僕のいる場所
【一】
月がいつもよりも高く見えた。手をいくら伸ばしても届くことのないそれは、まるで僕に意地悪をしているかのように浮かんでいる。この真っ暗闇の中にただ一つだけ浮かんでいるその光の球を、僕は掴ませてもらえない。手をいくら伸ばしても、届かない。僕から逃げているのではないか。
あれからずっと、あの光は僕から遠ざかっている。いくら伸ばしても、いつまでたっても届かない。光は遠い。明かりは遠い。闇は深い。真黒な空が、僕を押さえつけているのか、月が僕から逃げているのか……僕は、前者の方がいいなあと思う。光が逃げていくなんて、怖いから。いや、さびしいから、かもしれない。
「ああ、痛いよ」
地面に仰向けになったまま月を見ながら、僕はつぶやく。お腹が減って、減りすぎて、本当は、声を出すことさえも控えた方がいいのだけれど、くやしくてしょうがないのだけれど、もういいかなと思う。既に、足が動かない。疲れたし、痛い。怪我した足が、尻尾が、体が、ぎりぎりと痛む。食べ物を求めてここまで歩いてきたけど、もう、歩けない。もう少しいけば、森につくはずだけど、そこまでもたない。
「遠いなあ……」
月は遠い。光は遠い。闇は近いのに触れない。意地悪さだったら闇の方が上だ。
届かない月を見ながら、僕は、ふと体から力が抜けていくのを感じた。
ああ、もう終わりなのか。
頭の中で大したことない自分の一生がよみがえったような気がした。さっきまで僕を痛めつけていたきりきりとした痛みもだんだんと無くなっていくような、次の瞬間には前が霞んでいき、瞼が重くなる。
ああ、眠い。
おぼろ月を見て、僕はまどろむ。目の前が、暗くなる。ああ、これは暗い。夜よりも暗い。でも、こっちの方が優しい。……いや、この暗さには、何もないんだ。何もないだけなんだ。
「おやすみ、僕」
声に出ているかはわからないけれど、僕はパクパクと口を動かしつぶやく。目の前が暗く、闇に、無に……――。
【二】
土の香りや木の香りを感じ、僕の視界がうっすらと開ける。まだおぼつかない視界の中、もう一度土や木の匂いを感じたところで僕は自分がまだ生きていることを知った。僕は、葉っぱをたくさんしきつめた上で眠っていたらしい。
「お、目が覚めたみたいだな」
視界の中に、一匹のポケモンが入ってくる。僕を覗き込むその姿は、人型の、ゴーリキーというポケモンのはずだ。
「大丈夫か?」
「……はい、大丈夫です」
起き上がろうとしたが、体につんざくような痛みが僕が起き上がるのを許さなかった。ゴーリキーの、「まだ寝とけ」という一言で、僕は完全に起き上がるタイミングを失った。
再び寝ころんだことで、僕はやっと自分がどこに今いるのか把握する。ここは、森の中だ。食料を求め森に行こうとして力尽きて倒れたところを、きっとこの森のポケモン達が助けてくれたのだろう。
「ありがとうございます」
「礼ならいらないよ、俺は君を……えっと、お前さんはピカチュウでいいんだよな?」
僕は首肯し、ゴーリキーは再び口を開く。
「俺は、お前さんを運んだだけだよ。後は、森中のポケモン達でどうにかお前さんを助けようと四苦八苦しただけさ。だから、礼なら皆に言うんだぞ」
皆? と言いそうになるが、それを飲み込む。失礼なような気がしたからだ。
でも、それは森のポケモン達総出で僕を助けようとしてくれたということだろうか。にわかには信じ難い話だった。何しろ森のポケモン達はそれぞれ自分達のなわばりを持っている。多少種類の違うポケモン同士でも仲良くすることはあるだろうが、皆、というのはなかなかない話ではないだろうか。それに、ゴーリキーがこんな森にいる、というのも考えてみれば変な話だ。
と、ここまで一気に考えたが、僕は野生のポケモンだった期間が短いということで、いろいろな場所があるんだろうなあと、それを片づけることにした。
「なんだか、不思議そうな顔をしてるな」
僕の様子に気づいたらしいゴーリキーが言う。
「いや、別に、大したことじゃないです」
