第六章
2人め
 午後10時20分。龍星はミオシティに到着した。予定時刻より20分遅れたが、まずはなんとかスタート地点に戻ってこれたことを喜んだ。中途で同行者(クレセリア)が脱落して、月城家(かのじょたち)の監禁場所がどこなのかを聞きそびれてしまったが、自分の体力・精神力などを回復させてくれただけでもありがたいことである。こうなれば自力で探すしかない。
 さて、218番道路の大河を渡った先では、筋肉の大変盛りあがったたくましい男が背丈と同等のシャベルを片手に龍星の帰りを待ちわびていた。フルネームで呼びかけられて面食らったものの、男がクロガネシティで会った岩村枹太の父親であることがわかると、使い古された軍手とオープンフィンガーグローブでの固い握手が交わされた。
 「ご苦労さん、ジバコイル」
 モンスターボールをかざすと、ジバコイルは、「お役に立てて光栄です」といったような軽快な声音を発しながら光と化し収まっていった。
 枹大の父親はミオシティのポケモンジムでリーダーを担当しているという。彼は鋼タイプ、息子は岩タイプ。親子という絶対不可避の上下関係、さらにあつかう属性においても縦の関係が築かれてあるとは。
 ポケモンバトルは芸事ではないが、勝負師(バトル・マスター)の世界はとても厳しいところである。社会構造の根幹が男社会であるためか、結果を出すことがすべてで、勝利するか敗北に終わるかで今後の人生が決まる。もちろん戦略・戦術を駆使して戦いに挑むのだが、負けない算段を考慮するより、いかに勝つかを重視する傾向があった。極端にいうなら、勝者には利用価値があって、敗者にはないのである。どんなにがんばって戦ったかを説明しても、「敗者に用はない」と突っ()ねられ、すでに敗者の烙印(らくいん)を押されているにもかかわらず、ひいては存在そのものを脅かされたりもする。
 龍星も10代の前半でポケモンリーグの決勝戦までたどりつくほどの実力を持ちあわせていたが、両親の突然の死により出場を辞退し、戦うことより探究するほうに心力をはたらかせる道を選んだ。
 結果的にはいまの生活様式(ライフ・スタイル)が性に合っているようで、戦場から身を退いたと後ろ指をさされることに躊躇(ちゅうちょ)する思いは生まれなかった。臆病者と罵られても、(つば)を吐かれても、龍星本人の生きかたに何の支障もないし、そこには何者にも縛られない自由の園が広がっていたのだ。自分の人生を自分のために生きてはいけない理由などない。人目を気にしていないと安心できないようなマゾヒズムに冒される趣味もない。ナンバーワンもオンリーワンもない世界で、21才のポケモンレンジャーである天ノ川龍星は生をまっとうすることに決めたのであった。
 岩村枹大の父・冬瓜は、ただいま、煌良(かのじょ)の家に警察が家宅捜査に乗り込んでいる旨を伝えた。
 「見に行けばわかることだが、いまは警察のほかにマスコミ関係者や野次馬でごった返している状態だ」
 「煌良さんは?」
 龍星にとっては、居候先のようすではなく、そこの住人の安否が気がかりであった。
 キッサキシティの碇泊所では家長(かちょう)の月城秘輝が吐血した。あえて()かずにいた煌良(かのじょ)の母親は行方不明のようであるし、彼らの最愛の娘だけが無事であればよいのだが、と、龍星は心の底から想っていた。
 岩村冬瓜氏の返答(こたえ)は、可能性の高いものではあったが、意外なものでもあった。
 「……いなくなっていたよ。ベッドごと」
 「ベッドごと!?」
 「町の者たちの目撃情報によれば、黒い雷のバリアが張られたそれが煌良ちゃんの家の2階から突き破って出てきたあと、鋼鉄島(こうてつじま)の方にすっ飛んでいったそうなのだ」
 鋼鉄島という単語は初耳だったが、この町の碇泊所を出発してキッサキシティに向かっている最中に通りすぎた孤島の一なのだろうか。
 距離はどれぐらい先なのか、龍星が尋ねようとして、彼らの後方から金髪で長身の顔見知りが冷静さを努めるような足どりで接近してきた。短期滞在の初日に連絡船の甲板(かんぱん)で会い、ミオシティの船着場で見失った五十嵐風太である。
 「龍星くん……」
 「風太さん、あなたがこちらにおいでになったのは、7年前に起きた連続変死事件の再来が訪れるのではないかと予感したから。そうですよね?」
 再会して早々、龍星は警察関係者である風太に詰問(きつもん)した。現時点でたしかめておかねばならぬことが、たくさんあった。
 「そのとおりだ」
 船上で披露(ひろう)した長広舌(おしゃべり)が嘘であったかのような短い返事だ。龍星は少しトーンを下げて話をつづけた。
 「あのときの話のすべてを思い出すのは困難ですし、私はいくつかの単語をメモに残したうえで推考してみたのです」
 制服のジャケットの内ポケットから手帳を取り出し、風太ならびに冬瓜に見せた。ただ箇条書(かじょうが)きにしてあるものを提示するというのは複雑な心持ちがしたが、それぞれちがった反応をとってくれた。前者は顎に手をおいて考えるそぶりをし、後者は腕組みをしながら、「ほうほう」とヨルノズクみたいな音声をつけて感心したのだった。

