第十一話 同じ瞳を持つ者
サナが黄色い声をあげた。その声にかぶさるようにカルムとセレナも声をあげた。
かわいいとかっこいいが混ざった声援と子供たちの抱擁のなかにゲンガーはなすすべもなく埋もれていく。彼らを引率してくれたエクセラはゲンガーの隣に立っていた少年へと顔を向けた。エクセラと少年が何事かを話し合うのをしり目に、サナはゲンガーのひんやりとした感触を思う存分堪能する。
「みなさん、こちらはパスカルさん。わたしと同様、プラターヌ博士の助手をしています」
「といってもきみたちと同じで今日なったばっかりなんだけどね」
よろしく、と愛想よく手を差し出され、子供たちはゲンガーを解放した。突然の襲撃と解放に、ゲンガーはふらつきながらもニヤニヤ笑いは崩していない。ずいぶんと人になれたポケモンである。だが、再び抱きつかれることをおそれたのかそそくさとパスカルの背後に隠れた。
「サナです!」
「おれはカルムです、よろしく」
「わ、わたしはセレナです……よろしくお願いします」
パスカルと軽く握手をして、セレナはうつむきがちにサナの後ろに身をよせた。
「それでは研究所へ行きましょう」
「いこう、ゲンガー」
先頭を行くエクセラとパスカルをどこかぼんやりと見つめるセレナの様子と、そんなセレナの隣でふてくされているカルムの横顔を見比べ、サナは心のなかで手を打った。幼なじみふたりの心境は複雑なものになっているらしい。
セレナがあんな風に照れるのは初めて見た。スクール内で行われたバトル大会の決勝試合でも堂々と胸を張っていたセレナである。人見知りをする性格でもない。
そしてカルム。少し自信過剰なところのあるこの幼なじみはバトルが強くて頭もよく、スクールでも多くの女子が想いを寄せている。しかしそんなカルムが見つめているのはいつだってセレナだった。セレナ自身がまったく気づいていないのが、サナからすればもどかしいのだが……。今まではいつかふたりは手を取り合うだろうと漠然と考えていたが、どうやら事情は変わりつつあるようだ。
――けっこうカッコいいもんね、あの人。
あっちこっち跳ね放題な赤い髪も見ようによってはスタイリッシュな感じがするし、大人びた顔と優しげな雰囲気はトレーナーズスクールの同級生たちにはなかったものだ。
これからどうなるんだろう。サナは未来に思いを馳せ、喜びとも不安ともつかない息をもらすのだった。
「やっと会えたね! ハクダンシティから遠路はるばるこんにちは!」
プラターヌは両腕を広げ、少年少女たちを歓迎した。
新人トレーナーのために用意された三つのポケモン図鑑とパートナーポケモンたちの入ったボールが、研究所の照明にきらりと輝く。三人組は緊張気味にそれぞれ自己紹介をする。ひとりひとりにプラターヌは丁寧にうなずき、彼らとこれから旅路を共にするポケモンたちを召還した。
左から炎タイプのフォッコ、草タイプのハリマロン、水タイプのケロマツだ。新人トレーナーであっても制御するのが比較的易しいとされているポケモンで、それでいて鍛え上げるとこのうえなく頼もしい仲間になってくれる。三匹はそれぞれ新しい相棒となるであろう人間を期待のまなざしで見上げ、さあ誰に選ばれるのかと待っている。プラターヌはこの瞬間がいつも楽しみだった。夢にあふれる子供たちの瞳はなににもましてきれいだ。
「セレナとサナが先に選びなよ。おれはあとでいい」
「えー! だめだよ、カルP! みんないっせいに好きな子を選ぼうよ!」
「サナに賛成。わたしたちが先に選ぶのって不公平だもの」
「……わかったよ。それじゃあ、三つ数えたら欲しいポケモンを指さすってことで」
三、二、一、と声を揃えて数え、三つの指先が交差する。カルムはケロマツ、セレナがフォッコ、サナの指先はハリマロン。見事にばらけた選択に全員がほっと息をついた。これで被っていたらどうしよう、と三者三様に考えていたのである。
三匹はそれぞれのパートナーの元へと駆け寄り、思い思いの仕草で挨拶を交わす。飛び込んできたフォッコを抱きとめるセレナと、ハリマロンと握手を交わすサナ。カルムはケロマツのケロムースで顔を泡だらけにしながらも、屈託なく笑みをこぼしている。
「これからキミたちにはポケモン図鑑を持っていろんな所を旅してもらうことになります。けどね、別に全部のポケモンを無理に探す必要はないんだ。キミたちひとりひとりの旅を、ポケモンと大切に過ごしてほしい」
「ありがとうございます、博士!」
三人が同時に感謝を口にした。