「そうかい。でも、お前さんがここを不思議に思っているのなら、それは無理もないよ。ここは、そういう場所だから」
ゴーリキーは得意気に隣の木を見上げる。なんだか、嬉しそうだった。僕はその姿を見て、ゴーリキーがこの森が好きなのだということを悟った。
「ここ、いい場所ですね」
「おう、そうだろう。ここはいいぞ。俺みたいな、本来ならこういうところに住まない奴でもちゃんと受け入れてくれる」
「なわばりとか、ないんですか?」
僕の言葉に、ゴーリキーはがははと笑う。あんまり突然大きな声で笑うので、驚いてびくついてしまった僕に、ゴーリキーは「悪い悪い」と言って話し始めた。
「ここはなあ、本当に不思議な場所なんだ。森全体で一つ。皆が一つなんだ。なわばりなんて、馬鹿らしい。ここは、皆が一緒に生きていく場所だ。俺もまだここに来てそこまで経っちゃいないが、すっかりここの住人さ」
ゴーリキーはさっきよりもずっと嬉しそうに、誇らしげに語る。なんだか僕の方まで嬉しくなってしまうほど、その顔は輝いていた。
「……そうですか」
同時に、冷えていく自分の心や、醜い嫉妬心が僕を襲う。僕があんなに辛い目に遭っているのに、ゴーリキーはこんなに幸せそうだ。
「それだけじゃないぞ、ここは何故だか、事情があってよそから来た奴が多い。さまよい続けてここに辿りついた奴とか、気づいたらここにいたとか、お前さんのようにな」
嫉妬心に続き、僕はまだ見たこともないこの森のポケモン達に親近感のようなものを感じ、自分もその中に混ざれるんじゃないか、自分も一緒にいていいんじゃないのかなんてことを考え、期待した。そうすると、なんだか僕はあの夜の月にも手が届きそうな気がして、光に触れそうな気がした。
「あ、あの……」
「ん、なんだ?」
僕みたいなよそものに対して、まるで警戒心がない。既に僕を受け入れてくれているのではないか、というほどの錯覚を見せるほど、胡坐をかいているゴーリキーの姿はくつろいでいるときのそれだった。
「ぼ、僕も……あの、その」
「なんだなんだ? 言いたいことははっきり言わないとわからないぞ」
「はい……そうですね。それで、僕も……」
僕も、仲間に入れてもらえますか?
そう言おうとした僕の言葉をさえぎるように、ゴーリキーにはそんなつもりはないのだろうけど、
「ああそうだ。お前さんはもう、立派に俺らの仲間だからな。そこんところ、よろしく。なあ皆!」
と、大きな声で、森中に響き渡るような声で、言った。
途端、木の枝から糸にぶら下がったイトマル。木の間からひょっこり顔をだすウソッキー。草陰からぴょこぴょこ出てくるキャタピーやビードル。枝の上からにっこり僕を見下ろすイーブイ。いつの間にか僕の横に座っていたニドランのカップル。
皆、僕を笑顔でみていた。楽しそうに、鳴き声をあげるポケモンもいた。僕が目を覚ましたことで、ほっとしてくれる姿もあった。
ゴーリキー……いや、ゴーリキーさんを見ると、彼は、今までで一番の笑顔で笑っていた。僕もここに居ていいんだとでもいうように、ゴーリキーさんは大きく頷いていた。
「ようこそ、俺達の楽園へ」
ああ、今なら届くかもしれない。僕はそんなことを思いながら、熱い涙が流れていくのを感じていた。
【三】
この不思議な森に、決まった呼び名はないそうだ。でも、皆決まってこの場所を楽園と呼ぶ。もとからここにいるポケモン達も、僕のようによそから来たポケモン達も、声を揃えて皆楽園と呼んだ。
ここに来てから早三週間ほど立ち、ここでの暮らしにも大分慣れてきて、僕にもその意味が今は十分に理解できる。ここは、本当に心地よい。広大な森を皆が自由に行ききし、皆が仲良く、時には喧嘩もし、笑い、怒り、泣いて、本当に生きている心地がするような、そんな場所だ。
「お前さんが来てから、どれくらい経つっけ?」
木によりかかり、リンゴにがぶりつきながらゴーリキーさんは言う。三週間経っても見慣れないこの風景に、僕は苦笑い。
「ええと、三週間くらいですね」
「サンシュウカン、ってなんだ?」
「え? 三週間は、三週間ですよ」
