第六章
見えない世界
 午前0時43分。腕時計の文字盤にはそのように表示されているが、いまの龍星にはのんきに見やる余裕はなかった。数十メートル離れたところにいる(ダークライ)≠にらみつける。同じく、ダークライも龍星に怒りの形相を見せつけている。
 友人との楽しいひとときを過ごすと時間が短く感じられ、厄介なことに遭遇した際には長く感じられる。それらの感覚に意外性はない。
 龍星は、このとき、まだ奴≠フ美談(おしゃべり)に付き合っていたほうが楽だったなと思っていた。お互いがぶつかる理由や目的はともかく、自他ともに傷ついて悦ぶ者はごくわずかしかいないであろう。破滅願望や自殺志望でももたないかぎり、外道への悦楽を求めることはない。
 しかし、お互いが傷つかずに友好的に渡り合えるとは思っていなかった。美しいものは美しいといって減るものはないし、いやなものをいやといってはならぬ(ルール)があるわけでもない。意識があろうとなかろうと、他の存在を傷つけているし、何者かによって傷つけられてもいる俗世である。
 他者とのちがいを見つけて喜ぶか、傷つけるか。選択は当人しだいだが、傷つけるだけにとどまらず、その者の存在を亡くするというのであれば是が非でも抑えなければならない。それ以上に己の存在意義を周囲に知らしめる必要はない!
 しばらく両者の間で膠着状態がつづいた。どちらが先手を打つか。龍星の側からすれば無用な戦いを止めるために参上したのだから、こちらが手を出してしまっては本末転倒もいいところである。
 そんな龍星の心情に気づいたのか、ダークライが醜悪な笑みを浮かべながら嫌味を言う。
 『本当に貴様は何もしようとしないのだな』
 「好戦的な自分を想像したくないのでね。オレとしてはお前から仕掛けてきてくれたほうが都合がいいんだよ」
 『我の動きを封じるのに貴様が動じぬとは笑止なことよ。我はあの者たちがどうなってもかまわぬが、貴様はそういうわけにもいかぬであろう?』
 「…………」
 龍星はひとたび沈黙した。その反応を見、ダークライは嘲笑の交じった笑声をたてた。
 『ふはははははっ!! 貴様は存外無能であったな!! あの者たちを助けたいという思いのみで我の前にあらわれたものの、我が時間を稼いでいる間に、あの者たちは冥府の門に近づいていく!! なのに、貴様は先手を打とうとしないし、抵抗しようともしない!! 貴様はいったい何をしに来たのか、さっそく目的を見失ったか、口先だけで世界が変わるとでも思ったか!!』
 「…………お前はわからないのか?」
 よく見ると、龍星の瞳には怒りの炎がなく、憐憫の眼光が瞬いていた。怒りも呆れも通り越して可哀想に思うところまで達してしまったらしい。
 ダークライは予想外のリアクションに躊躇した。
 『な、何故そのような瞳を剥けるのだ!?』
 依然として龍星の瞳と態度は変わらない。変わっているのはダークライの精神と周囲の状況である。
 『貴様ら人間は100年も生きられぬ脆弱な身であるくせして、物知り顔で我らに説教を垂れようというのか!!』
 「老い先短えからいやでも応でも気づくんだよ。気の遠くなるような年月を過ごしていると思考も感覚も鈍るみてえだな」
 『だ、黙れ!! 貴様らなどに我らの何がわかるというのだ!!』
 そう喚くと、ダークライは闇黒の手2つに闇黒の光球を生み出した。シャドーボール≠セろうか。
 『貴様らは我らのような存在を理解しようともしなければ、認識しようともしなかったではないか!!』
 「たしかにそういう人はいる。だが、一括(ひとくくり)にされて迷惑に思う人もいる。人間は、お前が思っているような単純な存在(いきもの)じゃねえよ」
 ダークライは2つのシャドーボール≠同時に放った。途中で1つに合わさり、秒速10メートルの速度で接近してくる。
 対し、龍星も2つの波導弾≠ナ対抗した。明暗の光球が衝突する。拮抗し、その場で大爆発した。爆風で砂塵が巻き起こった。ポケモンバトルに参戦したポケモンの立場でいうなら、たつまき≠ニすなかけ≠同時にくらったような状況であるにちがいない。
 砂埃の舞った視界が徐々に晴れていく。げほげほと咳き込んでいた龍星は、第二波がやってくるのを第六感で察知した。直前で大きく跳びあがる。と、シャドーボール≠ニ似て黒々としたオーラが扇状に展開されたのがわかった。いまの技はあくのはどう≠ナあろう。
