第五章
腹いっぱい胸いっぱい幸いっぱい
 結局、龍星は少し遅めの昼食をとるため、キッサキシティのポケモンセンターまで戻ってきてしまった。あいかわらず利用者がいない。受付にいるジョーイも堂々とあくびをする始末だ。奥の治療室(ちりょうしつ)にはハピナスが1匹、はてしなく長い休憩時間をとって熟睡(じゅくすい)していた。
 龍星は、中にはいってすぐ右手にある木製のテーブルに向かった。さっそくC3から煌良の手作り弁当を出す。水色のナプキンを下に敷き、シンオウ地方の御三家(ごさんけ)のイラストが描かれたふたを開けてみた。
 「おおーっ!!」
 眠たそうにしていた受付のジョーイが龍星の感嘆の声にびっくりしてこちらに振り向いた。はじめてはいったときとはちがう顔つきだった。
 それはともかく、龍星が感動した肝腎の弁当の中身は色とりどりのおかずが詰まっていた。右側には、男爵コロッケ、たまご焼き、レタスとミニトマトのサラダ、オクタン型のウィンナー、ミミロル型のりんご。左側には白いご飯、その中心に(しゃけ)フレークが楕円(だえん)をかたち作るように降りかかっていた。さらに梅干しも乗っかっていたが、やや上のほうにあった――俯瞰(ふかん)して見て――のが気になった。
 「どうして真ん中じゃないんだろう」
 不都合なことでもあったのか。失敗したのなら言ってくれればよかったのに。そう思いながらも、自然と表情筋(ひょうじょうきん)がゆるんでしまう。鼻孔(はな)もひくひくと動く。
 誰かに作ってもらった弁当を食べるのはいつ以来であったか。実の姉・明美は普段の食事を作ってくれはしたが、たしか弁当までは作らなかったはず。鮫吉もない。ときどき、気分転換として自分で作るときがあるが、これほど豪勢に盛りつけることはなかった。すごい。もっと褒めようか。すばらしい。もうひとふんばり。最高!
 思うのは勝手である。龍星はまだひとつも手をつけていなかった。誰に向けての照れ笑いかも知れないまま白いプラスチック製の(はし)をとり、まずはたまご焼きをつまんだ。
 天ノ川一家(あまのがわファミリー)のたまご焼きは濃口醤油を使っていた。別に甘いのが苦手であったわけではないが、気づいたら引き締まった味つけのものを口にすることが習慣になってはいた。
 煌良のたまご焼きはいかなるものか。半分だけ口にふくんでみた。ふわっとした食感がする。風味(ふうみ)がほんのり甘かった。
 「おいしい…………!」
 理性と感情をうまくなじませられたら、このように、静かに驚きの声をあげられるのだろう。口を上下に動かして、いつもとは異なる味つけのたまご焼きを楽しむ。
 「あと半分も」
 絶妙な味わいだった。香りも楽しめて、まさに一石二鳥である。
 つづいて箸を左に移した。謎の詰めかたをした白飯を角のほうからつまみ、口に運ぶ。
 「やっぱり弁当は米で食うのが醍醐味(だいごみ)だよな」
 それをいうとパンが主食の人は反発するであろうが、いま、ここで、弁当を味わっているのは龍星だけである。米好きの米好きによる米好きのための主張であるので、パン好きがここにいない以上、いくらでも好きだという気持ちを言いのけられた。
 「でも、どうして鮭フレークのさらに上に梅干し…………?」
 これが月城家の常識(きほん)なのか。梅干しの位置が不自然だし、まるで何かを隠したようにある。
 「その鮭フレーク、ハートマークだったんじゃないですか」
 左手から女性の声がかかった。そちらに顔を上げると、いつのまにか受付のジョーイが興味津々な顔つきと態度で龍星の弁当を見つめていた。
 「ハート…………?」
 「このお弁当を作ったのは女性の方ですよね」
 「え、あ、はい!」
 ただ聞いただけなのに声が裏返ったので、ジョーイはくすりと微笑んだ。よほど気にしているらしい。
 「でしたら間違いないです」
 「な、何が?」
 自分にたいする煌良(かのじょ)の気持ちを、龍星はだいたい感づいていたが、いまいち自信がもてずにいた。
 自分の何に惹かれたのか。煌良(かのじょ)の父親・秘輝は「きみのすべて」だと推測した。だが全部ということはありえるのか。己のうちにある美醜(びしゅう)善悪(ぜんあく)を受けいれたというのか。こういうふうに悶々(もんもん)としてしまうあたり、龍星は自己評価が人より低いのであった。
 ジョーイが確信的な意見を述べた。
 「その女の人があなたのことを想っているということが、です。それもかなり熱をあげてらっしゃるようで」
 「……………………」
 本当だったんだ……。本当に、自分のことを好きに思ってくれていたんだ……。たしかな手応えを感じると、30パーセントのぐらついた自信がいっきに100パーセントにまで達した。