言って気づく。ゴーリキーさんはきっとずっと山やこの森で暮らしていたのだろう。
「あ、もしかして、お前さんは人間と一緒に居たのか」
勝手に事情を把握したかとでもいうように、ゴーリキーさんは目をつむってうんうんと首を縦に降る。
ここの皆は、気を使ってなのか興味がないのかどうでもいいのか、僕の事情をまったく聞いてこない。僕どころか、皆互いにどんな事情があるかなんて知らないらしい。その効果なのか何なのか、ここは前までの自分をリセットして再出発できるような気にさせてくれる。
僕は、僕と等身大で接してくれる森の皆との生活で、少しずつだが立ち直りかけてきていた。夜眠っているときにあの時の夢を見たり、一人でぼうっとしていたりするとまだ思い出してしまったりするけれど、皆といるとそれも落ち着くのだ。
「本当、不思議な場所ですよねえ、ここ」
「ああ。多分、世界中どこを探しても、こんなに落ち着いている森はねえな」
と、もう一口リンゴにがぶりついて、ゴーリキーさんは「でも」と続けた。
「どこにいても、はぐれものというか、はみだしかける奴っていうのはいるもんだよなあ」
ゴクン、と喉をならしてゴーリキーさんが見上げたその先に、木から木へと飛び移る一匹のマンキーの姿があった。片腕には木の実を抱えている。その後ろから、「返せ返せ!」と叫びながら追いかけるヒトカゲの姿があった。
「あいつには困ったもんだよなあ、まったく」
笑いながらそう言うゴーリキーさんは、まったく困っているようには見えなかった。
あのマンキーは森でも珍しく非常に悪戯好きなマンキーで、他のポケモンの食料をかっさらってみたり喧嘩を売ってみたり罠をはってみたりと、とにかくやりたい放題。僕が来てからの三週間の間にも、度々あのマンキーは悪戯を繰り返していた。ゴーリキーさんも悪戯――つるに足が引っ掛かると上からリンゴが落ちてくるような罠等々――に遭ってはいるが、決まって「ガハハ」と笑い飛ばしておしまいだ。彼曰く、あいつも皆が憎くて悪戯をしてるわけじゃあない、そうだ。じゃあなんなんだろう、と考えてみたが、僕にはさっぱりわからなかった。
「そういえばなあ、あいつもお前さんと同じなんだよ」
「え? 僕と同じ、ですか?」
「ああ。森から少し離れたところで倒れてたんだ。体中傷だらけで、本当にぐったりした状態でな。しかも、お前さんと似たような傷だった」
ゴーリキーさんは含みのあるように言った。僕は、自分のいつもの悪夢を一瞬だけ思い出し、ぶるりと震える。
「……同じ奴に、同じ目に遭わされたということ、ですかね」
「思い出させて悪いな。でもその可能性があるってこった。あいつも、お前さんと来た時期がそう変わらない」
僕は、なんとなくあのマンキーが消えていった方向を眺める。
もし本当に僕と同じ目に遭っているのだとしたら、それは一体どういうことになるのだろう。あの恐ろしい奴は、今でもこの森の周辺にいるということになるのか。
それは……とても恐ろしいことだ。あいつにはなんのためらいもなく、ただのあいつに不利な状況を目撃してしまったというだけで、僕の一番の友達――ケイタ――を殺した。
「どうした?」
きっと顔が真っ青であろう僕の顔を見て、ゴーリキーさんが心配そうな声を出す。
「いや……なんでもないです。それより、僕、あのマンキーと話してきます」
「あいつとか?」
ゴ-リキーさんは少しの間腕を組んで考え込んでから、ひとつ首を縦について、口を開いた。
「うん。行ってこい」
「はい。ではまた」
僕も同じように木の枝に飛び乗り、あのマンキーが消えていった方向を目指す。考えなければいけないことも話さなければいけないことも、たくさんあるような気がしてしょうがない。妙な焦燥感に駆られながら、僕は足を速めた。
【四】
あれからしばらく、僕は森をさまよった。目的のマンキーがなかなか見つからなかったからだ。ならば、とマンキーを追っていたヒトカゲを見つけようとしたが、そのヒトカゲも見つからない。枝から枝へ飛び移るのも疲れてきて、さあどうしたもんかと一休み。
