あの人はいま……(御三家ver.)
「アクアを探してきてくれ」というのは表向きで、実際は、「久しぶりに3匹そろったんだ。たまにはゆっくり戯れてきな」というニュアンスを込めていったのだろう。フレアは雷次の気遣いをありがたく思った。
サファリゾーンは広大だ。いちおう区域ごとに分けられてはいるものの、人間が1日でまわるのは無理があるほど広い。それにサファリゾーン専用の乗り物が常備されていないし、ホウエン地方では見かけないポケモンは奥のほうへ行かないと出現しない。代わりに入園料がなかったり取り放題だったりするので、心ゆくまで楽しむことはできる。
『お先に、フレアくん』
そういって、ウッドはこうどくいどう≠ナどんどんフレアとの差をつけていった。素足であの速度はさすがといったところだが、アクアがどこにいるのかわかっていて飛び出したのだろうか。
『まったく、ウッドの奴め……』
戦場から身を退いた者とそうでない者との相違は、このようなかたちで如実にあらわれる。「自分は自分、他人は他人」と割り切るタイプが前者、「競い合える相手がいるから自分は頑張れる」と
勝負魂に火をつけるタイプが後者。ウッドがライバル視するのは勝手だが、自分は勝ち負けの世界から遠ざかった身であるから、会うたびにけしかけられても迷惑なだけだった。
人間もポケモンも勝敗にこだわってばかりだ。そんなに自分が優位に立ちたいのか。
人間の言葉には、「勝てば官軍、負ければ賊軍」というものがあるらしい。道理に合わなくても勝てば正義で、道理に合っていても負ければ不正なものと見なされる。自己の正しさを証明するために殺し合いをするのかと思うとばかばかしいという気持ちが芽生えてくる。それではちがうこと=悪≠ニいう方程式を成り立たせることになる。自分と他者を
比較して、出た結果が異なるものとわかると、己の中に巣くう不安を
抹消するべく武器をとって…………!
ああ、
胸糞悪い! それがまかりとおってしまえば自分以外の存在は皆、敵だ。他者を心から信じることができず、つねに
猜疑の瞳を剥けて生活しなければいけなくなる。そんな生きかただけは
御免こうむりたい!
自分の育て親である龍星は、そのことを打ち明けたのちに別れ話を持ち出してきた。断る理由などなかった。信頼関係にある我らは
常日頃からともにいる必要はない。離れていても心はひとつなのだ。そのぐらいの距離間があればいい。
そしていま、自分は龍星の幼なじみ・熱江炎帝と、彼の
相棒・アクアの3者でグループを作り、サファリゾーンの警護にあたっている。交代制勤務なので、毎日通勤しているわけではないが、
分をわきまえない
人間などを追いはらう義務は徹底して行なっており、今日のサファリゾーンの平和は自分たちの手で保たれているのだった。
数分したのち、ウッドが苦笑いを作りながら接してきた。
『悪い。アクアはどこにいるかわかるか?』
やはり何も考えないで動いていた。おっちょこちょいなところはリーグチャンピオンの相棒となっても変わらなかったかと、フレアは呆れた
表情をした。
『ちょっと待て』
フレアは目を閉じて神経を集中させた。
『いいよな。お前も波導が使えるなんて』
ウッドの
羨望の言葉には答えず、アクアの居所を懸命に探す。仮に奥地で見つかったとしても、人間とちがい、園内をまわるのは
容易である。
『見つけた』
フレアがアクアの居場所を察知できたようだ。横目で見ていたウッドが口笛ならぬくさぶえ≠真似て吹いた。実際は
催眠効果があるので、
音色を聞かせたら意識を閉ざしてしまうおそれがあるからであった。
『ここから3キロ先の沼地にいる』
『よし、行こうぜ』
3キロていどなら5分で到達できるが、新月の夜というのは時間の流れがつかみにくくて期待できない。もちろん、月には何の悪意もない。
沼地はアクアのホームグラウンドであるし、自分たちが思うほどやわでない彼女は、多少遅れてもきゃあきゃあ騒ぐ
性質でもなかった。のんびりおっとりとした気性で、ウッドとのかけ合いをにこにこしながら見ているような仔だ。
『それじゃあ今度こそお先に、フレアくん』
くん&tけで呼べば紳士的に聞こえるとでも思っているのだろうか、と思うあたり、フレアもなかなかの皮肉屋といえるのであった。
こうそくいどう≠ナどんどん離していくウッドに追いつけられるよう、でんこうせっか≠ナフレアも瞬時の移動を開始した。ウッドの横にならぶと、『負けてたまるかよ!』といって少し距離を置いてきた。張り合う気はなく、フレアは一定の速度を保ったまま、ウッドのそばを縫うように駆けていく。
『お、本当にいた!』
『アクア!』
2匹の視線の先にぬかるみのある原野が見えてきた。さらに向こうには彼らが探していた
