サトル 02
結局、昨日帰れたのは夕方だった。午前中には帰れると踏んでいたが、取材先にいきなり呼び出され、ピジョットを使って飛んで行かなければいけなかった。そして会社に戻っても、書類の整理やらテープ起こしの雑務が山積みになっていてどうにも帰れない。
こんなのバイトにやらせておけよ──そう怒鳴りたかったが、悲しいかな会社の奴隷にはできるわけがない。おまけにアサダからぐちぐち文句が書き連ねられたメールが来たので平謝り。「上司 謝罪メール テンプレ」をロトムに調べさせ、ちょこちょこと文面を変える。新聞記者とは思えない文字に対する付き合いだな、と苦笑したくもなった。
最も、世間で言われているほど新聞記者に文章力は必要ない。予定稿といって取材する前にテンプレの文面を作り、そこに事実を当てはめる。あとは校閲が物議を醸しそうな表現を弾けばいいだけなのだ。新聞記者に必要なのはそんなスキルでない。いかに相手の懐に飛び込むかと言うところだ。
しかし、サトルはそれがうまくいっていない。これは、一概にサトルが悪いわけではない。警察という組織に所属する人間はポケモンを扱う腕に自信があり、現場で叩き上げられた強さがあると誇っている。ゆえに、サトルのようなエリートトレーナーを敵視するところもある。
社会部も楽じゃないなとサトルはため息をつく。自分がここに配属されたのは、経営不振で苦しむ会社の方針だろう。そうでなければ、自分がこの早さでカントーに配属されることはない。
最も、配属された理由は自分が「ラルトス・メソッド」を使えるにほかならない。新聞記者としてのスキルはお世辞にも高いとは言えない。いや、社会部の中で一番低いだろう。
そんな暗い気持ちを振り払うようにサトルはぽんぽんと首筋を叩いた。ともあれ、今日の休みを死守することができたのは大きい。万が一がないように会社用のスマホロトムの電源を切った。何せ、今日は少年の頃より憧れるトレーナーの祭典。
カントーリーグの日だ。
スタジアムは試合が始まっていないのに叫び声がもう聞こえていた。ファンクラブと思わしき集団が応援歌を熱唱し、その横ではアルバイトが酔った客に注意をしている。
──すごい人だかりだな。
人をかきわけかきわけ、辛うじて前に進むことができる。この分だと客席からはみ出して立ち見になる客も多く出てくるだろう。人気低迷のカントーリーグ、メディアではそう煽られて久しいのに。
今のカントーリーグは英雄不在と言われ、視聴率も以前に比べて落ちている。人々は言う。オーキド・ユキナリとキクコがしのぎを削りあっていたときが一番白熱していた。当時は技構成が全て攻撃技にすべきだという論調が凄かった時代に、ゲンガーなどの補助技が豊富なポケモンを据えていやらしく駆け上がってきたキクコ。そして、それに真正面から立ち向かう若き秀才、オーキド・ユキナリ。さらに、愚直にほのおタイプで手持ちを固めるカツラに、若手ながら老獪な戦いっぷりを見せるキクノ。粘り強い立ち回りと強靭な精神力で立ち回るヤナギ。何より、ナナカラ地方という対戦の文化が盛んでない田舎から駆け上がって鮮やかな光を放ったミドリがいた。
しかし、今は役者不足と言われる時代である。まず、カントーリーグの目玉はワタルだが、かなり強いものの英雄と言われるようなオーラがない。カンナとシバはキャラとして面白いが、ワタルに一歩劣る。そして、キクコは全盛期のような輝きがない。だから人々は懐古する。あの黄金時代を。
見る目がない馬鹿だとサトルは内心でその評論を蔑んでいた。ワタルは手懐けるのが非常に難しいドラゴンタイプのポケモンを主軸に据えていながら、他のポケモンの育成を怠ることはない。
シバだってそうだ。切り札のカイリキーを舐めてひこうタイプのポケモンを出した挙句、ストーンエッジの餌食になったトレーナーは両手の指で数え切れないほど。キクコも歳を取って戦いっぷりが円熟した。彼女を年寄りと侮り、ゲンガーの前に完封負けしたトレーナーもこれまた多い。カンナだって、「可愛らしい」側面ばかりメディアに取り上げられるせいで実力が過小評価されている。タイプ相性もあるとは言え、ワタルのカイリューを破るほどだ。並のこおりタイプ使いなら、カイリューに触ることすらできないだろう。確かに、この場に英雄はいない。だが、それは遠からず来るはずだ。