「ああ。どこに行ったんだ」
時間が経てば経つほど、マンキーと話さなければならないことがたくさんある気がする。話せばどうにかなるわけでもないけど、同じことを共有できればなにがどうにかなるのかもしれない。それに、まだあいつがこの周りにいるのだとしたら、それか、もし、この森に入ってくるようなことがあるとすれば、それはこの森があいつに脅かされるということになるかもしれない。それだけは……避けなければならない。
「よお、あんただよなあ、さっきっからずっとおいらのことつけまわしてるの」
ふいに、後ろから声がした。いかにも調子にのった風な声というわけではなく、落ち着いた感じのしっかりとした声。僕はゴーリキーさんが言っていたことを思い出す。確かに、ただの馬鹿マンキーというわけではなさそうだ。
「うん、僕だよ」
振り向いて、答える。木を一つだけ隔て、僕らは向かい合った。
「何か用か? おいらは、お前らなんかとつるまないぞ。おいらにはやることがあるんだ」
マンキーの目は、非常に冷静な目だ。……ケイタがバトルをするとき、あんな目をしていたのを思い出す。
しばらくの間、僕達の間に冷たい沈黙が流れ、マンキーは僕を品定めでもするかのようにじっと見ていた。
「……うん。率直に行こうか。君、鋭い目をした恐ろしいトレーナーにやられたでしょ」
口火を切った僕の言葉に、マンキーの顔がゆがむ。今までの冷静な表情ではない、途端に顔に怒りが広がり、今にも僕に襲いかかってきそうな勢いだった。
「あんた……ああ、そういうことか。なるほど、わかったよ。事情はなんとなく把握した」
ゆがんだその顔が少しだけ元に戻り、安心してゆるんだ顔の僕を見て、でもな、とマンキーは続ける。
「おいらとあんたが同じだろうと、おいらの復讐はおいら自身でやる。あんたと組もうなんて思わない」
思いがけないマンキーの言葉に、僕は驚く。……あのトレーナーにやられてなお向かっていこうとするなんて、ありえる話なのだろうか。僕には恐怖しか残らなかったのに。
「……あいつにもう一度挑みに行くってこと?」
「違うね。殺すんだ。でないと、おいらはおいらを許さない。母ちゃんがやられてたっていうのに、そんときのあまりの恐さに逃げ出しちまったおいらを、おいらは許さない」
マンキーの真剣な表情に、僕は心がこねくりまわされるような感覚に襲われた。
なんて弱く、なんて強く……なんて悲しいんだろうか。僕にはわかった。このマンキーは、きっと、自分が勝てないのを知っている。どんなにふいをついても、どんなに有利な状況でも、戦えば殺されることを知っている。
自分が弱いことも知っていて、知っている上で、自分を許せない。きっと、母親の顔が頭から離れないのだろう。何もしなかった自分だからこそ、今何もせずにはいられないのだ。
対して僕は、どうだろう。一番の友達、ケイタが殺されたというのに、怖がってばっかりだ。自分が何もできなかったことに対して、何も思っていない。冷たい話かもしれないが、僕には恐怖しか残らなかったし、逃げることだけを第一に考えていた。だって、ケイタが逃げろと言ったから。
大きな傷を負いながらも、なんとか僕を守ろうとしたケイタが僕に叫んだ「逃げろ」の一言は、僕を逃げの一手に突き動かした。僕達だって、長年一緒にバトルをしてきたからわかる。あまりの力の差に、僕達はもう一緒に逃げることは無理だと悟ったし、何が何でも逃げないと、一瞬でもあのトレーナーを止めてくれたケイタに申し訳が立たない。
だから僕は……マンキーの母親は、自分の子どもが逃げてくれてよかったと思ってるんじゃないかと思う。恐怖に駆られて何が悪いんだろうか。あまりに悲しく、辛いけど、許せないけど、逃げ延びただけましだと思う。自分の弱さが許せないのもわかる。あいつを殺してやりたい気持ちもわかるけれど、わざわざ命を捨てにいくのは――。
「させないよ。それは、僕が許さない」
「あんたには関係ないだろ」
「関係ない。でもさせない。僕はそれを許したくない」
