02
ズバットは光と音に敏感なポケモンだ。
ゆえに住処で爆発物を使われれば一斉に巣を変えるし、光が強いとさらに奥地へ引っ込んでしまう。
向かうべきはところは化石が多く採れて、つきのいしの搬送経路が確保できそうな場所だ。地図を広げ、ゲットウは目星をつけていく。今日、ゲットウはニビ側から入山したが、その時に気になるトラックや不審人物を見た記憶はない。不届き者が出入りしているのはハナダ側とみていいだろう。
地図をたたみ、スタイラーと懐中電灯を片手にゲットウは再び洞窟へと足を踏み入れた。
ここでもイシツブテがごろごろ転がっている。この状況もよくよく考えれば不自然極まりないことで、普通イシツブテは壁に張りついたり、岩場に挟まっていたりする。つまるところ定期的になんらかの衝撃、強い振動で壁から落とされ、こうして通路に転がっているというわけだ。おかげでゲットウはしょっちゅうイシツブテにつまづき、悪態をつくはめになったのである。
ふと、暗闇のなかに眩しい光が見えて、ゲットウは懐中電灯のスイッチを切った。たどっていくとそこは、いま歩いてきた狭い横道とつながっている大きな道で、白々と明りがつけられている。ふたつの街を行き来する人がまず通らず、ある程度の道幅があり、しかも見張りを立てやすい場所。それがこの通路だった。
見つからないように足音を忍ばせて近づくと、若い男女の声が聞こえてきた。
「単純でがっぽり稼げて、ほんと良いところに目をつけたもんだよな、俺たち」
「ええ、ボスはにこにこボーナスたっぷり、これでしたっぱ脱却間違いなしよ!」
そろりと顔を出すと、黒い服が見えた。胸元には大きなRのマーク。明らかに揃いの制服だった。
ぬわはははは、とふたりは笑い、足元でラッタが前歯を光らせる。白昼のように洞窟内を照らす業務用ライトが、舞台俳優を輝かせるスポットライトのようだ。安い舞台上に立つ彼らには、盗掘者の卑屈さも、マフィアの威厳も感じられない。なんというか、絶妙にマヌケ。
――な、なんなんだ、こいつらは。
いや、それよりもボスとか言っていたな、とゲットウは前歯ではなく目を光らせた。
ゲットウは普段の気だるげで不愛想な態度から誤解されがちだが、かなりの正義漢である。時代劇が好きだし、勧善懲悪も大好きだ。しかも悪い奴がポケモンの生息地を荒らしているのは、絶対に許せない行為だった。
「とはいえそろそろ潮時だな。化石も、つきのいしもほとんど採れなくなってきたし」
男はぐるりと周囲を見回す。爆薬で何度も削りまくった壁はすっかり穴だらけで、当初の荒くも美しい自然の景観は跡形もない。当然、そこに眠っていた天然資源も湧いて出てこず、一輪車のなかはほとんどからっぽだ。
おいしい稼ぎ口だったが、引き際を間違えるようなことはしない。それが一流の悪党だ。と、男は考えていた。
「そうね。あとはこのお邪魔ボーイを始末してあげなくちゃ」
派手な金髪の女が目線を向けると、それまでぐったりと転がっていたなにかが、突如として跳ねながら暴れだした。
「くそー! 離せー! いたいけな少年相手にかわいそうやと思わんのかー!」
「思わん思わん」
即座に否定し、男の方が縛られた『いたいけな少年』を足蹴にする。
その時、ゲットウはほぼ何も考えずに飛び出していた。
あとになって思えば無謀で無鉄砲でおバカな行動だったのだが、蹴られた少年が何とも言えない悲鳴をあげた瞬間、彼の足は地面を蹴っていた。
飛び出してきたゲットウにまず気がついたのはラッタだった。これはやつらの手持ちに違いない。速攻で片をつけるため、ゲットウはイシツブテを高速で二匹まとめてキャプチャし、たいあたりを指示する。不意を突かれたラッタが壁に激突して戦闘不能になり、ようやく悪党たちはこの闖入者を振り返った。
「だ、誰だ!」
「ポケモンレンジャーのゲットウだ! お前たちを捕縛する!」
堂々と名乗りをあげると、たっぷり空白を置いてから二人組は首をかしげた。
「え、本当に誰、っていうかなに? ポケモンレンジャーなんて聞いたこともないわ」
「新手の芸人かなんかじゃないのか?」