 「さしつかえなければ、その女の人がどんな方なのか、教えていただけますか」
 ジョーイの表情がとてもやさしい。羨望(せんぼう)憧憬(どうけい)か。どちらかの感情によるものであるのは間違いなかったが、龍星に相手(じょせい)の心の機微(きび)を正確に捉えられる才能はなかった。
 代わりに、龍星は煌良の特徴を、ひとつずつ、ていねいに紐解いていった。
 空色のきれいに()かれたミディアムロングの髪、白皙(はくせき)の肌、涼やかな睫毛(まつげ)、その下には黄色がかった黄金色(こがねいろ)の瞳、かたちがよくととのった鼻、小さくて愛らしい口唇(くちびる)、たまごっぽいかたちをした顔の輪郭(りんかく)、髪でぎりぎり隠れていない耳。
 ここまででも充分な情報なのに、龍星の興奮した口調が首から下の身体的特徴まで露わにした。
 ゆるいカーブを描いたような美しくて女らしいボディライン、B・W・Hのていどのよさ、モデル体型とまではいかないがゆったりとしたたたずまい、服装にかんしての才能(センス)が好みであること。
 「教えてください」と訊きはしたものの、後半の情報は人によってはセクハラだと感じてしまうおそれがあった。やや残念そうな面持ちで受けとめてから、ジョーイが話し手の主導権を握った。
 「では、どんな性格でした?」
 「そうですね……」
 龍星はいったんミネラルウォーターを口にふくませ、口中のところどころにこびりついた食べかすを食道へと流しこんだ。それから息を大きく吸い込み、ジョーイの2つめの質問に答えた。
 「おとなしくて、控えめで、とてもやさしい女性(ひと)です。あと気配りができて、困ったことや人を見過ごせないような人情のある女性(ひと)でもありました」
 ジョーイは、最初、同じ土俵(どひょう)の上に立って覇権(はけん)をあらそうつもりでいた。自信をもてていなかったこと以外の事柄で龍星を見、彼女は確信したつもりでいた。
 が、龍星がいまひろげている煌良(カノジョ)特製の弁当と、龍星(かれ)自身の想いから紡がれた情熱的な本心(セクハラまがい)の言葉を聞いて、退場の決意を固めたのであった。だいいちこんなに熱々な相思相愛(そうしそうあい)の男女を前にしていたら、その熱でとけてしまうにちがいなかった。
 「ありがとうございました」
 「どういたしまして」
 龍星は、たったいま失恋で終わった自分の女心に気づいているだろうか。(いや)、気づいていない。
 彼はそういう人なのだ。自信がないと態度で示しておきながら、こちらに思わせぶりな雰囲気を(かも)し出してくる。それを自覚しておこなう者と、無自覚でする者が世の中にはいるが、龍星(かれ)は後者の部類(タイプ)だった。自然におこなえるのだから、いろいろと予防線を張りめぐらして用意周到(よういしゅうとう)の状態になってから事を動かすような慎重な性格ではないのであろう。
 「あの、ジョーイさん?」
 「はい、なんでしょう」
 「先を急いでいますので、食事のつづきをしてもよろしいですか」
 「あ、はい、失礼しました。ごゆっくりなさってください」
 いやいや、急いでいるんだけどな。
 かといって、煌良(かのじょ)の愛情のこもった弁当をいいかげんな気持ちで食すわけにもいかなかったから、ほんのちょっと速度を高めつつ味わうことにした。
 どれもおいしい。これは龍星の正直な感想(こたえ)である。しかし、どれがとくにおいしいかったかを伝えたほうが煌良(かのじょ)の喜びの度合いは大きくなるのではなかろうか。すると、「どれも」おいしいというのは嘘ではないが失礼な気がした。
 「……やっぱりこれかな」
 龍星の選んだ答えはじつにシンプルであった。だが、シンプル・イズ・ベストというではないか。お手軽な料理ではあるが、味つけしだいでさまざまに変身する食べもの。そう、たまご焼きである。
 ハートマークだった鮭フレークを楕円にならし、その上に梅干しで隠した煌良(かのじょ<)のようすをイメージしてみたら、かなり気恥ずかしい気持ちになった。
 露骨に「好き」という気持ちを表現するのは気が引けるし、相手(かれ)にそのことが諸に伝わったら気味悪がられるのではないか。嫌われてしまうのではないか。それだけは、そうなってほしくない。なんとかして自分の気持ちをひた隠しにできる方法はないか…………
 きっと煌良(かのじょ)はそんなことをしながら自分への想いがこめられた弁当を作っていたにちがいなかった。すなおな気持ちを打ち明けたい。でも簡単には知られたくない。矛盾というか葛藤(ジレンマ)というか、煌良(かのじょ)の側に立ってみるとわからなくはなかった。おそらくこれが、()()がれる≠ニいう感情なのだろう。
 「ごちそうさまでした」
