていた。
 ケラケラと、キュルキュルと。
 私も、こんなに笑うのは初めてだ。

【七】
「よし、少し休憩」
 しばらく走り続けたところで、フウトはサイクリングロードから少しそれて、橋からこぶのようにでっぱっている、休憩所として扱われているスペースに入っていった。ガラの悪い連中がたむろしていて少し心配だったので、後ろを向いてその旨を鳴き声で伝えてみたが、フウトは察したように「少し休憩したらすぐいくから」と言って、ペダルを漕ぎ続けた。
 適当なところに自転車を止めて降りると、フウトはそのままゆっくり柵の方へ近づいていく。
 柵に腕をかけ、ぼうっとタマムシシティの方向を眺め始めた。そんな姿を、私はボールの中から見つめる。きっと、さっき言っていたガーディのことを思い出しているのだ。そう思うと、私は今ここから出てフウトに近付いていっていいのかわからなかった。そっとしておいた方がいいのかもしれない。すぐそこにいるのに、まだ遠い気がした。……遠い? ……あれ? この光景。フウトがこういう風に外を眺める光景、なんとなくデジャヴで、見たことあるような、懐かしいような。でもそんなことはありえない。私はここに来たのは初めてで、こんな光景も見た覚えはない。おかしい、やっぱりこんなのおかしい。さっきゲートの前で感じた違和感よりずっと強い。私はフウトの近くに行けばもっとこのおかしな感覚の正体がわかる気がして、ボールから出てゆっくりとその背中に近付いていく。今日は快晴だ。じりじりと橋を照り付け、地を熱す。私達のところだけ、特別に熱くしているよう。じりじり。私も熱され、フウトも熱される。私は少しずつ、ゆっくりとフウトに近づいていく。内側が熱い。この光景は、熱すぎる。もうすぐ。もうすぐフウトの隣。この変な感覚の正体が、私は頭の中で浮いているこの映像が、なんなのかわかる。霞がかった記憶が、少しずつ晴れる。フウトの背中。広がる景色。山々の向こうには、きっとタマムシシティ。知っている。私はここを、知っている。
もうフウトはすぐそこ。目の前。
「あ、ごめんごめん。ここもね、よく来たんだよ」
 そう言って振り向くフウト。私の気配に気づいたのだろう。さらに近づこうとすると、突然フウトが口を開けて、驚愕の顔を浮かべる。「あっ!」っと、空気が漏れただけのような、何かを大声で言おうとしたけど、言葉にさえならなかったかのような声を出し――。世界が暗転、私の視界はぐらりとゆれ、フウトと景色が横向きに。頭の中に突然入ってきた衝撃が暴れ回る。黒、白、景色。横になるフウト。チカチカと目まぐるしく視界が、色が、変わる。ゴトン、と言う物音。私はそれが自分が地に落ちた音だと、一瞬送れて気付く。
 ああ、私は殴られたのだ。
「馬鹿。強くやりすぎだ」
 そういえばこんな感じの夢を今朝見た。首はもげてないが、それでも体のいたるところがおかしい。力が入らない。動こうとしても、微妙にコントロールが効かない。
 私は自分を殴ったやつがどんな奴か見たくて、動きにくくてしょうがない首を無理矢理動かす。
そこには大きな骨を持った、ガラガラが立っていた。無表情に骨を構え、こちらを睨んでいる。
「もうやめとけよ、売れなくなるからな」
 ……さっきの声の主と同じだ。
 私は声のする方、ガラガラの右側から大きな声を出して近づいてくる人の方を、ギクシャクしながら向く。スキンッヘッドの大男。その後方にはこちらを見ながら笑うチンピラ達。私はそれだけ確認する。
「あーあー。こいつ故障してるじゃねえか。加減くらい覚えろよな本当に」
 男はそう言いながら私の傍まで来て、チッ、と舌打ちをする。怒ってもいいはずなのに、不思議と私の中には怒りさえ湧きおこらない。あまりに突然のことで、半ば茫然としてしまっているのかもしれない。
「おもちゃだから痛くもないし、ロボットだから怒りもしないってか」
 私を見て、半笑いのまま男はそう言った。
 ああ、やっぱり。
 そんな風に、私はすぐに納得しそうになって、思わず笑いそうになる。仕方ないのか。やっぱり、私はそういうもの。人工である以上は、それは避けられない。私はやっぱり、ポケモンにはなれない。そいうことなのか。
 そう考えると、だんだんと、私の中が渦潮のように荒れだし、悔しい、と感じる体が狂いそうになって、震えて。
「ふ、ふざけんな!」
 そんな私の代わりになるように、フウトが怒りだした。全てを驚きに上書きされた私は、フウトの方を振り向いてしまう。
 突然怒り狂ったフウトは、勝てるはずもないガラガラに向かって殴りかかり、当然のように骨でいなされ、地にのされる。それでもすぐに起き上がり、「取り消せ! こいつはロボットなんかじゃない!」と、叫びながら向かっていく。本当に狂ったのかと思う。何度殴られても起き上がり、無意味にも向かっていく。顔は腫れあがり、唇は切れ、見るからに痛々しい。
「ふざけんなふざけんなふざけんな!」
 フウトは怒り続ける。よく見ると泣いていた。それはパートナーへの涙か。私への涙か。大粒の涙を流し、顔を涙で濡らしながらガラガラに拳をあげた。軽くかわされ、骨で頭を殴られる。「あぐっ」、と漏れるような声を出し、フウトは地に伏せる。
 もうやめて。私はそう言いたかったが、音が出なかった。私の中でさっきとは比べ物にならないものが渦巻いていき、悲しいやら怒っているのやら悔しいのやら、よくわからない、全部が混ざったかのような、私も狂ってしまったのかと思う。
「お前、許さないぞ。絶対許さない! 僕の友達なんだ! 馬鹿にするな!」
 フウトは腕を震わせながら立ち上がり、泣いた顔でガラガラを睨みつけ鉄砲玉のようにそんなことを喚きながら、ふらふらする体でまた向かっていく。何かにとり憑かれたかのように、そうしなければならないかのように、ただ向かっていく。
 私は何かが出そうででない。きっと、人間でいう、ポケモンでいう涙が、私には出ない。
「そろそろ終わりにしろ」
 向かってくるフウトに向かって、ガラガラが骨を振り上げる。男が笑う。やばい、本当に終わらせる気だ。やめろ、やめろ、やめろ。
 ガラガラは拳をかわし、懐に入ったかと思うと、そのままフウトの腹に骨を突き立て、前に出る。フウトの体が宙を飛んだ。
「あっ、馬鹿! ガラガラ! やりすぎだ!」
 焦った私は、思わず思い切り叫んだ。汚い、ノイズのような機械音が辺りに広がる。まずい、まずい、まずい! 止まることなくフウトの体は宙を飛ぶ。柵を越える!
 私は歯車が狂ったようにギクシャクする体を無理矢理動かそうとした。そんな様子に男は流石に焦ったようで、私の頭をむんずと掴むと、その場から逃げようと後ろへ走り出す。やめろ、はなせ。私は行かなくちゃ、フウトのところへ行かなくちゃ。
離せ。行かなくちゃ。フウトのところへ。お前じゃない、フウトだ。私はフウトについて――。
 放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ。
「仕方ねえ、逃げるぞガラガラ!」
 放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ!
「な、なんだ、こいつ、急に!」
 放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ。
「嘘だろ、なんでいきなり!」
 放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ放せ! 放せ放せ! 放せ放せ放せ放せ放せ!
 ガ……ガガ、ピ。エラー。バグ。バグ。バグ。バグ! 放せ。その手を放せ。私に触るな。屑が。殺してやる。お前なんか、殺してやる。死ね、死んじゃえ、死んじゃえ!
「や、やめ! ガ、ガラガラ! なんとかしろ! おい! 速く! こいつ、このイカれたやつをどうにか! 速く! おい、速く! は……」
 ――。

