1人の青年の、別れと出会い
1人の青年の、別れと出会い。
注意…今回の話では流血表現、過度な暴力表現が含まれます。ご了承の上で読んでいただけると幸いです。
イッシュ地方、とある田舎町。そこである少年とポケモンが暮らしていた。少年はつい昨日パートナーのミネズミがミルホッグへと進化を遂げたばかりの、まだまだ幼さの残る新人トレーナーだ。
その少年の名はノイン。ポケモンマスターを目指す、ごく平凡な少年だった。
「くぅっ…!いい朝だ!…くふっ…ふふふ…。」
今日もいつも通り陽が昇ると同時に目覚めた俺はジャリジャリとどこか心地よく感じる音を立てて霜の張った地面を踏み締めながら庭へと出る。
昨日までの曇天が嘘のように、晴れ渡る空を見上げてほんのりと暖かい日差しに照らされながら欠伸と共に大きく伸びをする。
すると、昨日の出来事を思い出して気持ち悪い笑い声を上げてしまう。
「やっぱり夢じゃないよな…!ひひ…ふふふ…。」
自分のパートナーであるミネズミが突如青白く光り輝いた。
腕が、足が、顔が、全てが。何もかもが変わり、完全に別のポケモンに変わったパートナー。青白い光が収まると共に夢見心地だった俺は現実に引き戻される。
喜びと驚きのままミルホッグに思い切り抱き着く。
ミルホッグも喜びを爆発させて抱き着きながらぴょんぴょんと跳ねる。
そんな光景が鮮明に蘇る。
どうしても収まらない気持ち悪い笑みを貼り付けたまま腿上げやスクワットといったトレーニングを始めた。ポケモン達はみんな人間より身体能力が優れている。トレーナーならそんなポケモン達に負けないように鍛えるべきだと思っている。だから俺は毎朝の日課としてトレーニングを始めた。
まず鍛え始めたのは下半身だ。ポケモン達と並んで走りたいという希望もあるから辛くはない。
「ふぅ。トレーニング終了っとうおあ!!!」
トレーニングを終えて独特の開放感に浸っていると襲いかかって来たのはミネズミ改めミルホッグ。構ってほしいと言わんばかりに寝転がる俺の頭をぺしぺしと叩いてくる。その可愛らしい悪戯に勝てる訳もなく、いつものようにわしゃわしゃとミルホッグの背中を思いきり撫で回す。
これはミルホッグがミネズミの頃から好きだった事だ。ミネズミの頃は指でくすぐるように撫でていたのだが、今では片手を全部使ってさするように撫でなければ満足してくれなくなってしまった。しかし可愛さは倍増しているので全く苦にはならない。
「おい、ガキ。」
唐突に聞こえてきた声に振り向くと、そこにはグレーを基調とした謎の格好の2人組が居た。
「そのミルホッグ、本当に可哀想だよなぁ?」
「…は?あんたいきなり何だよ。俺とミルホッグは最高のパートナーだ。」
「それはお前がモンスターボールで捕まえて自己満足してるだけだ。ボールのせいで逃げられない。戦いを強制される。可哀想だと思わないか?良心が痛まないのか?」
こいつは何を言っているんだ?
