デリバードからのプレゼント
いつかきっと
【一】
「サイコキネシス!」
 体がふわりと浮くのを感じ、僕は力を抜いた。もう、僕以外に戦える仲間はいない。皆やられてしまった。強いはずの僕らが、圧倒的な力の差を見せられ、つぶされていった。これが負け。久々だった。トオルのポケモンになってから、負けることなどなかったから、久々の感覚だ。ああ、僕達は本当に負けるのだ。前方でスプーンを構えるフーディンが、僕にそう思わせる。強烈だった。強い。本当に強い。僕達も強いが、そのさらに上をいっていた。本気でやって、一匹も倒せない。こんなことは初めてだった。
 高々と上がる僕の体。もう抵抗する気はない。フーディンがスプーンを握る手に力をこめるのが見えた。刹那、僕は途端に急降下を始める。ああ、心地いい。これでいい。僕は負ける。不思議と悔しくなかった。むしろ、これを受け入れる準備はできていた。いつかこうなることもわかっていた。いや、もっと早くこうなるべきだった。僕達はやっと止まれる。狂ったような、猪突猛進をやめられる。トオル、これでいいんだ。僕達は、もっと早くからこうなるべきだったんだ。
 体に走る重い衝撃。鈍い痛み。動けない。動く気もない。終わった。
 僕達は、負けた。

【二】
 ジムもなければ、有名なトレーナーもいない。隣のワカバタウンとは違い、旅人の通過地点として扱われるのみの、小さな小さな町。ヨシノシティは、そんな町だった。ワカバタウンからポケモンリーグチャンピオンが現れてから十年、相も変わらないこの町に、天才、神童、十年に一人の逸材。隣町に住むウツギ博士からも素晴らしい才能を持っているとお墨付き。そんなトレーナーが現れた。僕のトレーナーであり、友達でもある、トオルだった。意味はよくわからなかった。それでも、トオルがもてはやされているということだけはわかった。
 ジョウト地方のバトル大会で、ポケモンの扱いに関して飛びぬけた才能を見せたトオルは、ヨシノシティでは珍しい存在だったのである。隣のワカバタウンと同じくらい古くからあるこの町にとって、それは一つの希望だった。町の名を広める。どうにかしてこの町を盛り上げたい。そんな住人達は、トオルをもてはやし、期待をかけた。実行するにも背負うにも、重い期待であることは間違いなかった。だが、その頃まだ小さかったトオルにはそんなことはわからなかった。ほめられて、もてはやされ、素直に嬉しがっていた。無邪気で、まだ幼すぎた。そんなトオルだから、僕らと触れ合うことも、バトルをするのも、楽しそうで嬉しそうで、僕らはそんなトオルが好きだった。
 何より、もてはやされる通りにトオルは強かった。トオルの元で特訓を重ねた僕は、町の中でもとびきり強いポケモンになっていた。町の人は「あのラッタはもの凄く強い。あんなラッタは見たことがない」と口を揃えていた。トオルが笑った。トオルが笑えば、僕も笑った。ヨシノシティでの生活は、楽しかった。

 トオルが十三歳のとき、ヨシノシティ出身のトレーナーとして僕達の旅は始まった。トオルはまだ子どもだったけど、町の人がかける期待の意味を理解し、その重みを感じ始めていたと思う。それでも、僕達は町から外の世界へ飛び出し、世界を渡り歩く壮大なそれに高揚を感じていた。楽しみだったとも言う。
 旅は始まった。それは間違いなかった。
ジムリーダーという者に勝つとバッヂがもらえる。それが強さの証となるようで、僕達の目的は目下それを集めることになった。
「僕達、勝てるのかな」
「大丈夫。負けない」
 キキョウシティ南側、32番道路で特訓を重ねていたとき、新しく仲間になったヌオーは、僕の隣でジムを見あげながら自信たっぷりにそう言った。口数の少なく、いつもだるそうにしているヌオーから出た言葉だったので、僕は少し驚いた。
「負けられないんだよね」
 ヌオーの言う通りだった。こんなところで、負けるわけにはいかなかった。町の人達の期待が、僕達には乗っていた。
「大丈夫、負けないよ」
 僕が不安そうに見えたのか、ヌオーはぼそりと繰り返すようにそう呟いてくれた。