「うん。それではあらためて……ようこそ、ポケットモンスターの世界へ! そうだ。せっかくだからバトルをしてみたらどうかな。その間にキミたちのトレーナーカードと図鑑を連結させておくよ」
パスカルの時は証明書の代わりにしたので連結は必要なかったが、本来ならばトレーナー情報と結びつけてようやく使用できるようになる代物だ。そのための作業はさほど時間がかかるものではないが待たせるのは酷だろう。ポケモンたちも早く力をみせたくてうずうずしている。
研究所の中庭に簡易バトルフィールドがあることをエクセラが伝えると、少年少女は今一度プラターヌに礼をして部屋を飛び出していった。そんな彼らを見送り、プラターヌは残る二人の助手を呼んだ。
「それでビオラさんは何か知ってたかい?」
「いいえ。でも、情報通のかたを紹介してもらえました」
試合のあと、事情を説明するとビオラは申し訳なさそうにパスカルとは初対面だと言った。それでも姉のパンジーなら何かわかるかもしれない。明日にでも会えるようにこっちから頼んでおくね、と快く引き受けてくれたビオラにパスカルは深く感謝した。
ビオラの姉であるパンジーはミアレシティの出版社に勤める記者だという。その職業柄、さまざまな場所へ足を運び、情報を見聞きしている。パスカルの記憶をゆさぶる写真や情報のひとつくらい持っているだろうと、ビオラは考えたのだ。
「じゃあ一歩前進だね!」
自分のことのように喜ぶプラターヌに、パスカルは心が暖かくなった。ジムリーダーでもわからないという事実に少なからずショックを受けていたのだが、たしかに一歩前進だと思えてきた。励ましをこめてエクセラがうなずく。目的地探しを始めてまだ二日しか経っていないのだ。それにあと七つもジムがある。すべてを巡っているうちにきっと目的地にもたどり着くだろう。
和やかな空気が流れはじめたその時、玄関ホールから来客を知らせるベルの音が響いた。
「きっとフラダリさんだよ。新しい助手たちに会いたいって言ってたからねー」
そう言ってプラターヌが先頭をきって部屋を出ていく。その後ろからエクセラとパスカル、ゲンガーが続いた。部屋を出る前にこっそりとパスカルがエクセラの背中をつつく。
「ね、フラダリさんって誰?」
「ホロキャスターを開発したフラダリラボの会長さんです。利益の一部を研究所に投資してくださっているんですよ」
「へえー。立派な人なんだなあ」
「そうですね、立派なかたです」
フラダリラボはホロキャスターに企業広告を流して得た収益などを、ポケモントレーナーや研究所の後援にあてている。むろんただで資金援助をしてくれるわけでもないが、プラターヌ研究所が現在のような活動をしていけるのは支援者あってのものだ。成果がでるとは限らない研究分野に投資をするのは、非常に決断力を有する選択であり、実を結ばないかもしれない木に水をやる人は極わずかだ。さらにそのなかでフラダリは他に類をみないほど熱心に後援活動を行っており、エクセラからすればプラターヌと同じくらい尊敬に値する人物であった。
話し声が聞こえたのだろう。ホールでたたずんでいた長身の男がついと顔を上げ、おだやかに笑みを浮かべた。近づくと、細身だが背の高いプラターヌよりも上背があり、がっしりとしているのがわかる。その立ち居振る舞いもあいまって、どことなく威圧を感じたパスカルは思わず後込みをしてしまった。これが一流企業のトップがまとう風格、というものなのだろうか。
「こんにちは、プラターヌ博士。突然押し掛けて申し訳ありません」
「こんにちは、フラダリさん。こちらこそお待たせして申し訳ない。エクセラとは以前お会いしましたよね」
フラダリの目線がプラターヌの背後、エクセラとパスカルに向けられる。エクセラは優雅に腰をまげ、頭をわずかにかしげて挨拶を交わした。
「ええ、彼女は博士の優秀な助手ですね。確か手持ちはリザードとヒトツキでしたか。バトルの腕前も良かったのを覚えていますよ。ーーところで、そちらの少年は」
「彼は今日からボクの助手になったパスカルです。図鑑を渡す予定だった子供たちとは別件で助手にスカウトしたのですが、少し事情がありまして」
「ほう……事情ですか。もしよろしければ聞かせていただいてもよろしいでしょうか」
「話してもいいかい、パスカル」
場の空気に圧されてふたつ返事でこたえようとしたパスカルを、ゲンガーが袖を引っ張って振り向かせた。出会ってからほとんど不安をあらわにしていなかった相棒が、恐怖を瞳に込めて何かを訴えようとしている。
