第十五話 正義の味方・前編
ミアレ出版から戻ってきたエクセラたちは、報告のために一度プラターヌ博士の元を訪れていた。
ジーナとデクシオはまだ発電所に向かったままらしく、研究所はひっそりとしている。彼女たちが研究所にいないことはままあるのだが、やはり同僚たちの声が聞こえないのはエクセラにとって寂しいものだった。
「次はヒャッコクシティへ行くのかい? できればエクセラに頼みたいことがあったんだけど、方角が違うから難しいかな」
プラターヌは悩まし気に腰へ手を当てた。記憶喪失のパスカルをひとりでヒャッコクシティへ行かせるのは酷というものだ。だが、パスカルはあっけらかんとした表情でプラターヌの憂いを一蹴する。
「だいじょうぶです。エクセラとは後で合流すればいいですから」
「でも、パスカルさんだけでヒャッコクまで行くのは少し――危なくはないですか?」
エクセラとてパスカルを信じていないわけではない。が、フレア団に狙われていることを考えると不安だ。ヒャッコクシティまでの道のりは長く、人目につかない箇所が多い。どれほど強いトレーナーとポケモンであっても、不意に襲われればあっけなく害されてしまう。一人旅であればなおさらだ。
パスカルは腰のモンスターボールに手を添え、にこっと笑う。
「ゲンガーもいるからね、問題ないよ。それにホロキャスターがあるから、もしもの時は警察も呼べるし」
「それもそうですね……わかりました。その代わり、毎日連絡をしてください。ええっと、朝起きた時と、できればお昼と、夜寝る前に。いいですか」
「はーい」
「というわけで、博士。なにかあったのでしょうか?」
助手たちのやり取りをほほえましく見守っていたプラターヌの顔に、ふと暗い雲がかげった。
「実はジーナたちと連絡がつかないんだよ。停電騒ぎはだいぶ収まってきたけど、トラブルは解決してないみたいだから心配でね。ボクが発電所まで行ってもいいんだけど、そうなると研究所を空けることになるし、そもそもボクじゃあ役に立たないからね。エクセラに様子を見てきてほしいんだ」
プラターヌは自分のことを強くないと思っているが、エクセラはプラターヌを強いトレーナーだと思っている。初めてのポケモン、ヒトカゲをもらった時にプラターヌとバトルをしたが、エクセラはこてんぱんにやられてしまったのだった。
エクセラを負かしてしまったプラターヌはおおいに焦り、ポケモンが張り切りすぎたと言い訳していたが、やはり勝負になると負けたくないという気持ちがプラターヌにも湧いてくるのだろう。あの時、ヒトカゲと博士のポケモンは実力的に拮抗していたとエクセラは確信している。そして、プラターヌはわざと負けるつもりだったのだということも、おぼろげながらわかっていた。そうでなければ焦るはずがなく、さらに言えば戦いが佳境に入ったところで指示が鋭くなるのもややおかしい。
博士がどうして謙遜するのかはわからないが、エクセラ自体、二年前から自分がポケモンバトルをすることを嫌忌しているのだ。過去になにかあったのだとすれば、そこに触れるのはタブーだろう。それに普段なら、ポケモンバトルをしなければいけないような案件をプラターヌはエクセラに任せない。それほど切羽詰まった状態ということだ。ジーナとデクシオに連絡がつかないという状況はいままで一度もなかった。あの二人がタッグを組むと驚くほど強くなるのを、エクセラとプラターヌはよく知っている。だからこその心配だった。
「準備を整え次第、発電所へ向かいます」
「ありがとう、エクセラ。気をつけるんだよ」
「わかってます」
エクセラが相変わらず素っ気なく答える。
プラターヌには意外だった。素っ気ないというのはいつも通りということだが、それは緊張が薄いということでもある。プラターヌに余計な心配をかけまいとしての振る舞いかもしれないが、やはり意外に違いなかった。エクセラに精神的な余裕が生まれつつあるのだ。まだ過去に向きあうのは無理だろう。しかし、大きな一歩に違いない。
喜びを隠すために咳ばらいをし、プラターヌはパスカルへと向き直った。
「それから、パスカル。ヒャッコクシティへ行くなら、クノエシティ方面から目指したらどうかな。今朝から北側のゲートが通行を再開したそうだからね。人通りも多くなってるはずだし、困ったことがあっても誰か助けてくれるはずだよ。でも、もし何かあったらボクを頼ってくれていいからね」
「はい! ありがとうございます、プラターヌ博士」
クノエシティで何かいい情報が得られるかもしれない。そんな期待を込めながら、パスカルは強くうなずいた。
今朝がた降っていた雨もいまは止み、砂塵が風の通り道を地に残して去っていく。ミアレの荒野と呼ばれる場所にカロス発電所がある。入口は多く設けられているが、そのほとんどが点検用のために常時施錠されていた。開いているとすれば職員の出入り口くらいだろう。口元に巻いたスカーフを結び直し、エクセラは赤土を踏みしめた。
今回の停電事件、本来ならばミアレシティのジムリーダーが対応する予定だったのだが、足りない電力のやりくりに追われて手が離せなかったようだ。そこでジーナとデクシオが要請を受けカロス発電所の様子を確認するために出向いたということらしい。危険性はない、と判断しての要請だったはずだ。それがまさか連絡のつかないことになるとは、ジムリーダーもプラターヌ博士も思い及ばなかったことだろう。
