第四章
クレセリア、登場
 レジギガスのDNAを手にいれて地上に戻った龍星は、神殿の門前にユキノオーの姿を捉えた。ジムリーダー・氷上菘はいない。ポケモンはともかく、いくら寒い地方で生活しているからといって、何時間も動かずに待つなんてことは自殺行為に等しかった。
 龍星は任務を終えたことを彼女にいちはやく報告したかった。この村の碇泊所から船でミオシティに帰り、重要な依頼に(たずさ)わらないといけない。(いや)、依頼などではなかった。もはや仕事の範疇(はんちゅう)に収まらないような事態にまで発展している。一般的な表現をするなら、それは事件≠ニ呼ぶべきであろう。
 碇泊所であの人と別れてからどれほどの時間が経過したか。視界にはいる景色が神殿内に移る前と何がちがうのかがわからない。運命に翻弄(ほんろう)された桜色の髪のポケモンレンジャーの興奮を(しず)めるように、色素の濃すぎる雪があたりに降りそそいでいるだけだ。ひと息つくと白い吐息が出た。息を吸う音と心臓の鼓動(こどう)ぐらいだ。自分の耳に届く物音は。
 「まずは報告するか」
 真白の空間は(よど)みがない。変化もない。そのことが、いまの龍星には不気味に思えてしかたがなかった。
 朝日が(のぼ)り、太陽が最上まで到達して、夕日が沈んでいく。ここはその繰り返しなのではないか。村全体を囲うように針葉樹林(しんようじゅりん)が立ちならんではいるが、彼らの許可なく枝や葉の上に重たい雪がのしかかり、木々は無感動にそれを受けいれる。林の向こうから野生ポケモンが顔を出してもよさそうなものだが、いまのところ、その気配もない。
 本当にシンオウ地方にある集落なのか。人里(ひとざと)から離れた隔絶(かくぜつ)された大地とかではないのか。ポケモンセンターやフレンドリィショップ、ポケモンジムはかたちだけで、実際はキュウコンやジグザグマが幻覚を()せているだけなのではないか。このように険しい雪道(ゆきみち)の上を歩いているのは実は錯覚(さっかく)で、雪のように白いベッドシーツと毛布の間に挟まれて眠っているのではないか。夢幻(むげん)の世界にまどろんでいるだけにすぎないのではないか。
 「夢幻…………」
 人もポケモンも夢を見る。非現実的な風景のなかにとけ込んだり体験したりしたことを、眠ることでかたち作って記憶の(すみ)に一時的に保存しておく。そして現実の世界にて見た夢の真意を調べ、その者の深層心理を()るのだ。
 だが、そのことも一般的な事柄であった場合の話である。龍星が直面した事件≠フ概要(がいよう)は、現実世界で非現実的なできごとが発生し、夢幻の世界で現実的な仕打ちを受けて苦しむ一家が拉致監禁(らちかんきん)されている、というものだった。なんともふわふわした内容であるが、まぎれもない事実であり、看過(かんか)してはならぬことであった。
 ポケモンジムの裏口からはいり、挑戦者がやってこなくて(ひま)をもてあまし気味のジムリーダー・氷上菘に任務完了の(ほう)を伝えると、ともに神殿の前にもどった。神殿の扉の戸締まりを共同でおこない、菘の相棒はモンスターボールの中へと帰っていった。
 「お疲れさまでした」
 菘がねぎらいの言葉をかけた。
 「ありがとうございます」
 「あの、もしよかったら温かいお飲み物をお出ししますが、いかがですか」
 「よろしいのですか」
 「ええ、お怪我もされているようですし」
 「それでしたら遠慮なく…………」
 『辞退させていただきます』
 龍星は頭の中で水のように澄んだ声が聞こえたのを自覚した。そして、その声が代わってお茶の誘いを断ってくれた。女性ジムリーダーにも横槍(よこやり)の拒否の返事が聞こえたらしく、あたりを見まわして警戒している。
 「いまのは…………」
 「あ、いや、少なくとも私ではないです」
 「ええ、それはわかっています」
 『おふたりとも、私はここにいます』
 声は女性のものだろうか。ここにいる、と言われても、どこにいるというのか。1人のポケモンレンジャーと1人のジムリーダーが同じ疑問と不満を同じタイミングで表したとき、彼らの間を割るように頭上から一条(いちじょう)の光が舞い降りた。声はここから発せられていたようだった。
 「あなたが私たちに?」
 菘の問いかけに、手のひらサイズの光が答えた。
 『そうです。どのタイミングではいればいいか迷いましたが、いざ割ってはいってみると清々(すがすが)しくてよいものでした』
 割られた側としてはあまり気分のよいものではなかったが、ちくいち気にしても詮ないことでもあった。今度は龍星が尋ねる。
 「ところでオレに何の用なんだ。あんたはオレに話があるんだろう」
 『察しのいい方ですね。それについては移動しながら聴いていただきます』
 「移動しながら? 船で、か?」
 『……ご存じではないのですね』
 龍星と菘はほぼ同時にクエスチョンマークを頭の上にかかげた。いくらかのジムトレーナーに留守(るす)を任せてポケモンジムを出ていき、碇泊所に向かうと、漁船や連絡船はおろか(わん)そのものが凍りついていたのである。これでは海路を断たれたも同然である。
 『かの者の仕業(しわざ)です。あの()この()であなたの行く手を遮ろうとしてくるのです』
 「かの者…………、それはダークライという存在(ポケモン)のことか?」
 『その名をどこで……!?』
 「同士に…………、いや、同志に聞いた」
