第六章
クレセリア、復活
 ダークライの攻撃によって発生した自分の血のにおいが鼻孔を刺激し、不快感を伴わせた。別の異臭もする。言うまでもないことであるが、ダークライのどくづき≠ノ使われた毒である。何の成分かは不明だが、血液と同様に好意的なものではないのはたしかだった。
 ときおり耳鳴りがした。これは相当にがたがきている証拠だ。身体のさまざまなところで状態異常の知らせが届いているのは、波導の残量が冗談ぬきで少ないことを意味しているのだ。こうなると生命力もあやうい。
 『中途半端に生き残ろうとするからそうなるのだ。あのとき、我が差しのべた救いの手をとっておれば、貴様だけは生かしてやろうと思っていたのに』
 「……お前のひまつぶしのために生かされるなんて、まっぴらごめんだ」
 『互角の敵手でありたいと思ったゆえの判断なのだぞ。ありがたいと思わないのか』
 「将来に煌良(かのじょ)たちがいない世界をむかえるなんて、オレはいやだ」
 『……何故そこまであの人間たちの存続にこだわる』
 「……っ!?」
 どばっと口から血がたくさんあふれ出た。毒が順調に全身を駆けめぐっているらしい。
 『あの者たちと貴様は別れたらそれきりの関係であるはず。なのに、生命(いのち)のつづくかぎり、貴様はあの者たちを必死に護ろうとする。何がねらいなんだ』
 「……だから何もわかってねえっていったんだ」
 血の交じった唾を吐き捨て、龍星はゆっくり立ちあがった。並列した3つのひっかき傷からは依然と血が流れ出ている。
 「いいか、お前らを除いたポケモンと人間には寿命がある。くたばる時期がちがうってだけで死に直面するのは同じだ。いずれ死ぬんだよ、オレたちは」
 『…………』
 「ところが不死の存在ってのはその辺が麻痺してんのか、他の存在の生命を断たせることに躊躇しないみてえだな」
 『殺したのは月精術(ムーン・フォース)≠もつ人間だけだ。他の者にはいっさい関与していない』
 「馬鹿野郎!!」
 『な、何っ!?』
 ただでさえ弱っているというのに、闇黒天国(ダーク・ホール)≠サのものを滅しかねないような声量で怒鳴り、ダークライを怯ませた。
 「お前、自分に関わりのある者だけを亡き者にすれば罪業が浅くてすむだなんて思っていやしねえだろうな…………?」
 『ち、ちがうのか…………?』
 ダークライの声が(ふる)えている。戦意が喪失しはじめていた。が、龍星の声の震えがそれ以上に大きかった。左右の拳は握りすぎて掌に爪が喰い込み、ひとしずくの血が垂れた。
 「不死ゆえの罪か、それとも…………!!」
 『?!』
 龍星は腰を落とし、右の拳を返して手前に引いた。
 「これでおしまいだ」
 『何をっ!?』
 「龍鼓震導波(りゅうこしんどうは)=I!」
 龍星は、最初の一撃を当てたときと同じ部分に正拳突きを放った。ダークライを中心にして大気の波紋が拡がった。
 『……………………!!?』
 アニメーションや漫画では目玉が飛び出るような衝撃なのであろうが、実際は眼球が充血して赤くなるていどで、ダークライは龍星の渾身の一撃により強烈な脱力感を覚えた。「月」の名をもつ人間の月精術(ムーン・フォース)、まさにいまが瀕死状態であるこの家族、そしてクレセリアからかっ(さら)った…………!!