【三】
 僕達にのしかかる期待を一緒に背負う。ヌオーはそう言ってくれた。涙脆い僕は、無口なヌオーが意を決したようにそんなことを言ってくれて嬉し恥ずかし、泣いてしまった。俄然頑張る気になった僕は、その勢いのままキキョウジムを難なく通過。弱かった。僕とヌオーの敵ではなかった。トオルの指示も相変わらず的確で、僕達とトオルの距離はさらに縮まった。バッヂという強さの証、物として感じることができるそれに喜びを覚える。
 ここから、トオルの快進撃は始まった。
 新しい仲間、新しい技、新しい戦略。僕達はどんどん強さを身につけ、成長していく。トオルの戦略はことごとくはまり、研ぎ澄まされたその場を見極める力には僕も驚かされる。そして、それ以上に僕達は仲良くなっていった。トオルと僕、そしてヌオー。新しく仲間になったニューラやゴルバット。それぞれが僕達の仲間になればなるほど、その強さは増していく。ヨシノシティの人達が言っていた「天才」という意味が、少し僕にもわかるようになっていた。
仲間になっていくポケモン達にも、僕達と同じそうにそれぞれ事情があった。捨てられたニューラ、気性が荒く、群れからはじき出されたやさぐれゴルバット。それぞれが個性抜群で、何かに秀でている。そこに気付き、伸ばそうとするトオル。僕達はどんどん強くなっていく。そして、それ以上に仲良くなっていく。
トオルは周りを惹きつける人間だった。それは人に限らず、ポケモンも含まれている。何がそうさせるのかはわからない。いつも一緒にいる僕達でさえ、明確にはわからない。ただ、トオルは笑っていた。重いはずの期待を、まるでもろともしないかのように、笑っていた。
 そんなトオルの元で旅を続ける僕達は、ヨシノシティで言われた通りその名を広めていく。ジム突破の快進撃は、その幼さからは想像も出来ない冷静な判断と的確な指示。そして、今までほとんど名前が出ていないヨシノシティ出身の少年ということで広まっていった。あの少年の再来、とも小さく囁かれた。
確実に一人ずつジムリーダーを倒していくことで、トオルの知名度は上がっていく。キキョウ、ヒワダ、コガネ、エンジュ、アサギ、タンバと、僕達は破竹の勢いで六つのバッヂを手に入れた。決して楽ではなかった。しかし、僕達には負けられない理由があった。それをまだよく理解していないニューラや最近進化したクロバットは、どちらもまた別の理由で僕達と同じくらい負けるのを嫌った。
「強くなきゃ、何もない。俺にはそれだけだから。むかつくけど、俺をもっともっと強くしてくれるのは、あいつだけだ」
 ゴルバットは言った。アサギからタンバへ行く客船の甲板の上でのことだった。
「私、負けたら捨てられちゃう。弱いのは、生きていけないし、一人になっちゃうから、そんなの寂しいし、いやだ」
 ニューラは言った。少し肌寒い風の吹く、ウバメの森で野宿をしていたときだった。
 皆それぞれ理由がある。
 そんな僕達が負けるはずがない。僕も、皆も、そう思っていた。