【八】
 気づけば男はガラガラと一緒に倒れていた。それどころかたむろしていたチンピラ達は一人残らず消えていて、ハンドルが明らかおかしな方向を向いたバイクが横倒しになっている。一方、私の体は綺麗に修復されていて、どこにも異常はない。あまりに綺麗で、逆に不自然。柵にもたれかかるようにフウトも気絶していて、まるでさっきのことが夢のようだった。
 さらに驚いたことに、私の中でずっと浮いていた違和感、頭の隅っこにある知らないのに知っている光景、風景は、なくなっていた。
 私は自分で何をしたのかいまいちわからないが、男とガラガラが倒れ、フウトが助かっているのだからそれでいい。私はフウトの傷がそのままであるということだけが気になった。
「……う、いて」
 目を覚ましたフウトが頭をさすりながら私に顔を向ける。その視線は突然、さっきのような驚いた風になった。また誰かが殴りにきたのかと思って私は思わず後ろをふり向いてしまうが、誰もいない。男とガラガラが傷だらけでのびているだけ。フウトはしばらく無言で驚いていたが、やがて思い出したかのようにポロリと言葉を漏らした。
「……ポリゴン、Z」
 私にはそれがなんなのかわからなかった。それよりも傷が心配でさらにフウトに近付くと、今度は笑い始めた。
 あははは、って、何かが吹っ切れたかのような笑いだった。
「父さん、びっくりする仕掛けって、こういうことかよ」
 何がなんだかわからない、というような顔を私はしていたのだろう。フウトは再び笑いながら私のほうを指さした。
「君に組み込まれていたのは、あやしいパッチだよ。どういう条件で作動するのか正確にはわからないけど、誰かに君が奪われたとき、作動するように仕掛けられていたんだろうね。要は一回限りの安全装置さ。君の進化は力があまりに急激に上昇するから、相手はついてこられない。不意打ちだから、一回しかきかないけどね」
 本当に不思議だよ。ポケモンってやつは。
 フウトは最後にそう言うと、傷だらけの顔で私に微笑みかけた。それだけで私は今まで考えていたことがどうでもよくなってしまう。ポケモンとかロボットとか。フウトの前のポケモンとか、僕の入り込む余地とか。もう、どうだっていい。関係ない。フウトが笑いかけてくれたから、それだけで、十分。
 何かとてつもなく安心しきってしまった私は、ゆっくりと地に降りる。
「どうした?」
 心配そうなフウトの声。それと同時に、怪我をしている体を痛そうに引きずって、こちらへ寄ってくれる。温かい手の感触が私に伝わる。こんなにも優しく触れてもらったのは初めてだった。
「よかった、大丈夫そうだ」
 私にはもったいないほどの言葉。
「守ってくれて、ありがとう。今まで、ごめん」
 愛情という温もりが、こんな私にも、必要だったのかもしれない。