ジーナとデクシオはエクセラと同じ時期に博士からポケモン図鑑を受け取ったトレーナーだ。彼女たちは一年前に図鑑を返却しているのだが、学業のかたわらプラターヌの元で助手を続けている。とはいえ、エクセラとは違い、プラターヌの弟子ではない。どうやらふたりはポケモンの研究よりも、カロスで起きる様々なアクシデントを解決する方に興味を示しているらしい。カロス地方のあちこちを飛び回り、バトルの腕を磨きつつ、博士からの頼まれごとをこなす。それがジーナとデクシオのスタンスなのだ。
縄張り意識の強い野生ポケモンをヒトツキで牽制しつつ、開いていそうな通用口を探す。単調だが骨の折れる作業だ。せめて足跡でも残っていれば探しやすいのだが、あいにくの雨と砂嵐で道すら隠れてしまっている。発電所は、近いようで遠い。
「少し休もうか」
照りつける午後の日差しと乾いた空気は、ゴーストタイプのヒトツキにとってもつらいはずだ。エクセラの提案で一人と一匹は岩陰に腰をおろした。風が直接顔に当たらないおかげで、息がしやすい。だが念のためスカーフはそのままにしておいた。
吹きすさぶ砂粒をぼんやりと眺め体を休ませていると、エクセラのホロキャスターに着信が入った。
「こんにちは、ミアレジムのシトロンです」
眼鏡をかけた少年のホログラムが浮かび上がる。
「エクセラさんが、ジーナさんとデクシオさんを探しに行ってくださってるとプラターヌ博士から聞きました。僕も少しはお役に立ちたいと思って……以前、カロス発電所の設計図を見たことがあります。その時の記憶から、主要な従業員通路と通用口のデータを作ったので送らせてもらいます。データをインストールしてもらえれば、あとは標準のマップアプリで確認できるはずです」
そこでシトロンはいったん言葉を切り、ずれていない眼鏡の位置を直した。
「ただ、内部からカロス発電所のシステムが乗っ取られている可能性があるんです。通用口のロックを解除するキーも入れておきましたから、もしもの時は是非使ってみてください。――僕を打ち破った証、ボルテージバッジを所有するあなたならきっと大丈夫だとは思いますが、どうかじゅうぶんお気をつけて」
ホログラムが消え、画面にデータダウンロード中の文字が浮かび上がる。シトロンが送ってくれたものだろう。
ボルテージバッジ。エクセラが最後に手に入れた、三つ目のバッジだ。
しかし、まさかシトロンがエクセラのことを覚えていてくれたとは思わなかった。二年前、エクセラがミアレジムに挑んだ時、シトロンはジムリーダーになったばかりだった。改装中のミアレジムで戦ったことをエクセラは鮮明に覚えているが、それは挑戦者の側だからにすぎない。挑戦を受けるジムリーダーは、多い時には日に十人を超えるチャレンジャーを迎え入れるという。現に就任直後のジムリーダーは初心者トレーナーにとって格好の的だ。力量は他のジムリーダーにひけをとらずとも、経験が浅いという点で挑戦者が殺到する。エクセラはたまたまジムを訪れたので知らなかったが、そういうやや卑怯な手を使うトレーナーはごまんといる。とはいえ、シトロンに返り討ちにされたトレーナーのほうが多かったようで、数日後にはミアレジムはずいぶん静かになったらしいが。
マップアプリを立ち上げると、それまでほぼ何も情報がなかった地図上に線が走り、いくつかの丸がついた。青い印が通用口で、赤い丸は非常口のようだ。現在地からさほど離れていない場所に青丸がある。おおまかな方角と距離を測ってからホロキャスターをしまうと、エクセラはすくりと立ち上がった。
ふたたび砂嵐のなかを抜け、通用口を見た時には思わずヒトツキとハイタッチをしてしまった。しばらく誰も使っていなかったのか、扉の前には砂がうっすら積もっている。これでは陽が暮れてもこの場所を見つけ出すことはできなかっただろう。ひとえにシトロンの助力のおかげだ。
やや風化した取っ手を掴んでみたがシトロンの予想どおり、通用口は内側からロックされている。受信していた解除キーを扉の横にある認証パネルにかざすと、カチリという音と共に鍵が外れた。ヒトツキが布で器用にドアノブを掴み、ゆっくりと引き寄せる。
扉の向こうはエクセラが想像していたよりも暗かった。天井にある常備灯は消え、足元部分の非常灯だけが等間隔に緑の光で照らしている。そのせいで実際よりも通路が長く、延々と続いているように見える。発電所内も停電の影響を受けている、ということだろうか。
「待っててください、ジーナさん、デクシオさん」
そうつぶやくとエクセラは、カバンに入れていたある物を取り出した。
ジーナとデクシオがくれた物だ。同じく贈られた緑のスカーフはいまのようによく使っているが、もうひとつの贈り物に関しては一度も身に着けたことがなかった。
バトルは怖い。
だけど、とエクセラは胸の内で続ける。
誰かを守るためなら、その時だけでも、勇気を出すべきだ。
エメラルドグリーンの仮面で目元を覆うと、エクセラはスカーフを喉元に下ろした。
ジーナとデクシオが「正義の味方」として活動するためにくれた仮面とスカーフ。使うことはないだろうと思っていたのに、自分でもなぜかわからずに家から持ち出してきたのだ。いまのエクセラにはその理由がようやくわかったような気がした。