 ・殺す
 ・生命は尊いもの
 ・何が起こるかを予測できるなんて本来なら不可能
 ・行動があからさまに不自然
 ・確乎たる信念
 ・挫折(ざせつ)
 ・とかくこの世はままならぬ

 この7つのキーワードをどのように調理したのか。お手並み拝見(はいけん)といこうか。そういったぐあいで、風太は龍星の推理の賜物(たまもの)を見守ることにした。
 「その前に、こんなところで話を聞くのもアレだから場所を移さないか」
 と申し出たのは岩村冬瓜氏である。川の向こうで消火活動がおこなわれていて、その近くで自分たちが立ち話をはじめるとなると彼らにいらぬ嫌疑(けんぎ)をかけられかねない。いちおう警察組織の人間がひとりいるが、共犯者か重要参考人として連行されてもおもしろくはないから、一時中断してミオシティのポケモンジムに移ることにした。
 例によって裏口からはいり、いくらかのジムトレーナーに迎えられた。ジムリーダーの岩村冬瓜氏は「大事な話があるから」と彼らに告げ、風太と龍星を公務室に招きいれた。暖房をかけっぱなしにしておいたのか、部屋全体を適度な熱が支配していた。
 「グハハハハ!! まだ秋にはいったばかりとはいえ、シンオウ地方は寒い土地だ。むろん夜はよく冷える。だからこそイメージキャラクターの休息の場所というのは必須になる」
 だからそのような寒々しい恰好だったのかと、龍星はあきれ果てた。シンオウ地方の大地を踏みしめた当初の自分がとっていい態度ではないが、さすがにノースリーブとマントで屋外を歩きまわる度胸はなかった。自分はバシャーモスタイルの防寒服――おもにリストバンドとブーツのおかげで立ちまわれるのであって、いい年齢(とし)した御仁のすべきおこないではないであろう。そう思うのは自由だが、冬瓜(かれ)がイメージキャラクターになりきって生きると決めた以上、その行動を止める権利を龍星は行使できなかった。
 「まあ、適当なところにかけてくれ。部下に茶を用意させるから」
 ミオシティのジムリーダーに言われたとおり、3人がけのソファーに龍星と風太は腰をおろした。向かい側に冬瓜が座る。数分後にジムトレーナーが熱い茶を運びにきてくれた。
 「さあ、きみの話を聞くとしようか。龍星くん」
 風太が身体ごと龍星のほうに向けた。冬瓜も前のめりになって話を聴こうとしてくれている。龍星はひとつ咳払いをしてから、意見を(てい)した。
 ……シンオウ地方へ向かう船で風太と会い、さまざまに紆余曲折(うよきょくせつ)した話をしたり聞いたりしたが、たったいま見せたメモとにらめっこしてえられたものがある。うろ覚えからの選出だから順不同(じゅんふどう)というべきか、書いた順番にこだわって考える必要はなく、自由な発想を展開させていけばいい。まずはそういう切り替えに至らなかったのが己の不注意であった。
 風太が7年前に起きた事件に関わっていたのなら、当然「月」の字が姓名にある人物をしらみつぶしに探したはず。その中に月城家もいたはず。彼女たちと面識があったかどうかは知らぬが、とくにミオシティで発生した事件であったし、「月」いりの名前なんてざらにあるものでもないから、風太が月城家の存続を気にかけていたのは自明(じめい)であろう。
 この町には図書館がある。事件後、風太はそこで月≠ノかんするできごと、もしくは歴史的資料を探した。そして、手がかりになるものを見つけたのではないか。
 「ああ、たしかにあったよ」
 「なんという題名だったのです」
 「みかづきのはね=B童話だったんだ」
 「童話……」
 みかづきのはね≠フ内容は以下のようなものだったという。