サトルは確信があった。今年はこの舞台に立っていないが、来年はここに二人のトレーナーが立つだろう。そのとき、自分は。
ここまで考えてサトルははたと手を止める。自分は、どうしているのだろうか。ポケモンリーグ部の記者として二人を取材するのだろうか。
そんなことを徒然と考えていると、わあっと歓声が巻き起こる。司会が大声で開会の声をあげたのだろう。その声すらかき消す大歓声だ。
テレビ局のプロデューサーが大声で指図するのが見える。サトルは目深に帽子をかぶった。土曜日なのに出社している同僚がテレビを見ているかもしれない。自分の顔が映るとは思えないが、気をつけておいて損はないだろう。社内の人間に見つかったら何を言われるかわからない。それは、これから始まるだろう熱戦に付随する記憶としては相応しくない。
何と言っても、今日の目玉はシバとマチスの激突である。四天王のシバは最初こそリーグでの成績が振るわなかったものの、ルカリオなどのポケモンをパーティーに加入させ、それを軸に立ち回ることを意識してから勝率が上がっている。
対するマチスはウォッシュロトムに注目だ。じめんタイプの対策として採用されたウォッシュロトムは、ボルトチェンジなどの補助技を巧みに使いつつも高い特攻を生かしてハイドロポンプなどの強力な技で強引に突破することもできる。自然と手に汗が滲んできた。配られたパンフレットを見ながら頭が静かに回転を始める。
やがて、司会の絶叫とともにバトルのファンファーレを告げる音が響く。次の瞬間、マチスのライチュウとシバのカイリキーが弾丸のように飛び出した。
シバが四天王の強さを見せつけた。エースであるカイリキーがスピードの差で不利と見るや、すぐにカイリキー引っ込めてドサイドンを繰り出す。ならばとマチスがウォッシュロトムを出せば、今度はドサイドンをナッシーに変える。このナッシーというポケモンがなかなか曲者で、高い特攻から繰り出されるげんしのちからが電気タイプに刺さる。おまけにウォッシュロトムにも相性がかなりいい。
だから、マチスも慎重に立ち回った。スピードで上回るサンダースででんじはなどの嫌がらせをしつつ、隙を狙って持久戦も厭わないような戦いを選んだ。
しかし、ナッシーの特性であるしゅうかくでラムの実を何度も食べられて勝負あり。要塞かつ自律砲台となったナッシーに散々翻弄された。エースであるライチュウが意地でナッシーを仕留めるものの、疲れ切ったマチスのポケモンを万全なカイリキーが刈り取っていく展開となった。結局、終わってみればシバの完勝であった。
敗因があるとすれば、マチスが慎重な戦いをしていたという点だ。素早いポケモンで固められているマチスのパーティーなら、そのアドバンテージを押し付けるしかなかった。だが、そうはさせなかったのが所々に交換で出してくるドサイドンの存在だろう。でんきタイプに強いドサイドンに突っ込んでは返り討ちにされてしまう。その思考がマチスの足を止めてしまった。
最も、これは自分が観客であり、試合が終わったからこそ言えることだ。だが、マチスは唇を噛み締めて悔しさを表していた。不意を打たれた、そんな言い訳はしたくなかったかのように。
一方で、勝ったシバも勝利の高揚感とはどこか遠いところにいるようだった。これまでのパワフルな戦いには似つかわしくない慎重な戦いだ。きっと、シバもこの戦法を採用するのに相当悩んだのだろう。
それにしても、四天王は面白い戦いをするものだとサトルは改めて感服する。ナッシーをあんな風に使うことなんて考えたこともなかった。なるほど、“しゅうかく”は考え甲斐のある特性だ。オボンの実と“しゅうかく”もちのトロピウスを組み合わせて受け主体の戦いも面白いかもしれない。──最も、一朝一夕で真似することができないものであるが。
