第五章
男のプライド、女の勘
 「ああ、気がつかれたのですね!」
 自分に語りかける声の主を視界にいれたとき、龍星の身体は個室のベッドに横たわっていた。清潔感のある白い天井、壁、床、ベッド。右手にはナイトテーブル。そのそばには、黒のフルフレームメガネをかけた知的そうな青年が丸椅子に腰かけていた。ナイトテーブルの上にある赤いヘルメットは彼のものなのだろうか。
 「あなたはテンガン山の洞窟内で倒れていらしたのですよ。たまたま近くを通りかかった私が、あなたを、この町のポケモンセンターに連れて運びました。どこか痛むところはありませんか」
 「右肩を……、野生のゴルバットのクロスポイズン≠受けて…………?」
 「右肩、ですか? とくに何ともなっていないようですが、痛むのですか?」
 「い、いえ! 気のせいだったようです! あは、はははっ!」
 「そうでしたか。それは無事で何よりです」
 「助けてくださってありがとうございます」
 防寒服は完全に溶けてなくなっている。しかし、その下にあったはずの傷口はきれいさっぱりなくなっていた。左手でいくらふれても痛みをまったく感じない。それがあったから気絶したというのに、いったいどういうことなのか。
 「それより、あなたはこの町の方なのでしょうか」
 龍星の純粋な問いにメガネの青年は恥ずかしさを禁じえず、顔を赤くしながら答えた。
 「これは失礼しました。私はこの町のポケモンジムでリーダーを務めております、岩村枹大と申します」
 「イワムラ……ヒョウタ……?」
 「え、ええ。私のことをご存じなのですか?」
 「…………あ!」
 目覚めたばかりで頭の中が整理しきれていなかったおかげで、思い出したとたんにすっとんきょうな声が出てしまった。ジムリーダーの知的クールなメガネがずれ落ちる。
 「あなたが煌良さんの幼なじみの岩村枹大さんでしたか!」
 龍星の親しげな呼びかたに、枹大の眉目(びもく)がぴくりと動いた。どうして彼女のことを知っているのか。どうして下の名前で呼んでいるのか。どうして僕が幼なじみであることを嘲笑うかのようなリアクションをとったのか。3番めにかんしては彼の過ぎた解釈なのだが、幼なじみという間柄を壊しにかかる龍星の言動が気に食わないと思ったのは事実であった。枹大は不機嫌さを表に出さぬよう細心の注意をはらいながら、龍星の語を継いだ。
 「たしかに私は煌良とは小さい頃からいっしょでしたが、あなたはどういった経緯(いきさつ)があって煌良(かのじょ)と?」
 龍星は事情を説明した。自身の仕事について、宿泊先になるはずだった波止場の宿の手配ミス、それによって月城家と出会ったこと、そして…………
 「何ですって!?」
 最後に話した内容は、枹大の顔全体に「驚愕(きょうがく)」の二文字を殴り書きしたような状態にさせた。当然、枹大は丸椅子を蹴って立ちあがる。
 「そんなばかなことがありますか!?」
 ジムリーダーにして幼なじみの彼の表情がしだいに怒気を強めていく。
 「心中お察ししますが、残念ながら、いまのお話は嘘ではないのです」
 龍星は上体を起こした。本当に全身にあった傷や痛みがなくなっている。右肩の毒、両頬の擦過傷(すりきず)、両脚の筋肉痛、何もかもがキッサキシティを出発した頃の体力・精神力に戻っていた。
 「だとしても、秘輝おじさんが無事にミオシティにもどっていればいいのですし、煌良も悪夢にうなされていると確定しているわけでもないのです。あなたの推理は人々を不安にさせるだけの、中身のない空想話にすぎない」
 「中身もありますし現実に起こったことです。不安になっているのは、この部屋に限定していえばあなただけだ。不特定多数を(たて)に逃げないでいただきたい」
 「逃げているのはあなたでしょう! ありもしないことをぬけぬけと言い、それを現実だと思わせようとしている! しかも、あろうことか、僕の幼なじみを題材にしておもしろくもないお伽噺(とぎばなし)を魅せつけてくるんです! そんなことをして観客から評価(カネ)をむしりとれるとお思いなのですか!!」
 あるていど予想はしていたが、やはり典型的な水かけ論になってしまった。出会いたての人間に突拍子な話を振られて信じる者はまずいない。たとえ関連性のある人物を挙げても結果は変わらない。
 龍星はあきらめたように頭を振った。こんなところで永遠につづきそうな議論を展開させるよりも、なぜか万全になった体調で目的地(ゴール)を目指したほうがよさそうだ。身体ごと煌良の幼なじみから背け、近くに置いてあったバシャーモの足を模したブーツを履き、制服のジャケットを羽織って、部屋を出ようとした。
 「待ってください!!」
 「……私は行かなければならない。あなたが信じないのであれば結構です。別に強制しているわけではありませんからね」
 「…………」
 「では御免(ごめん)
 廊下を駆ける足音が遠ざかっていく。数分後にはジョーイがやってきて、しょぼくれたジムリーダーを見て曇った表情で言った。
 「そんなことをしている場合ですか」
 「…………」
 明らかな非難の声に枹大は沈黙するだけだった。
 「煌良ちゃんがあなたに振り向かない理由(ワケ)が、いまでもわからないとお思いではないのですよね」
 「…………」
 ジョーイが苦虫(にがむし)を噛みつぶしたかのような顔を作る。はっきりとしないその態度が、女を激情に駆り立たせるのだ。そんなこともわからないのか!
