03
マサキは呆然とするゲットウを連れ、近くの喫茶店に入った。促されるままに席に座るゲットウに、マサキは不安になる。肩がものすごい勢いで腫れても平気な顔をしていた人が、メールひとつでこの落ち込みようだ。まるで世界が明日滅亡するみたいな顔をしている。
いくらタマムシ大学を飛び級で卒業した奇才といえど、こんな時にどうすればいいのかわからない。とりあえず落ち着いて話をしようと思い、喫茶店に来たのだが、何があったのか聞いていいのかも迷う。とりあえずアイスコーヒーを二つ注文した。
運ばれてきたそれにストローを挿した頃、ようやくゲットウは状況を飲み込むことができた。不安げにちらちら見てくるマサキに、申し訳なくなりながら、ゲットウは事情を説明する。
説明が終わると、マサキはテーブルを力いっぱい叩いた。
「そんなん――無茶ぶりにもほどがある!」
激昂したマサキの声が閑散とした喫茶店に響き渡る。じろりとマスターに睨まれ、はっとしたマサキは、音量を下げてもう一度怒りの声を上げた。
「ポケモンリーグって、そんな簡単にほいほいでれるもんやないことくらい、子供でも知ってますよ? それをこんな急に、しかも優勝って、おかしいわ!」
吐き捨てるように言い、マサキは顔を赤くして怒り続ける。憤るマサキとは対照的に、ゲットウはすっかり冷静になっていた。というよりかは、消沈してしまっていた。
いまのマサキと同じ年頃に、ゲットウはセキエイのポケモンリーグに出場したことがある。三年かけて育てた精鋭のパートナーたちと挑んだ大会は、接戦の末、準優勝という結果で終わった。
三年だ。二年かけて仲間を集め、丸々一年使って八つのジムを勝ち抜き、極限まで技を磨き上げた。それでも優勝はできず、自分の才能に見切りをつけたゲットウは、潔く夢を追うことをやめたのである。それが二十年前。もう自身ですら、すっかり忘れていた過去だった。
それを今更掘り起こされ、あまつや使える時間は三年どころか一年以下ときたものだ。優勝できない場合の指示はなく、完遂しろという無言の圧を放っている。
「たぶん上の連中は、ちょっとご近所のアマチュアゴルフ大会に出るくらいに思ってるんだと思う」
「う、嘘ですやろ……」
「いや、実際そういう人たちなんだよ」
絶句するマサキに、ゲットウは苦い笑みを浮かべた。
ポケモンレンジャーは地方によってはプロトレーナーとも言われる憧れの職業だが、運営している人々のほとんどがバトルを経験したことがないような素人の集まりだった。投資した人、レンジャー協会を立ち上げた人、協会を管理する人、そういった現場に出てこない人間の集まりである。だからこその発想。否、もしかするとバトルに詳しい誰かが提案したのかもしれない。未開の地、カントーで箔をつけてみましょうと。ゆえにそれは悪意のない、正真正銘の解雇通告だった。
辞めてやろうかと考えないでもない。辞表を叩きつけるのは簡単だ。三十路を過ぎたゲットウを再雇用してくれる職場も、探せばあるだろう。
だが、ゲットウはポケモンレンジャーが好きだった。天職だと思っている。別の生き方、野生ポケモンに関わらない人生を送る自分など想像もできない。
やってやろうじゃないか。
それまで沈んでいた心が、怒りという気泡としてふつふつと浮上してくる。ゲットウは勢いよくアイスコーヒーを飲み、決意を固めた。やってやる。
「マサキくん、オーキドカップの開催日はわかるかい?」
「まさか出る気ですか、ゲットウさん」
「ああ、せっかくだから給料をふんだくってやろうと思う。ついでに優勝賞金も」
にかっと笑うゲットウに、マサキは急いでノートパソコンを広げた。最新機種のそれは、軽くて丈夫で通信が早い。検索結果を見たマサキは表示された開催日を指折り数え、歯を食いしばる。
「いまから一五一日後、セキエイのスタジアムで開催するみたいです。参加資格は、今年発行された公認ジムバッジ八つ。六匹使用のフルバトル形式です」
「王道だな」
最近はポケモンリーグも様々な形式で行われるようになっている。例えば体重制限のあるリーグ、タイプ制限のあるリーグ、使用ポケモンが三匹のものもある。そのなかで、オーキドカップは手堅い条件のリーグだといえる。ジムバッジが参加資格になって難易度が高いのも、正統派だった。
おそらく、開催のタイトルになっているオーキド・ユキナリ博士が博士号を得て三十年の節目であるため、ポケモンリーグ協会側が提案したのだろう。カントー地方以外も注目するような、大型リーグになるのは間違いない。集まってくるトレーナーも粒ぞろいになる。
三年分を一五一日に詰め込む。
どう考えても無理難題だったが、ゲットウは吹っ切れていた。無理かどうかはやってみればわかるだろうと。それに、二十年研鑽を積んだリザードンがいる。自分だってあの頃より命がけの生活をしてきた。挑戦する価値はあるはずだ。
「スケジュールを組まないとな。これから忙しくなるぜ」
「ぼくも手伝います! なんかできることあると思うし」
「ありがとう、マサキくん。心強いよ。今日からきみが専属マネージャーだ」
「マネージャーかー。ええ響きですね」
一瞬、のほほんとした空気が流れる。
「そういうことだからマサキくん、おれは今からハナダジムに行こうと思う」
「え! えらい急ですねえ。いや、それよりゲットウさん、リザードン以外の手持ちは」
「リザードンだけで申し込む」
とんでもないことになってきたぞ、とマサキは焦った。ハナダジムは水系ポケモン専門のジムだ。ほのおタイプのリザードン一匹ではいくらなんでも勝ち目が薄い。
せめて近くの草むらで野生のポケモンを捕まえてから、と言いたかったが、野生ポケモンを捕獲して慣れさせて育てている時間はないのである。
最速でハナダジムを攻略したとしても、カントー全域を巡るため移動日数もかかるし、ジム挑戦の受付だってすぐにとはいかない。前途多難だ。
「それよりも問題は宿代だよ。六匹育てるとなると貯金は残しておきたいし、かといって野宿しながら仕上げていくのも難しい。リーグ開催前はビジネスホテルも割高になるからなあ」
斜め上の方向で悩みだしたゲットウに、マサキは思わず笑ってしまった。
「それやったらぼくの家に来ませんか? 家ゆうてもハナダの灯台なんですけど、ベッドも部屋も余ってるし、宿代もタダですよ」
「いいのか!?」
「もちろん。その代わり、絶対に勝ちましょうね!」
こうして、ゲットウの一五一日間の冒険がはじまったのである。
物語はつづく。
第一話 ぼうけんをはじめる 完