龍星vsレジギガス
キッサキ神殿の地下3階――最深部の大空間にて、1人のポケモンレンジャーが4メートル近くある巨大なポケモンとの戦いをはじめて5分が経った。
桜色の髪の青年・天ノ川龍星が人型の穴を作ったこと以外に大きな変化は見られない。ただし大まかに調べたら、の話であって、氷の床には頂点を結べば二等辺三角形になる変わった足跡が、部屋の左側に多くできあがっている。しかも3つの穴には水がたまっていて、よりいっそう転倒する確率が高くなってもいる。だが、そんな細かいことはおかまいなしに、巨大ポケモン・レジギガスの懐へ飛び込んでいく。
「
龍炎弾=I」
波導の光に包まれた身体でレジギガスに体当たりしたさまは、
人間大砲で飛び出したサーカス団員が火の輪をくぐったときの達成感と似ていた。レジギガスの巨体が大きくのけぞる。氷の床を駆けた際の
敏捷力と、それを蹴って頭から前方へと
跳躍した際の
瞬発力とが合わさって生まれた攻撃力のおかげであった。
隙が生じたレジギガスはなんとか持ちこたえ、長くて白い3本の指を
掌握する。そうして、空中に居残った龍星を握り拳でいきおいよくたたきつけた。バスケットボールをグラウンドで弾ませるかのごとき威力が、レジギガスの足もとで生じた。柱状に氷塊の破片が立ちのぼる。
ここが湖とか海であったら水の抵抗で衝撃が和らげられたであろう。しかし、無情にも
鋼鉄のような硬さの地面に落下し、半径50メートル以内にひびがはいった。その中心には苦しそうに横たわる龍星の姿があった。
苔が生えたような緑色の足を高く上げ、レジギガスが踏みつぶそうとする。
「させるか!」
はっと目を開け、龍星はいきおいをつけて横にころがった。何度か右回転して起きあがると、その場で大きく跳躍する。
「またたたきつけられたいのか」
レジギガスの腹部あたりにある目のような、赤・青・銀の3色の左右対称の模様がいっせいにこちらを剥いたような気がした。ついで、雪のように白いうろこの
大蛇のごとく、レジギガスの右腕がのびる。3本の指がするどい歯のようだった。
「そんなわけがあるか」
レジギガスの目線――といっても、どのへんに顔があるのかがわからないが――にまで届くと前へ抱え込むように回転しはじめた。モーターで動くラジコンカーの車輪のごとく、超高速の域に達したのち、両足が先に突き出たのを見て、すかさずレジギガスが右手でつかみかかろうとした。
「空中で同じ位置にとどまったままでいると思うか」
「!?」
だが、レジギガスの右手は
空を切った。代わりに、突き出した右手左指の第2関節の側面を足場として利用された。あの人間はこうなることを見切っていたのか!
ギュルルと回転する音が聞こえてきそうなくらいの勢力でレジギガスの頭頂部に到達すると、龍星は利き手に
濃厚な波導をためた状態で
手刀を作り、いっきに振りおろした。
「
龍刃掌=I」
一瞬、レジギガスの黄色い頭に谷間ができた。それから3メートル以上ある巨体は、
摩擦抵抗がはたらかなかったせいで足をすべらせ、盛大な音を立てて尻もちをついてしまった。これまた水しぶきならぬ、氷しぶきがはでにあがる。
「ぐはあ!!」
後背を強く打ったようだ。レジギガスが悲鳴をあげた。
「まだまだこれから!」
龍星は回転の速度を弱めながらレジギガスの腹の上に着地し、すばやくバックステップをとった。2、30メートルほど距離をおく。
「この技から逃れられるか」
さらに左右の
掌に球状の波導を展開させると、それらをひとつに統合し、気合い充分な発声とともにレジギガスめがけて発射した。波導ポケモン・ルカリオの得意技でもある、
波導弾≠セ。
「これきりにしてくれ」
本来ならばこの仕事で終わりになるはずだった。このような物騒な場所から早いところおいとまして、
暖をとった部屋で温かい食べ物と
寝床にありつきたい。居候先ではあるが、
龍星の帰りをけなげに待っていてくれる
煌良がいるのだ。あとは彼女の手作り弁当も賞味せねばならない。こちらの感想を心待ちにしている。だが
煌良のお手製なのだから、
愛情をこめて詰めてくれたものがまずいわけがないじゃないか!
