第五話 再会
エクセラが草むらの傍を通り過ぎる時、脇道から小さな人影がふたつ、飛び出してきた。こんな時間に幼い子どもだけで出歩いているのだろうか、とペダルを漕いでいた足を地面につける。おぼつかない足取りで進んでくる姿は痛ましく、何かあったのだとエクセラの脳裏に警鐘を響かせるには充分な様子だった。邪魔にならないように道路の片隅へ自転車を停め、エクセラは子どもに駆け寄る。
「あなたたち、だいじょうぶですか」
どうやら双子らしい、そっくりな顔をした女の子たちは大きく瞳をうるませ、どちらともなくワッと泣きだした。糸が切れた操り人形のようにふたりともぺたりと地面に座りこみ、決壊した堤防を思わせるほど止めどなく涙をあふれさせていく。声を掛けたエクセラも、まさかここまで衝撃を与えてしまうとは想像もしていなかったほどだ。少し驚きつつも、彼女は双子の頭をそっと撫でた。手をのせた瞬間、姉妹はびくりと肩を震わせたが、撫でられるうちに緊張が緩んだのだろう。揃ってエクセラに抱きついた。
姉妹はひとしきり泣き続けていたが次第に泣き疲れたのか、それとも気持ちが落ち着いたのか、そっとエクセラから身を離した。
「なにがあったのか話せる?」
エクセラが訊ねると、頬に残る涙を服の袖で拭きながらふたりはたどたどしくも話し始めた。
「クミとルミね、パパとママのポケモンちゃんといっしょにあそんでたの」
「そしたらマイナンちゃんのぐあいがわるくなって」
「かなしくってないてたらね、おにいちゃんがたすけてくれたの」
「でも、おにいちゃん、へんなひとに、いじわるされちゃって」
「おにいちゃん、おっきなポケモンちゃんにね、いたいこと、されたの……クミ、たすけたいのに、こわくて」
再び涙がこみ上げてきたのか、クミという少女はしゃくりながらそう言った。
――パスカルさんだ!
確証はないが、エクセラには確信があった。追われている身でありながら見ず知らずの子どもを助け、そのために窮地に陥る。パスカルの人となりを詳しく知るわけではないが、周りの人に迷惑がかかるからという理由で、ポケモンを従えた追撃者と追いかけっこをしていたくらいである。いかにも彼がやりそうなことだった。
しかし、危惧していたとおり赤スーツの方が先に追いついてしまったらしい。急がなければパスカルはきっとひどい目にあわされてしまう。だが、この子たちを置いて行くことなどエクセラに出来るはずがない。彼女の良心と生来の心配症が絶対に許さないのだ。
この状況では子どもたちを家まで送り届けてあげるべきなのは明白だ。その一方で、そんなことをしていてはパスカルを助けるのに間に合わないという事実が突きつけられる。いったいどうすればいいのか。……考えるまでもない、どちらも満たす最良の方法は恐らくひとつしかないのだから。
エクセラは腰のボールホルスターからモンスターボールを取り出すと、開閉スイッチを押した。光をまとって姿を現したのは太いしっぽに炎を宿したポケモン、リザードだった。何事かと問うように見上げるリザードの前に、エクセラは双子の姉妹を立たせる。
「アーサー、この子たちを五番ゲートの守衛さんのところまで連れて行ってあげてほしいの」
リザードは主が指すふたりの少女を目視し、ついで後方にあるであろう五番ゲートを見やった。命令を理解したと伝えるためにエクセラへ向かって力強く吼え、姉妹に向かって任せろというふうに頷いてみせた。
双子の姉妹はエクセラが彼女たちを助けた人物を救出に行くとわかったのだろう。エクセラが付いて来てくれないことに不安を抱いているだろうに、ふたりはそれぞれ彼女の手をぎゅっと握ってからリザードの元へと歩み寄った。両手を振って離れていくその後ろ姿が小さくなるまで見送り、エクセラは自転車に飛び乗った。
「ぐっ――!」
「ほらほら、もっと頑張りなさいよ!」
女が楽しそうに言うのが遠くに聞こえる。