 属性(タイプ)が何なのかはわからないが、主力級の技を早々と使うあたり、どちらかであるのは間違いない。手の内のカードを見せるのが速いなと思ったが、何か考えがあっての行動なのか、たんなる計算ミスなのか。
 事が勃発してからまだ10分もかかっていない。龍星はダークライの性格や精神年齢を考慮した末、小悪党タイプだと結論づけている。駆け込んで訴える必要はないのだが、裏表がはっきりとしている者をわざわざさまざまな角度から捉えて推測しようとは思わない。こういうときは深く考えないほうがいいのだ。
 龍星は上体を屈めて前宙を連続的におこなった。縦に回転する龍星の身体に勢いがついていく。
 『チャージビーム=x
 そこで一条の光線が龍星の動きを停止させた。「うわっ!」と悲鳴をあげ、龍星は麻酔銃で狙撃された鳥ポケモンのごとく墜落し、仰向けになるように背中から地面にたたきつけられた。
 『貴様には学習能力がないのか。なぜ空中に逃げる。なぜその場で防ごうとせぬ』
 「……それを教えてやる義理もない」
 ゆっくりと上体を起こし、龍星は背中の激痛をこらえて立ちあがった。つづいて、前方に左右の手をのばし括弧を描くように空を掻きはじめた。
 『空中での攻撃をあきらめたか』
 「動かなくていいのか」
 『それが攻撃の前段階であるのならな』
 「…………」
 龍星は空を掻くのをやめ、地面を蹴って突進した。右腕に炎を、左手には波導をまとっている。
 『フラッ=c………!?』
 「蒼天零封(そうてんれいふう)=v
 ダークライはフラッシュ≠ナ一時的に龍星の視力を奪おうとして、失敗した。周囲に異様な冷気を感じたのだ。見えざる濡れタオルをまとうかのような感覚がダークライを襲い、ふいにあらわれた氷の手錠と足枷をはめられた。身動きがとれない。
 「動かなくていいのか」
 龍星(ヤツ)の、あの不思議な動作は、本当に攻撃の前段階であったのか! 隙だらけだったにもかかわらず、己が隙を作ってしまうとは。このとき、ダークライが龍星であったら、「片腹痛い」と自分で自分に皮肉を言っていたであろう。しかし、ダークライはなんとかして氷の手錠と足枷をはずそうとする。
 「残念だったな」
 龍星の言葉(セリフ)を最後まで聞くことができずに、ダークライは炎属性(タイプ)のハンマーブローをくらった。氷が溶けて自由を回復したものの、ダメージが大きく、ダークライは左肩から背中にかけて打撃をくらわせた龍星によろめきかけた。が、すぐに突き放された。龍星の左拳によるアッパーカットで顎――といっていいのかわからないが、それらしい赤い部分を突きあげられたのである。
 『お、おのれ…………っ!!』
 今度はダークライが空中に逃げる番となった。もとより浮遊していられる身軽な身体であるので、逃げるという言いかたは誤っているのだが。
 『これなら貴様は逃げられまい!!』
 そうしてダークライは右手、左手の順に交差させ、あやしいかぜ≠巻き起こした。と同時に、両腕を突き出してあくのはどう≠斜め下に向けて撃ってきた。
 なるほど。こうなると、あとは海か地面に潜るしか攻撃を防ぐ手段はない。ただ自分はポケモンではないし、器用に穴を掘って地中を進んだりとかはできそうにない。海中に潜るのはいいが、ほぼすべての技の威力が半減してしまうし、身を守る術は皆無に等しかった。
 『ふはははははっ!! 死ねえええええーーーーっ!!』
 ダークライは、撃って、撃って、撃ちまくった。
 赤黒い闇黒の波動が地面に接触して連続的な爆発を起こしていく。龍星はその場を離れず、それに堂々と巻き込まれていった。周囲の木々は焼かれ、地上は数々のクレーターが生まれた。新月島を俯瞰してみると月面を見ているような錯覚に陥りそうになる。
 『我を止めるだと!? 莫迦も休み休みいえ!! そういうことは我の攻撃を見切ってからいうものだ!!』
 「ああ、そうすることにしよう」
 『な、何っ!?』
 龍星の声がダークライの真下から聞こえた。おそるおそる覗いてみる。と、そこでは制服が砂まみれになっただけのポケモンレンジャーがしたり顔で待っていた。
 『ノーダメージだと!? ば、莫迦なっ!?』
 「銀彗拳(ぎんすいけん)=v
 龍星はすでに片方の拳を突きあげていた。そこに波導が集中する。
 『そんなもの、回避してしまえば造作もない!!』
 ダークライは前に出て龍星の攻撃範囲から離れた。が、白く揺れる頭頂部に小さな波導の(つぶて)がいくつかあたって弾けた。