久しぶりにバトルをしたいな。サトルは胸の奥に疼くものを感じ、ホルスターに手をかける。だが、すぐに首を振った。いくら記者が忙しくて腕が鈍っていようと、そこらのトレーナーに負けるようなやわな鍛え方はしていない。むしろ、変に戦っては調子を崩すかもしれないだろう。ならば、帰ってポケモンの特訓にあてた方がいい。
それでも、胸の疼きはどうにも抑えられそうにない。誰かから話しかけられないよう、帽子を一層目深にかぶる。それでもちらちらとポケモンリーグの外に敷設されているバトルフィールドを目で追ってしまう。カントーリーグの熱気にあてられたトレーナーたちが、解放されたバトルフィールドで次々と戦いを始めているのだ。
だが、サトルはその集団に交わらず、ポケモン用の自販機にスマホロトムを押し付ける、ぴ、という軽妙な音とともに、いくつかの商品がごろごろと落ちてくる。
「みんな。休憩だ」
出てきたポケモン──サザンドラにニンフィア、そしてウインディとジバコイル、そしてヤドランとラルトスに合図をする。ウインディは周囲を見渡し、自分以外のポケモンがいることを確認するときっと顔を凛々しく保つ。まるで自分が最年長であるということを示さんばかりに。その横には茫洋とした表情のジバコイルが浮いていた。
相変わらずウインディは意地っ張りだな、とサトルは苦笑する。そんなウインディたちにおいしい水を入れた容器を差し出すと、美味しそうに飲み始めた。ヤドランはぐうぐうといびきをかいて寝ているし、ニンフィアはサザンドラにじゃれつき、サザンドラはあたふたと逃げている。あの二匹はしばらく遊んでいるだろうな──サトルはそう考えてポフィンをしまう。
さて、ラルトスは人がたくさんいるところに出てきたのに怯えているのか、サトルのズボンの裾を握っていた。サトルはラルトスを抱き上げて膝に乗せると、ポフィンをつまんで食べさせる。ラルトスはぱっと笑顔を浮かべると、おいしいそうににこにこと笑った。
それにしても、のどかな一日だ。もしポケモンバトルができればもっと良かったのだが。来週の休みはどこかのジムにでも行こうか──。そんなことを考えていると、ラルトスがサトルのシャツの裾をくいと引く。
「なんだよ。ポフィンは一つだけだぞ」
おやつを欲しがっているのかと思って、ラルトスをたしなめた。だが、ラルトスはふるふると首を振ると、小さい手で一つのバトルフィールドを指差す。
抱きしめるラルトスの体がほんのりと熱い。つまり、そちらに何かラルトスの感情に引っかかる存在がいるのだろう。よいしょ、とサトルは立ち上がる。そして、ラルトスと手を繋いでそっちの方に歩き始めた。
バトルフィールドで仁王立ちしている女性は対戦相手を圧倒していた。彼女が操るテッカニンは対戦相手の男性が従えるサンダースを翻弄している。テッカニンはかなり素早く、サンダースの電撃をひらひらとかわしていく。そしてサンダースが疲れた隙を見つけ、“つるぎのまい”で攻撃力をあげる。
サンダースも弱くはない。むしろ、結構鍛え上げられているが操っているトレーナーの質がまるで違った。テッカニンというあまりに早すぎるがゆえに上級者以外からは敬遠されるポケモンをうまく操っている。これだけの速度を統御下に置くのは難しい。だが、その女性はうまくこなしていた。
「バトンタッチ!」
彼女が叫んだ瞬間、テッカニンはボールの中に吸い込まれる。抜群のタイミングだ、しかも交代先も悪くない。
「ホルード、一気に決めるよ」
その女性は出てきたホルードを見て不敵に笑う。ホルードも主人の指示に答えるかのように強く吠えた。勝負あったな、とサトルは天を仰ぐ。あのホルードはきっと“ちからもち”という特性をもっているだろう。
サトルの予想通り、ホルードは“じしん”の一撃でサンダースを沈める。男性トレーナーはサンダースをボールに戻したものの、なかなか次のポケモンを出そうとしない。いや、きっと出せないのだ。このホルードの攻撃に耐え切れるポケモンはいないだろう。
やがて、男性トレーナーがまいりました、とサレンダーを申し込む。途端に周囲からはどよめきの声が上がる。