「しつこいなあんた。おいらは、この森もあんたらもどうでもいいんだ。おいらを仲間なんて思うなよ。おいらはおいらのやりたいようにやる」
「あいつがまだこの周りをうろうろしていて、何かをやろうとしているなら、ここだって危なくなるってことだよ。それでもいいの?」
「好都合さ。見つける手間が省ける」
それを嘘だと僕は思う。このマンキーは、きちんと皆に感謝だってしているだろうし、この森だって気に入っているはずだ。自分の命を助けてくれた皆に感謝ができないほど、このマンキーは馬鹿じゃない。それに、嫌いなら傷が治ってすぐさま森を出て行ったっていいはずだ。
「じゃあ僕も、やりたいようにやらせてもらう」
「やんのかあんた。おいら、強いぞ」
「言ってて悲しくない? それ」
「うっせぇ……」
よ! と、叫んで息を吐きながら、マンキーは一足飛びでこちらへと迫ってくる。喧嘩っ早い奴。僕もすかさず反応して、電撃を放つ。空中ならよけれまい。しかし、マンキーは寸でのところでその電撃をかわす。あらかじめこれを予想していたかのように、僕とマンキーの間にあった木の枝に器用に尻尾を巻きつけ、下方へと消えたのだ。そのままぐるりと一回転し、さっきよりも鋭い勢いをつけて僕へと迫ってくる。素早い展開の戦い方。マンキーやオコリザルといった種族によくある戦い方だ。僕とケイタは、何度もこういうやつらと戦ってきた。驚くような攻撃じゃない。僕は一歩だけ足を引いて力を込め、尻尾を硬化。バッターよろしく、思い切り尻尾を振って攻撃。アイアンテール! それはマンキーに直撃し、鋭角方向に軌道が変わったマンキーは、そのまま飛んでいく。なめんな。僕とケイタだって、数多くのジムリーダーを倒せるくらい強かった。君なんかに負けてられるか。
「ははははは! あんたやるな!」
思いっきり飛ばした方向からの声。マンキーは運よく木の幹に足を着地させたらしく、そのまま幹を蹴って再び突進。何度やっても無駄だ。
「悪いけど、僕だって弱くない」
足をもう一度一歩だけ引いて、尻尾を硬化。思いっきり尻尾をふってマンキーを吹っ飛ばす。
「ひっかかったなあ!」
吹っ飛ばしたはずのマンキーが、吹っ飛んでない。まるで僕の攻撃をすり抜けたかのように、その突進を続けていた。
「いやっほう!」
甲高い声を出したマンキーはそのまま僕を力任せにぶん殴る。ジンとした痛みを感じながら木から落とされた僕だったが、足から着地して受け身をとる。流石にダメージは大きい。下が土だったことも幸いした。上を見上げると、ニヤリと笑ったマンキーの顔があった。
「なるほど……さっきのはみがわりだね」
「おうよ。あんたがすっ飛ばしたのは身代り。本体はその後ろさ」
「うまくやったもんだね。まったく気付かなかったよ。君、強いじゃないか」
「あんたもな」
久しぶりに楽しくなってきた。ああ……そうだ、ケイタとやっていたポケモンバトルって、こんな感じだ。体中から熱いものが飛び出してきて、動きたくて動きたくてしょうがなくて、それで……。
「ありがとう、ちょっと思い出したよ」
「ん? 何がだ?」
そんなの、決まってる。ケイタと一緒にいたころ、僕は何を感じていたか。平穏、幸せ、平和、確かにそれもある。でも違う。もっとはっきりとした言葉で言える。
僕はケイタと一緒にいたころ、間違いなくこれを感じていた。
「生きることを、楽しむ。僕はケイタと、そういう風にやってきた」
僕の言葉に、マンキーは「はあ?」軽く馬鹿にしたような声を出す。
「もういいんだよ、そういうの。そういうのは終わったの」
「終わってないよ」
「いいや、終わってる」
僕とマンキーは、じろりとにらみ合う。本当だったら、マンキーの好きにさせてやればいいのかもしれない。僕なんか、所詮他人なんだから。
でも、僕もマンキーも、命を拾った。大切な人に守ってもらって、素晴らしい皆に助けられた。だったら生きろ。命を捨てるな。
「僕も君も、終わっちゃいない!」