 「みかづきのはね=v
 『き、貴様、どうしてみかづきのはね≠フことを…………!?』
 ダークライの問いには答えず、龍星はどこかにいるであろうクレセリアを呼んでみた。すると至近距離に光球があらわれた。明滅していたのは、龍星と同様に力が底をつきそうだからだった。
 「何枚むしり取られたか知らないが、とりあえず1枚は取りもどした」
 『……あなたには感謝したくてもし切れないでしょう』
 「1枚でいいのか」
 『充分です。さあ、それを私に』
 龍星はクレセリアにみかづきのはね≠返した。光の中に吸い込まれていくと、光球よりひろい範囲の光が発生した。龍星はとっさに腕で視界を遮る。
 『天ノ川龍星さん』
 名前を呼ばれた。しかも、フルネームでの呼び捨てから敬称づけに変わった。ゆっくり腕を下げ、目を開ける。そこで、薄いピンクのベールのような光の翼を羽ばたかせたポケモンが女性的な微笑を浮かべていた。
 『天ノ川龍星さん。あなたは私たちの恩人です』
 「そういわれて悪い気はしないが、相方のやらかしたことにあんたまでが目を逸らしてくれるなよ」
 『もちろんです』
 自信と尊敬と感謝に満ちた月の光が温かく感じられる。ひとかけらの力をもてば再生能力は発揮できるようだ。薄ピンク色の3枚の翼に濃淡がつけられ、光の度合でより美しく映えていく。
 「それはそうと、あんたの力で煌良さんたちを助けられないか」
 『…………残念ですが、それは叶えられません』
 「何……だと……!?」
 『私たちにはない感覚ですので何ともいえませんが、もっともすばやく死期を悟るのは死にゆく者なのだそうです』
 そんなわかりきった返答がほしかったのではない。煌良(かのじょ)と、秘輝と、螢。この3人の喜んだ顔が見たかった。ただそれだけなのに。
 「…………龍星……くん…………」
 「秘輝さん!?」
 かすかに聞こえた秘輝の呼び声に気づき、龍星は足早に秘輝(かれ)のもとへと急行する。
 「いっしょに帰ろうといわれて、本当に、うれしかった…………」
 「そうです!! いっしょに、もとの――現実の世界にもどりましょう!!」
 「…………だが、きみの申し出は、断らないといけない…………」
 「そんなっ!! どうして煌良(むすめ)のために生きようとしない!!」
 無茶苦茶なことをいっているのはわかっている。が、人でもポケモンでも目の前で死なれるのはいやだった。腹部の出血はおさまったが、全身から汗が噴き出し、両瞳からは涙がこぼれた。
 「自分だけが楽になろうだなんて赦さない!! 残された人々(オレたち)の気持ちを考えずに死をえらぶなんて!!」
 『およしなさい』
 「!?」
 静かだが落ちつきはらったクレセリアの制止する声が、「あんたはそれでも煌良の親なのか!!」という悲痛の叫びを喉もとにつっかえさせた。叱責を許されなくなった龍星は肩で息をし、両手を足場に突いて、大粒の涙を流していく。
 『秘輝(かれ)煌良(あのこ)のためによく頑張りました。そばにいない間はリオルに任せ、いるときはできるかぎり煌良(あのこ)とともに在る努力を怠りませんでした』
 「……………………!!」
 『これ以上の超過勤務(しごと)をさせてはなりません。させたら、この私があなたを赦しません。
 納得がいかないというのなら、あなたが、煌良(あのこ)を、護ればよろしいではありませんか』
 「…………オレが?」
 『そうです。少なくとも、煌良(あのこ)はあなたが思っている以上にあなたのことを慕っておりますし、信頼もしています。その上、自分のことを生命(いのち)懸けで護ってくれた男性(ひと)を好きにならないはずがないでしょう』
 「……………………」
 要するに、自分の意識の範囲外で超重大な責任をとらなければならぬ方に、事がひとり歩きをしていたことになる。
 煌良(かのじょ)とともに在ることは、龍星にとって、苦にはならないだろう。しかし、つながりがあるとはいえ、たったひとりの娘を育てた両親(かれら)の側からすれば、無条件の信頼を自分に向け託したのだから、やはり過重の責任(プレッシャー)に遭うのは確実なわけで。
 『そのうちにわかることですから、これ以上のことは申しあげませんが、あなたのことをいちばんに想ってくれる女性(ひと)に背信行為をはたらくことが、あなたにはできると思いますか?』
 「できるわけねえだろう」
 即答。クレセリアの瞳が一瞬丸くなるが、すぐに細めて微笑んだ。
 龍星の瞳に涙はない。
 「ここに来る前から願いは聞いているし、いまさらキャンセルする気なんてない。しようとしたって両親(かれら)が聞かないだろうしな」
 そういって龍星は秘輝のほうを向く。秘輝は顔を上げて、にっと歯を見せていた。
 「螢さんは…………」
 目も口も閉じ、臍下丹田に両手をそえて空中で眠る煌良の母親を見、龍星はやるせない気持ちになった。
 『彼女の蘇生は不可能です。安らかに眠れるよう祈るしかありません…………』
 本当はクレセリアも悔しいのかもしれない。月精術(ムーン・フォース)≠預け、ともに夜の安穏を護ってきた同胞の死を甘受するなど耐えがたいことであるにちがいなかった。
 「螢…………!!」
 同じ空間にいたというのに、己の力不足が災いして近くにいてやることができなかった。秘輝は無念の涙を流した。
 『我は…………』
 ようやくダークライの口が開いた。
 『我は、大いなる過ちを犯したのか…………?』
 奪い取った力をなくし、ただの新月の守護者にもどったダークライは、まるで自分こそが悪夢にうなされていたかのような譫言(うわごと)をいった。
 「……長齢の割には経験値が低すぎる守護者さまに一言くれてやる」
 『!』
 ダークライは胸ぐら――なのかどうかもわからないが、顎と同化しているであろうその部分を龍星につかまれ、猛り狂った波導の瞳でにらまれた。
 「生命も力も、なくなったら二度と還ってこない!! 二度と、だ!!」
 『ひいっ!』
 「金輪際それらを粗末にあつかうな!! わかったな!?」
 『は、はいいいいいいっ!!』
 できの悪い夢があって、悪党になり切れない小悪党がいて、それらに付き合わされた運の悪い者たちもいて。まったく、いったい何だったんだ!