【四】
 七つ目のジムバッヂを手に入れるため、僕達はチョウジタウンのジムを訪れた。いつも通り、楽ではないものの勝てる気でいた。
 ジムリーダーは、ヤナギという名前の老人だった。無表情で、バトル場の反対側に位置するこちらをじっと凝視している。ヨシノシティ出身、トオルです。よろしくお願いします。いつも通りの挨拶。そんな噂のトレーナーを相手に、ヤナギは身じろぎ一つしない。それどころか、何の反応もよこさないまま、「きなさい」とだけ、静かに言い放った。どこから出したのか、ヤナギはいつの間にか握っていたモンスターボールを放る。中からはヤナギと同じくらい冷たい空気を纏った、イノムーが現れる。どっしりと構えるその重々しさは、何をしてもピクリとも動かないように思わせる。
氷のジムにふさわしいくらいに、空気は凍っていた。今までにない静けさ。ジムリーダー戦前の独特の緊張感。ヤナギというこの老人の、異常なまでの落ち着き。今までのジムリーダーとは少し違うような気がした。前に戦ったミカンというジムリーダーも強かったが、それよりも強いと、そう思わせるような雰囲気を纏っている。僕達の自信は、一瞬だけ揺らいだ。一瞬だけ、不安になった。でも、それも一瞬だけ。僕達は戦う。
 先頭はクロバット。相性的には不利だが、クロバットの誇る圧倒的な速さと、生まれ持った天性の打たれ強さは、相手を見極め、様子を見ることに一番適している。相手を惑わし、素早くねじふせる戦い方を好むこいつはそれを嫌うのだが、他でもないトオルの指示にだけは従う。それが、一番自分が強く在る瞬間だと理解したからだった。
 ジムトレーナーによる、試合開始の合図。持ちポケモンは、三体。クロバットは勢い飛翔し、イノムーの周りを旋回する。イノムーはまだピクリとも動かない。トオルもヤナギも、まだ指示を発さない。
 どれくらいその時間が続いただろうか。相手の出方を伺っているのかはたまた相手が動くまで動く気がないのか、イノムーは動かない。
「クロバット! エアスラッシュ!」
 先にしびれを切らしたのはこちら側だった。上空から大きく叩き付けるかのように羽ばたかせた羽から、鋭い衝撃波が何発か放たれる。それを見てかイノムーは突然動き出し、ヤナギの指示がないまま冷凍ビームを発射。自分に当たろうとするエアスラッシュのみをかき消し、そのままクロバットの元へ一直線。よもや当たるか、というところでクロバットは四匹に別れる。影分身だ。こちらも、トオルの指示はなかった。
「もう一度エアスラッシュ!」
 まるでクロバットがそう避けるとわかっていたかのようなトオルの指示。複数のクロバットから一斉に衝撃波が放たれる。
「白い霧」
 ヤナギのその一言で、イノムーは初めて大きな動きを見せ始める。その口から吐き出される白い靄が、バトル場にもやをかけた。エアスラッシュは霧の中に消えていく。地面に衝撃波が当たる音。イノムーに当たったかどうかはわからなかった。白い霧のおかげで見えないが、かわせる暇があったとは思えない。ダメージは与えたはずだ。
「やるな、あの人」
 トオルは歯噛みする。いつの間にかイノムーの頭上を飛んでいたクロバットは、そこから動けない。白い霧でイノムーの動きがわからず、迂闊に飛び込めないのだった。
 刹那、ジム内に突然ひびく轟音。何事か。音は、霧の中から。
「イノムーよ、吹雪じゃ」
「霧払いだ!」
 声は、同時だった。トオルは相手の行動の意味を悟り、ヤナギはとどめに入る。ジム内がさらに冷たくなったかと思うと、霧の中から猛烈な冷気と風が勢いよくクロバットのいる空中へ向けて吹いた。一瞬の判断の遅れは、避けるのを許さない。シンオウ出身のトレーナーから教えてもらった秘伝の技、霧払いで応戦するだけで精一杯だ。猛烈な吹雪に向かい、激烈な風をぶつける。ほとんど賭けだった。よければ相殺、最悪相手の技の威力を弱めるだけでもいい。それならば、クロバットは耐える。
 決着は、早かった。
「……よくやったよ、クロバット」
 かろうじてその協力な吹雪のほとんどを打ち消すことに成功した。多少のダメージはあるかもしれないが、やられるほどのダメージはない、はずだった。
 力が入らないとばかりに、クロバットは地面へと落ちていく。フラフラと、まるで上空から紙を落としたかのように。だがそれもつかの間、クロバットは渾身の力をこめ羽ばたき、上昇しようとする。負けたくない、負けられない、負けてたまるか。そんな顔をしている。「強さ」を貪欲に求めるクロバットにとって、負けることは「弱い」ことを意味しているのだろう。
 僕はトオルの隣でクロバットを見上げながら、頑張って欲しいと思った。反面、もういい、やめてくれ、と心の中で懇願する。クロバットは間違いなく共に旅をする僕の友達で、無理をしてほしくなくて、いるだけで価値があった。
「……もういいんだ。クロバット」
 トオルも同じようなことを考えていたのかもしれない。クロバットの事情をトオルは知らないはずだが、あいつが異常なまでに強さを求めることをトオルは知っていた。
「吹雪に、原始の力を混ぜたんですね」
「そうじゃ」
 ヤナギは即答した。原始の力は、岩を宙に浮かべ相手にぶつける特殊な技だ。クロバットのエアスラッシュが地面に当たっていたことや白い霧がカーテンになっていたことを考えると、イノムーが地面を砕き岩を作りだすには十分な時間があった。
「とどめを、刺さないのですか?」
「君は、まだ攻撃をさせるつもりかね?」
 見え透いたことを言う。ヤナギは、トオルがもうクロバットを戻すことを知っていた。
「戻れクロバット!」
 クロバット、戦闘不能。しかし、あいつは戻らない。まだバタバタと羽ばたいている。
 辺りがさっきよりも寒いことを体が感じ取り、僕は身を震わせる。幾許かの時間が経過していた。トオルはじっとじたばたするクロバットを見つめる。
 すう、と、軽く息をためたトオルは、叫び出す。
「戻れ!」
 トオルの怒号が、ジムに響き渡る。どきりとするほど、鋭い声だった。いつもはそんな感情を前に出すことのないトオルが怒鳴ったことで、クロバットは我に返ったかのように、諦めてフラフラと力を抜きながらこちらへと戻ってくる。トオルの前にポトリと落ち、仰向けのままトオルを見あげる。
「お疲れ。今のは気付けなかった僕のミスだ。君のせいじゃない。謝る。だから、次のときも、よろしく頼むよ。お前以外に、うちの切り込み隊長は任せられない」
 トオルはボールをかざし、スイッチに力をこめる。
 クロバットはまんざらでもないような顔をしながら、モンスターボールの中へと入っていった。