僕は飛び上がる。マンキーは一瞬たじろいだが、すぐに枝を蹴って向かってくる。僕らはそのまま、なんのひねりもなくただぶつかり合い、そのまま落ちる。クラクラしながらもかろうじて立ち上がり、僕らはそのまままたぶつかる。前がチカチカ。足はフラフラ。それでも前は見えて、マンキーが見える。僕らはぶつかる。ただただひたすら、ずっと、ずっと。
【五】
チクン、という痛みを覚えて、僕は目を覚ました。ゆっくりを体を起こし、頭を振る。どうしてたんだっけ、と頭の中をぐるぐると回してみて、マンキーとひたすらぶつかりあったところまでは思い出せた。そこからぷつんと切れているが、きっと気絶してしまったのだろう。
マンキーはどうなった、とあたりを見回してみる。しかしどこにもマンキーはおらず、代わりに何かが焼けるような臭いを感じる。そういえば、暑い。ここがこんなに暑いはずはない。おかしい。上を見上げる。おかしい。後ろを振り返る。おかしい。おかしい。おかしい。……。なんだ。どうしたんだ。なんでこんなに暑い? 僕は立ち上がり、まだ少しだけ痛む体に鞭を打って歩きまわってみる。おかしい。やっぱりおかしい。赤い。赤い? 暑い? ……いや、熱い? 体の中から焦りがわきだし、僕を包みこむ。それは僕の足を突き動かし、走らせる。僕は走る。森を駆け抜ける。楽園のはずだった場所が、赤く、熱くなっていく。木の根につまづき転び、草木が僕を切りつける。だめだ。やめろ。おかしい。そんな馬鹿な。どうして、こんなに急に。いくらなんでも、そんな。こんなこと、まさか、やりすぎだ。どうして、どうして、どうして!
森を抜けて、そのまま森全体が見渡せるくらいの場所まで走り続け、振り返る。
「……ああ、どうして」
森が、燃えていた。あちこちから煙があがり、こうして眺めている今でも、あちこちで巨大な炎の柱があちこちにあがる。周りには誰もいないかと思ったが、ちらほらと森の中からはポケモン達が出てくる。僕はあわててそのポケモン達――数匹のナゾノクサ――に近寄る。
「ねえ、これどうしたの? 何があったの?」
「わかんない。突然、炎のポケモン達が入ってきて、あちこちを燃やし始めたんだ」
「皆はどうしたの? 大丈夫なの?」
「……わかんない。みんなパニックになっちゃって」
「わかった、ありがとう」
尻切れトンボに駆け出し、僕は森の中に再び入る。さっきよりは幾分か落ち着いているのもあるのか、森中が燃えているのがよくわかる。
なるべく身をひそめながら森の中を駆け回っていると、僕の視界の中に突然大きなポケモンが入る。大きな翼を持った、リザードンというポケモンだ。こんな森にいるはずのないポケモンだし、この森にはいなかった。僕はその飛翔する巨体を木陰に隠れてやりすごす。確かに今あいつを止めることは重要かもしれないけど、それだけじゃ絶対に完全には止まらない。ポケモンだけでこんなことをするはずはないから、これを止めるには、これを動かしている奴、中心になっている人間を止めなければならない。ケイタと一緒にいたころ、ボウソウゾクとかいうのと戦ったときは、そうだった。
「くそう、なんでよりにもよってここなんだ」
身をひそめ、みつからないようにしながら僕は走る。
そういえば、マンキーはどこへ行ったのか。無事に逃げ切れたのか、それとも僕と同じようにしているのか。もしかして、やられたなんてこともあるかもしれない。
そう思うと、僕の足は自然と早くなる。マンキーだけでなく、森の皆が傷ついているのならば、なるべく早くこれを止めなければならない。
「頼むよ。皆、生きててよ」
僕は走る。あてなんてなかった。とにかく当てずっぽうに、燃えている方向へ走るしかなかった。
「くそ、くそ、くそ、どうしてだよ」
あの時の記憶がよみがえる。またか。また誰か死ぬのか。
言いようもない怒りが僕を襲う。ケイタのときとは違う。僕はこれを防げたのかもしれないんだ。僕は、こうなる可能性を知っていたから。僕は、僕が憎い。防げなくとも、皆を避難させることくらいはできたかもしれないのに、僕はそれができなかった。まさか、こんなところを狙って、こんなことをするなんて思わなかった。
