カントーに捧ぐ夜
サトル 04
 決して広くない会議室に、十数人の記者がひしめき合う。つい先日校了したばかりであるというのに、また次のネタ出しが求められている。しかも、今回は月末に組む特集記事についてである。
 昨今の記者はただ事件の取材をすればいいというわけではない。昔はそれで良かったが、今はそれだけでは食べていけないのである。他のインターネットメディアに負けないよう、インパクトのある連載が求められている。だから、記者は警察の取材だけでなく過去の事件も追わなければいけない。正直、そこまで手が回る記者はほとんどいないだろう。だからこそ、本分である事件取材の方もままならないというわけだ。不景気というのは財布だけでなく、業務量の負担にも結びつく。しかも、そこまで苦労した特集がまた不評なのだ。特集の記事は、過去の未解決事件についての深掘りや社会問題と絡めた時事評論などである。だが、それらもアクセスが思ったより伸びていない。
過去の事件の深掘りで新しい情報が出てくることなんてほとんどないし、記者のやる社会評論なぞ面白いわけがない。こういうのは年を取った記者の最後の花道仕事のようなものだ。
 今回の会議も湿っているのか、とても面白そうな企画が飛んでこない。こういうのが得意なのは週刊誌だが、悲しいかな週刊誌のノウハウがある記者はここにいない。サトルだって週刊誌出身とはいえ、そのノウハウを十分に学ぶ前にカントーへ栄転となったのだ。面白いネタの抜き方など、わかるわけがない。そもそも事件報道を目当てに読む読者なんてほとんどいない。それなのに面白いことを書いて読者を引き寄せろなんて難しいにもほどがある。
 記者がタバコを吸いたがるのもわかる。こんなに毎週ストレスの溜まる環境にいたら胃が荒れて口がまずくなるだろう。サトルも内ポケットに入っているのど飴を放り込みたかったが、ハナオカが時折こっちに視線を送ってくるせいでそれもできなかった。仕方がないので、代わりにミツキの発言に耳を通した。どうも、ミツキはインターネット犯罪についての調査を進めたいと言っているようだ。
それについての二、三の質問。そして、自分の番だが、軽く質問されてすぐに流される。まるで元から採用する気はないと言わんばかりに。まあ、仕方がないとサトルは肩をすくめた。他の取材にかかりきりで、こっちの記事までかける時間はなかったのだ。
 他の記者が提案する記事もそんな感じだ。ビーダルの生態に関する記事から、コンテストの会場が移設したことによる不動産の急落など。そのほかには、ジムトレーナーが引退した後の収入減や貧困問題について。
 不動産について、うちの会社は書けないなとサトルは踏んでいた。サトルが勤めるトレーナー新報は、不動産収益で売り上げのかなりを賄っている。わざわざ会社の窮状を知らしめるわけがない。ビーダルの生態もハナオカの好みではないので取り上げられないだろう。ジムトレーナーはなおさら、ハナオカにとって嫌いな存在であろう。常日頃から落ちぶれたジムトレーナーを負け犬と吹聴しているのだ。この企画が通るとは思わない。そう、この会議は結局忖度と社内政治の結果で決まるのだ。ハナオカがデスクをする前はもっとマシだったとは聞いたことがあるが。そんなことを考えながらペンを回していると、ふと声が耳元に飛び込んできた。
「レッドという少年が、各地のジムを制覇して回っているらしいです」
 サトルははっとそちらの方を見る。サトルはその名前をよく知っている。レッド──今、ジムを凄い勢いで踏破している少年トレーナーである。しかし、それの何を取材するのだろう。
「オーキド博士という世界的な権威が盾なんだから、取材したら睨まれるのはうちだよ。こういうのは触らない方がいいんだってば」
 ハナオカは突き放すように言うと、まだ話そうとしている記者をじろっと睨んだ。睨まれた記者は萎縮したようにメモ帳を閉じる。
 結局、大して面白くもない記事が通った。記事が採用された記者がハナオカに軽く会釈しているあたり、きっと裏から融通してもらったのだろう。その代わりに、ハナオカの派閥に入るというような社内政治なのだろう。下らない、とサトルは憤りのため息を吐いた。じっとしていると、またハナオカに絡まれるかもしれない。サトルは他の記者には目もくれず、鞄に乱暴に荷物を放り込んで椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がったが、自分の目の前にはもうハナオカがいた。しまった、とサトルは心の中で毒づいた。一刻も早く出ようとしたのが、逆に目についたのだろう。サトルは作り笑いを浮かべると、軽く会釈して脇を抜けようとしたが、ぎゅっと腕を掴まれた。
「この前の代休、君はどこにいたのかな?」
 ハナオカの声には纏わりつくようなねちっこさがあった。
「どこって」
 どこでもいいでしょう。そう言いたかったが、最後の部分は声に出ない。そう言うと面倒なことになるとサトルは知っていた。
「ろくな記事も上げていないのに、遊び歩くのは上手みたいだ」
 バレている、とほおに血が上る感触を覚えた。カントーリーグを見に行ったことが知られている。どれは全く悪いことではないはずなのに、ハナオカの声はまるで罪人を問い詰めるかのようだった。