戦闘中にもかかわらず薔薇色の妄想を煙のように
焚いていく龍星をよそに、ドン、という爆発したような破裂音が耳の奥を刺激した。波導弾が当たって爆破したのだろう。それしてはずいぶんと間が空いていたような気がするが。
「これでおしまいか?」
「何……だ、と…………!?」
たしかに直撃はしたようだ。レジギガスの左脚のつけ根あたりに火傷の痕があったからだ。しかし、それしきで降参するような
柔な存在ではなかった。さすがにホウエン地方の伝説ポケモンをこしらえただけの実力はある。
「ならば今度は我の番だ。文句はあるまい」
文句も何も真剣勝負である。戦いをはじめる前にいちゃもんをつけるのならまだしも、戦いはじめてから口を出すような真似は
野暮というものであろう。
しかし、龍星は明らかに油断をしてしまっていた。力量不足ではなく、ありあまった体力があったにもかかわらず、だ。この時点で勝敗が決したような気がした。
すっかり
怯んでいる人間をすくいとるようにつかみ、レジギガスは3本の指で龍星の身体を握りつぶしにかかった。めきめきと
肋骨の折れる音が響く。
「ぐわあああああーーーーっ!!」
自分の背丈よりあるポケモンと遭遇したことは何度あったが、そういうポケモンに捕らわれ全身の自由を奪われたことはなかった。これまでも、これからもやられることはないと思っていた。だが、その考えは
脆く崩れ落ちた。
「ふふふふふ、どうだ、我の
握力の味は」
「ぐっ!?」
「そうか、もっと味わいたいのか。ならば望みどおりにしてくれようぞ」
自分の力に手応えを感じると、相手がどうなっていようが関係なく、好きに解釈して物事を進めるものであるらしい。いわば
悦にいっている状態なのだが、こちらの存在を無視しているので自惚れもいいところである。
レジギガスの力が強まる。それと比例して、龍星は前より1オクターブ高い悲鳴をとどろかせた。また生々しい音が鳴る。
鎖骨、
肩胛骨、
胸骨と、上から順にやられたようだ。
「我は手加減を知らぬ。じきに貴様は
亡ぶであろう」
……死ぬのか? オレが? オレを想ってくれる人を想ったがゆえに死ぬわけか。ずいぶんと情けない死にかたじゃないか。死にかたも選べないようじゃ、あの人にどやされちまう…………?
薄れゆく意識の中で、龍星は何かが引っかかった。あの人とは誰のことか。指示代名詞を使うような人だから自分の苦手な人か。
否、ちがうな。彼は、…………彼?
思考の
箍がどんどんはずれていく。集中もつづかなくなってきた。が、意識すら閉じてしまいそうなところで、揺れる視界のずっと奥に見覚えのある光が見えた。やけに青白い。はて、あれは自分にも備わったものではないか。自分以外に所有している人は、数えるほどしかいなかったはず…………!
「む、何事か…………!?」
レジギガスの握力が突如失われた。
否、失われてなどいない。彼の掌中に
捕縛されていた存在が全身から解き放っている波導の力が強すぎるのだ。胸の前で両腕を交差させて力をためる姿を見、レジギガスはあっけにとられた。上半身のほとんどの骨を役立たなくさせたはずなのに、何事もなかったかのようにふるまっているではないか! これはいったいどういうことなのか!