カントーではポケモンレンジャーの知名度はかなり低い。支部が無いことと、レンジャーが出張るまでもなくポケモンGメンが大抵解決してしまうことが原因だった。つまり、彼らの反応はカントー民として普遍的なものである。
がっくりと肩を落としそうになりながら、ゲットウは素早くキャプチャ・スタイラーを振った。知られていないというのは好都合である。スタイラーを見ても彼らはポカンとしていた。
「対象変更、ヒューマン・キャプチャーへ移行。捕縛開始。キャプチャー・オン!」
ゲットウの声を受取ったスタイラーが赤く点滅し、ぐるりと男女を囲む。スタイラーは通常ならばポケモンに対して鎮静効果を発揮し、心を通わせるための特殊な光を照射するのだが、対人用の機能も持っている。それがこのヒューマン・キャプチャーモードだ。スタイラーから射出されるのは優しい光ではなく、酸化すると強度を増す、むしポケモンの糸と類似した成分の液体である。
レンジャーと顔を合わせることの多い地方では割と知られた機能だが、彼らがそれを事前に知っているはずもない。状況が飲み込めていない二人組は、あっという間に糸で巻き上げられた。
「ほんまに助かりました。ありがとうございます」
助け出された少年は、丁寧に礼を言った。肌に赤く痕がつくほどきつく縛られていたが、大きな怪我はなかったようである。深緑色の頭を上げると、少年は笑顔を浮かべた。
「ぼくはソネザキ・マサキです。一応、ポケモン研究家やってます」
「おれはポケモンレンジャーのゲットウだ。その年で研究家ってすごいな」
どうみてもまだ十代半ばのマサキに、ゲットウは素直に感心する。
ふたりは現場を警察に任せ、マサキが張ったテント近くで湯を沸かしていた。目の前にはハイパーサイズのカップ麺と割り箸。それからポケモンフーズが紙皿に盛られている。生活感溢れるキャンプ地から推察するに、マサキはおつきみ山でフィールドワークをしている途中だったらしい。
ゲットウがリザードンを出すと、マサキはケーシィをボールから出した。ケーシィはその体格からは想像できないほど度胸があった。リザードンがおずおずと近寄っても微動だにせず、眠ったまま浮遊している。ゲットウの相棒はリザードンという種族にしては非常に控えめで、戦う時以外はおとなしいのだが、見た目とそれまで積んできた経験のせいで怖がられることが多いのである。
ゲットウは安心してバッグからポケモンフーズの袋を取り出した。圧縮されたポケモンフーズは封を切ると途端に質量を増し、数分後にはリザードンの巨体を満足させる量と味の食事になる。
二匹が食事を始めるのを見守りながら、マサキは照れたように鼻をかいた。
「まだまだ胸張って研究者とは言えませんけどね。おつきみ山もその一環で来とったんですけど、野生のポケモンがなんかおかしいなーと思って調べてたら捕まってしもて。ゲットウさんが来てくれてほんま良かったです。いやー、それにしてもピッピの進化に間に合わんとこやったなぁ。――あ、もう沸いたみたいや」
マサキは湯をそれぞれのカップ麺へ注ぎ、ひとつをゲットウに差し出した。ゲットウはありがたく受取り、久しぶりに嗅ぐジャンクな香りに思わず頬をゆるめた。
「せや、ゲットウさんも一緒に行きませんか。今夜しか見られへん進化の儀式を!」
「進化の儀式?」
「はい、しかも貴重な野生の集団進化ですよ。ぼくらみたいな研究家がどんなもん投げうってでもじかに見たい知りたい調べたいって思っとるやつです」
熱意がほとばしる言葉に、ゲットウはほほうと頷いた。職業柄ゲットウは何度か野生ポケモンの進化の瞬間を見たことがある。そのたびに圧倒されたものだ。
ポケモンの種類や生息域によっては集団で進化することもあり、それを調べたいというマサキの欲求は彼にも理解できた。
もちろん行くよ、と答えると、マサキは口をニャースのようにして笑った。とてつもなく嬉しそうな笑顔だった。
「ありがとうございます! ついでにポケモンレンジャーについて質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「やった!」
