ミツキ 02
結局、タグチはあれから何も言ってくれなかった。酔いを醒ますかのように水を何杯か飲むと、そのまま立ち上がり、きっちり半分だけのお金を机に置いて帰っていった。
それは、「この問題に深入りするな」という明確な拒絶の姿勢であった。無理もない、社会のインフラ基盤でもあるシルフカンパニーが警察の調査を受けているなんて、もしも広がれば世間はひっくり返ってしまう。
だが、とミツキは息を吐く。それを報道するのが、自分たち新聞記者の役割であるのだ。特に、シルフカンパニーという社会のインフラの基盤がどうなっているのか、報道される義務がある。
ミツキも店員に水を頼んでいっきにぐいっと飲み干す。少しでも思考力が落ちている時間が勿体無い。今から家に帰ってすぐに寝れば、明日はもう少しすっきりと仕事ができるだろう。
ミツキは店員に頭を下げると店を出る。ちょうど宴会も終わりの時間帯なのか、酔っ払った若いトレーナーや、背広姿の男が取引先と思わしき相手にへこへこしているのが見える。
スマホロトムの乗り換え案内アプリを起動し、ミツキは顔をしかめる。ちょうど急行がなくなり、会社までは各駅電車で帰らなければいけない。かといって、酔っ払いが飛行タイプのポケモンに乗るわけにもいかない。残念ながら、電車という遅れた文明の機器を使わなければいけない。
ミツキはあまり電車が好きではなかった。ポケモンに比べてはるかに遅いし、融通が効かない。そう思っている人も多く、電車のアップデートはかなり前で止まっている。
昔は新聞社がハイヤーを回してくれたと上司は言っていた。だが、今はそんなご時世ではない。新聞不況と言われる今、自分のような下っ端記者がハイヤーに乗れるわけがないだろう。
はあ、ともう一度ため息をついてとぼとぼと駅の方まで歩いていく。その間にも、キャッチや怪しげな宗教団体に絡まれるが全て無視して考えた。
シルフカンパニーが絡んでいる案件の報道は注意が必要だ。下手なことを書けば、自分の首が飛ぶだけでない。自分が所属するトレーナー新報という会社の看板に決して消えぬ傷が残るだろう。だから、上司や同僚にこのネタをこぼさないほうがいい。
深夜でも働けるブラック企業でよかったな──。ミツキは煙草に火をつけようとして、通行人の白い目に気がつき胸元にしまった。
誰もいない資料室で、ミツキはパソコンを操る。資料室の司書はとうに帰宅しており、今は代わりに監視カメラの赤いランプがミツキを見張っている。何か変な動きをしたら、ただではおかない。無言の威圧感を背中から感じていた。
別にやましいことをしているわけではない。だが、ミツキは妙に居心地が悪かった。一度立ち上がり、目元を何度か揉む。視力に自信はあるが、それでも長時間の作業は目に悪い。いっそのこと、ブルーライトカットの伊達眼鏡でも買うべきか。そんな雑然とした思考を振り払うように、ミツキは椅子に座りなおしてパソコンの画面を睨みつける。
ミツキの細い指がキーボードの上を走り、たんとエンターキーを叩く。だが、その軽やかな動作に反して画面を睨みつけるサトルの顔は渋い。ため息をつくと、また別の言葉で検索をかける。「シルフカンパニー 不祥事」、「シルフカンパニー 会見」、「シルフカンパニー 捜査」……。しかし、検索結果は芳しくない。シルフカンパニーの不祥事と言えるのは、せいぜいモンスターボールの着色が薄くなっている程度。この不祥事でも、シルフカンパニーは社長自らが会見を開き、その上で回収をしている。たかだかモンスターボールの外装で大げさな対応とすら思えたが、それほどセキュリティーには力を入れているのだろう。
だが、そんな繊細さすら感じる配慮とは別に、シルフカンパニーは次々に画期的なビジネスを打ち出していた。一つは「ポリゴン」の発見である。会社お抱えの研究チームが電子上の空間で「ポリゴン」という新しいポケモンを発見した。彼らはこれを利用して、「マサキ」という天才技術者を中心に「ポケモン預かりシステム」を作り上げている。