 むかし むかし ひとり の おとこのこ が 
 あくむ に うなされ
 おとうさん と おかあさん は こまり はてて いました

 おとこのこ は なかなか め を さまさない ので
 おかあさん は しんぱい の あまり に
 なきだして しまいました

 そこで ふなのり である おとうさん は 

 「でんせつ ポケモン の クレセリア が おとす
 みかづきのはね を て に いれて みせる」

 と いい はるか きた の
 まんげつじま へと でかけ ました

 まんげつじま に ついた とき
 つき の ように きれいな ひかり を まとった ポケモン が
 おとうさん を もり の おく に まねき いれ ました

 あいする おとこのこ の ため に
 まよう こと なく すすみ いれた おとうさん は
 おうごん の ひかり を はなつ ポケモン の てまえ に
 みかづき の かたち を した いちまい の はね が
 おちて ある のを みつけた の です
 それ こそ おとうさん が さがして いた
 みかづきのはね でした

 みかづきポケモン クレセリア が
 やさしい こえ で つげました

 「これで あなた の あいして やまない むすこ さん を
 めざめ させて あげて ください
 わたし は あなた の ゆうき を ほこり に おもい ます」

 やっと の おもい で
 おとうさん は かぞく の まつ ミオシティ へ かえり
 おとこのこ に みかづきのはね を あたえ ました

 すると いままで いちど も め を あけなかった おとこのこ が
 おとうさん と おかあさん に むかって
 「おはよう」 と はなしかけた の です

 りょうしん は おおよろこびして おとこのこ を だきしめ ました

 こうして おとこのこ は あくむ から かいほう され
 かぞく ぜんいん しあわせ に なりました とさ

 めでたし めでたし


 なるほど、彼女(クレセリア)は巷ではかなり有名な存在(ポケモン)だったことがわかる。龍星と風太はそれにふれるまではまったく聞いたことがなかった。ホウエン地方にはない童話であるし、おそらくミオシティにのみ伝わるものなのであろう。
 しかし、この物語には奴≠フ存在がなかった。あくまで楽しむのが子どもであり、そのための配慮が行き届いた仕様なのだろうか。たいていの童話はハッピーエンドで終わり、主人公たちの無事を純真な読者(こども)に喜ばせるという存在意義がある。逆に、原本は表現が生々しいものが多いから、幼い頃に絵本などを読んで育った思春期まっさかりの少年少女が、あまりの落差(ギャップ)に興味を示すか恐怖心に駆られるか、どちらかの反応をとるのである。
 みかづきのはね≠フ原本はなかったか、風太に尋ねたが、芳しい回答はえられなかった。
 「そうですか……」
 「ふむ、どうやら、龍星くんはその童話からさらなるヒントがえられないかと思っていたみたいだが」
 「ええ、奴≠フ正体は判明しているのです。目的も把握しています。ただ、その引き鉄となりえた事象が何なのかがわからないのです」
 「目的?」
 龍星は説明した。奴=\―ダークライは、長い間、何者かに斃されることを願っていた。そのために、対をなす存在であるクレセリアから力を奪い、クレセリアの力の一部を預かる人間を根絶やしにして自身の強化に努めた。だがそれだけに飽き足らず、膨大なエネルギーを手にした彼奴はクレセリアを殺して、夜の支配者として君臨しようとしている。
 「冬瓜さんはどうお思いでしょう」
 意見交換の相手を龍星は変えてみた。ミオシティのジムリーダーにして、クロガネシティのジムリーダーの父親、そして月城家の家長(かちょう)旧知(きゅうち)である岩村冬瓜氏は、すなおな気持ちを表した。
 「夜の支配者、か。なんだかぞっとしないな」
 「どうしてそうお思いに?」
 「だってそうだろう! 海賊行為におよんだ奴が、更生(こうせい)するどころか、夜の支配者になろうと息巻いてやがんだ! で、そういう王のいる国は3日も経たずして滅ぶ!」