できあがったカップ麺をすすりながら、マサキはどんどん質問をし、ボイスレコーダーにそれを録音していく。ポケモンレンジャーの仕事内容からはじまり、守秘義務に関わらない範囲で任務について根掘り葉掘り訊かれる。
貪欲なまでの知識欲だ。質問の方向性も鋭い。他地方のポケモンの生態を身振り手振りで語るうちに、とっぷりと日が暮れていた。
「なるほど。やっぱり地方によってぜんぜん解釈も違うんやなぁ。うーん、これは次の研究課題になりそうやで」
カップ麺の容器を片付けつつ、マサキは独り言ちる。
喋りつかれたゲットウは、大量のインスタントラーメンで膨れた胃袋を労り、リザードンにもたれて空を見ていた。こうして誰かと食事を摂るのは久しぶりだった。任務に向かえばひとりで外食をし、自宅に戻れば簡単な自炊で済ませてきた。ゲットウを好き好んで食事に誘う同僚もおらず、自身も別に気を遣うような状況で食事をしたいとは思っていないので気にも留めていなかった。
だが、今日は楽しかったな、と思う。マサキはゲットウ相手に遠慮がなく、ケーシィと同じくらい肝が据わっている。おかげで変な気を遣わずに済み、マサキの博識さは質問を受ける側のゲットウにも新たな気づきを与えてくれた。これはなかなかない体験だ。
空が次第に低くなり、星が少しずつ瞬きだした頃、マサキはテントから大きな布の塊を引きずり出してきた。ピンク色のそれは、明らかにキャンプには不釣り合いな物体だった。呆気にとられるゲットウをしり目に、マサキは慣れた様子でそれを組み立て、あっという間に巨大なピクシーへと変貌してしまう。
「ほな、そろそろいきましょか」
「マサキくん、それは……」
ピクシーは器用に回れ右をし、山頂を見上げた――ように見えた。
「ぼくはね、ゲットウさん、ポケモンの気持ちになるのが一番大事やと思っとるんです」
「う、うん?」
「ポケモンそれぞれの生き方、生きとる意味をぼくは知りたいんです。それも人間目線やない、ポケモン目線で研究する、それがぼくのポリシーなんです。で、そのためにこうして着ぐるみきとるっちゅうわけですわ」
ぐっと短い手で拳をつくり、ピクシーが力説する。反論の言葉は出なかった。
すっかり気圧されたゲットウは、巨大ピクシー着ぐるみと共に、薄暗闇のなか登山することになったのだった。
翌朝、マサキとゲットウはおつきみ山を仲良く下山した。マサキがハナダシティに行くと言うので、なんとなくゲットウもそちら側へ下りることにしたのである。
どうせ支部へ帰るために船に乗るのだ。クチバに近いハナダへ向かうのは効率がいい。本当は上層部に対する腹いせで、左肩の負傷を理由にのんびりしてから戻ろうと思っていたのだが、昨夜の体験は不満を一気にふきとばした。社会人らしくちゃんとするか、と思う程度に気持ちは上向きになっている。
ちなみに左肩は腫れに腫れたし、熱も出た。下山してすぐマサキの手で病院へ押し込まれ、医者には呆れられた。新しい湿布と痛み止めを処方され、ゲットウは逃げるように病院を出た。
「ゲットウさんはもう帰るんですか?」
マサキが名残惜しそうに訊ねる。
「ああ、こっちには他に用もないしな。短い間だったけど楽しかったよ。ありがとう、マサキくん」
「こっちこそ、楽しかったです。ゲットウさん、電話番号教えてください。また話ましょう」
「そうだな、えーっと、ポケギアは」
バッグからポケギアを取りだし、電源をつけたゲットウは届いているメールを見て目を丸くした。送り主は本部だ。任務完了報告はまだしていないので、用件がまったくわからない。件名は特別任務、となっている。
マサキにメールを確認することを伝え、ざっと目を通したゲットウは、目の前が真っ暗になった。上層部に嫌われてるかな、と思ってはいたが、いくらなんでもこんなことがあるだろうか。
――カントー地方某所にて開催されるポケモンリーグ『オーキド・ユキナリ杯』に出場し、これに優勝することをトップレンジャー・ゲットウの特別任務とする。
それはあまりにも酷い、解雇通告と同意義の任務だった。