自己満足?強制?可哀想?良心?訳の分からない言い分に恐怖を感じるしかなかった。
「…お、お前…何言ってんだよ…。訳が分からねえよ…。」
「ま、ガキにはまだ分からなくて当然だろうな。おい、さっさと済ませようぜ。」
もう片方の男が面倒臭そうに告げる。背の高い方の男が獰猛な笑みを浮かべながら頷く。
「かはっ……!……っ!?」
痛い。痛すぎる。痛みでまともに思考が出来ない。
腹に突き刺さった鈍い痛みに声も出せない。そんな中で唯一考えられたのはパートナー、ミルホッグの事だ。
2人組に引っ張られて離れていく、傷だらけでぐったりとしているミルホッグ。
行くな、行くな!行かないでくれ…!そんな俺の言葉は声にもならない。精々掠れ過ぎて意味の分からない喘ぎになっているくらいだろう。
それでも俺は無我夢中でミルホッグの足を掴む。今振り返るとこの時には殆ど意識は無かったのかもしれない。
「こいつしぶといな。めんどくせえ、もう一発行っとくか。」
「おいおい、殺さない程度にしておけよ?」
グシャリ。
痛い。ミルホッグの足を掴んでいた右手からボキボキと嫌な音が聞こえた。
俺は叫ばなかった。いや、叫ぶ気力も体力も無かったと言うべきか。
それでも俺は離さなかった。
痛い。右頬に鋭い痛みが走る。その後、口の中に鉄の味が広がった。
地面をゴロゴロと転がって、ボロ雑巾のように動かなくなる。
意識が遠のいていく中、悲しげなミルホッグの鳴き声だけが頭の中に響いていた。それが無性に悲しく切なく聞こえて、涙を流していた。
そして、目の前が真っ暗になった。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
目が覚めた。
目の前に広がるのは少し暗い蛍光灯の明かり、無機質な白い天井、透明な液体の入った袋が吊るされた金属製の棒。
視線を下に移す。先程の袋から伸びた細いチューブ、先端は分からないが俺の左腕と連結したような感じになっている。右腕は白い型のようなものできつく固定してあるようだ。全く動かせない。…そういえば体も殆ど動かせない。右腕と同じように固定されているようだ。
次第に意識がはっきりしてきた。それと同時に謎の組織にミルホッグが誘拐されたという事を思い出す。
「何も…出来なかった…!ミルホッグを守れなかった!ああっ……!!!…俺は…弱いんだ…。」
無力感、虚無感。次いで怒り、憎しみ、悲しみ。思い出したかのように次々と押し寄せる感情の波に飲み込まれ、俺は無様に泣き喚いた。ベッドの脇に置いてあった俺のバッグを、唯一自由に動かせる左腕で、ぐちゃぐちゃになった感情に任せて薙ぎ払った。
モンスターボール、傷薬、トレーナーカード、御守り。バッグの中身が床に散乱した。それが俺の心と似ていて、訳も分からず笑ってしまった。
そんな事をしてもミルホッグは戻って来ないというのに。
俺は馬鹿だった。
だけど
俺がやる事は、やらなきゃいけない事は…分かっている。
「…ふふっ…ははは…!俺から全部奪ったあいつらを、絶対にぶっ殺してやる…!」
そう、絶対に。
覚悟を決めた俺は、ふと思った。
あぁ…これが俺の、生きる意味なんだ。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
1ヶ月後
俺は退院した。折れていた肋骨と右手は元通りになった。蹴られて切った口の中も、顔の腫れも元通りだ。特に酷かった右手はまだ若干動かしにくい。
バッグからトレーナーカードを取り出した。おもむろにそれを踏み砕く。ポケモンを持たない俺はもうポケモントレーナーではない。そもそも俺はもうポケモントレーナーになるつもりもない。
俺に残ったのは怒りと憎しみ、それと目標だけだ。
退院して早々に俺はジムに向かった。勿論ポケモンジムではない。人間が通う普通のジムだ。
貯金を切り崩して入会費と年会費を同時に支払った。
憎いあいつらを殺す為ならと考えれば、とても安く感じた。
そして…俺は殆ど休憩もせずに毎日体を鍛え抜いた。ジムトレーナが俺を止めようとしても、それを振り払ってしまう事が出来るくらいには鍛えられた。
もはや立つ事すら出来なくなるまでに疲労した俺は、呆れたような様子のジムトレーナーに家まで運んでもらった。その際に出禁を言い付けられたが、もうジムなどどうでも良かった。