◆      ◆


 翌日。ポリゴンZとなった私はフウトと共にスクールへ登校した。皆が私を昨日よりも好奇の目で見つめる。傷だらけのフウトの顔と一緒に。
「皆、君が凄いポケモンだから見てるのさ。僕が君と一緒にいる方が変に思われるかも」
 フウトがこちらを見て笑った。昨日のような微笑みではなく、誇らしげな顔だった。
 それに、 ポケモン、って言ってもらえた。
 この姿になってから、どうも思うこと、感じることをコントロールし辛い。爆発させそうになるこの嬉しさを抑えるのが大変だ。
 ぶるぶると震えながらどう見ても不自然に浮かんでいる私の前に、一人の男が突っ立っていた。その人間は、待てよ、とフウトに声をかける。
「おはよう、タクヤ。見てくれよ、僕の友達なんだ。ポリゴンZに進化したんだぜ」
 あっけにとられたのか、タクヤはポカンと口を開けている。フウトは満足気な様子で、意気揚々と横を素通り。私はそそくさとフウトの後ろからその横を通ろうとしたとき、タクヤが開けていた口をしめ、表情を緩めたのがわかった。それと同時に、私に視線を送ってくる。昨日と同じ視線ではない。よかったな、という優しい表情だった。
 私は一鳴きして、フウトの後を追った。
 今思うと、私頭の隅にあった霞がかった記憶は、フウトの前のポケモンのものだったのかもしれない。そう考えると、昨日までの私ならばきっとへこんでいた。しかし、今はそんなことは気にならない。
 わたしに向けられた二人の少年の顔が、私の記憶に残っているのだから。

[了]







■筆者メッセージ
大阪オフのとき書いて持って行った作品。
早蕨 ( 2012/02/25(土) 16:23 )