第六章
勇気の波導
 「図書館に行くか」
 と、龍星が思ったところに、数名の無名の刑事が公務室の扉をひらいてあらわれた。上司である五十嵐風太に報告するためであった。
 「五十嵐警部。月城宅の2階の寝室にて不審なポケモンを1匹捕らえました」
 「不審なポケモン?」
 背が低くて小太りな刑事がきまじめな表情で言い、のっぽで冴えない顔をした刑事がそのポケモンを大事そうに抱きかかえていた。
 「ルナ!」
 龍星と岩村冬瓜氏が1秒以下の僅差で反応した。龍星のほうがわずかに速く、それに応じて弱々しくしていたルナが飛びかかってきた。
 「アンアン!」
 「こ、こら! い、いかがいたします、五十嵐警部!」
 「野生に帰せ、とでも命じると思うのかい?」
 「い、いえ、そのようなことはっ!?」
 緊迫した状況でいまのような冗談(ブラック・ジョーク)はまずかったかと、いささか苦笑いを禁じえない気持ちで風太は本当の指示を部下にあたえた。
 「どうやらこちらの彼と親密な仲にあるようだ。しばらく借りたいのだが、いいかい?」
 「はっ!!」
 すでに長身の刑事のもとから離れて、龍星と波導での交信をはかるため、ルナが右前肢(みぎまえあし)を差し出してきた。
 「ルナ、左前肢(ひだりまえあし)はどうしたんだ」
 ルナの右前肢をとりながら龍星が尋ねると、非力(ひりき)な自分に失望していていまにも泣きそうなルナの声を聞くことができた。
 『天ノ川さん、ボク、もうだめだと思ったよ』
 「長い間つらい思いをさせて悪かったな。でももう安心してくれていい。オレがみんなを助けに行くからな」
 『うん!』
 龍星とルナが波導を通じてコミュニケーションがとれることを、風太以外の人間は知らなかった。自分たちにもそなわっているはずの潜在能力を容易(ようい)に操るさまは、彼らを(おそ)れさせた。
 『でも、ボクも煌良を助けようとして……』
 ルナは隠すように握っていた左前肢を龍星たちに見せた。コバルトブルーの体毛が焦げたのか、十字架のような火傷(やけど)(あと)がある。治療はされておらず、ずっと放置していたらしい。
 「なぜ放っておいたんだ!」
 龍星が見た目のばらばらな刑事数名に激怒した。その場にやけどなおしがなかったのだとしても、早急にポケモンセンターに連れていくのが筋であろう。不審者あつかいにしてどうにかなるものでもあるまい、と、強く批判したが、数名の刑事は萎縮するのみだった。
 「まあまあ、龍星くん、部下の不始末はおれがしておくから。それより、彼から何か情報はえられたかい」
 ルナの話によると、ベッドごといなくなったのは本当のことで、なんとかして煌良(かのじょ)をおろそうとしたときに黒い雷のバリアが発生、ルナが負傷してしまったのだそうだ。まるでロープで煌良の身体を縛るかのごとく覆われていて、発動者を斃すか止めるかしないかぎりあの呪術(じゅじゅつ)はとけそうにない。煌良を乗せたベッドは宙に浮かび上がって、窓と壁を大破したあと、北の空へと飛んでいった。遠くのほうまで目を凝らしてみたのだが、中途で消えたように見えたという。
 「消えたのか……」
 『うん。少なくともどこかの島に着陸したりとかはなかった。空中でぱっといなくなった感じがしたよ』
 「ありがとう、ルナ。ルナのおかげで着実に近づいていっているからな」
 「おれからも礼を言いたい。ありがとう」
 龍星と彼の知り合いらしき人物に感謝され、ルナは左右の(てのひら)から淡い波導を帯びさせた。火傷のダメージが祟っているのであろう。
 「大至急ルナをポケモンセンターへ」
 龍星がルナの右前肢を放そうとして、ルナがぎゅっとつかんだ。家族が誰一人いないなか、龍星にも見放されるのかと思ったのか。駄々っ子みたいに首を横に振る。
 「ルナ、気持ちはわかる。できるならオレがいっしょにいてやりたい。だがな、そうしたら煌良たちが助からなくなるかもしれないんだ」
 「!」
 「だから、しばらくは風太さんたちに面倒を看てもらうといい」
 『で、でも、この人たちはボクのことを…………』
 ルナがめそめそと泣言をいうような瞳で龍星にすがりつく。
 彼からしてみれば、煌良に近づくことのできない状況のなか、見覚えのない数名の人間――風太の部下たちが家に上がり込んできて、「カタクソウサだ」といって部屋のものを荒らしまわりはじめたのだ。しかも秘輝の寝室のデスクにあった絵本を「イリュウヒンだ」と手にし、どこかへ持ち去ろうとしたから、それだけはなんとしても死守せねばと思い、その者からかっさらって逃げようとしたところ、首根っこをつかまれた。