 『貴様、いったい何をした!?』
 「文句の多い奴だ。せめて攻撃を見切ってからいえ」
 いったばかりの雑言を跳ね返され、ダークライは恥ずかしさと怒りで血を上らせた。
 「力があり余っている割には使いこなせていない。慣れないことはするものじゃねえぜ」
 『我を愚弄するか!?』
 「このていどの挑発に引っかかるような奴が支配者気取りとは笑わせる」
 という挑発をさらに繰り出すと、ダークライは空中にいながら左右に開く扉を開けるような動きを見せた。先の龍星がしかけた蒼天零封≠ニは事情が異なり、本気で(りき)んでいるようだ。
 「今度はどんな茶番劇(こけおどし)を魅せてくれるのかな」
 『……我のとっておき≠セ。せいぜい苦しむがいい…………!』
 どう見ても苦しんでいるのは奴≠フほうであったが、それは言の葉に載せなかった。
 『ハアッ!!』
 どうやら扉が開いたらしい。ダークライは肩で息をしたまま中にはいっていった。そのとき、まがまがしい配色の亜空間がちらっと龍星を覗き見てきたような気がした。
 「奴≠ヘ気づいているのかねえ…………」
 龍星は跳躍し、飛び込み台からプールへ潜るようにダークライの亜空間の中にはいった。地面と呼べる足場はなかったが、重力圏内にはあるようで身体が宙に浮くような心配もなかった。
 『我が闇黒天国(ダーク・ホール)≠ノ、ようこそ』
 「招待を受けた覚えはないけどな」
 『貴様がどう思うかなど、我には関係のないことだ。それより貴様が会いたがっていた憐れなる仔羊たちがそこかしこにおる。最期の別れをすませておいたほうがよいのではないか?』
 仔羊たち。それは月城家の3人と、対等の守護者であるクレセリアをいっているのか。絶対的な力をもつ者にとって、他者の生命(いのち)ほど安いものはない。そう言いたげなダークライを一瞥したのち、龍星は足早に月城家の家長のもとへ近づいた。
 「助けに来ましたよ、秘輝さん」
 「…………龍星くん、か……!」
 「もうしばらくの辛抱です。奴≠止めたらいっしょに帰りましょう」
 「…………ああ、そうだな…………」
 精神体でいるのもごくわずかであるらしく、月城秘輝の右手や左脚が透けて見えた。
 「煌良は…………?」
 目を半分開けた状態で尋ねられ、龍星は這いつくばって倒れている秘輝とは逆の方角を向いた。そこにはベッドが空中に縦向きに浮遊しており、毛布に(くる)まれた煌良が顔だけをのぞかせて苦悶の表情を作っていた。まるで磔刑(たっけい)に遭う無罪の被告人である。
 「無事です」
 男でもわかるようなできの悪い気遣いをした龍星に感謝し、秘輝は意識を失った。
 『どこまでも愚かしい人間だ。いずれ死にゆく者どもを本気で救おうというのか』
 「オレはあきらめが悪いんだ。莫迦だの愚かだのと罵るのは勝手だが、他者の生命(いのち)を軽んじて弄ぶような莫迦(ヤツ)に莫迦呼ばわりされる筋合いはない」
 『弄んでなどおらぬわ。彼女らは我の中で永遠に生きつづけるのだから、勝手に殺さないでくれたまえ』
 「莫迦につける薬はない≠ニはいうが、筋金いりの莫迦だな、お前は」
 『……言葉(くち)(なぶ)るのはもうよそうではないか。貴様の頑固さに我は我慢がならない。この闇黒天国(ダーク・ホール)%烽ナ永遠(とわ)の眠りへと導いてやろう』
 ダークライの両瞳が妖しく2回光った。龍星は腕で遮ったつもりだったが、1回めの点滅にやられ、急激な脱力感に襲われた。
 「うっ……、くそ……っ!!」
 『闇黒世界(ダーク・ホール)≠ヘ我が領域であり、我の望む在りかたがもっともよく叶う空間(ところ)だ。貴様のような存在(にんげん)が容易に飛び込んでいけるような場所ではないし、ましてや波導(ちから)を発揮できるスペースでもない。迂闊であったな』
 両膝ががくっと折れて足場に突き、両瞳を閉じて両手を投げ出すように倒れた。
 『ここからが正念場(ほんばん)なのだ。貴様の波導(ちから)をゆめくい≠ナなくせば終わる。
 ……(いや)、はじまるのだ。我が永く思い描いていた理想(ゆめ)がな!』
 ダークライの理想(ゆめ)語りがはじまった頃、龍星は別世界の住人となっていた。逃げ道をあたえてくれたと感謝すればよいのか、よけいなことをしてくれやがったと怒りを露わにすればよいのか。いずれにせよ、もとの世界で意識を醒ます手立てを考えなければならなくなった。

野村煌星 ( 2015/03/30(月) 15:09 )