風景はぼんやりとかすみ、痛みもさほど感じなくなってきた。だが、そんな自分のことよりもゲンガーの安否ばかりが気になる。男はヘルガーをボールに戻したようだったから最悪の事態にはなっていないはずだが、心配は膨れ上がっていく。パスカルはゲンガーを探そうと目を動かしたが、その前にくずおれてしまった。もう自力で立っていられる状態ではないのだ。
倒れたパスカルをゴロンダが無理やり引っ張り起こすと、女は容赦なく彼の頬を平手で打った。乾いた音が響く。パスカルは半眼になりながらも女を見つめた。青い瞳には怒りめいたものは露ほどもなく、単純に女の赤い姿を映している。それが女の加虐心をさらにあおったのか、彼女は先とは逆の頬も強く打ちつけた。パスカルは項垂れたが、女はゴロンダに命じて彼の髪を掴ませ、顔を上げさせた。意識を失いかけているのか、パスカルの目は焦点があっていない。にも関わらず、その目から怒りや憎しみ、女に対する恐怖の感情は認められなかった。
「なによ、少しは抵抗してみせなさい!」
半ばヒステリックに叫び、女が再び手を上げた。だが、その手は振りおろされなかった。後ろから仲間の男に止められたのだ。
「動けないようにしてから連れ戻せって命令だっただろ。さすがにやりすぎたら幹部連中になんて言われるかわからないし、そろそろ引き揚げようぜ」
「うるさいわね! あんただってこのガキに散々バカにされたんでしょ! こういう生意気な坊やは少しくらい痛めつけた方がいいのよっ」
「そりゃ俺だってムカついてるけど、子どもにここまでするのはちょっと気が退けるっていうか……」
ミアレシティのあちこちを筋肉痛になるくらい散々っぱら振りまわされたとはいえ、ぼろ雑巾のようになってしまっている姿は男の心を痛めさせた。追いかけている時は苛立ちがつのってヘルガーにひのこを放たせたが、それでも多少やけどをする程度の弱いものだったのだ。彼にいたぶるつもりは毛頭なかったのである。
意気消沈してしまった男を、女は軽蔑を込めて睨みつける。サングラス越しだというのに威圧感を放つ眼光に男は怯み、後ずさった。
「お、俺はただ、命令を」
「引っ込んでなさい!」
「で、でも――」
言い淀んだその時、背後の草むらが大きく揺れ動いた。自然と赤スーツたちの視線がそちらへと動く。
一際大きく雑草を揺らして飛び出してきたのは一匹のヒトツキだった。襲いかかってくる気配もなく、鞘にその刀身を包んだまま手持ちぶさたに浮遊している。普通、このあたりにヒトツキは出て来ないうえに、野生のポケモンなら問答無用に攻撃をしかけてくるはずだ。しかし、ヒトツキは微動だにしない。その不自然さに赤スーツを着た女も呆気にとられ、ゴロンダの背後にせまる影には気づかなかった。人影が何かを振りかぶる。
がつん、と重い音がしてようやく赤スーツたちは我に返った。
振り返るとゴロンダの手から少年の体が解放され、自転車を脇に投げた少女がなんとか少年を受け止めたところだった。どうやらゴロンダの脛を自転車で殴ったらしく、殴られたゴロンダはしきりに足をさすっている。
乱入者の顔見た男が、驚きの声を上げた。
「ああー! おまえはあの時のお邪魔ガール!」
「変な名前で呼ばないでください、赤スーツさん」
「そっちこそ! 俺達にはフレア団というスタイリッシュで超かっこいい名前があるんだぞ!!」
「フレフワンだかフラフラ団だか知りませんが、あなたたちの悪行は見逃せません」
ぐったりとしたパスカルに肩を貸したまま、エクセラは相手を見据える。
団の名前について抗議する男を押しのけ、赤スーツの女が立ちはだかった。
「こっちも急に回収物を横取りされちゃあ黙ってられないのよね。だから、あなたもたっぷり痛めつけてあげるわ! ゴロンダ、やりなさい!」
「デュラン、まもる!」
ゴロンダの拳が青い布に弾かれる。女が思わずその出先を目で追うと、野生のヒトツキがゲンガーを体にもたせかけながら移動していた。否、野生ではない。少女の手持ちポケモンだったのだ。ヒトツキは伸ばした布で器用に少女を護っている。
一体のポケモンでふたつの行動を取っているのだとわかった瞬間、女は屈辱に身を震わせた。――自分とゴロンダはついでのように、軽くあしらっていい存在じゃない!
