ナイトメア
夢の世界であれば時間や季節などの操作も容易に行なうことができるというわけか。たったいまいた場所も、はたして現実の世界だったかどうかも疑わしいが、ここはもっとそれっぽくなくなっていた。
「よりによってオレん家かよ」
非番の日でもないかぎり、真昼に自宅の
居間でぼんやりと過ごすことはない。薄型のプラズマテレビとクリーム色のソファーが相対して置かれ、そばには木彫りのリングマ≠ニ化したピアノがある。龍星の姉・明美がときどき音色を奏でていたのだが、家を出てしまってからカバーが開かれることはなくなった。龍星は弾かないので処分しようと思えばできた。
ふと視線を別の方向にずらすと、南側の窓辺ですらりとした女性が背を向けて立っていたことに、龍星は気づいた。実姉もモデルのような
体型をしているので、一瞬そうかと思ったが、それにしては
華奢すぎる気がした。それにヘアーカラーも桃色ではなく、空色だ。
「煌良……さん……?」
夢の世界なのだから自宅内に別人がいてもおかしくはないはずであった。しかし、その冷静さが失われつつあった。すでに意識している状態で家の中に現れれば興奮気味になってしまうであろう。この過度ともいえる動揺ぶりは、現実であろうと夢であろうと関係がなかった。
「どうしてわたしたちを殺したの?」
「えっ…………!?」
こちらに振り向きもせずに、夢の中の月城煌良が小さく、しかし殺気立った声で語りかけてきた。突然の
謂れなき
批難に龍星はとまどいを隠せなかった。
「わたしたち家族とクレセリアとダークライを救うと
言葉では言っておきながら、誰ひとりとして救うことができなかった! あなたは、ヒロイズムに侵されたただの偽善者よ!」
そうか。いま
自分がたいせつに想っている人の魂を借りているのか。声と姿は本物で、中身は
偽者で。まったく夢の世界というのは本当にばかげている!
幻想世界の煌良が身体ごとこちらに向いた。両瞳に涙をためている。
彼女が本物であったら何も言えずにいたであろう。が、しょせん幻にすぎぬのだ。大根役者の出る幕ではない。
「本物の
煌良はクレセリアもダークライも知らないはずだが?」
「わたしはそのダークライの手によってあのような空間に閉じ込められていたのよ!? そこでクレセリアというポケモンがいることも知った!! あなたが知らなかっただけよ!!」
そうきたか。時間差をもちいた
詭計はときに説得力を高められるものであるらしい。
「そいつは悪かった」
「何そのいいかげんな謝罪のしかた!! 全然反省の色が見られないわ!!」
「それじゃどうすれば赦してくれるんだ」
「赦す? あなたは赦されると思っているの?」
言葉で
嬲るのはよそうとかいったくせに、糾弾する側は権利が
擁護されるのか。自分ルールのアバウトさは折り紙つきだった。
「あなたはわたしたちを殺したのよ。その事実を受けいれなさい」
赤の他人同然であった自分を快く受けいれてくれた
煌良からは縁遠い命令口調で要求をつきつけられ、龍星はひとまず黙り込んだ。
どうしても己の行動に正当性をもたせたいようだ。
殺戮はよくないと、
煌良の姿と声でいう反面、己の
罪業には目を
瞑る。不死である存在には
生命の重みがわからないのだろうか。
「あなたが現実逃避さえしなければわたしたちは救われたかもしれない。でも、あなたは見事に期待を裏切った。あなたはわたしたちを救いたかったんじゃない。救おうとしたあなた自身を賛美して、あなたの矜持を絶対のものにしたかっただけよ。もはや救いでもなんでもないわ」
あくまでも
自分が殺したこと前提で話を進めたいらしい。つまりこちらの言い分を真剣に聴く気はないわけだ。
自分の知っている
煌良ではないことがまるわかりだ。
「さあ、わたしたちのやるせない気持ちといっしょに事実を受けいれなさい! それがあなたに残されたゆいいつの選択肢なのだから!」
「断る」
「なっ、断ることなんてできないわ!! なんて身勝手な
人間なの!!」
「断る」
2回いったからか、今度は煌良の魂を無断借用したダークライが口を
噤んだ。空色のセミロングヘアーが揺れたのは窓の外からの風によってではなく、どすを利かせた声色から感じとった悪寒によるものだろう。
「オレは人もポケモンも殺したことはないし、これからも斃す気はない。お前は殺した殺したと
慶ぶようにいうが、身に憶えのねえ話を延々と聴かされるってのは正直つらい」
「……あなたの記憶なんてどうでもいいの。わたしたちが殺したというのだから、あなたは黙って聞きとめればいいのよ。そんなこともわからないの?」