あいつらを殺せれば、何もかもどうでも良かった。
丸一日眠ってから冷蔵庫にあるものを適当に貪り、埃を被った上着を羽織り、家財道具を一切合切売り払ってから鍵も掛けずに家を出た。目的地はただ一つ、あの二人組のアジトだ。
あの二人組はどうやらプラズマ団とやらの生き残りで、ポケモンを人の手から解放するなどという胡散臭い信念の裏でポケモン強奪を繰り返す頭のおかしい連中だ。ついさっきテレビで二人組の居場所が公開されていた。俺はそこに向かう。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「こいつら、どうする?」
「強そうなやつだけ残してあとは売っぱらっちまおうぜ。」
下賎な会話だ。色々な人から大切なポケモンを奪っておきながらよく言えたものだ。反吐が出る。一切臆する事無く扉を蹴破り、正面から突入した。
「おい、お前誰だ?…って、あの時のガキか。」
「殺す。」
「は?くくくっ…!お前おかしくなったのか?」
ただ一言殺意を込めた言葉を告げる。何かほざいている奴に素早く近付いて鳩尾に回し蹴りを突き刺す。そいつはコマのように回転しながら壁に激突し、ピクリとも動かなくなった。
「クソッ!てめぇ、ぶっ殺してやるよ!」
ダサい台詞をもう一人が口にする。そんな奴の顔面にハイキックをお見舞する。よろめく相手に追い打ちで執拗に顔面目掛けて裏拳を叩き込む。更に、力無く崩れ落ちるのも気にせずそいつの腹へ強烈な蹴りを一発。同じくピクリとも動かなくなった。
邪魔する者の居なくなった廃屋で俺はひたすらにミルホッグを探した。
探して、探して、探して、探して。
それでもミルホッグは見つからなかった。
蘇る虚無感。鍛えて力をつけても、それでもミルホッグは帰って来ない。その事実が重くのしかかる
「くっそぉ…!くそぉ!くそぉぉぉ!!!」
溢れる怒りのまま叫ぶ。だが、それだけでは収まらない。ふと本来の目的を思い出し、据わった目を向けて二人を殺すべく近付いてゆく。
『止めろ。それ以上はいけない。』
トドメの一撃を入れようとした俺の手を誰かが力強く掴んだ。
『それ以上進めば、お前はもう戻れなくなる。』
「俺はもう戻れねえよ…。だから、こいつらを殺して…、…?」
力無く項垂れる俺の顔を覗き込んできたのは人間ではなく、ルカリオだ。
『お前はまだ、引き返せる。それ以上先に進むな。』
「俺にはもうこれしかねえんだよ…!だから!…殺すんだっ!」
尚も腕を掴むルカリオを振り切って未だに動かない二人組に歩み寄る。左手をきつく握り締めて拳を作り、もはや迷いすらない殺意を込めた一撃を繰り出す。
「…は?…お前っ!何してんだよ!…っ!?」
『……。良いんだ。もう、お前が頑張る必要は無い。』
俺の渾身の一撃は割り込んだルカリオに直撃した。無謀な行動に我ながら理不尽な怒りを覚えて怒鳴った時だった。ルカリオはよろめきながらも殴った俺を強く優しく、抱き締めたのだ。
困惑する俺にルカリオは静かにゆっくりと、底が見えない程に優しい言葉を告げる。
言い表せない感情の荒波に飲み込まれた。全ての感情がごちゃ混ぜになって、訳も分からず涙を流した。
何故涙が流れるのか、何故涙が止まらないのか、何故暖かいのか。
何故、こんなにも嬉しいのか。
ああ…そうか。
俺は誰かに認めてほしかったんだ。
前向きな言葉は要らない。同情も要らない。ただ、ただ、認めてほしかっただけなんだ。
「…俺、どうすれば良いのかな。どうすれば立ち直れるのかな…。…立ち直れるのかな…?」
『私が手伝おう。…お前が苦しんでいるなら、私が苦しみを断ってやろう。お前が辛いと感じているのなら、私が半分請け負ってやろう。嬉しいのなら、私と共に嬉しさを分かち合おう。』
こんな…。
こんな事が…。
『私がお前をあらゆるものから守ってやろう。共に、歩もう。』
…。
嗚呼…。
ミルホッグ、ごめん。
もう、休んでも…良いかな。
その瞬間心の中で巣食っていた何かが壊れ、俺とルカリオは固い絆で結ばれたかけがえのない親友となった。
何故ルカリオがあんなに優しかったのか、それは今でも分からない。ただ、俺の心は暖かいもので満たされた。
大切なものと新たな目標の出来た俺は、底無し沼のような真っ暗闇から抜け出すことが出来たのだった。
続く。