 波導でそのときのようすを把握した龍星は、できの悪い風太の部下をにらみつけた。ポケモンに人間の組織の何たるかを説いても理解できるわけがないし、心を落ちつけて暮らしていた住処(いえ)に土足ではいりこまれたら追いはらおうと思うのは当然だ。どこまでも無神経な奴らめ、と、龍星がつぶやくと、背の低い小太りの刑事の堪忍袋(かんにんぶくろ)()が切れたらしく、上司を前にして怒鳴り声をあげた。
 「だいたい何なんだね、きみは! われわれ警察のやりとりに口をはさんで、捜査の撹乱(かくらん)をして!」
 別の角度から見れば正しい指摘であったが、いまはそんなことに時間を費やしている場合などではなかった。上司の風太が強硬(きょうこう)に、「私の知己(ちき)の邪魔をするな」といい、意見を封じた。
 「ルナ、風太さんはちがう。たしかにこの人はルナを邪険にあつかった奴らの仲間だ。でも、この人はリーグチャンピオンのお兄さんだ。職務上においてはポケモンとともに行動していなくても、ポケモンのあつかいは心えている人だ」
 そうでしょう、と、龍星が尋くと、風太は人あたりのいい笑顔で応えた。
 『……ボク、天ノ川さんと風太さんを信じる』
 龍星が風太のことを風太さんと呼ぶせいか、ルナもならって風太さんと呼んだのを、龍星は皮肉っぽい感じで笑った。
 「じゃあオレは行くよ」
 と、今度こそ手を放そうとしたところ、またもやルナに引きとめられた。まだ心の整理がつかないのであろうか。
 「どうした」
 『天ノ川さんはこれから悪者をやっつけに行くんでしょう?』
 やっつける≠ニいう語感が幼い子どものものっぽくて、一瞬、龍星はやさしい気持ちになった。
 『だったら、ボクの波導を天ノ川さんにあげる』
 「え、いや、そうしたらルナが…………!」
 今度は龍星がうろたえる番になった。ただでさえ体力が少なくなってきているのに、よけいになくすようなことをすれば、ポケモンセンターで治療してもらっても回復するのが遅くなるかもしれない。応援してくれるのはうれしいが、身を削ってまでしてほしいとは思わなかった。ルナの協力をていねいに断ろうとして、背後から右肩をぽんとたたかれた。岩村冬瓜氏であった。
 「天ノ川くん、厚意(こうい)ってのはありがたく受け取っておくものだぜ」
 「冬瓜さん……」
 冬瓜、風太、ルナと見て、龍星は怖気(おじけ)づいた自分を脱ぎ捨てた。何をいまさら躊躇(ちゅうちょ)するのか。彼らの協力なくして、奴=\―ダークライを止めることなどできはしない!
 『さあ、ボクの波導を!』
 ルナは左右の前肢で龍星の右手を包み込んだ。それをも覆い被せるように龍星も左手をおく。その場で波導の青白い光が彼らの周囲をまとった。
 「これは…………!?」
 風太の部下たちは目を丸くし息も飲み込んだ。自分たちにも宿っているといわれる波導を、いちポケモンからいち人間に譲渡(じょうと)している。不思議な光景だ。
 「う、うわあ!」
 そのとき、中肉中背(ちゅうにくちゅうぜい)でわりかしましな顔立ちの、風太の3人めの部下が悲鳴をあげて尻もちをついた。目と鼻の先の光景に驚いたのではなく、手もとから自然と離れていった1冊の絵本が不気味に思えたのである。あれがルナが持ち出そうとした絵本なのか。
 「みかづきのはね≠カゃねえか!」
 絵本の題名を見て、今度は岩村冬瓜氏が裏返った声を出した。それに合わせたかのように絵本が勝手にぱらぱらとめくれていく。
 「な、何だと!?」
 風太をはじめとした警察組や岩村冬瓜氏が驚愕の歌声を合唱した。
 なんと、4ページ以降が赤黒くてまがまがしい色で塗りつぶされていて、しかもその中にやはり見たことのないポケモンが陣取っていたのだ。白煙のように揺らめかせる頭部、血のように赤いマフラーのような首もと、その下の胴体および四肢(てあし)闇黒(あんこく)そのもの。
 『そこにいる人間たちよ』
 スピーカーがあるわけでもないのにどこからか声が聞こえてきた。4人はあたりを見まわしたが場所を特定できなかった。
 『どこを見ている。我はここにいる。貴様らの前にいるではないか』
 「じゃ、じゃあ、てめえが秘輝さんたちを…………!?」
 やはりというべきか、岩村冬瓜氏がいきり立ち、風太が羽交(はが)()めにして彼の動きを止めた。
 『我以外でなくて他に誰がやれるというのだ。無駄な問いはせぬことだ』
 「て、てめえっ!!」
 「落ちついてください、冬瓜さん!! 奴≠フ術中にはまってどうするのです!!」
 人の思いは一時間ばかりでは変わらぬものか。どこかしらで引っかかりを感じていて、はたして本当にそうなのかという純粋な疑問によってもとの場所に意識を引きもどされる。
 龍星の価値観と岩村冬瓜氏の価値観には大きな差異がある。世間的には後者の在りかたに賛同する者が数多くいる。人間はそう簡単に変わらない。性格を変えるなんてもっと難しい。変わるのは自由だが変えようとは思わない。これらは彼らの正直な気持ちなのであろう。