かなり強い。そこらの若者だと思って戦闘をしかけたトレーナーは驚いているだろう。自分もラルトスに引っ張られてこなければ、彼らと同じように驚いていただろう。彼女はそこらのトレーナーを圧倒する実力の持ち主なのだから。そう、自分を除いては。
サトルは自然と闘技場へと歩き出していた。そして、キャップを浅くかぶり直してその女性を見つめた。
「一戦、よろしくお願いできますか?」
自然と言葉が口を突いて出た。その女性は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにホルスターへと手をかけた。
「ええ、もちろん」
その女性はにこりと笑ってホルスターを軽く叩く。自分と同じ、いや少し上の年齢であろうが、まるで少女のような笑みを浮かべる。だが、サトルはその目の奥にちらと燃え上がる闘志を見逃さなかった。
「よろしくお願いします」
サトルは笑顔を浮かべてモンスターボールに触れる。本格的に戦うのは久しぶりだ。だが、負ける気はしない。記者の顔も忘れ、サトルはボールに手をかけて不敵に笑った。
「いい戦いでした」
サトルは素直な気持ちで右手を差し出す。その手を、対戦相手の女性が少し悔しそうに取った。
「ありがとうございます。ええと」
ここで女性は言い淀む。そう言えば、名乗っていなかったなとサトルは空いている手で頭をかいた。
「僕はサトルと言います」
サトルさん、とユウハは名前を復唱する。そして、口元に笑みを作った。
「サトルさん、またお手合わせをしてもらってもいいですか」
「ええ、もちろん。よろしければ、お名前を伺っても」
「ユウハと言います。よろしく」
そう言うと、ユウハはスマホロトムを取り出した。サトルもスマホロトムを取り出して軽く振る。画面を軽くタップすると、快活な笑みを浮かべたユウハとそのポケモンたちの写真をアイコンにしたプロフィールが出てくる。
「いいポケモンたちですね」
素朴にそんな声が出た。写真ではテッカニンやホルードが笑顔でユウハの後ろから顔を出している。ホルードは穴を掘る以外はだらける習性にあるので普通は写真に写りたがらないし、テッカニンは動き続けていないと落ち着かないようなポケモンだ。その二匹が後ろで笑顔を浮かべて写真に写るなんて、よっぽど懐いていなければ無理だろう。
「ええ、自慢の子ですもの」
ユウハは軽く笑うと、ぺこりと頭を下げて足早に去っていく。そこで、ようやくサトルは一息をついた。
危なかったとサトルは汗を拭う。ブランクもあったとは言え、かなり手強い相手だった。もう少しで押し切られてもおかしくなかっただろう。では、もっと簡単に勝つにはどうすればよかったのか──。そんなことを考えていると、どんと強く何かにぶつかった。
「ぼさっと歩くな! しばくぞ!」
すれ違いざまに黒い服を着た男が怒鳴りつけてくる。そして、サトルが言い返す前に走り去っていく。全く、とサトルは顔をしかめる。せっかくいい気分で帰っていたのに、水を差された。あの黒い服、最近ここらで悪さをしているロケット団という組織の一人だろう。
最も、集まってやることは夜中に集まって騒ぐくらいで、だいたいは警察に注意されておしまいと聞く。だから、警察の方も真面目に取り締まらないのだ。
まあ、新聞のネタにはなるかもしれないな。サトルはガシガシと頭をかく。どうせ正攻法から記事を書いてもろくに警察は情報を落としてくれないのだ。そこを突いて適当な文明批評でも書いてみようか。それこそ、定年間際の爺さん記者の花道仕事だとどやされそうだが。
煮詰まっているな、とサトルは自嘲気味に笑みを浮かべる。よっぽどうまく書かない限り、ハナオカに没にされるだろう。ただ、この記事が社会に出れば反響は出るはずだ。カントーはもとより、アローラでも島巡りに挫折した若者が「スカル団」という反社会組織に身を投じて社会問題になっている。きっと、興味を持つ人も多いはずだ。
──やるだけやってみるか。
自然とサトルの目つきは鋭くなっていた。それはトレーナーのときに見せていた、グラエナのような肉食獣の目つきではない。むしろ、自身の危険性をひた隠しにするフワンテの雰囲気に似ていた。