女友達が大きな岩に背をもたれて休んでいた。
『アクア、探したぞ』
『あいかわらずだな』
目の前に顔なじみが2匹も視界にはいってきて、アクアは
間延びした声で迎えた。
『フレアくんとウッドくんだ!』
『ああ』
『よっす!』
フレアとウッドとアクア。この3匹が顔を合わせたのはもう何年前のことであったろうか。少なくとも、フレアの育て親である龍星がポケモントレーナーを辞したときにはウッドとアクアから質問攻めにされたことを、フレアは
鮮明に憶えていた。
それから会う
頻度が少なくなり、フレアのことを互角の敵手だと思い込んでいたウッドは、再会するごとにフレアに
決闘状を送った。フレアが自分に振り向いてくれるように、過去に相互のトレーナーの指示のもとに動き戦っていた日に戻ることができるように、地道で永続的な駆け引きを欠かさずにおこなっているのであった。
『ウッドくん、元気だった?』
『モチのロンよ! おれはリーグチャンピオンの右腕だぜ!』
『そうだよねえ! 雷次さんの的確な指示があるおかげで、ウッドくんは切れのいい
勝負ができるんだもんね!』
『おうよ!』
属性の相性はよくないが、
性格の相性はぴったりのようで、ウッドとアクアの空気は心地よく循環している。その間に割ってはいるような
野暮な真似はしないが、育て親と似て
冷静沈着な性格になってしまったフレアは、気軽に接する器用さに欠けており、それを自然にこなせるウッドを羨ましく思うところがあった。
『フレアくんはほぼ毎日いっしょだもんね』
『まあな』
『おいおい、ほぼ毎日いっしょにいるのに受け答えがそれだけかよ』
『まあまあ、フレアくんは私よりも多くはたらいていて忙しいから、ちょっとそっけなくなっちゃうだけなんだよね』
『……すまない』
『不器用にも程があるだろうよ』
自分が不器用な気質であることは、ウッドにいわれるまでもなく、その自分がよく知っていた。多分に龍星からの影響であることもわかっていて、龍星のもとを離れて5年以上が経ったはずなのに、考えかたやしぐさがほとんど変わらぬと、アクアと炎帝に微笑まれたことが何度かあった。
なんだかんだいって苦楽をともにした仲間だ。好感をもった相手のようすをいつのまにか真似ていることは、人にもポケモンにもある。いっしょに旅をしていたのだし、そう簡単に心をひらいた相手のことを忘れられるはずもない。捨てたらそれまでだが、忘れてしまったのなら思い出せばいいだけのこと。龍星との日々をときどき思い出しては会いたくなる気がしないでもなかったフレアは、上空を見上げて月のあるほうを向いた。
『アクアはどうなんだ。フレアとはうまくいってんのか』
『ウッドくん、私はそんなにうるさくないほうだけど、場合によっては煙たがられるよ、その言いかた』
『はははっ、アクアにお
咎めを食らっちまった』
『フレアくんと組んでお仕事するようになってからだいぶ経ったけれど、私がちょっと疲れているときには代わってくれるし、私の話に長い間付き合ってくれるし、とてもやさしいんだよ』
『へえ、フレアがねえ……』
好奇の瞳というより嫉妬の瞳を感じたフレアは、腕組みをときつつ、ウッドを流し見て得意げな表情を見せてやった。
『いつでもオープンマインドなお前とはちがうんだよ』
『いつも静かにしている奴はむっつりちゃんって呼ばれるんだぜ』
フレアとウッドはアイコンタクトで火花を散らしたが、そんなふたりのやりとりを見て、
『やっぱりふたりは仲がいいよねえ』
と仲介役を引き受けずに、のんびりとした口調で言ってのけるのであった。
そのとき、満天の夜空の右上から左下へ星が流れた。『そんなんじゃない!』と、フレアとウッドが恥ずかしがって喚いたと同時に、である。
『あ、流れ星!』
『お、アクア、何か願い事は叶えたのか』
『ううん、お願いする前に流れちゃった』
『願い事か…………』
フレアが近くの木に身体を寄せながらつぶやくと、ウッドが、『お、お、お!?』といやらしさたっぷりの期待を込めた声を1音ずつ発してきた。
『何だよ』
『とぼけるなよ。アクアとうまくいきますように、って願っていたんだろう』
『お気楽な思考回路だな、お前のは』
フレアの発言を聞いて残念に思ったのは、ウッドだけではなかった。
『じゃあ何を願っていたんだよ』
『そもそも願ってすらいないよ。今夜は新月だから…………』
光の
環のような超自然的な輪郭線が夜空にできあがっている。届かないとわかっているうえで、フレアは右手をのばした。
『だから?』
ウッドが尋ねる。
『何か
一波乱ありそうな気がしてな…………』
フレアの不確定的な言明が顔なじみ2匹の全身を震えあがらせた。ウッドは興味津々の態で、アクアは