 自分で自分が何をやっているのかがわかっていないというのは、凡人(ぼんじん)からすれば理解不能に映るものだ。「お前は普通じゃない」と糾弾しても、周囲の声は届かず、「大丈夫だ。何も問題はない」とさらなる世迷言(よまいごと)を告ぐ。もはや何が善くて何が悪いのか、倫理(りんり)垣根(かきね)を越えてしまっていて、手の打ちようがないのだ。
 奴≠アとダークライは、もしかしたら何かきっかけがあって動いているのではないのかもしれない。相手が見えていないのに、自分のしていることがわかるはずがないし、周囲の冷たい視線をなんとかよいものに変えるために、奴≠ネりに考えて動いた過程の軌跡(きせき)がそこにあるのであろう。人間の法で奴≠裁くのは無理があるのかもしれない。龍星はふとそんなことを思った。
 「それに天ノ川くんは考えすぎじゃないか?」
 「と、いうと?」
 「秘輝さんをはじめ、螢さん、そして煌良ちゃんが(さら)われたんだ。私利私欲のままに生き、悪夢を魅せるのが得意なくせに下手な寝言ばかりいうような輩を、天ノ川くんは赦せるのか?」
 「…………赦せるわけないでしょ」
 そう、奴≠フおこないを許容する気はない。償うべきことはしてもらう。死者が蘇ることはないが、死者の(むくろ)や魂の重さを背負って生きることは可能だ。奴≠ヘ滅ぼさずに生かす。正しくいうと奴≠フ暴走を阻止(そし)する。感情を一方的にはたらかせてしまったら奴≠フ二番煎(にばんせん)じになるのだから、そんなことまで真似する必要はない。
 「だったら!」
 「冬瓜さん」
 そこで彼を抑えたのは風太だった。
 「あなたはミオシティのジムリーダーである前に、ひとりのポケモントレーナーであり、岩村枹太氏のお父様でしたよね。もし息子さんが人殺しをしてしまった場合、あなたはその気持ちを保たせたまま、息子さんに死ねと命じられますか」
 「なっ!?」
 「できますか?」
 「で、できるわけないでしょう!? あんたは莫迦(ばか)か!?」
 「莫迦とは?」
 風太が平然とした表情で冬瓜の反論を(うかが)う。龍星もいきなり何を言い出すのかととまどいを隠せないでいた。
 「いきなり息子に死ねと言えるかとか、あんた、どんな神経してやがんだ!?」
 「お言葉ですが、連続変死事件の黒幕の野望を阻止(そし)しようと龍星くんが画策するいっぽうで、あなたは黒幕をどうしてやろうとお思いでしたか」
 「!?」
 よく言えば冷静。悪く言えば冷淡。風太の批判は至極(しごく)もっともなものであった。岩村冬瓜氏の熱が急速に冷めていく。
 「多くの人は重要な決断を迫られた際、ひとつを活かして、もうひとつを切り捨てます。両方とも選ぶことはほとんどないのです。何故かというと、自分の力で切り拓いていける自信が100パーセントあると思い込むことができないから。選ぶのはたやすいが、その後で自分で選んだものをはたしてやり遂げられるのか。まだそのときが来てもいないというのに、人は急に不安になるのです。
 もしかしたらどちらとも失ってしまうのではないか。自分の思い上がりのために他者を巻き込んでしまっていいのか。このように、だんだん自分の決断より他人の迷惑について思いふけるようになります」
 「何が言いてえんだ」
 「話は最後まで聞いていただけるとありがたいのですが」
 「…………」
 風太の声には大量の香辛料(スパイス)がふくまれていた。刺激が強すぎて冬瓜はたじろぐしかなかった。その間、かわいた口中を回復させるべく、龍星はぬるくなった茶をひと口すすった。これはオレンの実であろうか。苦味と甘味が同居した味と香りがした。
 「彼は――龍星くんは、絶対の自信はないのかもしれませんが、どちらとも選んで、どちらとも救おうとしているのです。
 こういう決断をした人にたいして、人は、慾張りだとか傲慢だとかいうのです。そんなことができるわけがない。もっといえば、できてたまるか、でしょうか。大言壮語(たいげんそうご)を吐いた者の末路をよく知っているし、わざわざ同じ(てつ)を踏んで危険(スリル)を愉しむような莫迦とは関わりたくない。内心もしくは真っ向からその人に悪態をつくことで自己の優越化をはかるのです」
