第九話 新たな旅立ち
コボクタウンのポケモンセンターからプラターヌ博士に連絡を取った時には停電があったとは聞いていなかったが、恐らくエクセラの身に何か起きたのを察して黙ってくれていたのだろう、とエクセラは考えた。大変な時に駆けつけられなかったとエクセラが自責の念を抱かなくてもいいように気を使ってくれたのだ。博士の気遣いに申し訳なく思いつつ、エクセラはパスカルを連れて研究所へと急ぐことにした。パスカルの件もあるが、今日は朝から新人トレーナーが図鑑と相棒となるポケモンを受け取りに来る日なのだ。急げばなんとか間に合うだろう。
昨日と変わらず道行く人々は多いが、ミアレシティは普段の穏やかさを欠いていた。活気はあるのだがどことなくざわついている。それともそう思うのはエクセラ自身が取り乱しているからなのだろうか。これから博士にする頼み事を思うと胃が痛んだ。誰かに無茶を言うのにエクセラは慣れていない。両親にすらわがままといえるようなことを言ったことがないのである。だがいま、エクセラがパスカルにできることといえばこれくらいしかなかった。だとすれば多少の無茶もわがままもとやかく言ってはいられない。
研究所に着き、エクセラはパスカルに目配せをした。やや緊張ぎみのパスカルがうなずくのを確認し、扉を開いた。
「おはようございます」
モンスターボール収納機の前で作業に励むプラターヌの背に、エクセラの声が投げかけられる。プラターヌは顔をあげると温厚そうな笑みで彼らを迎えた。彼のあごにはやはり不精ひげがまばらに生息していた。どうやら昨日も帰宅しなかったらしい。それでも突然の訪問者に対して嫌がる様子はなく、むしろ抑えきれない好奇心が表情に現れている。
「やあ、おはようエクセラ。それから、キミがパスカル君だね」
「はい。パスカルです。はじめまして」
「はじめまして! ボクはプラターヌ。ポケモンの研究をしてるんだ。よろしくねー」
「よろしくお願いします」
握手を交わし、そういえばとプラターヌはエクセラを見やった。
「アーサーなら仮眠室にいるよ。ずいぶんがんばったみたいだから、様子を見てきてあげてきてくれないかな」
「でも……」
言いよどむエクセラにプラターヌは片目をつぶってみせる。
「大丈夫だよ」
「……わかりました」
エクセラが仮眠室へ入るのを見届けると、プラターヌはパスカルに着席をうながした。彼が見たところこの少年はその歳の子供にしては落ち着いているようだった。エクセラが心配するほど張り詰めているふうにも見えない。
ふたりぶんのコーヒーを入れながら、さて、と考える。プラターヌはポケモン研究者のなかでもかなりの若手だ。ゆえにあまり資金繰りが良くない。ポケモン協会はポケモン研究をする博士たちに出来る限りの資金援助をしてくれているが、そこに余分な金額が発生することはほとんどないのだ。研究費用がかさめば反比例して図鑑所有者たちのための費用が減っていく。逆もまたしかりだ。しかし――。
「プラターヌ博士。初対面でこんなことをお願いするのは非常識だとはわかっているのですが、聞いていただけますか」
「なんだい?」
できるだけさり気なく聞き返すと、パスカルはひざの上でぎゅっと拳をにぎった。
「ぼくをポケモン研究の助手として雇ってください。信じていただけないかもしれませんが、ぼくには記憶がありません。それにポケモンの研究をしたことも、たぶんありません。自分が誰か証明する手段もない。でもきっとお役に立ちます! だから、お願いします。ぼくを助手にしてください!」
朝、エクセラから聞いた話によればこの少年は数日前からの記憶がないのだという。通常ならばすぐに再発行ができるトレーナーカードも保護者や必要な本人確認書類がないために一カ月先になったようである。すぐにでも旅に出たい、だが資金がない。そのうえ自分を証明するものもない、だが急いでいる。そんな少年を放っておくなどプラターヌにはできなかった。彼はお人よしだった。そして懸命な人を好んでいた。
つまり、答えは初めから出ていたも同然だったのである。
プラターヌは白衣のポケットから赤い長方形の機械を取り出した。手のひらより少し大きいくらいのその機械をパスカルに差し出すと、プラターヌは彼をしっかりと見据えた。深い色の瞳は心のうちを見透かすようだった。
「キミにとってポケモンとはなにかな」
「ぼくにとってポケモンは――すべてです。かけがえのない存在です」
記憶は失くしてもポケモンに関する知識と愛情は失わなかった。すべてを失くしたパスカルにとって今やポケモンは自分の中心といっても過言ではない。それに、そういう状況がなくても彼にとってポケモンは愛する存在に違いなかった。
きっぱりと言い放ったパスカルに、プラターヌはほほえんだ。
「パスカル、今日からキミをボクの助手として雇います」
少年が受け取ったポケモン図鑑の画面には、プラターヌ研究所が保証するトレーナーとして「パスカル」という名前が表示されていた。
双子の少女を無事護衛し終えたリザードを労い終えエクセラが部屋に戻ると、プラターヌとパスカルが意気投合して喋りたおしているところだった。お互いに興奮して進化について討論している。その様子に博士が頼みを引き受けてくれたらしいとわかり、エクセラはほっと胸をなでおろした。