自身の封印が解除された際のポージングを人間である龍星が再現してくれ、いよいよ互角の状況に追い込まれた。たまらず、巨大ポケモンが疑問符を投げつけてきた。
「何故ぴんぴんとしている…………!? 貴様はあのとき、すでに
冥府へと旅立っていたはずなのに…………!?」
だが親切に答えてやる義理はないと思ったのだろう、かまわず突撃し、レジギガスの苔に覆われた足をはらった。身体の
均衡が崩れて片側にかたむいた。
「き、貴様っ!?」
「……………………」
龍星は質問に答えようとせず、黙々とレジギガスの戦況を不利な方向へ導いていく。 体勢をとりもどしかけたところへ、龍星のまわし蹴りがレジギガスの右わき腹にヒットした。400キロ以上もの体重を誇る巨人の身体が軽々と吹き飛び、地上につながる階段とは逆の方角の壁に激突。埃と氷片と壁の破片を爆音で混ぜ合わせながら飛散させた。
「答えろ、貴様!! 何故立ちあがった!! あのとき、貴様は死んで……!!」
「答えてどうなる」
「何……!?」
「答えて何になる。あのときとはいつのことだ。過ぎたことを引きずったところで何かが変わるのか」
「……………………!!」
「オレはお前を倒す。倒して、次の段階に進撃する。いまのオレにはその理屈だけでいい」
先ほどまでの好戦的な態度はどこ吹く風か、と思わずにはいられなかった。急に冷淡になり、戦いを楽しむというより、戦わないといけないという義務的な動きに変化した。生死の
狭間をさまよう間に何かを感じとったのだろうか。戦いかたが180度転換するなんて、彼のなかでいったい何が起きたのか。
純粋な疑問がふつふつと沸き立ついっぽうで、安定してはいるが無感動な龍星の
体術が激しさを強めた。
「!?」
龍星はレジギガスの左脚を両手でつかみ、ハンマー投げの要領でぐるぐると振りまわす。波導は使用していない。つまり、彼の力のみで地面から浮かしているのである。
レジギガスは身動きがとれなかった。というより、とる気が失せていた。せっかく現代の人間の手によって復活できたというのに、肩慣らしに戦うつもりが、相手が一方的に戦意をなくしてしまったのだから。こちらがいくらやる気を出しても、あちらにその意志がなければ戦闘は成立しない。ただの殺害になってしまう。
ひととおり振りまわすと、龍星はレジギガスが元いた封印場所へと投げ飛ばした。うつぶせの状態で冷たい床にこすりつけられたので、顎――と
思しき身体の前半分が赤黒く染まった。龍星のほうに向きなおる。ざくざくと、ガラスの破片をさらに小さくしていくような雑音を鳴らしながら近づいてくる。
「ひとつだけ答えよ」
「何だ」
威圧感といい、
冷然とした態度といい、最初に会ったときとは感じがちがいすぎる。この人間はもしや二重人格なのか。またしても疑問が増えたが、たったいま口走ったことだけを
尋くことにした。
「貴様は何をあせっている」
「答える必要を感じない」
「答えよ。そう言ったであろう」
「…………」
焦らす気でいるのか。レジギガスは龍星が答えるまで
辛抱強く待とうとした。が、意外にも、1分もかからずにすばやく答えた。冷ややかな視線は
依然として変わらなかったが。
「愛する者を失う恐ろしさに、だ」
「…………よかろう」
「合格判定でも出すのか」
「そうだ。貴様との勝負はおあずけだ。これを、もっていくがいい」
ついにレジギガスのほうから戦闘の中止を申し出た。個人的には納得がいかないが、この人間の
焦燥感による変化が事態をややこしくしているのだと悟ると、理解できぬふりを徹するわけにもいかなかった。
ということで、龍星は、レジギガスの首と肩のつけ根あたりに繁殖している苔のような物質をサンプルとして採取することに成功したのである。
「人間よ。我はもういちど深き眠りにつくことにする」
「できれば二度と
醒めぬよう願いたいものだが」
「それでは決着をつけられぬ。我がみずから封印を解除できようものならしたいものだが、残念ながらかなわぬ」
「…………もういちど、オレに、ここに、来いと、お前はいうわけか」
「楽しみにしている」
「…………しゃあねえな」
また口調が変わった。人格がいれかわったのか。それとも…………?
「次は容赦しないからな、レジギガス」
だめだ。実態が知れない。だがおもしろい
存在だ。
「覚えておく。久しく見ぬ強き者よ。覚えておく。貴様の名を」
「天ノ川龍星だ。忘れてくれるな」
「覚えておく」
レジギガスの身体が光に包まれる。波導とはちがう、金色と銀色がコラボレートした聖なる光が、赤・青・銀の3色の左右対称な模様に吸い込まれていく。
それは、ふたたび龍星の左の手のひらに返ってきた。3Rの存在を示すサンプルとして。
目の前には体育座りのいでたちをしたレジギガスの石像がある。ものを言う口は最初から見当たらなかったが、両腕で隠されたところから厳格な口調で再戦を申し込まれそうな感覚にとらわれた。3Rの創造者はもういない。
「
任務完了」
左腕の時計を見る。午後2時前。いちどは
瀕死状態になりかけた戦いが、こうして幕を閉じた。まさに
死闘であった。