女は続けざまにゴロンダにアームハンマーを命じた。が、エネルギーをまとった布が衝撃を拡散していく。またもや技は不発に終わり、ゴロンダもトレーナーと同じように苛立ちも露わに息を荒くしている。
怒りで冷静な判断ができなくなっていなければ、後ろでうろたえている仲間のヘルガーで挟撃することを思いついただろう。だが、今の彼女にそんな考えは浮かばないらしい。おかげでエクセラはパスカルの重い体を必死に抱えながら、じりじりと距離をとれた。
今は上手くいっているが、この「まもる」という技は連続で出すと見切られやすい性質を持っている。このままではいつかゴロンダの方がタイミングを掴み、ヒトツキの布の護りを突破するだろう。その前に手を打たねばならない。
ヒトツキが瀕死のゲンガーを運び終えるのが早いか、それとも。
「あ……れ……キミ……は……」
考えるエクセラの耳に、弱弱しい声が届いた。
「――パスカルさん! よかった、気がついたんですね」
まだぼんやりとしているが意識は明瞭になってきたらしい。パスカルは自分を支えている人物が誰かわかると驚いたのか、立ち上がろうとしたが上手くいかず座りこんでしまった。エクセラの登場にずいぶんと混乱しているようだったが、ヒトツキの布がなんとかゴロンダの拳を退けるのを見上げ、パスカルはエクセラに顔を向けた。
「……ゲンガーは」
「ゲンガーならデュランが運んでいます。パスカルさん、ゲンガーのモンスターボールはどこに?」
「それが、ないんだ……ゲンガーは……ぼくの……手持ちじゃない、から」
「え?」
予期していなかった返答にエクセラは戸惑った。パスカルと仲が良さそうだったゲンガーが手持ちではなく、野生だなんて想像できるはずがない。
野生のポケモンが人間に懐くという事象はまれに報告されているが、あんなふうに自分が瀕死になるまで相手を護るなんて聞いたことがなかった。それに、サーナイトやラッキーといった心が優しいポケモンならいざ知らず、ゲンガーという人に害を成すことが多いポケモンが野生の状態であれほど懐くとはあまりにも珍しいことだ。簡単には信じられそうにない事だったが、どんな理由があれ、瀕死の状態で手持ちポケモンを外へ出しておく必要性は少しもない。パスカルが嘘を言っているわけではないだろう。
しかし、そうなるとずいぶん状況が変わってくる。ゲンガーをボールに収納できる距離まで運べばヒトツキで反撃するつもりだったのだが、これではヒトツキは動きようがない。リザードがいない今、エクセラにはヒトツキ以外に戦える手持ちはいないというのに。
押し黙ったエクセラの様子に事情をある程度察したのか、パスカルが「間違っちゃったな」とつぶやいた。エクセラに対してなのか、はたまた自身に対して向けられた言葉なのかはわからない。だが、声音は優しいものだった。
一際大きく、ヒトツキの青い布が揺れ動いた。
もう守護の壁は打ち破られかけている。早く行動を起こさなければゴロンダの拳は間違いなくふたりを打つだろう。ならば思いつきであっても動かなければならない……すでに少女を巻き込んでしまっている今、躊躇などしていられないのだ。この場に及んでようやく、パスカルは決意を固めた。
「西にいこう」
続けて低く小さな声でパスカルは作戦を提案した。提案した本人すらあまり良い作戦とはいえない代物だったが、このまま大人しく殴られるのを待つよりずっとましではある。
エクセラもそう思ったのか、真剣に相づちを打つと、
「……わかりました。それしか方法はなさそうですね。あと、これを」
そう言ってポシェットから取り出した物をパスカルに手渡した。五番ゲートを出る時に受付の男からせんべつとしてもらった物である。まさか早速役に立つとは、渡した方も思っていなかっただろう。
半額のシールが貼られたそれを眺めるパスカルの頭上を、ゴロンダの腕がかすめる。ついにヒトツキの守護が破られたのだ。当のヒトツキは順調にゲンガーを運んでいるが、やはりこのままでは反撃などできそうにない。
けれど――。
「きっと、何も間違いじゃないです」
エクセラの言葉にパスカルはゆっくりと頷いた。