パスカルは喉元まで出かかっていた言葉を飲み込むと、博士にだけ見えるよう片手を振って「ごまかして」と伝えた。プラターヌは一瞬不思議そうな顔をしたが、パスカルの意図を汲んでくれたらしく何もなかったふうに話を続ける。
「うーん、実は彼はなかなかむずかしい探し物をしているんですよー。カロス全土をめぐってそれを見つけたいらしくて! せっかくカロスを旅するなら、ポケモン図鑑を持っていってもらおうということになったんです」
「なるほど、その探し物をぜひとも知りたいものですね。私も役に立てるかもしれません」
まさかフラダリがそこまで興味を示すとは思っていなかった。プラターヌは虚をつかれたふうだったが、すぐに立て直して中庭の方を指さした。
「ありがとうございます、その話は後ほど時間があるときにいたしましょう。中庭で新人トレーナーたちがバトルをしているんです。よろしければ見ていってください」
フラダリは新人トレーナーたちに興味が移ったらしく、そうしましょうと同意する。
去り際にフラダリはパスカルに対して値踏みをするような痛烈な視線を寄越したが、目を向けられたパスカルでさえ錯覚だったかと思うほどごく自然に目線は逸らされ、ふたりはすれ違った。パスカル以外誰も、フラダリの一瞥に気づいていない。それほどわずかな間のできごとだったのだ。
パスカルは右足にしがみついてくるゲンガーをなだめつつ、ちいさく息をもらした。自分でも気づいていなかったがフラダリがこちらを見ている間中、ずっと息が詰まっていたようだ。まるでカエンジシに睨まれたケロマツだ。竦んでしまって後先など考えられなくなってしまう。さっきだってゲンガーが訴えなければきっと洗いざらい話していただろう。なぜ話してはいけないのか、という点はわからなかったが、ゲンガーの警告は根拠のないものではないはずだ。
それになぜだろう、あの瞳には見覚えのある気がする。青い炎が揺れる眼。なじみの深いものだ。封をされた記憶の箱から漏れでてくるような、あの強いまなざしはいったい……。
「パスカルさん、少し休みますか?」
立ちすくむパスカルをエクセラが気遣う。彼女の声でようやく我に返ったパスカルは、汗ばんだ額を乾かそうと頭を勢いよく横に振って前髪を踊らせた。
「ううん、だいじょうぶ! ちょっとぼーっとしちゃっただけだよ。さ、ぼくたちもバトル見にいこっか。早くしないと見損ねちゃうよ!」
そう言うや否やきびすを返し駆け足で中庭へ急ぐパスカルの、遠ざかっていく背中を見つめ、エクセラは心配そうに眉根を寄せた。
事前に打ち合わせていたその場所に、目的の人物は来ていなかった。それどころか、数日間誰も立ち寄っていなかったようで、観葉植物がわずかにしおれていた。水をやり忘れている、ということはまずないだろう。自分の寝食は忘れても、周囲に対することにはやたらと整然としたがる性格なのだから。
彼はモンスターボールを模したマットで泥を落としながら、どうしたものかと考えて鼻にしわをこしらえた。待ち人の居場所を報せてくれる発信機は昨晩、信号をロストした。最後にあの人がいたのはコボクタウンだ。それだけは間違いない。ミアレからコボクへ戻ってきていたはずなのである。だが、ここに来た痕跡はない。
彼はこの、草木の間に作られた臨時の隠れ家を今一度見渡した。ひみつきち、と呼ばれる空間は急ごしらえとはいえ、なかなかに居心地よく整えられている。それに、生い茂った草と木をうまく結いあわせて作られた入り口は自然のなかに隠されているため、よほど念入りに探さないと見つけることができない。
内部の装飾は作った主の趣味なのか、小さな観葉植物と寝具、それから折りたたみの机と椅子がぽつねんと置かれているだけだ。ずいぶんと質素な光景である。
メモの類でも残っていないかと探してみたがそれもなく、彼はあきらめて椅子をたぐり寄せた。腰をおろし、持ってきたノートパソコンを開く。発信機は数日前から電波を遮断されていた。もしかすると良くないことに巻き込まれたのではないかと、ずいぶんひやひやさせられてしまった。肝を冷やされているのは現状も同じだが、カードの使用履歴を見るかぎり昨日まで元気でいたのは間違いない。
彼はしばらく思考にふけり、デスクトップに保存されている画像ファイルを開く。
「マジでどこ行ったんだ、パスカルのやつ」
もう時間がないってのに、と口のなかで続けて、幾度となく見返してきた画像を眺めながら彼は後ろ頭をかいた。
第一章、完。