 「おまけに趣味の悪い空間とネーミングセンスときた。何だよ、闇黒天国(ダーク・ホール)≠チて」
 それがダークライ専用の技であったことは後日に判明するのだが、締まりも後味も悪い戦いの終結を迎えた龍星はしばらく苛立ちを抑えられそうになかった。
 『天ノ川龍星さん、これを煌良(あのこ)に』
 深呼吸でもして怒りをなだめようとした龍星に、クレセリアが光る羽根を差し出してきた。それは先ほど返したばかりのみかづきのはね≠セった。
 『まだ終わってはいないのです』
 「……そうか。これで煌良さんを解放させないといけないのか」
 童話のみかづきのはね≠フとおりになぞっていけば、煌良(かのじょ)は目覚める。
 だが、これから紡がれる現実(ストーリー)は童話の終盤とは決定的なちがいがある。煌良(かのじょ)を迎えてくれる両親がいないことだった。
 「私たちでは、無理だ…………。だから、きみが…………!」
 「…………はい」
 『その前に毒の治療をすませてしまいましょう』
 クレセリアは短い手で龍星の腹部にねらいをさだめ、黄金と白銀を混合させた月の光を浴びせた。みるみるうちに傷口が癒え、身体の一部の麻痺が消えてなくなった気がした。
 「ありがとう」
 『いいえ』
 「…………」
 『…………』
 ダークライの萎縮ぶりは異様な光景であった。かつて7つの大罪の過半を掌握した者とは思えぬ変貌を遂げ、龍星は反応に困った。さいわい立ち位置が離れていたからよかったものの、ダークライがクレセリアの後ろに隠れてこちらのようすを窺うような真似をしてきたあかつきには、頭痛に悩まされる日々をしばらく過ごしてしまいそうだった。
 そこへ、磔のごとく縦に浮いていたベッドが龍星の前にやってきた。そして垂直に折れた。
 「…………」
 『…………』
 口では何も言おうとはしないが、クレセリアにばかり尻拭いをさせるわけにはいかないと思ったのだろう。この空間で自分の思いどおりにできるのは奴≠オかいないのだから。
 「ありがとな」
 『…………!』
 自分は蔑まれて当然のおこないをしたのだ。どのような報いを受けてもしかたのないことだと思っていた。だが、何故あの者は謝礼をいったのだ。何故なんだ。
 ダークライの内心での疑惑の霧が晴れるのはずっと先だった。
 頭から足までぼろぼろの様相の龍星は、黒い雷のバリアーのなくなったベッドから煌良を抱きかかえた。制服の汚れが煌良の清潔な装いにつかぬようにしたかったが、どうやっても龍星の腹部と煌良の左腰が重なった。
 「龍星くん…………」
 秘輝がか細い声で呼んだ。
 「はい?」
 「目覚めたら、また会おう…………!」
 「はい!」
 身動きできぬ煌良の両親と、クレセリアと、ダークライが、闇黒天国(ダーク・ホール)≠ニ現実世界の狭間(とびら)まで送ってくれた。
 『本当にありがとうございました』
 「大丈夫だ。気にしないでくれ」
 龍星は最後の波導を両足に灯した。
 「あと…………」
 『?』
 クレセリアとダークライが不思議そうな表情で龍星の言葉のつづきを待つ。
 「もう莫迦なことを考えるのはよせ。オレはお前たちの存在そのものを莫迦だとは思わないし、不死の苦悩はいまでもよくわからない。わからないものを考えるより、わかっていることを忠実に突きとめていったほうがいいんじゃないかな」
 『!』
 「言いたかったことはそれだけだ」
 龍星はそのままそこからジャンプし、荒れ果てた新月島の奥地へと降下していった。
 『クレセリア』
 弱々しくなったダークライが呼びかける。臆病と小心を合わせたらこのような態度になるのだろう。クレセリアは上品なふるまいでダークライのほうに振り向いた。
 『我は、取り返しのつかないことをしてしまった』
 『はい』
 『我は、これからどうしていけばいいのだろう…………』
 悪さがすぎた。罪は認めた。だが、どうすれば償いになるのか。ダークライにはわからないことだらけだった。
 道をはずしすぎた者はより脱線するか、生命(いのち)を断つか、どちらかをえらぶしかない。我は人間のおこないをここで見てきた。
 我は死ねない。でも我は…………!