戦々恐々の態で。
『一波乱ってのは、たとえば、フレアが石ころにつまずいた
拍子にアクアを押し倒しちまうとか?』
どこまでもおめでたい方向にもっていきたがるウッドを無視しようとして、アクアが視界にはいってしまい、フレアは赤面を
免れることができなかった。
『そ、そんなことをしたらアクアが困るだろう!』
『お、お、お!? むっつり
助兵衛の本性が出たか!?』
『それ以上いうとブレイズキック≠ナ黒コゲにするからな!』
『やあい、ムキになってやがんの!』
どう考えても困惑しているのはフレアのほうであったが、彼の言うとおり、アクアはもっと赤くなっていた。自分のことなんて
眼中にないかと思いきや、意外すぎるほど意識してくれていた。クールを気取っているのではなく、本当に顔に出ないのだということはミシロタウンではじめて出会った頃から勘づいていたが、ふだんから自分のことを気にかけてくれている彼が何も考えずに積極性を発揮するなんて、アクアには考えられなかった。
傍から見れば、仲のいいポケモンが同じところをぐるぐるまわって追いかけっこしているように映るであろう。ふたり――とくにフレアは真剣な面持ちでちょっかいをかけたウッドを真剣に捕まえる気でいる。だが、スピードにおいては敵わぬことを知っていたフレアは追走をやめ、息をととのえてから話のつづきを語り出した。
『それに……、オレは、3日前にあの人と会ったんだ』
『あの人?』
フレアが静かに再開した人間の名前を告げると、恥ずかしさのあまり沈黙していたアクアがウッドに合わせて驚きの声を発した。
『まじかよ!?』
『え、え、だって何年ぶりだったっけ?』
『……5年かな』
『だよな!? あの人みずからお前に近づいてきたのか!?』
『ああ』
『どんなお話をしたの、フレアくん?』
なるべくフレアに悟られぬよう内に秘める努力をし、アクアが緊迫の面を作って尋ねた。
フレアは再度腕を組み、とある人物の口から吐き出された言葉の数々を連ねていった。皆に断りなく姿を消したことを申し訳なく思っていたこと、心の整理をつけるのにずいぶんと時間がかかってしまったこと、近いうちにホウエン地方全土を揺るがす大事件が発生するかもしれないということ、それを阻止するべく自分ひとりで力をつけていたこと。
ホウエン地方全土を揺るがす大事件。再会したての挨拶にしては不穏な
情報を持ち帰ったものだ。直接本人から聞いたフレアもそう思った。
『でも、あの人も相当な波導の使い手だったよね』
『ああ。龍星とオレに、波導の
制御のしかたと、それをもちいた格闘技を教えてくれたんだ。そんな人がひそかに鍛えるくらいなんだから、とてつもない陰謀の幕明けが迫ってきているのかもしれないな』
本来なら眠ったまま終わっていたであろう波導の力を発現させたのは、龍星と自分に波導拳法≠フ基礎をていねいに教えてくれた。通常より体力・精神力を多く使うのが難点なのだが、それに見合った
能力や技の威力を底上げして戦えるようになる。つまり、フレアは龍星の指示なしに己の意思で戦いに参加できるようになってしまったのだ。そういう事情があって、ウッドの
決闘状に応えるのはほぼ不可能なのである。
『おれも波導が使えたら戦略の幅が広がるだろうに……』
『そうでもないぞ』
『あん? 何でよ?』
『波導はいわば
劇薬なんだ。過度の使用は
生命にかかわる』
『そ、そりゃそうだが…………』
『利便性の裏には依存性が潜んでいる。いちど手にしたものを手放せなくなるのがつねだ。それが危険であることはわかるだろう』
危険であると自覚していれば内在させつづけることは許されるのか。もともと目が細いせいか、ウッドの眼光がするどくなったようにアクアは感じられた。
『
勝負魂の熱いお前が、みずから不正行為に身を染めるのはまずいのではないか。ましてやお前は雷次さんの右腕。雷次さんの
面子に泥を塗るのは忍びなかろう、ウッド?』
『!』
フレアの
諫言に揺さぶられたのか、ウッドの眼光がしだいに弱くなっていった。好きなことを自分の手で断つなんてどうかしていた。そう思ったのであろう。アクアは心の内で
安堵の息を
吐いた。
『純粋に
勝負を楽しむことにするわ』
『うん、そのほうがいいよ、ウッドくん』
フレアは2回頷いたのち、ふたたび夜空を見上げた。月の位置を確認する。小1時間ばかり過ぎたであろうか。そろそろ
雷次の表向きの指示に従ったがよさそうだ。
『アクア、炎帝さんたちのところへもどろう。頼まれていたんだ』
『あ、う、うん!』
フレアに声をかけられ、思い出したようにもじもじとさせるアクアを見、ウッドは、
『――ったく、純情なんだか不器用なんだか』
とささやいた。