【五】
 チョウジタウンのジムリーダー戦は、辛くも僕達が勝利した。あっけなくもあり、意外でもあった。勝利を奪ったというよりは、もらったと言ってもよかった。トオルは挑戦者だけに可能な「交代」を駆使し、僕とヌオーが必死の想いでイノムーを突破したとき、ヤナギは勝負をやめた。
「ジム戦とは、挑戦者がその個数のバッヂを持つにふさわしい強さをもっているか確かめるものじゃ。本来ならば、その見極めだけで十分。君は強い。ポケモンのことをよく知っておる。先ほどのクロバッドへの叫びも、見事じゃった。あやつを、大切にしてやりなさい。ただ、焦りは禁物じゃ」
 ヤナギはそう言うと、トオルにゆっくりと近づいてきてバッヂを手渡し、そのままジムの奥へと引っ込んでしまったのだった。
「お受け取りください。このジムでは、たまにあることなのです」
 ジムトレーナーを勤める青年は、にこやかにそう言った。僕達は、まだ、負けていなかった。
 とんでもない勢いでジムを突破するトレーナーとして、そしてまたヨシノシティのトレーナーとして、トオルは取材を受けた。
 ジョウト地方において注目のトレーナーであるらしいトオルは、これまでの動向やこれからの目的を聞かれ、その代わりとばかりに、記者はヨシノシティ出身の期待を一身に背負った大きな希望ですね、と仰々しく言った。
大きなニュースでもなんでもない、トレーナーの雑誌か何かに小さく小さく載る程度のものだ、とトオルは言う。それでも、ヨシノシティの人からすればそれは大きな出来事で、何かのきっかけになればいいと期待をかけた。ポケギアという機械がなると、トオルは必ずそれに応じていた。
 僕だけ、僕達だけが、そんなとき、トオルの顔が曇ることを知っていた。
 ヤナギとの戦いは、僕達に間違いなく変化をもたらしている。先頭のクロバットが、多少のダメージを与えるだけで、あんなにも簡単に負けてしまったというのは初めての経験で、その後僕とヌオーがイノムーを倒したとはいえ、あのままバトルが続けば僕達は負けていた。やってみなければわからないが、多分、負けていた。
 僕達の中では誰もそれを言わなかったが、誰もがそれをわかっていた。
 変化が起きている。妙な空気が立ち込め始めている。仲がいいのには変わりない。暴れん坊のクロバットも、僕達だけには優しい。臆病なニューラも、僕達と一緒にいるときは元気いっぱいだ。ヌオーも、いつもいつでもいつも通り。
 でも、変化が起きている。負ける、ということそのものが何か大きな災いをもたらすのではないか。そんな風に思えてしまう。僕は、ヨシノシティの期待を背負うトオルのポケモンとして、役に立ちたい一心だ。ヌオーは、そんな僕達に応えようと、一所懸命。クロバットは、強さを求め、自分が負けることを意地でもゆるさない。ニューラは、捨てられたことを忘れられず、負けることを恐れる。僕達は、同士だった。