 「…………」
 「冬瓜さん、あなたは龍星くんの話を聴いているうちに、事件の黒幕と似たような思考をもった頭の弱い若者だとお思いになったのですよね。でなければ、あの場面で感情を露わにするはずがありませんから」
 ようやく風太が結論を言い終えたからか、我慢の(たが)がはずれかかっていた冬瓜の口から言葉の奔流があふれ出た。やや挑戦的な顔つきで。
 「ああ、そうだよ! さっき電話を寄越してきた息子の枹大よりも赫灼とした目をしているし、ちっとは骨のある若造かと思ったらこのありさまだった。どうしてもっとこう、現実的な考えかたができんのか、わしには理解しがたい」
 「私からすれば、その現実的な考えかたとやらのほうが理解しづらいんですよ。冬瓜さん」
 今度は龍星みずからが議論に参戦した。風太は腕を組み、どっしりとした座りかたに直した。
 「どちらとも選ぶのはよくないとか、どちらも選んではいけないとか、そういうルールがあるわけではないのです。ましてやどちらかしか選べないということもない。
 まず、秘輝さんの譲れぬ願いははたします。煌良さんをかならず護ります。
 次に、奴≠フ野望を止めます。殺しはしません」
 「それが解せぬといっておるのだ。なぜ殺してでも止めぬのか。そいつは「月」の字のはいった姓名の人物――同胞をことごとく殺したのだぞ」
 「殺られたら殺りかえす、ですか?」
 「!! いや、その…………!!」
 先ほど風太が機先(きせん)を制してとどめたのは、「やられた分は倍にして返す」という報復手段の悪辣(あくらつ)さを徹底的に批判しておくべきであったから。人殺しの例に息子の枹大をもちいたのは、一時でもその心が和らいでくれることを願ったから。
 しかし、危険な存在を野放しにしてはまずいという考えかたから生じた殺意の霧を払うのはなかなか難しいようだ。危険だと思うこと、放置したままにするのはまずいと思うこと、龍星たちはそういった気持ちを否定しているのではなかった。
 殺意が芽生える前に、まずは怒りが沸騰(ふっとう)する。怒りの前には困惑や悲哀といった一次的な感情が発生する。怒りに到達してしまうと抑えがきかなくなるといわれるが、それは怒った人間の戯言(ざれごと)にすぎない。怒りに身をまかせたほうが楽であるため、という理由とも目的ともつかぬ意見を提示して、そのときの状況をもっともらしいものに作り替えるのが狙いなのである。裏に潜む言葉(ほんね)は、「(だから)自分は悪くない」。
 誰かの生命をなくしたという客観的事実は曲げられないが、せめて取調室で己の罪を軽くできるのではないかと、こしらえておけるネタをあらかじめ用意する。で、だいたいは受けずに終わるのだ。
 殺られたら殺りかえす。この切り返しで岩村冬瓜氏は完全に意表(いひょう)をつかれたようであった。息子はかばうがそれ以外の他者はねじ伏せる。その考えかたがいかに愚かしいことであったかを、10才以上も離れた年下の警察官に諭されるとは!
 それに、頭を金槌(かなづち)か何かで殴られたような衝撃を受けたとき、岩村冬瓜氏は、風太よりさらに10才若い龍星にたいして、「頭の弱い若者だ」と心のうちで評価していたことを後悔した。頭が弱かったのは自分自身だった。怒り以外で解決する方法を見出そうとしなかった自分自身こそがもっとも危険であった。
 「私は冬瓜さんのいう現実的な考えかた≠ノ賛同したくありません。復讐が復讐を生むという事例が歴史の鉄則であるかのようにはびこり、その流れを断とうとしないのは支配者的な考えを捨てようとしないあなたのような人間がいるからなのです。
 あなたは私に奴≠殺せといいました。私は殺しません。ポケモンレンジャーの誇りにかけて、奴≠止めてみせます」
 高らかな龍星の宣言は、ほかの2人の胸を打つものとなった。大言壮語であることに変わりはないのだが、龍星(かれ)ならきっとやってくれる。そう思わせる魅力を感じたのである。
 「うん。きみならできると信じているよ」
 「ありがとうございます」