 「…………?」
 菘からしてみれば言いなおしてやめたように聞こえるが、光のほうは龍星のいったことを理解したようだ。微笑んだように輝いて見えたからである。
 『そうですか。ですが彼は…………』
 「言うな」
 語る光球(こうきゅう)が何かを言おうとしたのを、龍星が即座に中断させた。
 『知りたくないのですか』
 「もうすでに知っている」
 『その先のことも?』
 「知らせるのはあんたの勝手だが、そうならないようにするためにオレが立ち向かうんだ。無用(むよう)長物(ちょうぶつ)はさっさと下水(げすい)に流すんだな。詰まってからじゃ手遅れだから」
 あえて清潔感のない語彙(ごい)をもちいて会話ごと遮断(しゃだん)した。
 それにしてもこの光は何者なのかを名乗ろうとしない。かの者がダークライとわかり、彼が月城秘輝(あのひと)であると理解しているのはいいとして。
 「お急ぎの用でしたら、このようなところでお引き止めするわけにはまいりませんね」
 途中で話ががらりと変わって、置いてけぼりにされたキッサキシティのポケモンジムの女性リーダーが徐々に身を引いていたのを、龍星は気にすることなくつづけてしまっていた。視線を光球から(かのじょ)にずらす。
 「申し訳ない」
 「いいえ、私は大丈夫です。それより、海路がなくなった以上は陸路でお戻りになられるのでしょう」
 「それしかないのでしたら致しかたないでしょうね」
 菘は無言で頷いた。このポケモンレンジャーの覚悟のほどをうかがっているらしく、ときどき首もとに視線を移しては瞳の奥をのぞいた。
 「ですが、キッサキシティを出ると、比較的雪崩(なだれ)の発生しやすい道路がしばらくつづきます。レベルが高い野生ポケモンも数多くいますし、たしかポケモンレンジャーの方は、トレーナーとちがって、ポケモンの連れ歩きは禁止されていたはずですよね」
 「よくご存じで」
 そう、自分のポケモンを連れて仕事に励むのは原則的にしてはならないことになっている。野生ポケモンを登用(キャプチャ)するか。もしくは、手持ちのポケモンをパートナーポケモンとして随時登録するか。規則を破ると、戒告(かいこく)か、減給か、停職か。場合によれば懲戒免職(クビ)にもなりえる。いずれにせよ、龍星はポケモンレンジャーであることを誇りに思っているし、それにあるまじき行為をはたらいたときは、ポケモン以外のことに手をつける人生を送るつもりでいる。が、いまのところ、思いつく(しごと)皆無(かいむ)に等しかった。
 「あなたはどうされるおつもりですか」
 「どうするも何も…………」
 答えは決まっている。たとえ雪崩が起きやすかろうと、山肌(やまはだ)が荒れていようと、雷とか矢が降りかかろうと、いまの自分がやるべきことは変わらない。それに、意識より先に身体が、すでに陸路での帰還の準備を進めていた。
 左腕のキャプチャ・スタイラーを起動し、C2からキャプチャ・ディスクを1つ取り出す。スタイラーでディスクとの同期を図り、目的地(ミオシティ)への座標測定にとりかかる。測定結果がスタイラーの液晶画面(えきしょうパネル)に載った。
 到達予定時刻は午後10時。総距離は約300キロ。
 はたして人間の足で行くのが可能な陸路(コース)なのだろうか。たったの10時間で到着できるらしいのだが、これは全速力を持続(キープ)すること前提での計算のはずだ。龍星は、さいわい、長距離を走るのが苦手ではなかったが、100キロ単位となると話が大きく変わってくる。
 「行くのですね」
 菘が先に答えを告いだ。龍星は毅然とした態で首を縦に振った。
 「ご無事をお祈りしております」
 「本日はどうもありがとうございました」
 菘に一礼し、その場で回転しながら停滞(ていたい)しているキャプチャ・ディスクと、語る光球を交互に見やった。光が輝きを一段と増した。
 『では行きましょうか』
 「ああ。けれど、まず、最初に名乗ってもらえないか」
 表情(かお)も身体もない声のみの存在は、ほんの少し明るさを弱らせた。名乗っていなかったことに気づいて赤面したのだろう。もっとも、ほんのりとした明かりに赤みはふくまれていなかったが。
 『失礼しました。私の名はクレセリア。月城家(かれら)月精術(ムーン・フォース)≠授けし者。そして、満月(まんげつ)を司る者です』
 「オレは…………」
 『天ノ川龍星。事情は彼に教わりましたので』
 龍星は左の口端を吊り上げて微笑んだ。話が早くて助かる。おそらく、はじめからこういうふうになるよう手筈(てはず)を踏んでいたのであろう。現実の世界からは消えて、夢幻の世界へと旅立った月城秘輝(あのひと)が。
 「さあ善は急げ、だ」
 と言い切ったところで、彼の腹が不満そうな唸り声をあげてきた。現在の時刻は午後2時30分。そういえば昼食をまだすませていなかった。
 「……悪いけどさ」
 『人間の言葉でいえば、たしか…………』
 「腹が減っては(いくさ)はできぬ≠ナしょう」
 「そうそう、戦にはこれから行くのさ」
 意識してオヤジギャグすれすれの台詞を吐いて場をごまかそうとした龍星を見、「ま、いっか」という心境で菘が屈託(くったく)のない笑みを浮かばせた。語る光球ことクレセリアも、人やポケモンが明るい気持ちになりそうな光をたたえさせた。

野村煌星 ( 2015/03/08(日) 15:07 )