【六】
僕たちに、新しい仲間が増えた。ブビィというチビだった。フスベシティ南部、つながりの洞窟入り口前で倒れていたところを、僕達が拾ったのだ。ひどくやせほそり、疲れきっていて、もう動けないことは見るだけでわかった。このまま放っておけばどうなるのか。僕達は考えるや否やそいつをポケモンセンターに急いで運び込んだ。大きな外傷は無いが、もうずっと何も食べていないらしく、衰弱しきっていたようだ。
「あの子、うちに入れよう」
 ガラス張りの壁を通し、ベッドの上に横たわるブビィを見ながら、トオルは言う。寸分の迷いもなかった。皆も、文句一つ言わない。あのブビィが何故あそこにいるのか、それを各自想像したのだろう。特に、ニューラは賛成とばかりに顔を輝かせていた。


  ■       ■


 僕達は既に八つ目のバッヂを持つジムリーダー、イブキを攻略している。ブビィを発見したのはその翌日、次なる目的地へ出発、というところでの出来事だった。八つ目のバッヂを集めればさらに強い四天王という人達と戦える、とイブキは言っていたが、トオルは戦う気がないようだ。四天王がいる場所は、丁度僕達がいる場所ともう一つ、カントー地方という場所に挟まれているらしく、先にそっちのバッヂも全部集めてしまおう、ということらしい。
 トオルは相変わらず優しく、バトルの指示もうまい。大きな期待を背負っていることを感じさせないくらい、平然としている。
 周りからは、きっとそう見える。けど、僕達にだけは、トオルの微妙な変化がわかった。トオルは焦っていた。バトルの仕方が、前よりも微妙に急ぐ形となっている。早く勝負をつけようとしている。普段歩いているときも暗い顔をすることがたまにあった。僕達はそれを見逃さなかった。
この変化は、ヤナギとのバトルからだ。ジム戦だから引いてくれたが、間違いなくあの人は僕らよりも強かった。それは僕達の中の誰もがわかっていることだったけれど、皆それを口にしない。僕らは誰かよりも弱いということをまだ認めるわけにはいかず、勝ち続ければならないような気がしたからだ。だから、僕らよりも強いやつらが確実にいるというその事実は、僕らには脅威で、恐怖だ。見えない相手から、脅迫を受けているような気さえする。だとすれば、ブビィなんていうあのチビは入れない方がよいのかもしれない。弱いやつは、いらないから。でも、僕達はまだそこまで腐っていなかったし、トオルはそんな冷たいやつではなかった。いくら期待を背負っているとはいえ、トオルはトオルであり続けている。僕らにも優しいし、きっとブビィにも同じように接するだろう。僕達はトオルのそういうところが好きだったし、トオルがそうある以上は僕達も僕達のままあり続けることができるはずだ。