 龍星はすなおに礼を述べたあと、推理の話のつづきを再開した。岩村冬瓜氏との衝突で大きく脱線してしまったが、こればかりは龍星から話を振ったのであるから、彼を責めるわけにはいかなかった。
 ……自分は、初日、とあることで煌良を悲しませてしまった。気まずい夕食会のなか、父親である秘輝が帰ってきて、目の前の暗く沈んだ光景を見た瞬間、自分の両肩をわしづかみながら瞳で逃げられないようにしてきた。むろん逃げる気は毛頭なかったが、あの時点で秘輝は自分が波導の使い手であることを見抜いた。
 使い手は瞳と瞳を見つめればその奥で波導を覚醒させていることを察知できるのだが、自分の両肩に力をいれでもしないと測定できないほどに秘輝の波導が弱まっていたことを自分はその後に知った。
 さらに、自分は、はじめから煌良と接触するべくしていまここにあるのかもしれないと思うようになった。行動があからさまに不自然≠セった彼女の父親・秘輝が語った真実≠聴き、ますますその思いは強くなった。何が起こるかを予測できるなんて本来なら不可能≠フはずなのに、この一件にかんしてはあらかじめ道標がさだまっていて、これから起きるおおかたの事柄が嫌でも思いつく。話を聴いてしまった以上、挫折(ざせつ)≠ヘ赦されないであろう。
 夢の中で語りかけてきた秘輝(かれ)が一心に伝えたかったこと。それは、生命の尊さ≠忘れてしまった奴≠ノこれ以上の無駄な殺生≠許してはならぬこと。
 月を司るという重要な役目(ポスト)を担っていて、(ダークライ)にしかできぬことであるのに、それを放棄して好き勝手に自由を謳歌(おうか)するなど断じて許されぬ! 自由とは、己の生きかたに(おきて)の旗を立てることにあるのだから!
 人間にはとうてい不可能な仕事をポケモンが代わりにおこない、ポケモンにはけっしてかなわぬ仕事を人間が一手に引き受ける。それが共存、もっと強めていうなら共生。ともに生きるとなれば他者を蔑ろにしてはならないし、その者を亡き者にするのはもっといけない。ちがいこそあるが、それを受けいれられるような破格の(うつわ)はもちたいものだ。おたがいに。
 「……それが秘輝さんの確乎たる信念=c…」
 岩村冬瓜氏は月城秘輝という漢のでかさを思い知った。挨拶ていどですませるつもりだったのが酒の席にまで発展し仲良くなった海魔鮫蔵とは趣の異なった漢気があって、そんなふたりに挟まれるようにして()た自分がひどく情けなく思えてきた。
 イメージキャラクターを定着させるためのいまの恰好が、具体的な証拠であるかもしれない。表面だけを徹底的にみがいたところで、しょせん表面は表面であり、中身をさらせば無様(ぶざま)な自分が在るだけだ。息子の枹大のヘタレな性質は父親である自分にもたしかにあったのだ。認めるのは心苦しいが、認めなければ変わりはしないであろう。
 冬瓜がひとり思いを募らせている横で、風太がふたたび口を開いた。
 「最後のとかくこの世はままならぬ≠ヘ、どうだい?」
 「それは……、いまの段階では何とも言えないです。もしかしたらすべてが終わってから明かされるのかもしれません」
 「そうか……。(いや)、そうかもしれないな」
 「ところで」
 龍星はここで肝腎なことを尋いておかねばならなかった。
 「風太さん、秘輝さんは?」
 「…………この町の碇泊所付近で発見されたよ。遺体として、ね」
 「……………………」
 「死因は失血死。頸動脈(けいどうみゃく)が内部で破裂したようなのだ。もちろん人為的(じんいてき)な犯行によるものではなく」
 この世からふたりの人間が時間差をおいて亡くなった。悪夢から()めたとき、彼女はどうなってしまうのだろうか。ベッドごといなくなったというのが不可解すぎるが、きっと精神体となって(ダークライ)≠フもとに送られたのであろう。いずれにせよ、早く彼女を悪しき無意識の世界から呼びもどさねばならない。
 「あとはおれたちに任せなさい」
 公務室の3人はほぼ同じタイミングで立ちあがった。龍星の茶碗は(から)に、風太の茶碗は半分以上なくなり、岩村冬瓜氏はほとんど口にしていなかった。

野村煌星 ( 2015/03/19(木) 15:31 )