 岩村冬瓜氏が今後どのように過ごすのか。それは龍星たちが介入していいことではないから、どうにもできず歯がゆい思いをするだけにとどまることになるが、古巣(ふるす)の居心地のよさに甘えないほうがいいと(くぎ)を差すくらいのことはできる。人間までもが本能に身を(ゆだ)ねる必要はなかろう。
 『ふふふふふ、本当に愚かだな、お前たち人間は』
 「てめえがよけいなトラブルの火種(ひだね)()かなきゃ、こんなことにはならなかったんだ!」

 『貴様は、我が望んでもいない義務(こと)を不死のままやらされる苦悩を想像できるか?』

 「な、何っ!?」
 『我らは死なない存在(いきもの)。尽きぬ生命をなくしたい我の心中を察することが、貴様にはできるのかと尋いている」
 クレセリアと似た質問のしかたを奴≠烽オかけてきた。岩村冬瓜氏は反発する気が失せたようで何も言わなくなった。
 人は理解の範疇(はんちゅう)を超えると理解不能な存在に排他的(はいたてき)な態度をとるようになる。自分がその者のそばから離れるのではなく、相手のほうから消えてほしいと願うようになる。なまじ感情などを有してしまった人類の罪みたいなもので、それからは逃れられないのを自覚しているわりにおおまかに同一であることを認めようとしないのである。
 『貴様らは我を赦さぬと思っているのであろう。我からすれば、人間の法律で我を裁くことができると思い込んでいる貴様らのほうこそが()せぬと思うのだがね』
 「人間の法律で裁けぬというのなら、お前は不死身のまま野望を推進していくことになるな。夜の支配者とやらになった景気祝いに何をする気でいる」
 風太がなるべく理性的な態を崩さぬよう、絵本の中のダークライに話しかけた。
 『貴様のような人間に語ることはない』
 「語っても理解できないからか。それとも、語るほどたいしたことのないものなのか」
 『愚かな人間たちよ。我が苦悩がわからぬというのなら、それもよい。だが、我の邪魔立てはしてくれるな』
 「ま、待て!」
 絵本のみかづきのはね≠フ4ページめが歪んだ。もとのイラストにもどろうとしているようだ。先にダークライがいなくなり、風太の呼びかけに応じずに、4ページ以降はひらくようになった。そして空中に浮かんでいたものはばさりと床に落ちたのであった。
 「ダークライ……」
 龍星の話に聞いていたとおり、奴≠ヘ斃されることを望んでいた。が、ただ斃されるのでは味気ないと思ったのか、華々しく散るお膳立てをつぎつぎに用意していき、ついにみずからが余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)とあらわれるぐらいの実力をつけられたようだ。あちらの戦闘準備が完了したわけである。
 「こちらも準備万端ですよ」
 そこへ、ルナを抱きかかえた龍星が両瞳(りょうめ)をコバルトブルーに輝かせていた。
 「ルナを頼みます」
 「わかった」
 ぐったりとしたルナを風太に渡し、龍星は、「では」と会釈(えしゃく)しながら出ていこうとした。
 「おっと、そういえば」
 何かを思い出したように風太の部下たちの方を振り返り、龍星は最敬礼をしはじめた。
 「申し遅れましたが、私はホウエン地方西部レンジャーベース所属のA級レンジャー・天ノ川龍星です。先ほどまでの数々のご無礼をお赦しください」
 怒髪天(どはつてん)をつかれた小太りの刑事は仰天(ぎょうてん)した表情をスローモーション動画さながらの動きで見せてくれた。立場は異なるが、目的は同じであった人物を侮辱(ぶじょく)してしまったのだ。ほかの2人が敬礼するなか、彼だけは「気をつけ」の姿勢をとり深々と頭を下げたのであった。
 「お、おい、天ノ川くん! 奴≠フ居場所がわかるのか!」
 岩村冬瓜氏があわてて呼びとめる。
 「ええ、ルナのおかげでね」
 それだけ言うと、龍星は公務室を出ていった。そこに取り残された人々は清々しいほどに表情を改めて、彼の武運(ぶうん)を祈った。
 「ではわれわれもこのへんで」
 風太は外見だけがばらばらな部下3名を連れて、ポケモンジムをあとにした。部下を持ち場にもどさせ、風太はポケモンセンターに急行する間、携帯電話を片手に連絡しはじめた。
 「…………五十嵐です。ええ、じつは――――!」
 風太の携帯電話の裏面にデジタル表示されてあった現在の時刻は、23時45分。夜空には光の輪郭線が大きく描かれた月――新月(しんげつ)がでかでかとあった。まるで地上に住むすべての生物を蔑むかのように。

野村煌星 ( 2015/03/19(木) 15:31 )