これが開発されたのはミツキが生まれる前である。この発明が社会のパラダイムシフトになったのは言うまでもない。無論、社会も新たな発明を歓迎する一方で恐れてもいた。ポケモンリーグ側と警察が合同で第三者委員会を派遣している。
それから、シルフカンパニーでは定期的に第三者委員会が派遣されている。昨年には、ジムリーダーの中でも実力者と名高いサカキが向かっていた。だが、それでもスキャンダルは見つからなかった。
それが妙に気持ち悪かった。確かに全く不祥事がないわけではない。しかし、そのどれもが大して消費者に影響のないものである。しかもそのどれもにシルフカンパニーは会見を開いており、丁寧な謝罪を繰り返している。これに続くスキャンダルもない。
しかし、シルフカンパニーについて書いた記事がこれほど少ないということはあろうか。しかも、掲載されている記事のほとんどが人事異動やセキュリティーに関するインタビューである。そこに不祥事の匂いはほとんどない。人事異動も、取り立てて不思議なものはないのだ。だから不思議である。いくら透明性が高いといえども、あれほどの大企業に不祥事がほとんどないのはおかしな話であろう。人がいるところに犯罪と金はあるのだ。
妙な違和感を感じる。だが、その違和感に対する具体的な回答を持っていない。ミツキは椅子に身を投げ出すと目を数度揉む。そして、諦めたようにパソコンの電源を落とした。
喫煙所には誰もいなかった。ミツキはこれ幸いとばかりにベンチにどっかりと腰を下ろして足を組み、タバコに火をつけた。行儀の悪い格好だが、今はそれに顔をしかめる人間もいない。今日はこれだけ働いたのだ。アルセウスも許してくれるだろう。
最も、成果が上がらなければハナオカにどやされるかもしれない。それこそ、今朝のサトルがその犠牲者であった。
サトル──。その名前が浮かび、ミツキの思考は横にずれる。自分と同期の記者であり、ナナカラ地方で成果をあげて本社へと戻ってきた。同期の記者は数十人いたが、この早さで本社にもどったのは自分とサトルだけである。
確かに、それは頷ける話だ。ラルトス・メソッドを使いこなし、対象から情報を引き出す。それでいて頭も悪くなく、論理的に真実を見つけ出す。周囲から当たり散らされることも多いが、それに耐えて仕事をするメンタルも持っている。おまけに性格も悪くない。
だが、ミツキもどことなくサトルから感じる違和感を払拭することができない。サトルの目は、たまにここではないどこかに向いている。
──考えすぎか。
ミツキは首を振って煙を吐く。エリートトレーナーであるミツキを穿った目で見ているのは自分だろう。エリート街道を突き進んだ人間が、苦労していないわけがない。
馬鹿なことを考えるな、とミツキは二本目のタバコを手にする。電子タバコではないが、今はもっと強い刺激が欲しかった。ニコチンがすうっと脳の隅々まで行きわたり、冴えていくのを感じる。そして、無造作にスマホロトムを起動して「シルフカンパニー 不祥事」と検索する。
トップページに引っかかるサイトに大したものはないと、ミツキはページを次々にスクロールする。そして、ふとその手が止まり、一つのタイトルに目が吸い込まれる。
『シルフカンパニーの黒い噂!?』
くだらないタイトルだ。そうは思ったが一応画面をスクロールする。だが、そのわずかな期待はすぐに裏切られることとなる。最初から最後まで憶測ばかりで関係者の話がない。
全く、メディアの誇りはどこにあるのかとどやしたくなった。だから、メディアは信用されないのだ。SNSを中心に発生している「ライチュウは進化する」などのくだらないデマを信じる人がいるのもわかる。まあ、自分も当たっているかわからないタグチの発言をもとに、噂の尾ひれをひっつかんでやろうとしているのだが。
──とりあえず、明日は取材だな。
ミツキはタバコの残りを、ぐしゃっと灰皿に押し付けた。