  ◆      ◆

 ブビィはすっかり快復した。発見がもう少し遅れたら、危なかったそうだ。
 一応大事をとってもう一晩だけゆっくりしよう、ということで、僕達はフスベにあるポケモンセンターへと戻った。一室を借り、トオルは改めて僕達にブビィを紹介する。「まだチビだから、皆、面倒見てやってくれ」
 トオルは言う。僕らはブビィを迎え入れる気でいたので、それぞれが頷いた。
「よろしくおねがいします」
 ベッドにちょこんと腰をかけたまま、ブビィはペコリと頭を下げて鳴いた。チビのくせに、礼儀正しい。
僕は、何故ブビィがあんなところで倒れていたか聞かなかった。何か事情があるのはわかっているし、それを話すかどうかはブビィ次第だと思ったからだ。他の皆も同じようで、ブビィを詮索しようとはしなかった。
「新しい仲間も増えたところで、新しい地方へ進出してみるか」
 トオルはもう暗い窓の外を眺めていた。何かを見通しているようで、本当は不安だらけなのだろう。いつまでも勝ち続けられるわけじゃない。いつか、負けるときがやってくる。トオルだって、それを理解している。
「……その前に、ヨシノシティまで足をのばしてみよう」
 そう小さく呟くトオルの顔は、何か決意に満ちていた。

 翌日、僕達はフスベシティを南下し、ヨシノシティを目指すこととなった。久しぶりだ。町の人は一体どんな出迎えをしてくれるのだろうか。破竹の勢いでジョウトのバッヂを全て集めきったトオルなのだから、仰々しいものに違いない。それでトオルに負担をかけてほしくはなかったが、ちやほやされるのは僕だって嫌いじゃなかった。褒められれば、嬉しい。
 クロバットは興味がなさそうで、いつも通りギラギラといかつい。ニューラは新しく仲間になったブビィと楽しそうにやっている。ブビィも構ってもらえるのが嬉しいようで、足が軽やか。ヌオーは、何か考え事しているようだった。いつも同じ顔だからなかなかわからないが、その微妙な表情の変化を僕は読みとれるようになっていた。
 トオルはいつも通りで、飄々としている。焦りは、見られない。なんだかんだいっても、ヨシノシティは、トオルの故郷なのだ。落ち着くのだろう。そして、そこは僕の故郷でもあった。


  ◆      ◆


 久しぶりにヨシノシティへと帰ってきた。相変わらず何もない、のどかな町。特別何かが不足しているわけではないのだけれど、特別にぎわっているわけでもない。トレーナー達の修行の地、キキョウシティ。ヤドンの井戸という観光地やアルフの遺跡研究チームを有するヒワダタウン。一日中にぎやかなコガネシティ。田舎情緒の漂う、伝統的な建物を有するエンジュシティ。港町として栄えるアサギシティ。荒波に囲まれた個性的なタンバシティ。いかりの湖につながる、チョウジタウン。ドラゴン使いの聖地、フスベシティ。全国的にも非常に有名なポケモン博士と、十年前の天才トレーナーの故郷、そしてポケモンリーグへとつながるワカバタウン。ジョウト地方を周ってきた僕には、ヨシノシティがどれだけ錆びれているかを理解した。
「……なるほど、故郷の人間としては、ここを盛り上げないわけにはいかないな」
 故郷を歩きながら、トオルは言う。もっと頑張らなければ、と思っているに違いない。だって、僕らが帰ってきても思ってたような出迎えはなかった。頑張ってるね。凄いね。とは言われるが、それだけ。
 当たり前だった。バッヂを集めただけだ。ただトオルは若く、速かっただけ。聞くところによれば、十年前の少年はトオルよりも若く、なおかつロケット団の残党を嵐のような勢いで潰したという。そのまま四天王を倒すと、カントー地方にのりこんでいった。僕達とは比べ物にならないくらい強いのだろう。
 でも、だからといって、これ以上僕らはどうすればいいのだろうか。同じように四天王を倒せばいい? 何か巨大な組織を潰しにいけばいい? カントー地方でもっともっと速くバッヂを集めればいい? どれをやっても僕はこの町がよくなるとは思えない。今こうして帰ってきて、それがわかる。
「皆、行こう。僕はもっともっと強くならなきゃいけない。僕に出来ることは、それだけだ」
 トオルの顔つきが一瞬だけ張りつめたのが見えた。不安だ。とっても不安だ。
 ヨシノシティから出るとき、僕はふとあのときを思い出した。ただ、広い世界へ向かって飛び出した、あの瞬間を。
 ちらとトオルを見やると、そこには、あのときと同じトオルはいなかった。