「君にはうちでじっくりと仕事をしてもらおう」
 ハナオカはそう言うと、サトルの胸元を強く押して部屋を出る。残されたサトルはその後ろ姿を睨むことしかできなかった。





 ──こんなところにいて、何になるんだ。
 休憩室に入ると近くにあるゴミ箱を蹴り飛ばした。ばあん、という金属の響く音とともに鈍い足の痛みが走る。やべ、と周囲を見渡したが、幸いにも自分以外には誰もいなかった。苛立ちが多少紛れる代わりに嫌悪感が湧いてきた。感情に流されやすいのは自分の悪い癖だ。それでいて、感情の赴くままに怒ることもできない保身的なところ。自分がトレーナーとして大成しなかった理由が詰まっている。わかってはいるが、なかなか治すことはできなかった。
 サトルはずっとポケモンリーグ部に異動することを希望している。トレーナー新報のポケモンリーグ部は、リーグの上層部と懇意で深いところまで取材できると聞いている。さらに、自分と同じようにプロトレーナーを目指していた人も多くいるのだ。
 だが、なぜか自分は社会部に配属された。普通であれば大抜擢ではあるが、サトルには不満と不信が残っている。せめて他の部署ならば──例えばセキエイ地方の取材部ならば、部は違っていてもポケモンリーグ部の記者と話すことはできただろう。だが、自分が来たのはタマムシシティの本社である。そこには自分のような、トレーナー上がりの人などいない。
 人事の方針がどう考えてもおかしい。もともと、自分はナナカラという地方でリーグトレーナーの取材をやっていた。それなのに、いきなり畑違いの社会部に放り込まれたのだ。当然、人脈もなければ取材のノウハウもない。しかも、周囲はハナオカに目を付けられないようにしているのか、自分に対する態度もどこかよそよそしい。仕方なく、サトルはサトルなりの方法で取材しているのだが、それは何かとハナオカに嫌味をつけられる。パワハラがひどいとは噂には聞いていたが、とりわけ自分には当たりが強いのだ。
 しかし、どうして? 自分とハナオカには、この会社に入るまでほとんど経歴も被っていない。それなのに、初対面のころから強い憎しみのようなものを感じている。性格的に反りが合わない、ハナオカの態度がもともと理不尽であることを考慮に入れてもおかしい。嫌っているのならば、社会部から追い出せばいいのだろう。だが、そうもしない。いくらハナオカが会社で幅を利かせているとはいえ、入ってまだ日の浅い社員を社会部という会社の花形で飼い殺しにしていたら、お偉いさんから睨まれる可能性だってあるだろうに。
 サトルは乱暴に内ポケットから飴を取り出すと、ばりとそれを噛んだ。不快さを紛らわせようとしたのだが、モモンの甘みが口内をベタついて余計に不愉快なだけだ。それでも、段々と苛立ちは収まっていく。イライラしていてもしかたない。ともかく、今は仕事を進めよう。サトルはポケットからスマホロトムを取り出し、画面を何度かタップした。
「ランス」
 サトルは緑色の冷たい目をした男の写真を見つめる。「ヤドン密猟事件」の被疑者として取り調べられたが、証拠不十分で釈放されている。この事件の取り扱いは決して大きくない。せいぜいチンピラが、ヤドンの尻尾を切ってあぶく銭に変えていたという疑いだ。褒められた行為ではないものの、世間ではよくある犯罪と受け止められている。ヤドンが殺されているのならまだしも、尻尾を切られたらまた生えてくるのだ。
 しかし、おかしいのは「証拠不十分で釈放」という記述である。調べたところ、拘留されていた時間も非常に短い。被疑者に対する取り調べとしてはかなり甘かった。だが、とサトルの考えはここで一歩前に進む。警察というのは犯罪者を徹底して追い詰めるような集団だ。カントーの清潔過ぎるくらいに平和な社会では、そのような警察の姿勢がある。パトロールに巡回して治安を守るにこやかなジュンサーさんも、一皮剥いだら犯罪者を追い詰める苛烈な本性が見える。ちょっと怪しいと感じたら平気で法の解釈ギリギリのところを攻めるのが警察なのだ。そんな集団が、あれほどに危険に見える男をみすみす見逃すのか? しかも、汚点になるような誤認逮捕をそうそうやらかすのだろうか?
 ランスを初めて見たときに湧いた嫌な感じは拭えない。むしろ、調べれば調べるほど強固になっていくぐらいだ。本当に、こいつらは単なるチンピラの群れなのだろうか?
 この考えとをサトルは知られたくなかった。もしも、サトルの見立てが正しくてランスを調べるために捜査班を組まれたら、自分の手柄の割合は小さくなるだろう。だけど、自分の考えがもし間違っていたら。
 ここまで考えてサトルは首を振る。記者なんてガセネタ掴まされてなんぼの商売だ。ガセならガセで別のネタを探せばいい。
 そして、もう一人注目するべき人物がいる。その写真は隠し撮りされたもののためか、粒子が粗く表情が見えない。わかるのは赤い帽子をかぶっていて、肩にピカチュウを乗せているということ。
「レッド」
 サトルはその名前を呟くと、ぐっとその写真を握りしめた。

竜王 ( 2022/01/23(日) 17:57 )