 『死にたいのですか』
 『!』
 『あなたは正気を取り戻しても、あの方の声≠ェ聞こえないのですか』
 『…………』
 そんなことはない。といえるはずもなかった。あの人間のいうとおり、自分はそのあたりの感覚が麻痺しているらしかった。
 『粗末にしてはならない生命や力。その中にあなたもふくまれているのです。あの方は私たちの存在そのものを莫迦にすることはなかったけれど、私たちが莫迦なことをした事実を徹底的に批判しました。ともに生きる仲間が大それたことをすれば怒るのは当然である、と』
 『仲間…………』
 『そう。あなたは一方的に彼のことを敵視していましたが、彼もいっていたように、あなたの暴走を止めるために馳せ参じたのであって、あなたを本気で斃す気などなかったのです』
 『ならば、我は根本的に間違っていただけではないか…………』
 こういうとき、外野はたいてい、「最初からずっとそういっていたじゃねえか!」と憤慨するものだ。そこへ追い打ちをかけるように、「お前は何を聞いていたんだ!」と罵倒する者もいる。
 しかし、それらの声≠フ意味(おもい)を理解するのは当人の課題なのであって、いくら外野がぎゃあぎゃあ騒ぎ立てたところで何の解決にもなりはしない。結局、その真実と向き合わないといけないのは当人だけなのだ。
 ダークライは真実の山を登り切った。あとは永い下山が待っている。
 『私たちは死なない存在です。死なないからこそ無限の苦悩に苛まれます。苦悩をなくすことは私にもできません。
 ただし、その流れを一時的に断つことはできます』
 『…………どのようにして?』
 『あの方と戦えばいいのです』
 何をいうかと思えば、あの者と拳を交わせばいいだと? 暴走状態の我と思考の終着点が同じではないか。ダークライは下唇――その部分は赤いところでよいのか、ともかくそのあたりを突き出してみせた。
 『拗ねることはありませんよ』
 『我は貴様の考えが理解できん』
 『どのようにお招きするかはあなたが考えていただくとして、何者の力もえていない丸裸のあなた自身が挑めばよいのではありませんか』
 『……………………』
 丸裸の自分自身。それは、等身大(ありのまま)の自分を受けいれよ、と、そういうことなのだろうか。
 『あなたはあなた自身を信じられなかったから、他者の生命や力を奪って強化に励んだのでしょう。でも自分を信じられないというのは、同時に自分自身を見縊(みくび)っていることにもなります』
 『見縊っていた…………?』
 クレセリアが闇黒天国(ダーク・ホール)≠フ穴をふさごうとしているのを見て、ダークライもそれにならう。
 『この闇黒天国(ダーク・ホール)≠ヘ、あなたの生来(せいらい)の技なのだと見受けます』
 『我の……技……?』
 『あなたはまだあなた自身を識らないのです。私もあなたのすべてを識りません。いっしょに未知の世界へ歩んでみませんか』
 『クレセリア…………!』
 ダークライは真黒の手を差し出そうとして、引っ込めた。自分の手は血で汚れているのだ。いや、みずからの意志で汚してきたのだ。罪悪にまみれた手を握らせてはならない。
 『いいのですよ、ダークライ』
 なんとクレセリアは左右の手でダークライの右手をぎゅっと握ってきた!
 『ク、クレセリアっ!?』
 『いいのですよ。あなたにはまだ良心があった。やり直せるはずです』
 『クレセリア…………! ありがたい…………!!』
 度重なる過去(つみ)は消えない。忘れてはならない。けれど、それに見合う分の償いをすればいい。クレセリアのやさしさにふれ、ダークライは目頭が急に熱くなった。悔恨(かいこん)か、悦喜(えっき)か、どちらともとれる涙が流れた。
 「…………煌良…………」
 独語(ひとりごと)か、譫言か、地に這いつくばったまま、月城秘輝が愛娘の名をつぶやいた。そのときの表情(かお)は晴れた青空のように澄み渡っていた。

野村煌星 ( 2015/04/01(水) 18:52 )