自分と同じ助手として雇ってもらうこと。それがエクセラの出した唯一の提案だった。博士の助手ならばトレーナーとしての保証もあり、望めば預金口座を開設することも可能である。研究資金を公私混同の行為に使うことには良心が痛むが、この現状では致し方ない。パスカルはトレーナーカードが再発行されれば資金に手を付けないと約束したし、その間に使ったぶんはきっちり働いて返すと宣言していた。パスカルがそういう面において嘘をつくとは思えなかったので、エクセラは意を決して前もってプラターヌに彼のことを話しておいたのである。
もちろん、あの赤いスーツの人たち――フレア団については伏せたが。いたずらに博士を心配させてはいけないと思ったのと、もし言えば危険な旅をさせてはくれないのではないかと思ったのである。パスカルが助手になれたとしても旅を禁止されれば意味がなくなってしまう。話した方がいいとはわかっているものの、彼女には話すことができなかった。
「でも進化に次のステージがあるってことはポケモンにとって好ましいことなんじゃないかな。可能性の広がりもそうだけど、トレーナーがいるからこそできる進化という部分はポケモンとの絆を感じるからね。それにメガシンカを研究すればポケモンの進化のルーツをもっと深く解明できるはずなんだ」
「確かにそうですね。けど、進化の際にかかる爆発的な負担のうえに後退現象の負荷まで合わさるとしたらもっと慎重にデータを取るべきじゃないでしょうか。個体の体調や周囲の環境も考えるとあまり軽率に扱うのは危険だと――あ、エクセラ!」
「やあ、アーサーはどうだった?」
「おかげさまで元気いっぱいでした。……ところで博士、その、ありがとうございます」
「気にしない気にしない! ボクもいい弟子ができて嬉しいよ! パスカルはポケモンについてずいぶん造詣が深いみたいだからねー。メガシンカのことも飲み込みが早いからつい熱が入っちゃったよ」
言われてみればパスカルはポケモンについてやけに詳しかった。はじめて会った時にもエクセラがとった戦術やポケモンの技や相性について見抜いていたのだった。それにポケモンの習性に対しても知識がある。状況が状況だけにあまりそこに着眼していなかったのだが、パスカルは自身のこと以外は覚えているようだ。経験的な事柄は記憶する部分が違うのだろうか。
「さてと。それじゃあ、エクセラとパスカルにひとつお手伝いをしてもらおうかな」
「お手伝い?」
エクセラとパスカルが声を揃えて聞き返す。プラターヌは「そのとおり」とうなずいた。
「実は新人トレーナーたちの迎えはジーナとデクシオが行ってくれるはずだったんだけど、停電のおかげでいろいろと用事ができちゃってねー。そこでふたりには新人トレーナーたちを迎えに行ってもらいます! ついでにパスカルはハクダンシティでジムリーダーのビオラさんに話を聞いてみたらどうかな。もしかしたらキミのこととか探してるもののことが少しでもわかるかもしれないよ」
「ジムリーダーですか?」
「そう、各街でポケモントレーナーのためにジムを開いてる人たちだよ。ジムリーダーに挑戦して勝つとポケモンリーグに出る資格であるジムバッジが貰えるんだ。八つ全部を集めることを目標にしているトレーナーたちも多いね。そんなわけだからいろんなトレーナーに会ってるだろうし、パスカルのことも知ってるかも。それに行くあてがないならジムをめぐって話を聞いてみるのもいいんじゃないかな」
プラターヌの言葉にパスカルはしばし思案していたが、やがて「わかりました」と言った。焦って行動してプラターヌやエクセラに迷惑をかけるよりも、各地をめぐってジムリーダーたちから話を聞いた方が断然いいだろう。もしかするとプラターヌの言う通り、誰かがパスカルのことを知っていて、そこから目的の場所がわかるかもしれない。
「四番ゲートから出て道なりに歩いて行けばハクダンシティにたどり着けるよ。大丈夫だとは思うけど気をつけてねー」
「はい! 行ってきます!」
「あ、ちょっと、パスカルさん!」
走りだそうとするパスカルをエクセラが止めながら、あれこれと準備をするように言い聞かせるのをプラターヌは満足げに眺めた。エクセラが旅を中断したあの日以来、やっと元気になったような気がしていた。間違いなくそれはパスカルがもたらした変化であった。
エクセラとパスカルが研究所を出ていくのを見送ったあと、プラターヌはホロキャスターが着信を報せているのに気が付いた。
大きく伸びをしながら再生ボタンを押すと、見慣れた男の姿が投影される。赤い髪に精悍な顔つきの男は意志の強い瞳をまっすぐに向けている。プラターヌは小首をかしげてそのホログラムを見つめた。数瞬遅れて音声も再生され始めた。
「おはようございます。本日博士の元に新人トレーナーの子供たちが来るそうですね。選ばれたトレーナー……未来の希望である彼らに是非会いたいのですが、そちらのご都合はよろしいでしょうか。ご連絡お待ちしております」
用件を伝えると男のホログラムはすぐに消えてしまった。
彼はプラターヌの研究に賛同し、少なからぬ額の投資を行ってくれている人物だった。メガシンカについて興味があるらしく、彼自身も研究者であるという部分も相まってプラターヌは信頼を寄せていた。だからその要求が不可思議な――わざわざ新しい助手に会いたいというものであったとしても断る理由はない。新人トレーナーたちの到着が少し遅れることと、いつでも歓迎するという旨を返信し、そういえばとプラターヌはとあることに心づいた。
「パスカルに少し似てるような……」
見た目だけではなく、瞳に秘められた熱意が重なったようにプラターヌには感じられた。