on my way !! B-T
何時間意識を失っていたのだろう。クロガネシティのポケモンセンターの個室で目を覚ましたとき、カーテンが閉じられていた。テンガン山の洞窟内にいては日が沈んだかどうかもわからないし、そこから外に出る一歩手前で自分は力尽きてしまった。
キャプチャ・スタイラーで時計を見ると二桁めが「2」になっていて、龍星は驚いた。あたりは真っ暗で、空気が冷たいせいか、星の輝きかたがホウエン地方にいるときと異なってまっすぐに
煌めいて見える。だが、満点の夜空を
悠長に眺めている暇などなかった。
丸く光る輪郭線のある空を憎たらしそうに見つめる。
奴≠ヘあんな遠いところにいるのかと、上下の歯を剥き出しにして悔しく思っていたところに、語る光球ことクレセリアがふわふわと頼りなさそうに浮遊して近づいてきた。
『天ノ川龍星…………』
「クレセリア、あんたが治してくれたのか」
『いまの私にできることをしたまでです…………、うぐっ!!』
「クレセリア!」
クロガネシティの街中でひとりの青年が大声で誰かと話しているようすを、町の人々は不気味なものを見ているかのように凝視した。「まだ寝静まるには早いであろうに、あれは
夢遊病の患者か」と陰口をたたく者もいたが、いまの龍星には聞こえなかった。 「最後にひとつだけ教えてくれ。あんたは、あんたたちはいま、どこにいる」
『ぐ…………っ、はあっ!!』
「クレセリア!」
嘆願するような叫び声を発すると、右肩をぽんとたたかれた。そのほうへ振り向くと、黒のダウンジャケットを着た数名の警察官が立っていた。町の人間に通報されて出動したようだった。
「きみ、まだ明るいとはいえもう夜だ。静かになさい」
正論だが、おとなしく従えるような状況でもなかったので、謝罪の言葉はかけなかった。するとうちひとりの警官が怒声を浴びせた。どうやら尊敬する上司の注意を聞かなかったことに腹を立てたようだが、態度をあらためる気にはなれなかった。
「場合によっては現行犯の容疑できみを逮捕することになるが、それでもいいのかね」
「冗談じゃない。オレは息の絶えそうなポケモンを心配して声をかけていただけだ。あんたたちには見えないのだろうが、ただそれだけでオレを捕まえる理由があるのなら教えてくれ」
「貴様!!」
また怒気を発した若い警察官は上司の
一瞥によって
萎縮した。
正義感があることはよいのだが、強いと周囲の存在をも傷つける
諸刃の
剣となる。相手の在りかたが自分のそれと異なれば己の正しさを全力で主張するのである。正義と悪は対極の立場としてあつかれやすいが、いちばん危険なのは神経症的な正義を貫こうとする存在であろう。正義という名の劇薬ではなく、それを
服薬させようとする人間が。
「よかろう。ポケモンがそこにいるというのなら、われわれが迂闊だった」
物分かりのいい上官が一礼し、納得のいかない顔つきがなくならないぺえぺえの新米警官を連れて町の警察署に引っ込んでいった。
「何だったんだ……」
こちらは納得以前に理解できぬようすである。ただ岩肌に包囲された町ではあったから、声の
音量が大きすぎたことは冷静になってから反省した。
それにしても、ひとりごとをいうだけでこんな騒ぎになるとは思わなんだ。それを肯定するわけではないが、ぼそりとつぶやくたぐいのものでも敏感なのは、たんに聞いた者の注意が悪いだけなのでは、と思ってしまう。アニメや漫画では登場するキャラクターが膨大な台詞でぶつくさと語りまくっているというのに、現実ではどうして許されないのだろう。
…と、そんなことを考えている場合ではないというのに!