いや、想像はできたはずだ。やっぱり僕だけがあいつらの冷徹なやり方を知っていたし、対策の一つくらい立てておいてもよかった。
「……僕が、弱いから。僕が……弱いから!」
自分への怒りに、思わず放電しそうだ。
そのまま怒りにまかせて放電しかけたそのとき、近くでまた火柱が上がった。
その音で僕の怒りは最高潮に達し、そのままその方向へと駆ける。炎は森を覆い尽くし、蝕んでいく。僕が大好きな場所が、どんどん喰われていく。
「やめろ、やめろよ」
さっきよりもずっと熱い。火柱の周辺に近付いている証拠だ。僕はさらに足を速める。倒れかけの木に飛び乗り、僕はそのまま木を蹴った。
宙に浮かんだ僕の視界には、巨大な炎と、その前に立つ一人の男とニドキング。そして。
「……あいつ、なんであんなところに」
そこには、男に向かい合う、マンキーの姿があった。
【六】
マンキーの隣に降り立ち、僕はすぐにその状況を把握した。男は今にも目の前に立つ相手を殺さんとするような視線で、僕らをにらみつける。
「君、なんでこんなところにいるわけ?」
「おいらはこいつに用がある。いろんな意味でこいつはむかつくからな。……あんたこそ、どうしてここに」
「皆を助けるために、あとこいつを止めるために」
「あんたじゃ無理だ」
「君でも無理だ」
うん、と僕らは互いに頷く。目の前の男。ケイタを、マンキーの母を殺した男。こいつ相手に、僕らじゃ歯が立たない。
男は横に並んだ僕らを見て大きく笑った。胸元のRの文字が、嫌味にギラリと赤く光る。
「またお前らか。面白い奴らだ。この私に一度やられながらも再び向かってくるのは、人間でさえ見たことがないというのに」
逃げるか? このまま逃げるか? 間違いなくこの騒ぎの中心はこいつだ。こいつを止めれば全部止まる。でも、こいつ相手に僕達でどうにかなるか? 僕たちなんて、きっとこいつからしたらただのクズだ。どうする、どうする?
「おいあんた。まだ戦えるよな?」
考える込んで慌てている僕に対し、マンキーは落ち着いて、ただ男をにらみつけながらつぶやいた。あまりに落ち着いたその言い方に、僕の方まで落ち着かされるほどだ。
「一応ね」
「じゃあ、やるよな」
「……勝てるの?」
「びびんなよ、やるぞ。あんたもこいつむかつくだろ」
まるで勝算でもあるかのようなその言い方に驚いていると、マンキーは続けて口を開く。
「おい! あんたらもそれでいいよな!」
突然後ろを振り向いて叫んだマンキーの言葉とともに、ピョコピョコとたくさんのポケモン達が、飛び出してくる。ナゾノクサ、ニドラン、この前マンキーに悪戯をされていたヒトカゲ。イーブイにイトマル、ウソッキー。その他大勢のポケモン達。そして、ゴーリキーさん。
皆そろって、この楽園を荒らす男を睨みつける。
「よお、あんた。おいら達じゃあいつに勝てねえのはおいらだって知ってんだ。じゃあどうする? 勝てねえ勝てねえって手えこまねいてるのか? 違うだろ。おいらの私情で突っ込むのは、おいらの自由だ。でも今は違う。今は非常事態。皆の場所が荒らされてんだ。なら、皆で取り返せ」
「……君、ここ好きなの?」
「まあまあ、いい場所だからな」
照れくさそうに言いながらマンキーは笑い、思わず僕も笑った。皆も、笑った。ああ、こんな状況だっていうのになんだか楽しい。皆がいる。ただそれだけで嬉しい。楽しい。
復讐? 違う。僕は、僕らは、居場所を守るために戦う。
「発電所を作るため、本当はさっさとこんな森焼き払いたいんだが。なんだか楽しいことになってきたな」
ニドキングとともに、男も構える。
「皆ぁ! いくぞお!」
マンキーが叫び、男へととびかかる。それを皮切りに、森のポケモン達の一斉攻撃。
今の僕の居場所。今の僕の仲間。
「今度は僕が、守る!」
ケイタ。僕、やっと光をつかめたよ。
ケイタ。僕、君だけじゃなくて、たくさん友達が出来たよ。
ケイタ、見てるかな。僕は楽しく生きてるよ!
【了】