 …と感情的になって言うのもばかばかしく思ったジョーイは、それ以上何も言わず、受付のほうへと帰っていった。
 個室に取り残された煌良の幼なじみはうなだれた。自分で蹴った丸椅子を立たせ、そこにへたり込むように座る。
 わかっている。(いや)、わかっていた。
 ……3、4才の頃はまだ仲良くできていたのだけれど、僕がクロガネ炭鉱で採石するのに興味をもってしまったことで関係に溝が生まれた。煌良はミオシティにとどまり、枹大(ぼく)はクロガネシティの採石仲間のところに泊まり込むように住みはじめたのが決定的だった。そのとき、僕らは7才だった。
 ここクロガネシティから約100キロ離れたミオシティに、ある日、秘輝おじさんの旧い友人が訪ねてきたと、そこでジムリーダーを務める父から連絡が届いた。挨拶ていどに会うつもりだったのだが、たいした漢であったと尊敬に似た情が手紙に記されてあったので、ひと目でもいいから会ってみようとミオシティの町を訪れてみた。
 父・冬瓜が惚れたその人は、ドサイドン並の巨体を誇った大男だった。おおよそ「人間」という枠からはみでているような体格をしていて、遠くからでないと首が痛くなるようなサイズだったが、説明の必要がなさそうな包容力とか人情味にあふれてもいて、まさに漢の中の漢≠ニいうべき存在であった。とにかく何から何まででかい。ここまでスケールが規格外だと、父でなくともあこがれの対象にはなりえる。幼かった枹大も感動したものだった。
 秘輝おじさんとあこがれのおじさん――海魔鮫蔵さんと父が酌を取り合いながら語らっているそばで、あの煌良が鮫蔵さんのひとり息子に好意的な目で見つめているのを枹大は目撃してしまった。やはり父子だからか、外見から雰囲気まで何もかもが生き写しで、自分の容姿や空気感が別物だと知ると、あこがれは(ねた)みに様変(さまが)わりした。
 でかいから何だ! 雰囲気が素敵(すてき)だから何だ! 男の値打ちはそれだけではない!
 このときから鮫蔵の息子・鮫吉にたいして密かなライバル心を燃やし、別の分野で彼を負かせる秘策を考えようと、よけいに採石の腕をみがくことに専念しはじめたり、鮫吉がポケモントレーナーでないことをあとから知り、鮫吉(あのおとこ)に勝利するためだけに岩タイプのポケモンを育てたりしていったのである。
 すべては煌良の意識をこちらに向けさせるためだと意気込み、自身の能力(ステータス)の強化に全集中を注いだ。これで鮫吉(まおう)の手から煌良(ひめぎみ)を救い出せる。僕は英雄(ヒーロー)だ。たいていの物語では魔王がやられる。自分を助け英雄に抱きかかえられた姫君はお礼のキスをくれる。素晴らしい台本(シナリオ)ではないか。
 …と、そのときまでは本気で思い込んでいた。正義の味方を気取って、煌良(かのじょ)奪還(だっかん)を成功させ、ものにするという作戦をひたすら練り込んでいた。
 しかし、それはただの思い上がりにすぎなかった。いつの時代でも男の嫉妬(しっと)は醜いと女子にきつく言われてきたことを無視し、煌良(かのじょ)の気持ちも無視し、そこにある現実をも無視し、ただただ独善的に事を進めただけだった。(じぶん)のつまらない自尊心(プライド)を護るために、さまざまな人やものを利用しただけだった。
 自身の優柔不断な面を隠蔽(いんぺい)するための偽装工作。いままでの行為のすべてが無駄だったわけではないが、大半が時間の浪費(ろうひ)であったことは固く認めざるをえなかった。とうの昔に自分たちは縁を切っていたこと、女の勘をなめていたこと、そして自分は煌良のことを愛してなどいなかったこと。これから(つぐな)うべき彼の罪の数々であった。
 いま手もとにあるのは、過去の自分との訣別(けつべつ)という選択肢のみ。ねずみ色の作業服の胸ポケットには携帯電話がはいっている。枹大はてばやくそれをとり、同じ苗字の人間のもとに連絡しはじめた。
 「……もしもし? 父さんですか? 枹大です。じつは…………」
 部屋から冷静な語り口が聞こえるのを確認すると、「まったく、不器用なんだから……」と苦笑交じりにつぶやいて、ジョーイが聞こえないていどの鼻歌を口ずさみながら受付へと戻っていった。

野村煌星 ( 2015/03/14(土) 14:20 )