  ◆      ◆


 前からトオルが言っていた通り、僕達は四天王に挑むことなく先にカントー地方を周ることとなった。また振り出しに戻った気分だった。新たな気持ちだ。それは爽やかで、体中を心地よく吹き抜けるもの、ではない。何かがこびりついて離れない、気持ちの悪い感じがする。
僕たちはギラギラと猛進するしかない。
 アサギの港からクチバシティへと降り立ったとき、トオルは驚くべきことを口にする。最初だからと、皆をモンスターボールから出していたから、皆聞いていた。
「この地方で一番強いジムリーダーを倒しにいこう」
 僕は驚き、ヌオーはポカンと口を開け、ニューラは疑問の声をもらし、ブビィは怯える。クロバットだけが、おもしれえ、とニヤリと笑う。僕は続けて抗議の声をあげたが、トオルは聞いてくれなかった。「この地方で一番強いジムリーダーは、元チャンピオンだから」、とその一点張り。
 最終的には現チャンピオンを倒すのだから、その前に元チャンピオンの力を知っておこうということなのだろう。わかるけれど、それはまだ早い気がした。僕の頭の中には、ヤナギとの戦いが思い出される。僕達より強いやつは間違いなくたくさんいる。
「大丈夫、負けない。僕達は、負けられないんだから」
 根拠のない言葉が、僕達の体をつんざいた。


  ◆      ◆

 トキワの森で野宿を決めたその夜、ブビィは眠りにつこうとした僕のとなりへやってきた。どうした、と聞くと、話があるという。なに? という僕の声を合図にブビィは口を開く。
「トオルさんは、優しい方です。でも、今は、とても焦っている気がします。よくは、わからないんですけど、あの、その、要するに、トオルさん、少し変です」
 まだそんなに長い間一緒にいないブビィでさえわかるくらい、トオルはおかしいらしい。嫌な話だった。
「わかってるよ。わかってるけど、どうしたらいいかわからないんだよ。トオルが負けられないっていうのもわかる。負けたら、今までやってきたことが終わっちゃう。なんのために、あんなにジム戦をこなしたんだろうって思うよ。クロバットだって、負けたくない、負けられない理由があるし、ニューラにだって、負けられない理由がある。ヌオーだって、そうさ。お前は、どうかわかんないけど」
「僕は……」
 ブビィは言葉を詰まらせ、俯く。
「負けられないと思わないと、ここにはいちゃいけないんでしょうか。僕は、皆が凄く仲が良くて、トオルさんが好きだから、一緒にいるのかと思ってました」
 涙目なブビィの表情が、僕には苦しくてたまらない。
「いていいに決まってるだろ」
「わかってますよ、皆さんが優しいのは知っています。本当にそうじゃないことも知ってます。でも、皆さんはおびえすぎです。一体何におびえているのですか? そんなに負けることはまずいのですか?」
 ブビィの問いに、僕は答えられない。
「といっても、僕がただ、もっともっと皆さんと仲良くなりたいだけなんですけどね」
 ブビィは、目に涙をためながら笑った。僕たちって、いつから負けてないっけ。記憶を探るが、僕たちには負けた記憶がなかった。   
 ヌオーはなんと言っていた? 「一緒に期待を背負うよ。だから、負けない」。クロバットはなんと言っていた? 「強い以外に俺にはなにもない。だから、負けない」。ニューラはなんと言っていた? 「弱いのはだめなんです。弱いと、捨てられちゃうから」 
 僕たちは、いつから負けを怖がったのだろう。見えない壁が、なくなった気がした。負けるの意味が、変わったようで、ブビィの言っている意味が、わかった気がする。
「勝負に負けるって、なんなんだろうね」
「負けるって、負けたってことです。それだけですよ」
 納得する僕が、そこにいた。

◆       ◆

「お前、ジムバッヂ八個もってんのか。だったら、手加減しねえぞ。本気で行くぞ。今は気分がいいんだ。全力でやってやる」
 現カントー最強と称されるトキワシティのジムリーダー、グリーンはそう言った。楽しそうだ。挑戦しに来た僕らを見て、ギラギラと目を輝かせている。子どもみたいな人だ。
 バトルフィールドの向こう側で楽しそうにしている彼を見つめながら、トオルは大きく深呼吸。
「ヨシノシティ出身の、トオルです。よろしくお願いします」
 そう言ったトオルの顔つきがしまるのを見てか、グリーンは腰のベルトについているモンスターボールを握る。
「……ジョウト出身か」
 グリーンの目つきが変わる。本当に、本気だ。それでいい。思いっきりだ。僕達も、思いっきり。やれる限りは、全力で。今まで通り、負けるつもりは、ない。