 完食。ぺろりとたいらげた。ふたを閉め、下に敷いていたナプキンで空になった弁当箱を包み込む。C3にしまうと、あとひと口でなくなりそうだったミネラルウォーターも胃袋の中へと(ほう)り込んだ。
 「よし、補給完了! 準備は万端、体調も万全だ!」
 キッサキ神殿での対レジギガス戦で9割がたの波導を使いはたしていた龍星は、元気もりもりと両腕を持ち上げて筋肉を盛り上がらせようとした。だが、長袖のアウターウェアのせいでそれは見えずに終わった。
 あいかわらずのはでなバシャーモスタイルの防寒服は、龍星の全身を完全にまとってはいなかった。レジギガスとの戦いで部分的に破れてしまったのだ。おもに上半身がひどかったが、発熱作用のあるリストバンドとブーツの靴底のおかげでなんとか凍結(とうけつ)せずにすみそうではあった。
 「お気をつけて」
 「ジョーイさんも」
 若干(じゃっかん)名残惜(なごりお)しそうにして見送る彼女(ジョーイ)に笑顔で応え、龍星はポケモンセンターをあとにしようとした。
 「ジョーイさん、急患(きゅうかん)だ!」
 ところが、外からスキーウェアを着用したポケモントレーナーが数人、あわててはいってきた。その場にいたジョーイが(いさ)める。
 「騒がしいですよ」
 「ああ、すみません、ジョーイさん! でも大変なんだ! おれのグレイシアが!」
 青いスキーウェアの人物はどうやら男性のようだ。彼は腕に1匹のポケモンを抱えていた。新雪(しんせつ)ポケモン・グレイシア。進化ポケモン・イーブイの進化形で、氷タイプのポケモンである。それがどうだ。胴体(どうたい)をするどい引っかき傷が支配し、鮮血に染めてしまっていた。
 「これは!?」
 「216番道路でこいつと修行していたんだけど、突然、2匹のマニューラが襲いかかってきて、あのするどい爪で引き裂きやがったんだよ!」
 「わかりました!! すぐに治療室に運びましょう!! ハピナス、手伝って!!」
 受付の奥の治療室でぐっすり眠っていたハピナスがぱちっと目を覚ました。寝ぼけ眼だったものを瞬時に活性化(かっせいか)させ、ぱたぱたとジョーイのもとへと駆けだしていく。
 「急患よ!! すぐに傷口をふさぐから冷却スプレーを用意してくれる!?」
 大柄(おおがら)だが俊敏(しゅんびん)な動きを見せるハピナスは人間の敬礼みたいなしぐさをとって、ふたたび治療室の中にもどっていった。ジョーイはキャスター付きの担架(たんか)を用意し、トレーナーも付き添うかたちで部屋にはいっていく。
 残されたトレーナーのうち、濃いピンクのスキーウェアを着たポケモントレーナーが出かけようとしていた龍星を呼びとめた。
 「あなた、テンガン山へ向かう気?」
 「ええ、そうですが」
 「いまはやめておいたほうがいいぞ」
 今度は薄紫色のスキーウェアの人物が忠告してきた。中身はもちろん男性である。
 「あのマニューラは(けた)ちがいに強くて怖かったが、もともと強い野生ポケモンがたくさん棲息(せいそく)している区域なんだ。吹雪(ふぶき)も強いし、ほとんど視界が遮られてしまう」
 「そうよ。悪いことは言わないから、しばらくはジョーイさんに頼んで2階の個室を借りたほうがいいわ。生命(いのち)にかかわることだから」
 彼らの言い分は正しい。それは認めるが、待機することにかんしては黙って従うわけにはいかなかった。
 「ご忠告、感謝します。ですが、私はここに留まるわけにはいかないのです」
 「死にますよ!?」
 その糾弾(きゅうだん)ももっともな反応だった。だが龍星はけっして怯まなかった。
 「私の帰りを待っているのは、いまにも死にそうなたいせつな人たちなのです。邪魔しないでいただきたい」
 2人のスキーヤーは絶句した。賢明なアドバイスをしたというのに、それを「邪魔」の一言でかたづけられてしまったのだ。
 「……失礼します」
 龍星は2人の反発を待つことなく、ポケモンセンターの外へと飛び出していった。そして、キャプチャ・スタイラーとディスクの電源をいれた。
 「待っていてください。いまそちらに向かいますから」
 ディスクを抛る。と、龍星の立つ位置から5メートル先の地点に回転しながら停滞した。スタイラーの液晶画面(えきしょうパネル)に目を落とす。目的地と到達予定時刻と総距離が設定されたままになっていた。
 「行くぞ」
 龍星は駆けだした。それと同時に、左の肩ごしに光球(こうきゅう)が近づいた。満月を(つかさど)るポケモン・クレセリアである。
 『少しゆっくりしすぎでは?』
 「これでも速く食べたほうなんだぞ」
 ……といったやりとりを交わしながら、龍星たちはキッサキシティの村を出ていった。その先に闇黒(あんこく)の使者が待ちかまえていることも知らないで――――

野村煌星 ( 2015/03/09(月) 14:41 )