「頭ごなしにいう奴の気持ちがわかってたまるかよ」
「……本当に莫迦ね。せっかくあなたにチャンスをあたえてあげたというのに、それすらも蹴散らすなんて」
「そのチャンスをつかんで得するのはお前だけだしな」
「……おまけに可愛げのない
人間」
「本物の
煌良は可愛らしい人だが、中身が
性悪なお前には愛想を振りまいてやる気も起らねえよ」
このとき龍星はさらりと恥ずかしいことを言いのけたのだが、気づくのはもう少しあとになる。
「……ふふふふふ、あなたは――貴様は本当に我の思いどおりにならぬ者よな』
「
腹話術はやめたんだな」
龍星の遠回しな皮肉を無視し、煌良――もといダークライは頭部と両手から電撃を飛ばしてきた。
「うあっ!」
低周波マッサージをはるかに超える痺れが全身を襲い、龍星はその場に沈んだ。
「だからこそよけいにはらわたが煮えくり返る」
「で、でんげきは≠ゥ…………!」
「よかろう。ナイトメアは解いてやる」
ナイトメア。悪夢。いまのが悪夢だったというのか。だとしたらなんというできの悪い夢であったか。血反吐どころか冷汗すらかけていない始末だ。演者としてもシナリオライターとしてもたいした結果が残せないなんて、はじめから才能なんてなかったのではないか。
ダークライという作家の作品には、文章全体に起伏がない。最初から最後まで
主人公が
悪党にねちねちといびるだけである。作家はそれで満足するかもしれないが、読者は本を閉じるだけでなく、捨てるか売るかの選択をするにちがいない。
いずれにしても、公の場に身をおくのはいささか危険な存在であろう。権利ばかり主張して義務を果たさないような輩に世界の
理そのものになる許しをあたえられるほど、龍星は心が広くなかった。そもそも聖人君子でもないが、己のおこないひとつで周囲の反応がどう変わるかを考えてみようともせぬ者を野放しにしてはならないことくらいは心えている。
龍星の視界が
闇黒天国%ニ特の赤黒い血のような景色に戻った。
意識を失ったままの月城秘輝、黒い雷のバリアーに覆われたベッドの中で苦しそうに眠る娘の煌良、ダークライの背後で
金色の光を放ちながら空中にただよっている女性。あの
女性が
煌良の母親なのだろう。娘より小柄だが、顔つきやら雰囲気やらが
煌良の美しさの源であるかのようだった。
『見惚れている場合か』
「お前を見つめるよりはいい」
『……これが最後だ。決着をつけようではないか』
「オレからは手を出さないぞ」
『……それでもいい』
ダークライが突撃してきた。でんこうせっか≠ゥと思い、龍星は両足に波導をまとい、龍影身≠ナかわそうとした。が、
『イカサマ=x
「何っ!?」
ダークライがいままで引っ込めていた左肢を瞬時に出し、龍星の左足を引っかけて転ばした。受け身をとるには充分な高さであったが、だましうち≠フ親戚みたいな技を繰り出されてやや混乱気味な龍星は着地に失敗してしまった。そして仰向けの状態のまま、ダークライのシャドークロー≠腹部に負った。
「ぐあああっ!!」
『先の地上戦でのしかえしだ』
「川」の字のひっかき傷から血がにじみ出る。制服・身体ともに紅い痕ができ、名誉の負傷というには恰好の悪いものであった。
傷口を押さえ、応急処置をおこなおうとしたが、体内の波導が残り少ないことに気づいた。譲ってもらったとはいえ、ルナの分の波導ではもの足りなかったのだ。
『ふはははははっ! どうした、もう終わりかっ!』
「……くっ!」
とっさに転がって避ける。ダークライが3本指を握りしめた拳を振りおろしてきたからである。砂煙こそ舞いあがらなかったが、最高で数十メートルほどの亀裂が拳を打った地点から枝分かれした。本来なら無重力空間であるかもしれないのに足をつけられるということは、自分と本気で戦う場としてもうけているのであって、何もかもがでたらめなわけではなさそうだ。ただ大気に
罅がはいるのは自然の法則を超越していると思わざるをえなかった。
『避けて正解だ。まともにくらっていたら貴様の死は確実だったからな』
自分の楽しみが水泡に帰さずにすんだと喜んでいるのか。それとも、本気で心配してくれているのか。どちらも正しいようで前者が確実だろうと思った。
『では、これならどうだ』
ダークライは左手指3本を収縮させ、それをふたたび龍星の腹部に突っ込んだ。
「ぐ…………!?」
傷痕の上にさらなる傷痕。出血だけならまだしも、紫色の液体がダークライの指からしたたり落ち、二股三股と分かれて龍星の下半身を
汚していく。
「ぐああああああーーーーっ!?」
どくづき=Bこの攻撃により、龍星の生命力と波導はさらなる下降を進めていったのであった。