  ◆      ◆

「負けたっていいじゃねえか。俺なんて負けてばかりだ。レッドの野郎とか、ジョウト出身のあの馬鹿つええやつとか、ここぞとばかりで俺は負けちまう。お前、焦りすぎだろ。そんな急いでどうすんだよ。負けられねえとか、百年はええ。負けられねえなら、負けをびびんな。本当に負けねえのは、負けても負けねえやつだ。レッドの野郎だって、お前も多分知っているだろうが、あのジョウト出身のやつだって、負けるんだ。あいつらが一回も負けたことないなんて思ってるんなら、大間違いだぞ。わかってんのか?」
僕たちに圧倒的な差をみせつけ、最早僕たちになど興味もないはずなのに、グリーンは怒った。それはトオルに対してだけではなく、僕たち皆に対してだった。激昂と言ってもいい。何かを僕たちに伝えようと声を高くしてグリーンは叫んでいる。
「いいか。お前らが勝っただの負けただの騒いだところで、ヨシノシティがどうこうなるわけねえだろ。なに勘違いしてんだ。自惚れんじゃねえ。調子に乗るんじゃねえ。お前らは確かに強い。そこら辺の奴らなんか相手にならない。でもそれだけだ。誰かにでかい影響を及ぼせるなんて思うな。何かを動かせるなんて思うな。そんなことを考えている時点で、お前らは何も動かせねえ」
 僕は、ヨシノシティに戻ったときのことを思い出した。予想外の出迎え、言葉、態度。月並みな言葉で迎えられ、さらに焦りだしたトオル。確かに、自惚れている。調子に乗っている。そうだ。このグリーンがいうレッドというトレーナーも、ジョウト出身のあのトレーナーだって、何かを変えようと、動いているわけじゃない。自分のために、自分達が強くなるために、そして楽しく旅をするために動いているんだ。その途中、自分達の道を邪魔するものが現れたから、取り払っただけだ。
 自分達しかヨシノシティを盛り上げられる者はいない。そんな自惚れを持ってちゃ、勝てないわけだ。この男には。
「お前は強い。それは確かだ。だから、自信を持て。誰かにちやほやされたからとか、誰かに褒められたからじゃねえ。自分で積み重ねてきたものに自信を持て、お前はそれだけ積み上げた。以上! また来い!」
 グリーンはそう言うと、僕らを追い払うかのようなジェスチャーを僕達に向けた。トオルはグリーンの言うことになに一つ反応することなく、そのままトキワジムを後にする。
 ジムを出ると、やけに真っ青な空と明るい世界が待っていた。僕達は、一体何をしていたのだろうか。僕は笑いそうになった。ボシュ、とモンスターボールが開閉する音。音は続く。皆、勝手にモンスターボールから飛び出す。トオルを囲み、僕達は、空を見上げる。
「次は負けない、絶対だ」
 トオルは笑う。昔、最初にトオルと出会った頃に見た笑みが、そこにはあった。
「当たり前だ、ばかやろう」
 ボソっとつぶやくクロバット。
「わ、わたしだって、トオルさんや、みんなの役に立つんだから!」
 もう、捨てられることに怯える様子もないニューラ。
「僕は、いつまでも、ついていく」
 いつも通り、僕達のことを想ってくれるヌオー。
「僕も、みなさんのように強くなりたいです!」
 やる気十分な、ブビィ。
 みんな、変わった。最初に会ったころとは、全然違う。強くなったし、仲良くなった。負けたからって、それは変わらない。
 僕達は強い。次は絶対に負けない。
「当面の目的は、あのグリーンを倒すことだな。あの人は一番最後にして、まずはニビシティから行ってみようか」
 歩き出すトオル。その後ろを僕らはついて行く。いつでも、いつまでも。


早蕨 ( 2012/02/25(土) 16:23 )