「だめだ。立ち止まると考えちまう」
「ならば私の自転車を貸しましょう」
「あ、あなたは」
龍星の前にあらわれたのは、さきほどポケモンセンターの個室で口論した相手の岩村枹太氏であった。心なしか吹っ切れた顔つきになっている。そして両手でヘルメットと同じ色のマウンテンバイクを支えていた。
「先ほどはどうも醜態をお見せして失礼しました」
「あ、いや、私もずいぶんと
冷淡な物言いをあなたにしました。申し訳ない」
後方100メートル先のポケモンセンターの前で、ジョーイがうれしそうに微笑んでいた。そちらにも龍星は軽く会釈をしておいた。
「お詫びと言ってはなんですが、お急ぎのようでしたので、よろしければ私の自転車をどうぞお使いください」
「……よろしいのですか? 都合が悪くなったら乗り捨ててしまうかもしれないんですよ?」
「そのことにかんしては心配無用です。どうか、まずはあなた自身のことをお考えになってください」
シンオウ地方へ出発する前の日の夜にもほとんど同じようなことを言った漢がいたような、と、龍星は思った。自分が部屋から出ていったあとで、彼のなかで何かしらの変化のきっかけがあったのだろう。たった10分ほどの間でも人は変われるものらしい。
「ありがとう。たいせつに使わせてもらいます」
いちおう「たいせつに」と言い、龍星は生まれ変わったジムリーダーから自転車を譲り受けた。ギアが最大レベルになっていた。
「ここからミオシティの手前の218番道路までは、最高速度を出せばだいたい1時間半で到着できます」
「わかりました」
「道中お気をつけて」
「いろいろとお世話になりました」
ふたりは握手を交わし、龍星が自転車に
跨って発進させようとしたところ、枹大が恥ずかしそうに告げた。
「話を蒸し返すようで申し訳ないのですが、煌良があなたたちに惹かれた理由がわかったような気がするのです」
「どういうことです?」
急いではいるが、たったいま和解できたばかりの彼の言い分を最後まで聞いてあげよう。龍星はなんとなく
寛大な気分になっていた。
「私は、怖かったのです。彼女に振られるときのことばかり気にしていて、己の弱さを欺く
鎧を装備して粋がっていただけなのです。
ですが、あなたたちにとっては
猫に
小判≠セった。それこそ
裸体で飛びこんでいけるくらいの自信に満ちあふれていて、
小細工な
小道具など必要なかったのです。私はそんなあなたたちが羨ましかったし、悔しくもありました」
比較的プライドが高い男という
生物は、公衆の
面前で弱さをさらけ出すという行為が赦せないと思うものだ。「男は泣くな」と両親に厳しく
躾けられた男子はかなりいるであろう。
「泣くな」というのは、周囲の人々を困らせる手段として
適用される側面を指摘しているのであって、泣くことじたいはけっして悪いことではない。「自分は泣きたいほどに困っているのだ」という意思表示にもなるし、その
機微に他者が気づけば、その者たちと思いを共有し共感が生まれるのである。
よく
駄々をこねたり
拗ねたりする子どものような人を自己中心的――通称:自己チューだと批判する者がいるが、彼らの
真実に向き合おうとせず、自分たちの気持ちを優先させてしまうような人こそが、大人の皮をかぶった自己チューなのではないだろうか。
それはさておいて、枹大の清々しいほどに転換された意見は、
涼風となって龍星の素肌をなでた。もとの衣装の50パーセント以下に減少した布地は薄汚れていて、もう少しやられていたら特性もうか≠発動できる状態だったかもしれない。
「あなたはしっかりと向き合ってくださいましたが、鮫吉さんは私のことなど眼中にないようでした。本来なら彼の在りかたのほうが自然なのでしょう」
「
鮫吉は参考になりはしませんよ。私のあこがれの的ではありますが、次元がちがいすぎて泣きそうになりますから」
はっはっはっは、と笑い合うと、龍星は片手をやや挙げてからクロガネゲートへと自転車を
漕いでいった。あっという間に後ろ姿が小さくなり、残念でなくなったメガネ男子は踵を返してポケモンセンターで待つジョーイのもとへ駆け足で向かった。
午後9時35分。龍星がマウンテンバイクで再始動した時刻である。
……いまの私にできることが、あのていどしかないだなんて。かの者が――をもいでいってしまったのが、力不足による敗因だろう。
あれは
月精術≠フ効力を高める以外に、悪夢にうなされた
存在を目覚めさせる効果もあるというのに……!
天ノ川龍星がもっとも欲していた
情報を教えてあげられなかった……。
なんて役に立たない
送信者なのかしら!
私は、ただ、
煌良が好いた
人間のおそばに、代わりについていてあげたかったのに……!! いまの
煌良の意識に直接介入できるのは私だけなのだから、私にできることを天ノ川龍星に…………、いえ、
龍星に…………!!